了安
囲炉裏に架けられた鍋が、ふつふつと音をたてている。
独特な臭いのそれは、了安が薬を煎じているのだ。
茶色っぽいその液体を、初音は、じっと見つめる。
「あまり、美味しそうではありませんね」
「左様ですな」
つい、口に出てしまった言葉に、了安は苦笑した。
「美味しい薬など、ありませぬ。そもそも、薬は毒でもありますから」
パラパラと別の葉を加え、了安は作業を続ける。
引き戸が開く音がして、雷蔵が家の中に入ってきた。
初音が治療をしている間に身を清めて着替えたのであろう。こざっぱりとした格好になっていた。
「雷蔵さま、そろそろ薬ができますから」
「ああ」
雷蔵は、囲炉裏の傍に座った。
「すまんな。ここに来るつもりではあったのだが、ここまで迷惑をかけるつもりではなかった」
「いえ。まだ、私がお役に立てることがあって良かったです」
ふっと了安が笑む。その笑みはどこか寂しいものに見えた。
「了安さまは、医学の心得がお有りのようですが、なぜこのような地におられるのです?」
初音の治療の手際からみても、了安はかなりの腕を持つ医者のように思える。
「……さあて。まあ、事情はいろいろございますが」
了安は、囲炉裏から鍋を下すと、煮立った液体を、ふきんで漉した。
「了安は、かつて、この国の御典医だった」
「御典医さま?」
思ってもみない雷蔵の言葉に、初音は目を丸くした。
「昔の話です」
了安は湯飲みに薬湯を注ぐ。あまり話したくはない、そんな雰囲気があった。
「それほど昔でもない。なにしろ、五年前の話だ」
雷蔵は、話をやめる気はないようだった。
「五年前、お館さまが、病に倒れた。その時のことが原因で、了安はご城下を追放されたのだ」
「追放?」
びっくりする初音に、了安は湯飲みを差し出しながら、軽く首を振った。
「私が申し上げたことで、お怒りを買いましてな。ああ、でも、命があっただけでもありがたいお話で、恨みつらみはございませんよ」
「……おだやかではありませんね」
初音は眉根を寄せた。
「この年になっても、医学の道はわからぬことだらけ。私は、お館さまの病を治すことがかなわなかった。それだけなんですよ。ただ、私のことはともかく、雷蔵さまを巻き込んでしまったことは、本当に申し訳ないと、今でも思っております」
「俺のことは、気にすることはない」
雷蔵は湯飲みの薬湯の湯気を顎に当てた。何か雷蔵にも事情があるようだ。
「……了安が治せないと言った病を、ふらりとあらわれた、計都という僧が完治させたのだ」
「誰が治そうと、治ればよいのではありませんか? 罷免についてはともかく、追放は行き過ぎでは?」
「そのあたりは、いろいろ複雑な事情がある」
雷蔵の表情が苦いのは、薬湯のせいか。それとも事情のせいなのだろうか。
「私は、お館さまに、隠居するように進言したのです。それゆえに、お怒りを買ってしまった」
了安がそっと肩をすくめる。
「お館さまには、子がおりません。もちろん、後任の候補はおられますが、家中に勢力争いが起こるのは必定。私の進言でいらぬ騒動が起こるところでした」
「それは……そうかもしれませんが」
それでも、隠居を進言しただけで、罷免だけでなく城下から追放というのは、やりすぎではないのか。
「正直に申し上げれば、ここでのわび住まいは、性に合っております。誰に気兼ねすることもなく、好きな時に起き、好きな時に寝る。ご城下にいた時には考えられぬ生活です」
にこり、と了安は笑んだ。
「医者など、町医者であっても、昼夜問わずに仕事が入るもの。こちらのほうが、よほど人間らしい生活が出来ておりますよ」
了安の言葉は、嘘ではないだろう。医者こそ、規則正しい生活をいつもできる訳ではないのだ。
初音は、差し出された薬湯に口をつけた。
苦い。
