願いの代価
数日後の夜20時。
徹は自分のボロアパートで寝転がりながら、時計を眺める。
隣ではアオがテレビを見ていて、台所では楽しそうに料理をしている未亜。
「……」
日々は流れる様に過ぎた。
海外から帰って来た未亜に数週間有給を取らせて、3人で遊び回った。
温泉にも入ったし、海にも行き、テーマパークも貸し切って遊んだ。
何もかもどうでもいいと自分に言いかせる。
そのお蔭か、気は晴れる。
だが、死への恐怖だけはどうにもならない。
「ねえねえ。お兄さん」
テレビを見ていたアオが笑顔で話しかけてくる。
――この数日間でアオの感情に変化があった。
それは以前よりも豊かになった表情だ。
最近アオは楽しそうに笑う。
それは見ていて気持ちのいい笑顔だ。
「なんだ?」
「こ、この安眠枕を買って下さい」
アオが興奮した面持ちでテレビを指さす。
画面には高級枕のCMが流れている。
「……お前本当に寝るのが好きだな。まあ、好きな物をいくらでも買えよ」
アオの睡眠へのこだわりは半端ではない。
昨日も低反発の高級敷布団と羽毛掛け布団を買ったばかりだ。
……お蔭で部屋には布団や枕が有り余っている。
「徹君? あんまりアオちゃんを甘やかすのもどうかと思うよ?」
「……えぇー、美亜さん~そんなぁ~」
「昨日買って貰ったばかりでしょ?」
未亜が呆れた声をかけてくる。
今ではすっかりアオの母親ポジションにいる未亜。
「……未亜さんいいじゃないですかぁ」
(あ。アオの視線攻撃が始まった……あと3秒で未亜が落ちるな……)
「……はぁ仕方ないなあ」
「本当ですか!」
(……実は一番アオに甘いのは未亜なんだよな……)
「……」
「何か言いたげだね。徹君……」
「別に~」
ジト目で睨んでくる未亜をやり過ごす。
今の生活は楽しい。
今まで時計の力任せにしてきた生活よりも……それは死を恐怖させるほどに……。
死にたくない。
徹はこの数日、その感情が強くなるのを自覚している。
だが、こればかりは仕方がない。
自分が得た物の代償は払うべきだからだ。
「そうだアオちゃん。代わりにお醤油が足りないから買ってきてくれる?」
「わかりました……お兄さんも一緒に行ってくれます?」
アオは寂しそうな顔で見つめてくる。
「……わかったよ。だからいちいち泣きそうな顔をするな」
「くすっ。本当にアオちゃんに甘いんだから」
「……お前だけには言われたくない」
「ふふっ。そう? 行ってらっしゃい」
徹はアオを連れて家を出た。
死の恐怖はつきまとう。
だけど……徹はあえてそれを無視しようとする。
徹は以前の徹とは変わってきている。
自分以外大切な物がなかった彼が、未亜とアオを気にしている。
それはとても小さいようで大きな変化だ。
「……」
徹はそんな自分の変化が嫌いじゃなかった。
◇◇◇
――なにが起きているか理解したくなかった。
今見ている光景を信じたくない。
数分前とはかけ離れた光景。
徹がアオと共に買い物から帰ってくると『それ』は起こっていた。
「火事だ!」
「消防車を呼べ早く!」
(な、なんだよこれ……)
メラメラと燃える自分の家。木造建ての所為か火の勢いは強い。
火の勢いは止まらない。ただただ燃やし尽くす。
「おい! 逃げ遅れた奴はいないか!」
「建物は危険だ近づくな!」
騒ぎ出す近隣住民。
日はとっくに暮れている筈なのに、空はほんのり明るい。
「……」
ドサッ。
買ってきた醤油の入ったビニールを落とす。
そう……未亜に頼まれた。
「……!」
徹の頭は真っ白な思考から、焦りに変わる。
(み、未亜は頭がいい。こんなわかりやすい火事……す、すぐに逃げている筈だ)
だが……必死に周りを見渡すが、数人の野次馬と同じアパートに住む人間がいるだけで、未亜は見つからない。
(ほ、他の連中は避難しているのに……)
そして、感情は焦りから恐怖へ。
未亜が死んでしまう……。
「未亜!」
徹はアパートに向かって走り出そうとする。
危険なのは見ればわかる。燃え盛るアパートに入れば自分もただでは済まない。
