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私と殿下3

 どこかの薄暗い部屋の中。

 ピシン、と殿下に貰った鞭をしならせ、目の前に座り込み、私を見上げる殿下を見て、私は傲慢な笑みを浮かべる。

 私を見つめる殿下の澄んだ青い瞳は、屈辱そうな色を宿していた。

 それに私はぞくぞくとした快感を覚え、笑みをより深める。


「良い様ね、イーノス殿下? どうかしら、ひ弱な令嬢に痛めつけられる気分は?」

「…くっ。僕にこんなことをしてただで済むとでも…?」

「まあ、うふふ。殿下はこの事を決して他言なさらないわ」


 私は殿下の顎に手をやる。


「だって、殿下は私の(いぬ)になるのだもの。狗は主人に忠実でないと…主人に逆らう狗には躾をしなければ、ね?」


 そう言って、私は殿下の瞳を覗き込み、うっとりと嗤った――――





 ハッと目を覚ますとそこは見慣れた自分の私室で。

 私は起き上がり、だらだらと流れる汗の感覚に顔をしかめた。


 嫌な夢を見た。

 私が正真正銘のドSに変貌している夢だ。

 断じて、断じて言うが、私はドSではない。そんな性癖は前世でもなかったはずだ。

 私は変態ではないのだ。あのドM王子(へんたい)と違って。


 私は額の汗を乱暴に手で拭い、ベッドの近くに置いてあった呼び鈴を鳴らし、家のメイドを呼ぶ。

 そして汗を流したいと言って、湯を用意してもらう。

 どうせ今日は殿下が我が家にやって来て、湯を浴びなければならないのだ。

 多少早くなっても構わないだろう。


 湯を浴び、汗を流して着替えると、夢のせいで最悪だった気分が幾分かスッキリとした。

 あんな夢を見たのは殿下のせいだ。

 会うたびにドM(へんたい)発言を繰り返し、私を困らせる。

 私は加虐嗜好など持ち合わせていないといくら訴えても聞き入れてくれない。

 今の私の目下の目標は、『脱・ドS疑惑』である。そしてあわよくば、殿下との婚約を解消したい。

 そんな決意を胸に、私は今日も殿下と会う。


「ごきげんよう、エドウィーナ嬢」

「ごきげんよう、イーノス殿下」


 今日も殿下の笑顔(、、)は天使だ。

 日の光を浴びで金色に輝く髪に、夏の空を連想させる青い瞳。

 まさにお伽話に出てくる王子様か天使のよう。

 まあ、本物の王子様なんですがね。

 しかしその性格は、天使とは真逆であることを、私だけが知っている。




 庭をのんびりと散策することになった殿下と私。

 私は日焼けしないように帽子を被り、広すぎる我が家の庭を殿下にエスコートされ歩く。

 通りかかった使用人たちが、微笑ましそうな顔をして私たちを見ている。

 一見、私たちはとても仲睦まじく見える。

 なんてお似合いの二人なのかしら、と周囲がため息を漏らすほど。

 それはそうだ。殿下はもちろんのこと、悪役令嬢たる私も、キツイ顔をしているが美人なのだ。天使のような殿下と並んでも遜色ないくらいの、美少女なのだ。

 そんな二人がにこにこと微笑みながら歩く姿は、絵に描いたように麗しいだろう。

 だがしかし。そんな見た目に反して、私たちの会話は“微笑ましい”からほど遠いものだった。


「エドナ。君の手は白くて綺麗だね」

「まあ、殿下。お世辞をどうもありがとうございます」

「お世辞なんかじゃないさ。この手で思い切り叩かれたらと考えると…ぞくぞくするね」


 そう言って殿下はにっこりと私に笑顔を向けた。

 私は引きつり笑いをしながら、このドM野郎め、と内心ドン引きした。


「殿下の発言こそ、ぞくぞくしますわ(鳥肌がたつという意味で)」

「そう? じゃあ、叩いてくれる?」

「このへんた…いえ。遠慮させて頂きますわ」


 キラキラとした眼差しで私を見つめる殿下に、内心の声がうっかり漏れてしまった。

 あぶないあぶない。殿下を余計に喜ばせるところだった。


 殿下は「つまらないな」と呟き、少し不満そうに眉を寄せた。

 そんな顔したって叩きませんよ。

 だって私、ドSじゃありませんから。


 私は殿下の婚約者となり、殿下と会うたびに、殿下に嫌われようと、そして婚約を解消して貰おうと、努力を重ねてきた。

 私の涙失くしては語れない、殿下とのやり取りの一部を思い起こす。



 その①

 殿下は私に加虐嗜好があると思い込んでいるから私と婚約する気になったのでは、と考えた私は殿下にそんな嗜好は持ち合わせていないと訴えてみた。


