最期の願い
徹とアオは病院を出る。
未亜が死んでまだ数時間しか経っていない。そして――未亜の笑顔最後に見たのも数時間しか経ってない。
外に出ると、アオとふたりで当てもなく歩く。
しばらくふたりで街をさまようと、小さな公園を見つけ、ベンチに腰掛けた。
「……」
「……」
互いに言葉はない。
アオはギュッと徹の腕にしがみ付いている。
その顔に感情はない。無表情だ。
アオがどんなことを考えているのかは徹にはわからない。
徹もアオも未亜の死の知らせを聞いても、涙一つ見せなかった。
――徹の場合は、感情が追いついていないだけだ。
どの感情が自分の感情なのかもわからない。
未亜の顔は目蓋を閉じれば浮かんでくる。とても死んだとは……もう二度と会えないとは思えない。
だがこれは現実で変わらない。
だからこそ今は何も考えられないし、何も考えたくない。
「……お兄さん」
アオが小さく呟く。
最初会った時の様な感情のない声。
その声は久しぶりに聞いた気がした。
「……何だ?」
「……復讐しましょう」
「……」
アオの言葉は冷静で感情がない。
だからこそ理解ができない。
今の徹には虚無感しかない。冷えついた思考にアオがさらに言葉を投げかける。
「……これを見て下さい」
ガチャ。
アオは足元に一つの金属を投げ捨てた。
それをゾッとする程冷たい目で見降ろしている。
「……」
それは黒く焦げてはいるがテレビなどで見覚えがある。
手錠だ。
「……なんだよこれ?」
手錠は不自然にねじ曲がっている。
まるで誰かが強引に――引きちぎった様だ。
こんな鉄の塊を引きちぎれる人間はいない。宇宙人でもなければ引きちぎれない。
「……」
最悪の予想が徹の思考を犯す。
そうだ。不自然な点はいくらでもある。
火事の原因は? 他の住人は避難できていたのに未亜だけ避難できなかったのか?
そう――未亜は逃げなかったのではなくて。
「これで……未亜さんの腕が建物と繋がれていました」
逃げられなかったのだ。
この手錠が邪魔で――。
「……私が建物に入った時に引きちぎりました」
アオが目を閉じる。
その光景が頭に浮かんでいるのだろう。
アオはゆっくりと口を開く。
「……手錠をしていた未亜さんの手には酷い切り傷がありました……恐らく、無理にでも手錠を取ろうともがいたんでしょうね。それは……腕を千切る勢いで……」
アオは淡々と言葉を続ける。
その言葉を徹は黙って聞く。
聞くにつれて徹の中に黒い感情が湧き上がってくる。
「……もがいたんでしょうね。熱かったでしょうね。痛かったんでしょうね。苦しかったんでしょうね」
「……」
「……お兄さん」
アオは徹の目をジッとみる。
そこにはさっきまでの無表情はない。
酷く歪み、瞳には憎悪がにじみ出ている。
冷静なのは口調だけだ。
――アオが未亜の死に涙を流さなかったのは、それ以上の感情に支配されていたからだ。
「……人間は復讐するものなんですよね?」
「……」
「……私は復讐がしたい……未亜さんが与えられた苦しみを、痛みを、恐怖を、犯人に与えないと気が済まない」
人間が持つ復讐心がアオを動かしている。
恐らくアオはもう止まらない。
何が何でも犯人を見つけ出し、未亜と同じ苦痛を犯人に与えるだろう。
「……お兄さん。復讐をしましょう」
だが……徹は……。
その決断には踏み切れない。
「……お兄……さん?」
「俺は復讐はしない」
「……」
アオが目を見開く。
信じられないといった表情で徹を睨み付ける。
「……なんで……」
「……」
「何ですか!!! 犯人が憎くないんですか!? 殺したくないんですか!?」
アオが感情を爆発させる。
こんなに感情をさらけ出すのは初めてのことだ。
徹は犯人が憎い。もちろん憎い。
殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺したい。
だが――。
「アオ。俺は『未亜が復讐を望んでないからしない』なんて綺麗ごとは言わない。復讐は生き残った奴が、生き残った奴の為にする事だからだ」
「じゃあ!」
「……俺は――」
「聞きたくないです! お兄さんは混乱しているだけです! 待っててください!」
アオはベンチから立ち上がり、背後にある壁を跳躍して乗り越える。
「……」
追う気にはなれない。
復讐は生き残った奴の為にやる事だ。
だからアオには復讐する資格がある。
「お兄さん!」
今度はアオの声が横から聞こえてくる。