苦みを、こらえて、飲み込むものの、湯飲みにはたっぷり残っていて、辟易した気分になる。
「あれほどの痛みを耐えられる方なのに、薬湯を飲むのは苦手のようですね」
初音の様子を了安はおもしろそうに見ている。
「平気です」
強がって、初音は残りを飲み干したが、あまりの苦さに、顔が歪んでしまう。
「俺は、平気じゃないがな」
自分は既に薬湯を飲み終えた雷蔵は、立ち上がり、かめに汲み置きされた水をすくって飲んだ。
「水を飲むか?」
「……お願いします」
雷蔵に問われ、素直に頷く。
こんな所で意地を張っても仕方がない。
差し出された水を飲むと、ようやく口の中の苦みが消えていった。
「それにしても、狩場から離れた場所に、窮奇が現れるとは」
雷蔵は大きくため息をついた。
「狩場?」
「かの地がご禁足になっているのは、正確には、領主が狩りをするための山という意味だけではない」
「雷蔵さま」
了安が首を振る。話すな、と言っているのだろうか。
「窮奇に襲われてしまった初音どのは、知る権利がある」
「しかし……」
了安の表情は険しい。
「この国には、大きな秘密がある」
雷蔵は、話し始めた。
「この国の領主となった者が、年に一度、封じなければいけない場所があるのだ」
禁足地となっている場所の中に、星暗寺という寺があり、その寺の奥に地下へ続く岩窟がある。その昔、この地を蹂躙した闇王を封じたものとされている岩窟だ。
この地を開いた塩田一族が、代々、その封印を守ってきた。初音も闇王のことは聞いた事がある。しかし、おとぎ話のように思っていた。
「とはいえ。封印は領主の精力を奪うもの。一つの封印で完全を期すると、命数を削ってしまうーーゆえに、封印は二重にして、負担を減らしているのだ」
二つ目の封印は、星暗寺を管理する僧などが行っているらしい。
「封印は、毎年、年の初めに行われる狩り初めの時にしている。ゆえに、この時期は、封印が弱まってくることがあるため、狩場に窮奇のような闇の眷属が現れることが、まれにはあったのだが……」
「そのための、禁足地だったのですか」
初音は納得した。
幸い、山が険しいため、山に入って生計を立てる者もあまり入らない。特に今まで、問題は、起こらなかったようだ。
「お館さまは、狩りを好んでいて、実際に狩りをあの山でしている。それは嘘ではない」
雷蔵は言葉を切った。
「先ほど、俺達が襲われた場所は、本来結界の外。あのような場所で、窮奇と遭遇してはならないはずなのだが……」
「父のことと、関係ありましょうか?」
左門が起こした何かで、大切な結界が壊れるようなことがあったのだろうか。
「ああ、了安。おぬし、左門の行先に心当たりはないか? 事件を追っていて行方不明なのだ」
「左門さま? 四谷左門さまですか?」
了安は驚いたようだった。
「父は謀反の疑いで追われていて、行方不明なのです」
「ああ、お嬢さまは左門さまのご息女でしたか。言われてみれば、似ておりますなあ」
初音の顔を見て、了安は頷く。
「行く先ですか。数か月前は、この辺りを調査しておられましたね。特に、お館さまが狩りをされたかどうかを聞いていかれました」
「狩りは、年の初めだけではないか? 今年は招集はかかっていないぞ」
雷蔵の顔は意外そうだ。
領主の狩りというのは、城をあげての行事であって、横目奉行の雷蔵が知らないということはない。警備の面からも、ただの『お遊び』で山に入るというわけにはいかないのだ。
「私も、ここに来るまではそう思っておりましたが。時折、狩りをなさっているようです。火縄の音などが聞こえてくることもありましたし」
「火縄の?」
領主以外の立ち入りは禁止されているため、猟師が入り込む可能性は低い。とはいえ、獣の数が多いこともあって、全く入らないとはいえないが。
「お忍びで来られているのではないでしょうか。もともと、狩りの好きな方でしたから」
