〈2〉
「――さて、じゃあ事情を聞こうか」
世にもカオスな状況をなんとか収拾し、とりあえず話し合う体裁を整えた。
馴染んでいたとはいえ、俺は状況がさっぱり分からない。こいつらの名前くらいしかはっきりしてない上、空間の裂けめとか空中浮遊とか女神発言とか、分からないことだらけだ。
別にスルーしてもいいのだが、こいつらが俺に用があるらしかったので放っておくわけにもいかない。
「そういうわけだ。ほら話せ」
「いや、私たちは別に説明とか面倒臭いですしいいんですよ。さっさと用件だけ聞いてくれればちゃちゃっと帰りますから」
「そうそう。すぐ済むことなんだし、事情の説明とかいらねーって、にーちゃん」
「……端的に言って時間の無駄ね。これならさっきのルルンのリプライ映像を垂れ流しにしている方が有益というものだわ」
「もう忘れてくれよさっきのことは!」
「綺麗なダイブでしたもんねぇ」
「忘れてくれって!」
「……」
あの、話が進まねんだけど。もういいよさっきのルルンの二メートル落下は。
「そのなに? 要件? の前に聞かなきゃいけないだろ普通に考えて。いろいろあるぞ。マジで。そもそもお前らが何なのかとか」
「知りませんよ聞きたいことなんて。どうして女神の私たちが人間ごときの言うことなんて聞かなくちゃいけない……痛い痛い痛いっ! 痛いです!」
あからさまに見下した発言をするエリアル。イラっとしたのでアイアンクローをお見舞いしてやったら、ジタバタと足をばたつかせて必死に逃れようとする。
だが、俺の拘束力には敵わない。
しばらくしてから手を離してやると、エリアルは両手で挟むようにこめかみをほぐしながら、
「なんですか。なんなんですかタクミさんは! 常識ってものがないんですか! 女神に手を上げるなんて不敬にもほどがあります! 神罰です! 今度からあなたの家の家庭菜園は絶対に成功しない呪いをかけますよ!」
「いや、構わねぇよ別に。うち、誰もそんなことやってないし、やる予定もないから」
予想以上にショボい神罰に脱力。よく分かんないが、もう話が進まないし突っ込まないでおこう。
「あー、でだ。その、お前らさっきから言ってるだろ。女神がどうとか。なんだよそれ。お前らそもそもなんなんだよ。中二病?」
「違いますよ!?」
「違げーよ!?」
「……違うわよ」
口調は違うがまったく同じことを口走りながら、三人は力強く否定した。ふむ、というと?
「というと? じゃないですよ! 中二病でもコスプレイヤーでもないです!」
「あたしたちは本物だよ! 本物の女神!」
「……異世界の、ではあるけれど、さして問題ではないわ。ひれ伏しなさい」
胸を張った三人は、全力で自分は女神だと自称する。そして執拗に俺にひれ伏すように要求してくる。
とても信じられない。こんなのが女神? 御冗談を。俺に空中から引きずり降ろされ、俺のアイアンクローでもだえる存在が?
まさか、と思うと同時、空間の裂け目や空中浮遊を思い出す。特に仕掛けがあるようには見えなかったし、確かエリアルは人払いの結界がどうだのと言っていた。
だいぶ騒がしいのに誰一人としてここを通りすがらない異常さを考えれば、なるほど、少なくともこいつらが人間でないことは理解できる。
なにより、攻撃が鉄パイプで殴られた時より痛かったし。
「ああ、そうか。お前ら女神なのか」
「なんか……すごくあっさり納得されると本当に分かったのか不安になりますね……」
「知るか。良識のある不良なめんな。つまり、空中の裂けめとか、浮いてたのとか、そこらへんは神様だからできたことってわけか。納得した」
神様ならしょうがない。あらゆる理屈を超越した超論理だが、おそらく間違ってはないだろう。
理解したところで、質問は次のフェーズに突入だ。つまり……。
「で? お前ら俺に用があったんだよな? なんだよ?」
その全容の欠片も把握していないブラックボックスについて。
三人――女神たちは、俺の問いを耳にすると、若干疲れた様子だったのを押し隠し、キリッと背筋を伸ばした。
「では。ん、ぅんっ! ――川城拓海よ、選びなさい。私たちのうち、最も美しいのは誰なのかを」
咳払いしたエリアルは、今までのキャラをぶち壊さんばかりの神々しさで淀みなくそう告げると、胸元に手を添えて、
「私を選べば、財を与えましょう」
得意げにそう言った。
それに続くのは、ルルンだ。薄い胸に手を置いて、こちらも猫を被った神々しさで、
「あたしを選べば、百発百中の弓を与えよう」
最後にサリアルが、その大きい胸を張り嘲笑じみた笑顔を浮かべた。
「……私を選べば、世界で最も美しい美女を与えるわ」
と、言い放った。
ふむ……。
つまり……どういうことだ?
