〈4〉
「大丈夫か? あたしの顔、変な風になってたりしないか? さっきから鼻がじんじんするんだけど。ていうかうぇっ。口の中が気持ち悪い」
一人、浮くこともしがみつくこともできなかったルルンは、落下の衝撃で受けたダメージにてんやわんやだった。
あの高さから落ちてその程度のダメージというのもどうなんだと思うところだが、神は不死身ということだし、納得することにしよう。
不死身といえど高いところはダメなのか、ルルンは気絶してたわけだけど。こいつは落ちないと気がすまないのだろうか。
ぺっぺと口の中の砂を吐き出し、土だらけになった服をはたくルルン。
立ち上った土煙にせき込む様子を見てニヤリと嫌な笑いを浮かべるサリアルや、露骨に大笑いするエリアル。そして、からかわれて若干涙目になるルルンなどがあって、ノーロープバンジーショックの混乱は収束した。
「で、ここからどこに進めばいいんだ?」
落ちてきたのはどことも知れぬ平原。この世界は初めてなんだし知ってるはずもない。
近くにはルルンが落ちた際のクレーターがあるくらいで、あとは遠くに森と、集落のようなものが見えるだけだ。他には何もない。
少なくとも、天界に通じる門がどの方向にあるかが分からないと話にならないんだけど。
「……知るはずがないじゃない。私たちはゲートを通ればそれで済むのよ? わざわざ門を使う必要がないもの」
「そーだぞ、にーちゃん。存在は知ってても、場所まで分かるはずないだろ?」
「本当、タクミさんのオツムは残念ですねー」
「……」
「痛い痛い痛いっ!? ちょっ、何で私だけ!?」
アイアンクローにジタバタ暴れるエリアルは置いといて、これは困ったぞ。
異世界の知識なんて当然のごとく持ち合わせていない俺は、道案内はこの女神たちに任せる気満々だった。
が、この有様である。
「仕方ない、現地民に聞くか。……女神たちは欠片も役に立たないしな」
「「「!?」」」
――そういうわけで、遠くの方にぼんやり見えた村に向かった。
そうして、俺は驚愕に瞠目することになる。
「ば、バカな……!?」
地面は舗装されていない素のままだ。
家もほとんどがレンガ造りで、それだって華美な装飾が施されているわけではない。実用性重視とでもいうのか、壁と扉、それと窓が設置されているだけに見えた。
その窓だって、ガラスが張られているわけではない。木材で引き戸にされている。
そして極めつけは、この村に漂う陰鬱な空気感だ。
はっきり感じたわけではない。足を踏み入れ歩いていたら、ふと感じたような空気。
けど、確かに暗い雰囲気が漂っている。
まあ、早い話が、
「思ってたのと違う……」
もっとこう、町並みには活気があって、冒険者ギルドとかが賑わっていて、馬車とか竜車とかがガンガン通り過ぎていくのを想像してたんだけど。
そこそこアニメも漫画もたしなむ俺としては残念極まりないし、見過ごせない。
これでは魔法も存在しないのではあるまいか。
「そもそも、人間は魔法が使えませんよ。神様はそれぞれが持つ権能のほかに、魔法も特権として持ってるんです」
「……」
「あの……ちょっ、なんですか。やめてください! 腹いせに私の頭を握りつぶそうとしないでください!」
ひそかに期待していた魔法がないと言われて、つい手が出た。
確かに女神たちの登場シーンで見せつけられたとはいえ、俺は宙に浮くなんていうショボいものではなく、炎を出したりといった格好いいのを見たかった。
「冒険者ギルドは?」
「え?」
「冒険者ギルドはあるのか!? 剣とか槍とか持って魔物を狩るようなやつ!」
唯一残った希望にしがみつく。
人間に魔法が使えなくても、魔物とかくらいならいるはずだ。だったらそれを駆除する意味でも、冒険者は必須。
「いますけど、あれって基本ただのフリーターですよ? 魔物なんて滅多に出ませんし、受ける仕事は土木作業とか農家の手伝いとかです」
四肢をついて突っ伏した。
