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初音の剣  作者: 秋月 忍
8/24

了安

 囲炉裏に架けられた鍋が、ふつふつと音をたてている。

 独特な臭いのそれは、了安が薬を煎じているのだ。

 茶色っぽいその液体を、初音は、じっと見つめる。

「あまり、美味しそうではありませんね」

「左様ですな」

 つい、口に出てしまった言葉に、了安は苦笑した。

「美味しい薬など、ありませぬ。そもそも、薬は毒でもありますから」

 パラパラと別の葉を加え、了安は作業を続ける。

 引き戸が開く音がして、雷蔵が家の中に入ってきた。

 初音が治療をしている間に身を清めて着替えたのであろう。こざっぱりとした格好になっていた。

「雷蔵さま、そろそろ薬ができますから」

「ああ」

 雷蔵は、囲炉裏の傍に座った。

「すまんな。ここに来るつもりではあったのだが、ここまで迷惑をかけるつもりではなかった」

「いえ。まだ、私がお役に立てることがあって良かったです」

 ふっと了安が笑む。その笑みはどこか寂しいものに見えた。

「了安さまは、医学の心得がお有りのようですが、なぜこのような地におられるのです?」

 初音の治療の手際からみても、了安はかなりの腕を持つ医者のように思える。

「……さあて。まあ、事情はいろいろございますが」

 了安は、囲炉裏から鍋を下すと、煮立った液体を、ふきんで漉した。

「了安は、かつて、この国の御典医だった」

「御典医さま?」

 思ってもみない雷蔵の言葉に、初音は目を丸くした。

「昔の話です」

 了安は湯飲みに薬湯を注ぐ。あまり話したくはない、そんな雰囲気があった。

「それほど昔でもない。なにしろ、五年前の話だ」

 雷蔵は、話をやめる気はないようだった。

「五年前、お館さまが、病に倒れた。その時のことが原因で、了安はご城下を追放されたのだ」

「追放?」

 びっくりする初音に、了安は湯飲みを差し出しながら、軽く首を振った。

「私が申し上げたことで、お怒りを買いましてな。ああ、でも、命があっただけでもありがたいお話で、恨みつらみはございませんよ」

「……おだやかではありませんね」

 初音は眉根を寄せた。

「この年になっても、医学の道はわからぬことだらけ。私は、お館さまの病を治すことがかなわなかった。それだけなんですよ。ただ、私のことはともかく、雷蔵さまを巻き込んでしまったことは、本当に申し訳ないと、今でも思っております」

