〈3〉
薄暗い中、ガサッという音で目を覚ました。
うっすらと瞼を開けて視界に入ったのは人影だ。
それはゆっくりとした動作で、仰向けに寝転がる俺の上へとまたがり、腹の上に乗った。
人ひとりが乗っかっているにもかかわらず、圧迫感は驚くほどに小さい。羽のようとはこのことだろうか。
服越しに尻の柔らかい感触が伝わってくる。
静かな中、彼女の息遣いだけが聞こえてくる。
動いた拍子に大きすぎず、しかし小さくもない胸がたゆんと揺れた。
差し込んできた月明りが彼女の綺麗な金髪に幻想的に反射し、白い肌と相まってすさまじいほどの魅力を醸し出している。
普段から美人だ、綺麗だとは思っていたが、今の彼女から漂う魅力は別次元のそれだ。だからか、反射的に声が出た。
「……何してんの、お前」
小声だ。大きな声など出すことはできない。
それに答える彼女は気まずそうに視線を逸らし、それからささやくように唇を震わせた。
「……夜這い?」
大歓迎です。
……いやいかん。寝ぼけて頭がおかしくなってる。
この拓海、生涯で愛す女は一人だけと決めている。誰かは知らん。
ここは、思いっきり言うべきことを言わなければ。
「夜襲だろ!?」
「ち、違いますよ! 豊穣の女神たるこの私がそんなことするわけないじゃないですかー」
「じゃあその斧はなんだ!?」
俺の腹に乗るエリアル。その手には、人の頭くらいなら軽く振り下ろしただけで真っ二つにできそうな斧が握られている。
いやもう、どうやっても言い逃れできないくらいの物的証拠。
それを使うってどんなプレイだと動揺する俺に、エリアルは「バレたか」と舌打ちするとそのハンマーを大きく振りかぶり、
「あーっ! 手がすべっ……」
「てねぇ!」
危ねぇ! 躊躇なく振り下ろしてきやがった!
すんでのところでエリアルの腕をつかんだ俺は、寝そべったままの不利な体勢からなんとか斧の攻撃を未然に防ぐ。
対するエリアルは両手を添えて、諦めることなく全力で俺を葬る気だ。
なんだこいつ。まったく悪びれねぇ!
さすがの俺も刃物だけはまずいんだってマジで!
「だいたい、何でこんなことをするんだよ!」
「だって! タクミさんがいなくなれば解放されると思ったんですもん!」
現在、長いこと使われていなかったらしいボロ屋で就寝中。
この世界は春先らしく、夜はまだ寒い。
ボロ屋だけあって、隙間風は超吹き込んでくるし、この村の事情ゆえ、たいした食事もとれていない。
不満があるのは百も承知だが、それって殺人を起こすほどの動機か。
「……なんだよ、にーちゃん。こんな夜中に……」
「……夜更かしは美容の敵なのだけれど……」
「敵襲だよ! 敵は一人。もう捕らえたけどな!」
ギャイギャイとうるさくしていたせいで、眠りから目を覚ました女神二人の問いに答える。
エリアルとの攻防に競り勝った俺は、関節を極めて動きを制限。羽交い絞めにして斧を取り上げた。
「あー! ちょっと、こんなふうに私を押さえつけてナニをするきですか! 女神の清い体を人間ごときが組み敷くなんて最低ですよ! 今に天罰が下ります! そう、農作物がタクミさんを見たとたん逃げ出す感じの呪いがかかるとか!」
「少なくともお前が思ってるようなことはしねぇし、呪いの概要がショボくてシュールなんだよ!」
「ショボくないですから! 農作物って逃げると早いんですよ!? 五十メートルなら三秒で走破します!」
「いける」
「なにが!?」
そんな、俺と女神のよく分からない言い争いが深夜に響き渡たる。
不毛だ。あまりに不毛だ。
なぜ、こんなことになったのか。
事の発端は半日前にさかのぼる――。
* * *
「新発見。俺って高いところ苦手なのかもしれない」
前方から吹き抜けていく暴風のうるささに顔をしかめながら、俺は呟いた。
別に学校の三階とかから身を乗り出しても怖くはなかったけど、高層ビルくらいの高さを経験すると、少しは恐怖も感じるんだなぁ。
そりゃ、高いところから落ちれば死ぬんだし、高いところが苦手ってのは人間として当然の事なんだろう。
それは良識のある不良であるところの俺も例外ではなく。