誰が一番美しいかとか。話が全然見えてこない。意味分からん。
「順を追って説明頼む」
「えー……」
「面倒臭いんだけど、にーちゃん……」
「……いちいち説明を求める男はモテないわよ?」
「うっせうっせ。余計なお世話だ。ていうかお前らはつまり選んでもらう立場なんだろ? 人に頼み事してるのにそんな態度とか、常識ねぇのか」
エリアル、ルルン、サリアルの順にため息をついて睨んでくる。
そして、偉そうに、
「別にこれは頼み込んでるわけではありませんから。あくまで命令であって、タクミさんは答える以外に選択肢がないのです。何度も言ってるじゃないですか。さっさと選んでくれればそれでいいって」
「そうだぞにーちゃん。別にしなくてもいい説明をしてやってるのはあたしらなんだから」
「……身の程を弁えなさい。タクミ」
――全員埋めた。
なんだこいつらは。人に頼みごとをするときは、「お願いします」と、「ありがとうございます」はセットだって教わらなかったのか。
そうやって、物の道理を説くこと十五分。反省した女神三人は、
「おかしいです。どうして手も足も出ないんでしょうか……」
「にーちゃん、本当に人間かよ……」
「……パワーバランスが崩壊するわ。世界の危機よ……」
などとのたまっていたが、最終的にどういういきさつでさっきのトチ狂った質問が飛び出してきたのかを語る気になったようだった。
――始まりは、黄金のリンゴだった。
なんたらとかいう男神と、なんたらとかいう女神との結婚式場に送ってこられたそのリンゴにはメッセージが添えられていたという。
曰く、もっとも美しい女神にこれを与える。
そこで名乗りを上げたのがこの三人の女神。エリアル。ルルン。サリアルだったという。
三人の争いを仲裁するため、最高神ゼウスは占星術を行い、その結果に出た、「異世界の人間、川城拓海に判断をゆだねる」という解決案を提示した。
「――そういうわけで、私たち三柱は、ゲートを開いて直接あなた――タクミさんに会いに来たんですよ」
「ふむ……」
泥だらけで(なぜかサリアルだけが綺麗なままだった)話を締めくくったエリアル。
簡潔に語られた内容はよく理解できた。
つまり、面倒事を嫌ったその最高神様とやらが、俺に問題を丸投げした、と。
いや、なんでだよ。俺関係ないじゃん。
あまりに跳躍した話に俺は困惑。日々を真面目に生きて来たつもりだったのに、これは何たる仕打ちか。
いや、確かによくケンカはしたけど。でもそれだって売られたケンカばっかで、俺から吹っ掛けることは全然なかったぞ。
などと脳内で弁明する俺を差し置いて、正面に正座させていた女神はノリノリだ。
俺がいいと言っていないのに立ち上がると、なくしてしまった威厳を必死に取り繕いつつ、順番に自分を指してゆく。
「私の名はエリアル。豊穣の女神、エリアルです。タクミさん、私を選べば、財を与えましょう」
「あたしの名前はルルン。狩猟の女神、ルルンだ。にーちゃん、あたしを選ぶんだったら、百発百中の弓をやるぞ」
「……私の名はサリアル。美の女神、サリアル。私を選ぶのなら、世界で最も美しい美女を与えるわ。……私を埋めた件は末代まで祟るわ」
最後だけなんか恨み節が混ざってたぞ。
ていうか完全に褒美で釣ってるけど、それで選ばれてお前ら嬉しいのか。嬉しいんだろう。
女神たちは、俺が誰を選ぶのか気になるようでソワソワとせわしない。
だから俺は、スパッと結論を発表してやった。
「――とりあえずゼウスはぶっ飛ばす」
何もかもが止まった。何もかもが。
女神たちは動かず、ただ固まって、「何言ってんだこいつ」という表情をするばかりで。
「何言ってるんですかこの人」
しまいには言った。
「痛い痛い痛い痛いです! なんでですか! どういうことですか! 痛いんですけど!?」
とりあえずエリアルにはアイアンクローをぶちかましてから、俺は説明してやろうと天を指差した。
「迷った挙句に問題を他人に丸投げ? しかも無報酬だし。お前らが提示するわいろはどれもいらねぇし。なんだそれ。ふざけんな。そんなふざけた采配をしたゼウスとやらは、とりあえずぶっ飛ばす」