「俺のことは、気にすることはない」

 雷蔵は湯飲みの薬湯の湯気を顎に当てた。何か雷蔵にも事情があるようだ。

「……了安が治せないと言った病を、ふらりとあらわれた、計都(けいと)という僧が完治させたのだ」

「誰が治そうと、治ればよいのではありませんか? 罷免についてはともかく、追放は行き過ぎでは?」

「そのあたりは、いろいろ複雑な事情がある」

 雷蔵の表情が苦いのは、薬湯のせいか。それとも事情のせいなのだろうか。

「私は、お館さまに、隠居するように進言したのです。それゆえに、お怒りを買ってしまった」

 了安がそっと肩をすくめる。

「お館さまには、子がおりません。もちろん、後任の候補はおられますが、家中に勢力争いが起こるのは必定。私の進言でいらぬ騒動が起こるところでした」

「それは……そうかもしれませんが」

 それでも、隠居を進言しただけで、罷免だけでなく城下から追放というのは、やりすぎではないのか。

「正直に申し上げれば、ここでのわび住まいは、性に合っております。誰に気兼ねすることもなく、好きな時に起き、好きな時に寝る。ご城下にいた時には考えられぬ生活です」

 にこり、と了安は笑んだ。

「医者など、町医者であっても、昼夜問わずに仕事が入るもの。こちらのほうが、よほど人間らしい生活が出来ておりますよ」

 了安の言葉は、嘘ではないだろう。医者こそ、規則正しい生活をいつもできる訳ではないのだ。

 初音は、差し出された薬湯に口をつけた。

 苦い。

 苦みを、こらえて、飲み込むものの、湯飲みにはたっぷり残っていて、辟易した気分になる。

「あれほどの痛みを耐えられる方なのに、薬湯を飲むのは苦手のようですね」

 初音の様子を了安はおもしろそうに見ている。

「平気です」

 強がって、初音は残りを飲み干したが、あまりの苦さに、顔が歪んでしまう。

「俺は、平気じゃないがな」

 自分は既に薬湯を飲み終えた雷蔵は、立ち上がり、かめに汲み置きされた水をすくって飲んだ。

「水を飲むか?」

「……お願いします」

 雷蔵に問われ、素直に頷く。

 こんな所で意地を張っても仕方がない。

 差し出された水を飲むと、ようやく口の中の苦みが消えていった。

「それにしても、狩場から離れた場所に、窮奇が現れるとは」

 雷蔵は大きくため息をついた。

「狩場?」

「かの地がご禁足になっているのは、正確には、領主が狩りをするための山という意味だけではない」

「雷蔵さま」

 了安が首を振る。話すな、と言っているのだろうか。

「窮奇に襲われてしまった初音どのは、知る権利がある」

「しかし……」

 了安の表情は険しい。

「この国には、大きな秘密がある」

 雷蔵は、話し始めた。

「この国の領主となった者が、年に一度、封じなければいけない場所があるのだ」

 禁足地となっている場所の中に、星暗寺(せいあんじ)という寺があり、その寺の奥に地下へ続く岩窟がある。その昔、この地を蹂躙した闇王を封じたものとされている岩窟だ。

 この地を開いた塩田(しおた)一族が、代々、その封印を守ってきた。初音も闇王のことは聞いた事がある。しかし、おとぎ話のように思っていた。

「とはいえ。封印は領主の精力を奪うもの。一つの封印で完全を期すると、命数を削ってしまうーーゆえに、封印は二重にして、負担を減らしているのだ」

 二つ目の封印は、星暗寺を管理する僧などが行っているらしい。

「封印は、毎年、年の初めに行われる狩り初めの時にしている。ゆえに、この時期は、封印が弱まってくることがあるため、狩場に窮奇のような闇の眷属が現れることが、まれにはあったのだが……」