「わたくしはごく普通の、どこにでもいる貴族の娘です。殿下の望む通りに罵ることなんて…とても殿下を楽しませられるとは思えません…」

「僕は君といると楽しいけど。そのワインレッドの瞳が冷たく輝くところを見ると、特に…ね」


 ふふ、と笑う殿下にドン引いた私は「そ、そうですか」と言うので精一杯だった。



 その②

 逆に本音で愚弄すれば起こるんじゃないか、と思い至ったのですぐ実行してみた。


「この変態! 近寄らないで、汚らわしい! わたくしに気安く話しかけないで!! このドM! 駄犬! 変態王子!」

「どえむ…? 意味がよくわからないけど…ふふ…いいね、その表情。もっと言ってほしいな」

「え?」

「さあ、遠慮せずに、どんどん言って?」

「え?」

「君の思っていることをすべて僕に打ち明けてごらん。大丈夫、怒らないから」


 そう言ってうっとりと私を見つめた殿下に、私は思わず「ひぃっ」と情けない悲鳴をあげた。

 その後、殿下を思いつく限り罵倒するはめに陥った。

 逆にこちらの精神がすり減ったので、もう二度と殿下を愚弄しない、と誓った。



 その③

 そうだ! 殿下がなにを言っても無視しよう!

 そう思いついた私は、無言を貫き通すことにした。


「エドナ、今日は君の好きなお菓子を持ってきたんだ」

「………」

「エドナ? どうしたんだ? いつもなら喜んでくれるのに…どこか調子でも悪いの?」

「………」


 殿下が手に持つお菓子は、私の大好きな店の焼き菓子だった。

 うう、食べたい。でも我慢。焼き菓子はいつでも食べれるけど、殿下を撃退するのは今しかできないのだ!

 ……たぶん。


「もしかして…怒っているの?」

「………」


 殿下は必死に私に話しかけてくる。

 私はそれに答えず、無言を貫いた。

 やがて殿下は眉を寄せ、考え込むように俯いた。


 ふっ…さすがの殿下も無視には怒りを禁じえなかったようだ。

 これで見事に嫌われて婚約をかいしょ……。


「……ふ。ふふふ…そうか」


 ん?

 突然笑い出す殿下に、私は内心で首を傾げる。

 とうとうおかしくなったか? いや、もともと性癖おかしいけど。


「…ふふ。わかったよ、エドナ。これは、そういうことなんだね?」

「……?」


 殿下の言っている意味がわからない。

 思わず眉を寄せる私に、殿下はとても綺麗に笑った。


「ふふ。無視される…これはこれでぐっとくるものが…」

「は?」


 思わず素の声を出してしまい、私は慌てて口を塞ぐ。


「……放置されるのも、これはこれでいいな…」

「へっ…」


 うっとりとどこかを見つめ呟く殿下。


「……病気だわ。これは絶対病気だわ。殿下、やはり医師に診てもらったほうがいいと思いますわ。頭の方を」

「診てもらったところでどうにもならないよ」


 そう言って殿下は私を見つめ、にっこりと笑って言った。


「だって、この病気は君にしか治せないものだから」


 この殿下の台詞に鳥肌がたったことは、言うまでもない。





 ……いろいろ頑張ったな、私。この短い期間に。

 何やっても裏目に出たけど。ええ、ものの見事に。

 どうしたらいいのだろう。どうしたら殿下に嫌われるのだろうか。


「ああ、そうだ。今日もエドナにプレゼントがあるんだ」


 そう言ってにっこり笑った殿下に、私はとても嫌な予感を覚えた。


「はい、これ」

「…ちなみに、これの受け取りを拒否することは…」

「できないよ?」

「…左様ですか」


 渋々と私が受け取ったそれは。


「殿下、ひとつだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「うん、なに?」

「これは、一体いつ使う機会があるのでしょうか?」


 そう言って私は手に持った物を見つめる。

 私が殿下から貰った物。

 それは、手錠である。ご丁寧に鍵までついている。


 手錠を普通の令嬢が使う機会なんてあるとは思えない。

 ということはこれつまり……。


「いつか使うかもしれないじゃないか。人生なにがあるかわからない、と先人も言っているし」


 にこにこと笑ったまま、殿下は最後に小さく呟いた。


「……まあ、僕に使ってくれもいいんだけどね」


 ……だと思いましたよ。

 絶対に使いませんけどね!!





こうしてエドナのSM道具が増えていくのでした。

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