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第2幕 商人カロンと古銭

 カロンが訪ねにきた区画は道幅が狭く、全て屋根のひさしが青い。青色は賤業を示す色である。

 ヨハネス教の教義では、この世の全ての物質は『神の愛』によって創造されたものだ。人間は労働を通じて物質の働きを引き出すことで、『神の愛』を現世に証明する。農民は農作物の、職人は加工材料の、戦士は自身の肉体の、聖職者は自身の魂の働きを証明する存在だ。全ては『神の愛』に与えられた役割なのだ。商人ですら、物質を流通させ効果的に働かせる存在として役割を振られている。しかし、金融のみを生業とする者たちはそれが無い。ヨハネス教の神に祝福されない者たちが住む街、それが青屋根街だった。

 カロンはこぢんまりした店の呼び鈴が鳴らした。小柄だががっちりとした体躯の男が出迎える。年の頃は三十半ばだろうか。丁寧に撫でつられたけたくすんだ金髪。よく磨かれた眼鏡の輝き。男の几帳面な性格が外見にもよく表れていた。

「やあ、シェナニガン。景気はどうだ?」

 カロンが挨拶すると、シェナニガンは黙ったまま身振りで店内に誘い、さっさと作業台に戻ってしまう。木製の作業台には秤と十ばかりの木枠。木枠にはきっちり納められた古銭が見える。そうした小さな作業台がこの部屋には四つもあった。他の三つの作業台では、十四、五歳前後の少年少女が三人、古銭を分類する作業に没頭していた。彼らは来客をちらりと見たきり、その手を休めることはない。

 カロンは背嚢から革袋を一つ取り出すとシェナニガンに言った。

「ユピトリアの古銭だ。蛇の目銭も入っている。あんたの言ってた通り、蛇の目銭は大分品薄だった。一個銀三ダートもしたぜ」

 シェナニガンは目線で頷き、机上の木枠を寄せてスペースを作った。カロンは作業台に近づき、革紐を解いた。袋を逆さにし、台に古銭を広げる。

 シェナニガンの指が一枚の銅貨をつまみ上げた。くすんだ銅に、丸い円の浮彫のみの文様。蛇の目銭と呼ばれるその古銭はユピトリア皇歴1~3年にメルクリウス一世により鋳造されたものだ。史料的価値もあり、一個2~4フロレもしくは1~2ダートで取引されることが多い。

カロンはシェナニガンに問う。

「なぜ、それを集めているんだい?」

 シェナニガンは眼鏡の奥からじろりとカロンをみる。古銭商の薄い唇が、呪文のような言葉を紡いだ。

「フロレ・新ダート交換比率は1コンマ2上昇。新ダート・旧ダート交換比率はコンマ8上昇。金ダート・銀ダート交換比率はコンマ9下落した」

 カロンは困惑顔になる。古銭商人は声を低めて言葉を発した。

「ハインリヒ・ハッポーネ伯と話がしたい」

 カロンは眼を見開いた。ハインリヒ・ハッポーネ伯爵は、有力なウェネア諸侯の一人である。一介の古銭業者や、他国の商人が易々と会える人間ではない。

(フーシェット家ではなくハッポーネ家を選んだか)

 次期王位争いの最中にある両伯爵家のどちら側につくか、をシェナニガンは表明したのだ。零細な両替商の一言としてはかなり不遜である。だが、カロンはこの時を予期していた。シェナニガンが『どちらを踏み台にしてのし上がるのか』が今明らかになったのだ。

カロンは動揺を押し隠しつつ、取り成すように応える。

「シェナニガン、協力したいのは山々だけど、俺はハインリヒ伯とは会ったことも無いんだ。ドスキー公になら確実に顔をつなげるけど………」

 カロンの言葉は、シェナニガンの鋭い視線に中断された。カロンは諦めたように首を振り、再び口を開く。

「分かったよ。やってみよう。でも、期待はするなよ」

 古銭商の眼鏡の奥の眼が、微かに細まる。その巌のような顔がやや柔和に見えた。カロンは頭を掻き、照れた調子で言う。

「おだてるな、シェナニガン。全力を尽くすけどな。ついでにフロレへの両替もしてくれ」

 カロンは背嚢から革袋をもう一つ取り出した。シェナニガンは革袋を覗いてかき混ぜた後、中身を秤に開けて重さを量った。

 量り終えるとシェナニガンは奥の小部屋に一度姿を消し、木の盆にフロレ硬貨を乗せて現れた。金貨25枚と、銀貨55枚だ。フロレは金貨一枚が100フロレと決まっている。カロンの渡した銀貨銀1,000ダートと古銭が2,555フロレに換金されたことになる。フロレ硬貨を革袋にしまいつつ、カロンは別れの挨拶をする。

「じぁあな、シェナニガン。俺がハインリヒ伯に会えるように祈っててくれ」

 古銭商人は眼鏡の鼻頭を押さえ、カロンに頷く。

店を出るとき、無口な古銭商が最後の言葉を発した。

「100年前も、蛇の目銭が高騰した」

 カロンの歩みが一時停止する。『100年前』という言葉はあまりに示唆的だ。それは無駄なことだとカロンは知っている。彼が再び歩み出そうとしたとき、ミラが突然振り向きシェナニガンに応える。

(シェナニガンは為替の動きで世界を見通す男だ。蛇の目銭の高騰から戦の気配を察知したんだろう。砂の民が星を見るように)

 カロンは、改めてシェナニガンの洞察力に身震いした。シェナニガンがカロンの『任務』の内容を知る由は無いが、その計画の一部を見抜くことは十分にあり得た。古銭商の店に居た時から、カロンの心臓は早鐘を打ち続けている。シェナニガンのような男を計画の『駒』にすることができるだろうか。

カロンは自分を励ますように心の中で呟く。

(全てはいつもと同じ商売だ。俺は『ウェネアの盾』を手に入れる) 

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