私と殿下1
そもそもの始まりは、私が現在の婚約者であるイーノス・ジェド・ロッドウェル殿下との出逢いにある、と思う。
当時10歳だった私と殿下の顔合わせは、殿下と年頃の近くて、殿下と釣り合う身分の令嬢と殿下が実際に会ってみて、その中から殿下の気に入った令嬢を殿下の婚約者とする、という目的により行われた。
そしてその顔合わせの時に殿下の顔を見た私は、前世の記憶が甦り、ここが私が前世でプレイをしていた乙女ゲームの世界であることを思い出した。
『君の瞳に写りたい』略して君アイ。
魔法が当たり前なこの世界で、平民出身のヒロインが魔法学園で貴族の令息と恋に落ちるという、テンプレな内容のゲームだ。
私の目の前にいる殿下はその攻略対象者のうちの一人で、もっとも難易度が高く人気があるキャラクターだった。
完璧な王子と言われる彼は、いつもアルカイックスマイルを浮かべ、誰にでも平等に接するかわりに、自分の心を決して明かさない。
誰でも受け入れるようで、自分の心に踏み込まれると拒絶する。
そんな面倒臭くも乙女心をくすぐるキャラクターなのだ。
そして私、エドウィーナ・シャルル・フィルポットはそのゲームの中の悪役令嬢というポジションだった。
美しい銀色の巻き毛にワインレッドの大きなつり目。
キツそうな容姿そのままに、エドウィーナは典型的な悪役令嬢だった。
エドウィーナはイーノスの婚約者で、彼に近づくヒロインが気に入らず、それはもう徹底的に苛め抜く。
悪口、無視はもちろん、ヒロインの持ち物に酷い落書きをしたり、ヒロインを階段から突き落としてみたり、うっかりと装って魔法で攻撃してみたり。
いや、これって犯罪じゃね? と思うようなことをやるのだ。それも、自分の手は汚さず。
そしてエドウィーナは最終的に大勢の生徒の前で婚約破棄をされ、処刑か国外追放をされる。
また、イーノスルート以外でも碌なエンドは用意されていない。
まさに悪役中の悪役である。
そんな悪役令嬢が、現世の私。
………まじか!
え? どうしよう? どうしたらいいの?
困ったことに前世の記憶は君アイの内容しかない。
えぇ……どうしたらいいの?
10歳の私に打開策など思い付くわけもなく。
混乱した私は殿下をじっと見つめた。
殿下はにこりと微笑んだままである。
だけど私は見た。彼の口元が僅かに引き攣ったことを。
お父様に挨拶をしろとつつかれて、私はやっと正気に戻る。
挨拶もせず殿下をガン見するなんて、大変失礼なことである。
やばい、やらかした。どうしよう。
とりあえず挨拶をしなくちゃ。
「……大変失礼致しました。わたくしはエドウィーナ・シャルル・フィルポットと申します。イーノス殿下にお会いできて光栄ですわ」
私は優雅に見えるように微笑んで礼をとる。
隣でお父様がため息をつく。
申し訳ありません、お父様。
それから筒がなく顔合わせがすみ、何故か私と殿下は二人きりになった。
え? どうしよう?
ゲーム通りなら私は殿下の婚約者になれるんだろうけど、そうなると破滅エンドが待っているのでできれば避けたい。
そうだ! 破滅エンドを避けるために、殿下に嫌われて婚約者に選ばれないようにすればいいんだ!
10歳の私にはこれは名案のように感じた。
今思えば、この選択こそが最大の間違いだったのだと言い切れる。
私はできるだけ傲慢に見えるように、ゲームのエドウィーナを思い浮かべながら、殿下に対して失礼なことを言ってのけた。
「ふーん……貴方が噂の完璧な王子様でしたのね? でも、存外、容姿は普通ね」
「……ふつう?」
「ええ、そう、普通だわ。貴方はわたくしには似合わないわね」
フン!と傲慢そうに笑ってみせる。
この時の私の中には不敬罪という文字はきれいさっぱり抜けていた。
子どもだから許されたのだろうと思う。
殿下はぱちくりと大きな目を瞬きさせ、戸惑っている。
それはそうだろう。今まで褒められることはあっても馬鹿にされたことはなかったはずだ。
だって彼は王子様で、次期国王陛下になられる人なのだ。
殿下は瞬きを数回したのち、可愛らしく首を傾げて私に言う。
「どうすれば、君に似合うようになるんだ?」
え? 何故怒らない?