「そのための、禁足地だったのですか」

 初音は納得した。

 幸い、山が険しいため、山に入って生計を立てる者もあまり入らない。特に今まで、問題は、起こらなかったようだ。

「お館さまは、狩りを好んでいて、実際に狩りをあの山でしている。それは嘘ではない」

 雷蔵は言葉を切った。

「先ほど、俺達が襲われた場所は、本来結界の外。あのような場所で、窮奇と遭遇してはならないはずなのだが……」

「父のことと、関係ありましょうか?」

 左門が起こした何かで、大切な結界が壊れるようなことがあったのだろうか。

「ああ、了安。おぬし、左門の行先に心当たりはないか? 事件を追っていて行方不明なのだ」

「左門さま? 四谷左門さまですか?」

 了安は驚いたようだった。

「父は謀反の疑いで追われていて、行方不明なのです」

「ああ、お嬢さまは左門さまのご息女でしたか。言われてみれば、似ておりますなあ」

 初音の顔を見て、了安は頷く。

「行く先ですか。数か月前は、この辺りを調査しておられましたね。特に、お館さまが狩りをされたかどうかを聞いていかれました」

「狩りは、年の初めだけではないか? 今年は招集はかかっていないぞ」

 雷蔵の顔は意外そうだ。

 領主の狩りというのは、城をあげての行事であって、横目奉行の雷蔵が知らないということはない。警備の面からも、ただの『お遊び』で山に入るというわけにはいかないのだ。

「私も、ここに来るまではそう思っておりましたが。時折、狩りをなさっているようです。火縄の音などが聞こえてくることもありましたし」

「火縄の?」

 領主以外の立ち入りは禁止されているため、猟師が入り込む可能性は低い。とはいえ、獣の数が多いこともあって、全く入らないとはいえないが。

「お忍びで来られているのではないでしょうか。もともと、狩りの好きな方でしたから」

 了安は肩をすくめる。

「今、お館さまのまわりで、苦言を呈するような人間は、四谷さまくらいでしょうから」

「まあな。しかも、剣術指南役の左門では、止められるものでもないか」

 ふうっと雷蔵がため息をついた。

「父は、人さらいの調査をしていたのですよね?」

 初音の中で、情報が消化できない。

 闇王の話、封印の話。そして、領主である塩田玄治が、お忍びで狩りに来る話、その全てが、まったく人さらいの話とつながらない。

「実際に何をどうしたかは、わからぬが、ここならば、人の目が少ない。人さらいが何かするにはもってこい、そう考えたのかもしれない」

「このようなところで、人身売買の受け渡しとかをしたということですか?」

「人身売買なら、まだましかもな」

 雷蔵は眉根をよせた。

「了安、お館さまが狩りに来られるのは、どれくらいの頻度なんだ?」

「さあて」

 了安は首を傾げた。

「私も全てを把握しているわけではございません。たまたま銃声を聞いたりすれば、そうかな、とは思いますけど。ここは狩場からは、離れておりますので」

 そう前置いて。

「ここ最近は、ふた月、いや、一月に一度くらいかもしれませんねえ。今年に入ってから頻繁になったと思います。ここに住んで五年になりますが、以前は、季節の変わり目ぐらいだっと記憶しておりますが」

「人さらいが起こり始めたのは、ここ一年くらいの話だ。ただ、その前に全く、そのような事件がなかったわけではない」

「え? それは、どういう?」

 雷蔵は、黙り込んだ。

「了安、お館さまの病、今なら何かわかるか?」

「さて。どうなんでございましょう。私には、先代さまと同じ、渇きの病にしかみえなかったのです」

 了安は頭を振った。

「この潮の国のご領主は、封印の力が衰えると、渇きの病にかかってきました。そうなったときは、領主の座を降りる。封印の役目を外れれば、病は癒えるので、ゆっくりと余生を生きる。代々、そのように受け継がれたと聞いております」

「渇きの病?」

「全身の水分が抜けていく病です。放置すれば、死はまぬがれず、治す手段はない、私はそう聞いておりましたが、計都どのは、たちまちに病を癒された」

 了安は囲炉裏の炭を補充する。

 くべられていた炭は、すっかり白くなっていた。

「計都どのは刃で己の指を切り、その血を飲ませたというような、呪術めいた治療であったという噂が流れましたが、方法はともかく、治癒したことにまちがいはございません」

 了安は、目を伏せた。

「その……計都というひとは、どういう人なのですか?」

 事態が理解できないまでも、了安が全く治せない病を癒したという僧のことが、初音は気になった。

「今は、ご典医をしている。経歴その他はよくわからない。思うに、あの男は、医者ではなく、呪術者なのではないかと思う」

「雷蔵さま、それは言い過ぎでは?」

 了安が眉をあげる。

「そうか? もともと渇きの病自体が、呪術的な病ではないか。了安が全く治せぬものがたちどころに治ったのであれば、それは呪術であったとしても不思議はない」

 雷蔵はそれだけ言うと、大きく息を吐いた。

「呪術だから悪いという意味ではない。治したのは実績であり、功績だ。ただ……少し気になる」

「雷蔵さま」

「ご城下に戻る。多分、左門が探っていたものがわかったと思う」

 パシンと、雷蔵は自分の太ももを手で打つ。

「では……飯の支度をいたしましょう。ここから船でなく歩いてご城下に出るのは、時間がかかりましょうから」

 了安はゆっくりと腰を上げた。

「初音どのは、ここに残ってもいいんだが……ついてくるという顔をしているな」

「もちろんです」

 初音は迷いなく雷蔵に頷く。

 真実はまだ、少しも見えないけれど、左門が探っていた謎がそこにある、そんな確信が初音の胸に生まれていた。


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