……ていうか、超高層ビルレベルの高さから現在進行形でノーロープバンジージャンプしてれば、怖くないなんてことがあるはずもなく。
「どういうことだ!?」
――ようやく現実を受け入れた俺は、受け入れたけれどどうにもならないリアルを実感して叫んだ。
いや、もしかしたら何とかなるかもしれない。一から状況を思い出そう。
ええっと、三女神を引き連れて異世界旅行を敢行し、作り出されたゲートをくぐったら上空でした。
「――やっぱり意味分かんねぇ!」
一行で説明できてしまった状況は、とんでもなく最悪だった。
なんだ! どうしてこうなった! 誰のせい……は、考えるまでもないか。
「おいこらてめえクソ女神! お前これどういうことだこらぁ!?」
「クソ……!? ちょっ、汚い言葉を使わないでくださいよ! ぶっ殺しますよ!?」
「知るか! そんなのはどうでもいいんだよ! これはどういうことだ!」
俺の横で、絶賛バンジー中の女神たちに向けて叫ぶと、反応したエリアルが特大級のブーメランを投げた。
確かゲートはこいつが開いてた。犯人はこいつ以外にあり得ない。
「いや、タクミさんがお陀仏すれば、こんな面倒臭そうなことに巻き込まれなくて済むじゃないですか」
「バカか!? バカなんだろ!? これどう考えてもお前たちも死ぬだろ!」
「いや、私たち女神は不死身ですし。ていうか浮けますから問題ないです」
「悪質だ!」
その割に後ろのルルンは白目むいてるけどな!
ていうかサリアルがルルンを見てにやけてるんだけど……いや、あれは触れると面倒臭いやつだ。
じゃなくて! これどうしよう!
さすがの俺もこの高さから落ちたら確実に死ぬ。やばい。過去最高にやばい。レディースの総長に車で轢かれそうになった時も、こんなにやばくなかった。
無駄な思考をしてる間にも地面は迫って来る。もうすぐそこだ。
死ぬ――――――。
「がしっ」
「ぎゃぁ――ッ! 掴まれましたぁ! ちょっと、どこ触ってるんですか!」
「おっぱい」
「誰がはっきり言えと!?」
別に意図したわけではないが、一番近くにいたエリアルにしがみついたら、右手がとても心地よい感触の柔らかいものに触れた。別に意図したわけではない。
やはり服越しにも分かるレベルに立派だなぁ。
と、別にこのためにセクハラをしたんじゃない。そもそもセクハラは俺の主義に反する。
目的は、もっと単純だ。
「浮け。さもなくば――」
「はぁ――ッ!? 何言ってるんですか! 絶対浮かないです! 胸を触るなんて……温厚な私でも怒りが有頂天です! 何があってもタクミさんは殺しますから!」
「――さもなくば、お前の乳をもぐ」
「……は? いや、え? さすがにそれはしないでしょう……? しませんよね? タクミさん男の子ですし、女の子の胸はとっても価値のあるものですもんね?」
「命と比べりゃただのぜい肉だこんなもん」
「きゃぁ――ッ!? 変態! 掴まないでください! 握らないでください! 揉まないでください! これガチです! ガチなやつです!」
後ろからでも分かるくらい、耳を真っ赤にしてエリアルが叫ぶ。
不死身とはいえ、さすがにそれは困るのだろう。徐々に落下の速度は落ちてゆき、自由落下は地面すれすれのところで止まった。
隣ではサリアルも同じように止まり……俺にクズを見る目を投げかけている。
それは見なかったことにして、俺は胸をかき抱くようにしているエリアルを発見。俺から迅速に離れ、顔を真っ赤にしていた。
……ごめんね? でもやっぱり命と天秤にかけたら、おっぱいはぜい肉だと思うの。
ともあれ、
「あー……死ぬかと思った」
「……セクハラ男は死ねばいいと思うのだけれど」
「その蔑む視線マジで傷つくからやめろ。俺だって不本意だっつの」
「……やっぱりあなたホモなのね」
「触りたくなかったとかそういう意味じゃねぇよ!?」
「……つまり触りたかったのね。変態。痴漢」
くそ、こいつしばきてぇ。けど今回に関しちゃ俺にも非があるから、簡単に手があげられない。
俺が痴漢疑惑をなんとか情状酌量してもらおうとしている中。
ズドーン、と。
数メートル先で、意識を失っていたルルンが地面にクレーターを作っていた。