なんてことだ。これでは俺はゼウスまでの道中、何を観光すればいいんだ。
「この世界に希望はねぇの?」
「……ないわ」
容赦のない一言で俺の心をえぐったサリアルは愉快そうな顔だ。
性格が悪いなと、今更のように思いつつ、見るものがないなら仕方ないと、俺は早々に割り切った。
そう、俺は切り替えが早いことで有名なんだ。
そろそろ、先送りにしてた疑問に触れる頃合いだろう。
「で、この村、嫌な空気漂ってんだけど、この世界では普通なのか?」
大きい村ではないのだろう。遠目で見たときからそれは分かってた。
にしても、こんなお通夜みたいな空気が漂う村とか、普通じゃない。
俺の言葉に、ルルンは周囲を見回して、
「確かににーちゃんの言う通りだなー。昼なのに全然人が見えねーし」
「……けれど、それがどうしたのかしら。ゼウス神をぶっとばす、なんて野蛮な目的の貴方には、なんの関係もないことのように思えるけれど」
「そうですよタクミさん。さっさと門まで行きましょう。それでちゃちゃっと私を解放してください」
「……」
人の情というものがないらしい女神二人は、引くくらいの無関心さでもって自分の解放を要求してきた。
けど、こいつらに急ぐ理由はあっても、俺に急ぐ理由はない。こっちには一週間はいていいことになってるし……。
「なあ、おっさん。ここってなんかあったのか?」
外に人影が見えない中、偶然見つけた家の前で外れかけたドアの修繕をしている第一村人に声をかけた。
第一村人は、怪訝そうに振り返り、俺の姿を認めると胡乱気な顔をした。
「なんだあんた。見ない顔だし……おかしな恰好してんな」
おお、こういう反応って本当にあるんだな。
第一村人は、一目で異邦人だと分かる俺に警戒心むき出しだが、一応質問に答えてくれる意思はあるようだった。
「なんかって、ありまくりだよ。ここ数年はずっと作物の実りが悪くて、食料の備蓄もままならない上に、最近は盗賊が村を襲うようになってる。このドアだって、昨日来た盗賊が家に押し入った時に壊されたんだ」
第一村人いわく、こんな小さな村ともなると自警団くらいしかないから、盗賊としても襲いやすいそうだ。その自警団も、荒事に慣れている盗賊の前ではほとんど役に立たなかったという。
奪われたのは主に食料で、盗賊たちも不作の影響を多少受けていたことがうかがえた。
曖昧に、話を聞かせてくれた礼を口にしながら、俺は背後の女神たちに振り返る。
不作に、盗賊。厄介な問題が一気に二つも降りかかれば、そりゃ村も暗くなるだろう。
よく見れば、レンガの壁には凹みが多数あり、あるところには血の跡がついていた。
できることならば、なんとかしてやりたいが……。
「いや、そんなのどうでもいいですから、早く次の村に行きましょうよ」
「……」
こいつは空気とか読めないんだろうか。それともバカなんだろうか。バカなんだろうなぁ。
半ばあきらめの境地に立った俺は攻撃する気も起きず、可哀想なものを見る目でなんちゃって豊穣の女神を見つめ……。見つめ……。
「なあ、お前って一応豊穣の女神なんだよな? だったら……」
「は? 嫌ですよ。あれするのって結構大変なんですから。疲れますし、面倒臭いですし」
「こいつ……」
とんでもないという風に首を振る豊穣の駄女神。口ぶりからして、不作をどうにかすることはできるのだろうが、本人にやる気はない。が、
「いや、てゆーかそもそも、エリアルの仕事は豊穣だろ? それでここが何年か不作だっていうなら……」
「……職務怠慢。女神のクズ」
ルルンとサリアルが状況整理。つまり悪いのは完全にこいつじゃねぇか。
全員の視線がエリアルに向いた。
バカな女神も、どうやら旗色が悪いということくらいは理解できたようで。
「だから嫌ですって! なんで私がそんなことしないといけないんですか! 面倒臭い!」
「うっせ! 自業自得だろうが!」
ギャイギャイ騒ぐエリアルの首根っこを捕まえ、俺は女神に仕事をさせるため畑へ向かった。