振り向くと、アオは初老の男を拘束していて、のど元に自分の爪を突き立てている。
ほんの少し、アオが力を入れれば男は息絶えるだろう。
「……少しでも動けば殺します……まあ、どちらにしろあなたが死ぬことは確定ですが。私たちを付けていたんですよね?」
「……お前の所為で……」
アオの脅しは本物だ。
いくらアオの容姿が幼いとはいえ……いいや、アオの容姿が幼いからこそ恐怖を感じるものだ。
しかし男の顔には恐れはない。男は激しい表情で徹を睨み付ける。それは今アオが浮かべている感情と同種のものだ。
「お前さえいなければ儂は全てを失う事はなかった!! 復讐だ!! これは復讐だ!!!」
「……喋らないで下さい……酷く耳障りです……殺しますよ?」
「……そうか。そういうことか」
徹には男の顔に見覚えがあった。
上島源内。
徹が乗っ取った会社「上島工務店」の会長だった男だ。
そう。徹が時計の力で押しのけた人間。
それが源内だ。
「なるほどな……そういうことか。くっくっく」
全てを理解してしまうと、何だか無性におかしくて笑いがこぼれてしまう。
結局、全ては徹の罪だ。
未亜を洗脳しなければ未亜は死ななかった。
徹が源内を貶めなければ未亜は死ななかった。
徹が時計を拾わなければ未亜は死ななかった。
……結局罪を犯しているのは徹だ。
「あっははははっはは。これは傑作だ」
「……何が……何がおかしいんですか!」
「ああ! 全てだよ! こんなの全部俺が悪いじゃねぇか!」
「お兄さんは悪くない! こいつが! こいつが未亜さんを殺したんです!」
アオは爪を男の足に突き刺す。
ぐじゅりと嫌な音。
それが聞こえると、アオが微笑む。
「ぐああああああああああ!」
「ふふっ。こうやって苦しめればいいんです……こいつが未亜さんを」
「その通りだ! そいつが未亜を殺した」
「なら復讐を! 復讐をしましょう! お兄さんが望めばいくらでもできます!」
「だけどな……俺も未亜殺したうちのひとりだ」
「……えっ?」
「俺も殺せ」
「な、なんでですか……」
「さっきも言ったけど、復讐は生き残ったものが、生き残ったものの為にするものだ。お前にはその資格がある。俺とこいつふたりを殺せばお前の復讐は完成する」
「……そんなの」
アオの感情に迷いが走る。
これもアオが初めて味あう感情。
感情を感じる能力、感性は経験から来るものだ。
感情を得たばかりのアオには絶対的にその経験が足りない
「……」
そんな人間初心者のアオに何かしたくなる。
徹はここでアオが復讐をしなくても、どうせ時計、罪の代価を支払うことになる。
ならば、アオに――残せるものがあるなら。
「まあ、ただで死ぬよりは現実的に死ぬか……まずは戸籍が必要だな……あとは育てる奴か……金の名義を全部お前に変えればどうにかなるだろう……それからお前の容姿は目立ち過ぎだから少し変えるぞ?」
「お、お兄さん……い、いったい何を言ってるんですか?」
戸惑いの声を上げるアオに時計を見せる。
「あはは。残りで足りればいいんだけどな」
「……何を……言ってるんですか?」
アオの力が抜けて、その場に座り込む。
感情がパンクして、頭の中が真っ白になってしまった様だ。
「ひっ!」
アオの爪が外れると、源内が逃げ出す。
「……あいつのアオに関する記憶も消すか……これ本当に足りるのかな」
「い、いや……ひ、ひとりにしないで下さい……ひとりは嫌……」
「……悪いな。俺は罪の代価を払う……まっ俺がしてきた事を考えれば償いきれないけどな」
「や、やっ。いや……やっ」
アオはひたすら首を横に振る。
とめどなく、あふれる涙。
これも初めての感情。悲しみが復讐心を超えたのだ。
こうなればもう止まる事はない。未亜と徹、ふたりのことが悲しくて悲しくて――
それにつられる様に徹の目にも涙がたまる。
「……お前はもう少し生きて見ろよ……人間の様に……人間を楽しめ」
「い、いあ、ぐす、ううう」
「じゃあな。元気でな」
徹の時計を握る力が強くなる。
今まで一番強い思い。
ひとりの少女に全てをつぎ込む。
想いを願いを。全部全部全部。
「さあ! 最期の願いだ! 願いを! 叶えてくれ!」
「や、やめてええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
アオの大粒の涙が落ちると同時に、周りを綺麗な青い光が包み込んだ……。
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