私と殿下とヒロイン
春を迎え、私と殿下は王立魔法学園へ入学した。
私の兄も二年前から通っている場所。
そして、ゲームの舞台となる場所でもある。
ヒロインと私たちは同学年。
つまり、ヒロインもすでにここにいるはずなのだ。
入学式の時に周りをよく見てみたが、ヒロインの姿は見当たらない。
とにかく私は処刑だけは免れるように頑張らなくてならない。
そのためにはヒロインに関わらないのが一番である。
よーし、ヒロインに関わらないように張り切って学園生活を送るぞー!
なんて、思っていた日もありました。
うん、その決意も隣にいる殿下のせいで木端微塵に砕かれましたがね。
殿下は攻略対象者だ。つまり、放っておいてもヒロインと知り合う訳で。
そんな殿下はなぜか私に纏わりついてくるので私も必然とヒロインと出会うことになるわけで。
つまり、ヒロインと関わらないようにするのは無理だった、というわけである。
それは入学してから数日後のことだった。
なぜか私と一緒に行動したがる殿下と私は二人で校内を歩いていた。
今は昼休み。学園内にあるカフェを兼ねた食堂に足を運ぶ途中だった。
人とすれ違うたびに微笑ましい視線を向けられ、私はとても居たたまれない。
なのに、隣の殿下はいつもと変わらないアルカイックスマイルで涼しい顔をしているのだ。
なんとなく、腹が立つ。
「……殿下」
「なに?」
「なぜ、殿下はわたくしと共に行動されるのですか。ご友人たちとのお時間を作らなくてもよろしいのですか」
遠回しに『ご飯くらい友人と食べてください』と言ってみる。
しかし殿下は悲しそうに眉を落とし、私を見つめる。
「…そんなつれないことを言わないでくれ、エドナ。私は君と一緒にいる時が一番心安らぐというのに…」
立ち止まり、悲しそうな顔をして甘い声で私に囁く殿下。
憂いの含んだその表情に、周りにいた令嬢たちが声にならない悲鳴をあげるのを感じる。
私は微かに眉を寄せる。
これでは、私が我が儘を言って殿下を困らせているような図に見えてしまうではないか。
「殿下…」
「私の心は君でいっぱいなんだ。だから、そんなことを言わないでくれ、エドナ…」
そう言って私に顔を近づける殿下。
キャー!と悲鳴が周りからあがるが、私はそれどころではなかった。
近い、近いってば!
私は周りにわからない程度に殿下を睨みつけると、殿下はそんな私の視線を受け止め、嬉しそうに笑う。
ぞわっ。鳥肌が…!
とにかく、この顔の近さはよろしくない。今はこの距離をどうにかしよう。
「…申し訳ありません、殿下。殿下がそこまでわたくしのことを想ってくださるとは思いませんでしたの…わたくしの失言をお許しくださいませ」
「…わかってくれるなら、いいんだよ」
そう言って殿下は私から顔を離し、にっこりと笑う。
通常の距離に戻ったことに私は安堵し、一瞬だけギロリと殿下を睨む。
しかし殿下の表情は変わらない。
なんだか腹が立つ。
そして私たちが再び食堂に向かい歩き出し、曲がり角をまがった時、ダンっと何かが殿下に当たった。
私はその光景がスローモーションに見えた。
殿下にぶつかった何かは殿下に弾き飛ばされ、尻餅をつく。
「…すまない。大丈夫か?」
そう言って手を差し出す殿下。
あぁ、この光景。私はこの光景を知っている。
「…ありがとうございます、私は平気です」
殿下の手を取り立ち上がる少女。
夜明けの空のような紺色のさらさらとした髪に、蜂蜜のような透き通った瞳。
肌は白く、その唇は薄い桃色でふっくらとしている、守ってあげたくなるような可愛らしい容姿をした少女。
私とは正反対な雰囲気の少女。
そう、彼女こそがゲームの主人公。
――――アシュレイ・バーナーズだ。
はにかんで殿下と見つめ合う姿は、前世で見たスチルと全く同じだった。
私はただ呆然と二人のやり取りを、息を飲んで見守ることしかできなかった。
「…エドナ?」
私は殿下に呼び掛けられ、ハッとする。
そしてすぐに笑みを作り、殿下を見つめる。
「はい、なんでしょうか」
「どうかしたのか? 君がぼんやりとするのは珍しい」
「まあ、殿下。わたくしだってぼんやりとすることくらいありますわ」
そう言って殿下を軽く睨みつければ、殿下は一瞬だけ愉快そうな色を瞳に宿す。
しかしその色もすぐに隠し、いつもの笑みを浮かべた。
「…そこの貴女」
「は、はい…」
私は彼女――アシュレイ嬢を見据えて、ふっと微笑む。
「貴女にお怪我がなくてなによりでした。ですが、もう少し周りに気を付けて歩きましょう。では、わたくしたちはこれで失礼致します。行きましょう、殿下」
「ああ」
私は殿下を連れ立って歩き出す。
本当は殿下を置いていきたいくらいだったけれど、それでヒロインとの好感度が上がって私が処刑されるなんてことになるのは避けたい。
ああ、こんなに早くヒロインに出逢うとは思っていなかった。
ヒロインを避けようと思っていたのに、向こうから飛び込んで来るとは思わなかった。
これもゲームの力か。
「…エドナ、顔色が悪いぞ?」
不意に隣にいた殿下が心配そうに私の顔を覗き込む。
「なんでもありません。わたくしは平気です」
「平気そうな顔には見えないが…休んだ方が良いのでは」
「なんともないのですから、休む必要はありません」
「…しかし」
殿下は尚も食い下がる。
顔色が悪いのは、先ほど見た殿下とヒロインの出逢いがゲームの通りで、自分の破滅フラグを改めて思い出したからだ。
誰だって自分が死ぬかもしれない、ということがわかれば具合が悪くなるだろう。
「……エドナ」
「はい」
「失礼」
「え?」
殿下はそう言うと、ひょいっと私を抱き上げた。
私は何が起こったのかわからず、動揺する。
いつもよりも高い目線。
すぐ近くには殿下の整った顔があり、殿下の逞しくなった腕が私の脇の下と膝の下に置かれ、私の体を支えている。
うん、つまり、この体制は……。
お姫様だっこ!?
「で、殿下! なにをなさるのですか!」
「こんなに顔色の悪いエドナを放っておくわけにはいかない。君に休む気がないなら私が無理やりにでも休ませるまでだ」
いつもと変わらない笑顔で私にそう言う殿下に、なにか反論を、と思うが、頭に血が上り逆に頭がくらくらとしてきてしまう。
本当に具合の悪くなった私は殿下に自身の頭を寄りかける。
周りが私たちを注視しているような気がするのは、私の被害妄想ではないはずだ。
殿下は寮の前でひと悶着を起こし強引に私の部屋に侵入した。
「…わたくしをこんな風に辱めるとは…いい度胸ね。あとで覚えてなさい…」
優しくベッドに下ろされる際に小声で呟いた私を、殿下は嬉しそうに見つめる。
そして、とても愛おしそうな目をして私を見て言う。
「ああ。愉しみにしているよ、エドナ」
その声は蕩けそうなほど甘く。
このドM、と心の中で罵って私は意識を手放したのであった。