「いやいやいやいやいやっ!? ちょっと待てにーちゃん! 無理だって! あの人はあたしたちなんかとは次元が違うんだって! 絶対に無理だ!」
「無理かどうかはやってみないと分からないだろ。そうやってやる前から何もかも諦めてるといつかニートになるぞ」
「ならねーし分かるわ! 無理だ!」
絶叫して俺の決意を全否定するルルン。全力で思いとどまらせようとしている。
それはサリアルも同じことで、
「……わいろがいらない? あなたホモなの?」
「違げぇよ!?」
ていうか堂々とわいろって認めちゃったよこいつ。
「別に金は自分で稼ぐし、百発百中の弓は百発百中の拳があるからいらないし、美人ってよりも性格の方が大事だなってのは今つくづく感じてるし」
少なくとも、自分からもっとも美しい女神とやらに立候補する奴にロクなのがいないってことは。
「なんですか。思ったよりもまともな価値観じゃないですか。不良の癖に……」
アイアンクローから解放されて、こめかみを押さえたエリアルが、なんだか失礼なことを口走った。
「まあな。俺は良識のある不良だし」
「それは不良じゃねーよ、にーちゃん」
ルルンが呆れた声を出すがそれはそれ。良識のある不良だって立派な不良だ。
ただ、人より常識が備わってて、おまわりさんに銀色の腕輪をプレゼントされることを躊躇うだけだ。
と、そんな俺の不良論は置いといて。
「そういうわけで、俺はゼウスをとりあえずぶっ飛ばす。だからお前ら、そのゼウスとやらがいるところまで連れてけ」
「とりあえずで最高神をぶっ飛ばすって、意味分からないですね……。けど無理ですよ。そんなこと私たちにはできないです」
「は? いや、お前らここに来るときになんかワープホールみたいなのくぐってただろ。それを使えば一発じゃねぇの?」
最初に目にした空間の裂け目を思い出して言う。
今はもうどこにも見当たらないが、あれをくぐれば猫型ロボットの出す不思議なドアよろしく、いつでもどこでも好きなところに行くことができるんじゃないのか。
「いえ、確かに私たちはあれで移動できますけど……」
「天界直通の門は、人間には通れないぞ」
「……無理に通れば、体がぐちゃぐちゃになって肉片になるわ」
「うわ……」
なんだそのスプラッタ。原理のほどは全く分からないが、女神なんてものを目にしてる以上、「そういうものなのか」で受け入れるしかない。
「じゃあ、俺がそのなに? 天界に行くにはどうすればいいんだよ。飛べばいいのか?」
ジャンプ力には自信があるが、とてもじゃないが雲の上まで行けるほどじゃない。そもそもゼウスは俺を指名するとき「異世界の人間」と言ったらしい。
となれば、普通に飛んで天界へってわけにはいかなそうだ。
「いえ、それは……」
視線を逸らして言葉を濁すエリアル。言いにくいことなのか、それともそんな方法はないのか。
分かりかねて残り二人の女神にも視線をやるが、サリアルは我関せずといった様子で遠くを見ているだけだ。なんだこいつ。
だから、口を開いたのはルルンだった。
「えーっと、門があるんだけど、そこを神と一緒にくぐればいけむぐ……っ」
「ちょっとルルンさん!? なに口を滑らせてるんですか! あまり人様にそういうことは喋っちゃいけないってゼウスさんに言われてるじゃないですか! シャラップです!」
「あ」
焦って覆いかぶさるエリアルだがもう遅い。バッチリこの耳で聞いてしまいました。
神と一緒にってことだが、ここに三人もいるし問題ない。
「よし、じゃあそこまで連れてけ」
「うわぁー、面倒なことになりましたぁー」
「……ルルンのせいね」
「ご、ごめんなさい」
もともと小さい体をさらに小さくしてシュンとするルルン。
見ていられないが、エリアルは構わず続ける。
「でもタクミさん。その門にしたって無理ですよ。ここで言う異世界にあるんですもん」
「異世界?」
「異世界です。門の目の前に転移とかできないですし、一番近くから行っても歩いて三日はかかります。ですから、諦めてさっさと選んで……」
「じゃあ行くか、異世界」
「はい?」
「ちょっと待ってろ。今親に電話してくるから」
スマホを取り出し耳に当てた。
「あーっ! 手が滑ったぁー!」
「うっせ」
エリアルが手を振りかぶりスマホめがけて叩き下ろしてきた!