そんなことはわかっている。
だが、飛び込まずにはいられない。
「! 待って下さい! 私が行きます! 私なら無傷で帰ってこれます」
アオがその場から走り出す。
アオの体は人間ではない。徹の命を狙った身体能力ならこんな火などものともしない筈だ。
「今子供が飛び込んだぞ!」
「あんた何で止めなかった!」
野次馬がアオを静止させなかった徹を責め立てる。
だが、今の徹にそんなことを気にしている余裕などない。
徹は野次馬のひとりに掴みかかる。
「な、なんだよ!」
「よく聞け! 今すぐ電話して救急車を呼べ。金はいくらでも払う!」
「きゅ、救急車はもう呼んでるよ」
「使える物は全て使うんだよ! 消防車も救急車もヘリも飛ばせ! もう一度言う金はいくらでも払う!」
徹は明らかに気が動転している。
そんなこと野次馬に言っても仕方がない。
そのことに気がつかいない程に……未亜が死ぬということに恐怖を感じている。
自分の都合のいい存在である未亜……。
最初はどうでもいい存在だったはずだ。
徹の言うことをなんでも聞き、飯の用意をしてくれたり、掃除をしたり、体を差し出す。
いうなれば道具だ。
代わりはいる。未亜が死んでも以前未亜と同じ状態にしたアイドルでも横に置いておけばいい。
だが……徹は未亜を失うことを恐れている。
……その感情をもう少し早く獲得して入れば、今の状況にならなかったかもしれない。
「お兄さん!」
燃え盛る劫火からアオが飛び出してくる。
頬にはすすが付いて、衣服のあらゆる部分が焦げている。
そして――。
アオの背にはぐったりしている人間がひとり。
「み、未亜あああ!!!」
未亜の綺麗だった皮膚はただれたような火傷が覆い尽くし、髪や衣服は無残に焦げている。
一目では未亜だと判別できない。
これは……助からない。
そう思わせるには十分な火傷だ。
「……み、未亜……そうだ!」
徹は時計を取り出す!
時計の奇跡に頼ればこの程度の傷完治させるのは容易い。
「俺の寿命なんて全てくれてやる! 全部持っていけ!」
だが……徹にはその手札を切る事ができない。
まったく時計は反応しない。
徹はこの時計を乱用し過ぎた……その罪がこの場において最大の罰となり牙をむく。
「ダメです! 代価が足りません!」
「クソっ! この時計は譲渡もできないんだよな!」
「そうです! お兄さん! 病院はどこですか! 私が走って連れて行く方が早いです!」
「!」
徹はアオの一言で自分が今すべきことを悟る。
「ここから一番近い病院はここから歩いて15分だ!」
「だからそこはどこですか!?」
アオの表情にも余裕はまったくない。
……この少女も恐れているのだ。
人間ではない感情与えられた宇宙人。
感情を得て日も浅く、普通の人間よりも感情を扱う術は素人だ。
だが……背負っている人間を死なせてはいけない。死なせたくない。
そんな感情は徹に伝わってくる。
「案内する!」
徹は野次馬のひとりである大型バイクを持った男に掴みかかる。
その男は痩せ細っていて、徹に掴まれると脅えた表情を隠すこともできない。
「ひっ! な、何ですか!」
「おい! そのバイクを貸せ! 金はいくらでも払う!」
徹はジッと男を見据える。
時間がないのだ。1分1秒争う。だからこの辺の地理に疎いアオ1人に行かせるよりも、徹が付いていった方が確実だ。
バイクなら飛ばせば5分かからない。
「早く! 鍵をよこせ! こっちには重傷がいるんだ!」
「わ、わかりました」
男は徹の勢いに負けて鍵を差し出した。
それを乱暴に受け取ると、勢いよくバイクに飛び乗る。
「アオ! 案内する! ついてこい!」
後ろでアオが頷くのを確認すると、徹は勢いよくアクセルを踏み込んだ。
◇◇◇
徹とアオはすぐに病院に到着した。
その時間は2分もかかっていない。
病院は既に火事の報告を受けていたのか、すぐに未亜の緊急治療を開始した。
もう……徹とアオは待ち会い室で待つ事しかできない。
生きた心地のしない時間を過ごす。
そして――治療開始から数分後。
未亜は息を引き取った――。