了安は肩をすくめる。
「今、お館さまのまわりで、苦言を呈するような人間は、四谷さまくらいでしょうから」
「まあな。しかも、剣術指南役の左門では、止められるものでもないか」
ふうっと雷蔵がため息をついた。
「父は、人さらいの調査をしていたのですよね?」
初音の中で、情報が消化できない。
闇王の話、封印の話。そして、領主である塩田玄治が、お忍びで狩りに来る話、その全てが、まったく人さらいの話とつながらない。
「実際に何をどうしたかは、わからぬが、ここならば、人の目が少ない。人さらいが何かするにはもってこい、そう考えたのかもしれない」
「このようなところで、人身売買の受け渡しとかをしたということですか?」
「人身売買なら、まだましかもな」
雷蔵は眉根をよせた。
「了安、お館さまが狩りに来られるのは、どれくらいの頻度なんだ?」
「さあて」
了安は首を傾げた。
「私も全てを把握しているわけではございません。たまたま銃声を聞いたりすれば、そうかな、とは思いますけど。ここは狩場からは、離れておりますので」
そう前置いて。
「ここ最近は、ふた月、いや、一月に一度くらいかもしれませんねえ。今年に入ってから頻繁になったと思います。ここに住んで五年になりますが、以前は、季節の変わり目ぐらいだっと記憶しておりますが」
「人さらいが起こり始めたのは、ここ一年くらいの話だ。ただ、その前に全く、そのような事件がなかったわけではない」
「え? それは、どういう?」
雷蔵は、黙り込んだ。
「了安、お館さまの病、今なら何かわかるか?」
「さて。どうなんでございましょう。私には、先代さまと同じ、渇きの病にしかみえなかったのです」
了安は頭を振った。
「この潮の国のご領主は、封印の力が衰えると、渇きの病にかかってきました。そうなったときは、領主の座を降りる。封印の役目を外れれば、病は癒えるので、ゆっくりと余生を生きる。代々、そのように受け継がれたと聞いております」
「渇きの病?」
「全身の水分が抜けていく病です。放置すれば、死はまぬがれず、治す手段はない、私はそう聞いておりましたが、計都どのは、たちまちに病を癒された」
了安は囲炉裏の炭を補充する。
くべられていた炭は、すっかり白くなっていた。
「計都どのは刃で己の指を切り、その血を飲ませたというような、呪術めいた治療であったという噂が流れましたが、方法はともかく、治癒したことにまちがいはございません」
了安は、目を伏せた。
「その……計都というひとは、どういう人なのですか?」
事態が理解できないまでも、了安が全く治せない病を癒したという僧のことが、初音は気になった。
「今は、ご典医をしている。経歴その他はよくわからない。思うに、あの男は、医者ではなく、呪術者なのではないかと思う」
「雷蔵さま、それは言い過ぎでは?」
了安が眉をあげる。
「そうか? もともと渇きの病自体が、呪術的な病ではないか。了安が全く治せぬものがたちどころに治ったのであれば、それは呪術であったとしても不思議はない」
雷蔵はそれだけ言うと、大きく息を吐いた。
「呪術だから悪いという意味ではない。治したのは実績であり、功績だ。ただ……少し気になる」
「雷蔵さま」
「ご城下に戻る。多分、左門が探っていたものがわかったと思う」
パシンと、雷蔵は自分の太ももを手で打つ。
「では……飯の支度をいたしましょう。ここから船でなく歩いてご城下に出るのは、時間がかかりましょうから」
了安はゆっくりと腰を上げた。
「初音どのは、ここに残ってもいいんだが……ついてくるという顔をしているな」
「もちろんです」
初音は迷いなく雷蔵に頷く。
真実はまだ、少しも見えないけれど、左門が探っていた謎がそこにある、そんな確信が初音の胸に生まれていた。