それを反対側の手で掴んでねじ伏せ、無力化してから、心置きなく電話を開始した。
「――三日と言わず、一週間行ってこいって言われた」
「嘘でしょう!?」
「嘘だろ!?」
「……あなた厄介払いされてない?」
電話した結果を伝えたら、ものすごく失礼な返答が投げかけられた。特にサリアル。そういうことは言っちゃいけない。
「おかしいことじゃないだろ。うちの両親の緩さと言ったら、長年使ってるパンツのゴムよりも緩いぞ」
「例えが分かりにくいんですよ!」
「ていうか嘘だろ!? こっちの世界だと、息子が突然異世界に行くとか言い出したら、頭がおかしくなったって心配されるものなんじゃねーの!?」
「……捨てられたの?」
だからそういうこと言うなって。うちの親に関しては、頭が相当ハッピーなことになってるからそういう心配はされないの。
例えば学校の帰りにネギを買ってきてと言われた時。その通りにすると、頼んだことを忘れてた母さんが自分で買ってきていた。しかもネギはちゃんと家にあったし、親父も同じことを頼まれていたらしく、会社帰りに一箱ほど仕入れてきてた。……親父が買ってきたのはニラだった。
その日の食卓に、どうトチ狂ったのか、ネギもニラもまったく使われていない料理が出たのは記憶に新しい。
そんな親だから、異世界くらい普通に受け入れる。
許可は出た。異世界に行くのにさしあたっての問題はなくなったことだし……。
「ジャージ、持ってくるか」
何かで、異世界に行くときはジャージが基本だと学んでいた俺は、家へ走った。
* * *
「本当に行くんですか?」
「考え直してもらいてーんだけど」
「……テキトーにでも選んだ方がどう考えても早いと思うのだけれど」
「知るか。ほら、行くぞ」
後ろ向きな女神たちの言葉をバッサリ切り捨てる。
今は家で着替えて準備を済ませ、再び空き地に戻ってきたところだ。
服装は黒いジャージ。これといった荷物はなく、ポケットにスマホと財布が入ってるくらい。軽装なことこの上ないが、
「異世界だし、このくらいで余裕だろ」
「なんか、だいぶ甘い見通しが聞こえて来たんですけど」
俺の独り言にエリアルが微妙な表情。そしてボソッと呟く。
「ていうか、門をくぐるのにもゲートを開くのにも、女神は三人もいらないんですけど……」
「そうだぞ、にーちゃん。一人だけで充分だ」
「ええ。なので、ルルンさん、頑張ってください。さようなら」
「あたし!?」
大仰に頷いていたルルンだったが、エリアルがさらっと自分を売る発言をしたことで驚愕する。当然、冗談じゃないと声を上げるが、
「……諦めなさい」
「サリアルまで!?」
青髪の女神も参戦。完全にルルンをいけにえに捧げる形に。
涙目で振り返るルルン。助けてくれとその目が言っている。そんな目をされては、俺も慈悲の心を見せないわけにはいかない。
「お前らうっせ。平等に全員連れて行く」
「「「!?」」」
さっきの問答の流れは完全に無視した俺の一言に、女神三人が驚愕した。全員が抗議の視線で俺を睨みつけてくるが、一切取り合わない。
嫌々ながら女神たちはゲートを開き――異世界旅行が始まった。