私は内心の戸惑いを顔に出さず、「そうねぇ…」と考え込むフリをする。
どうしよう。どうすれば殿下に嫌われる?
どうすれば殿下を怒らせられる?
こうして悩みに悩んだすえに出した私の回答が、地雷だった。
「わたくしに跪きなさい。貴方がわたくしの従者になればよいのよ。王子様より従者の方が貴方にはお似合いだわ」
クスクスと笑ってみせる。
どや! さぁ、怒るが良い!
馬鹿にするな、と怒鳴るが良い!
大丈夫。殿下を怒らせて婚約の話が無かったことになった程度ではフィルポット公爵家は潰れないし、被害もない。
お父様は陛下からの信頼が厚いし、娘が高飛車我が儘放題でも、お兄様はとても優秀な跡取りであるので、公爵家の評判は大丈夫。私の評判が下がってちょっと嫁き遅れるだけだ。
うんなにも問題ない。
いや。あるけど。
あるけど、大した問題じゃない。
そうとも。私がオールドミスになることなんて大したことじゃない。涙が出そうだけど。
私がチラリと殿下を見ると、殿下は肩を震わせて俯いていた。
ふっ…今度こそは温厚な殿下でも怒りを抑えることができなかったようだ。
うぃなー、エドウィーナ!
さあ! 早く怒ってくれ!
そう言うと、なんかドMっぽいけど、ドMじゃないよ!
「………だ」
ポツリ、と殿下が呟く。
私は傲慢な表情を浮かべながら「なにか仰いまして?」と聞く。
「初めてだ……こんな屈辱……」
そうだろう、そうだろう。
だから、怒っていいのよ?
ついでに私を婚約者候補から外してね?
「すごく屈辱なのに……なんだこの気持ちは」
ん?
「君になら、もっと罵られてもいいような気がする……」
んん?
「……なにを仰ってるの? 貴方、頭がおかしいのではなくて? 医師の診察を受けることをお薦めするわ」
「……もっと」
「はい?」
「もっと罵ってくれないか」
「はぁ?」
キラキラした瞳で私を見つめる殿下を見て、私は鳥肌が立つのを感じた。
やべえ。こいつ、アレだ。
そう、コイツ、
――――ドMだ。
ま、まじかー!!
え? 殿下にそんな設定あった?
ちょっとファンの夢壊すのやめてくれない?
ていうか、そんなキラキラした瞳で私を見ないで!
アレ無理してやってたんですからね!?
私、普段はもっといい子なの!
罵るのが好きなわけじゃないのー!!
「初対面の、それも僕と同じ年の女の子にときめいたのは初めてだ。エドウィーナ嬢、君には僕を虜にした責任をとって貰わねば」
ぞわっ。
あ。また鳥肌が…!
見た目は天使のような殿下に睦言めいたことを言われているが、なにもときめかない。
鳥肌がたつだけだ。
殿下は私の手をとり、私に跪く。
え? ちょっと、そんなことしちゃっていいの?
ていうか、めちゃくちゃ鳥肌立ってるんですが。
「僕は君だけに跪こう。王子としてではなく、ただのイーノスとして。僕は君のもの。そして君は僕のものだ」
殿下は私の手に唇を軽く押し当てた。
私はなにがなんだかわからず、呆然とする。
待って。頭の理解が追いつかない。
どうしてこうなった。
私はただ、殿下の婚約者になりたくなかっただけなのに。
「君はもう、僕から逃げられない」
そう言って笑った殿下は天使のように見えるのだろう。
だけど私には、悪魔の微笑みにしか見えなかった。
こうして数日後、私はゲーム通りに殿下の婚約者となっていた。
私の脳裏に悪魔のような殿下の微笑みが浮かぶ。
私、墓穴掘った?
選択間違えた?
どこが? 私、嫌われるようなことをした覚えはあっても気に入られるようなことをした覚えは一切ないのですが。
ああ、神様。なにが正解だったのですか。
時を戻せるなら戻したい、と切実に思う。