エンカウント
一冊の本との出会いが人生を大きく変えた、という人は世の中を見渡してみれば少ないかもしれないが、いるだろう。
そこまでいかずとも、影響を受けたという人ならそれなりにいるのではないか。
もっとも、それがいい影響に限られたものではないが-。
かくいう俺もその一人だ。
一流とは言えないが国立の大学に現役ではいった俺は、大学の講義を適度にこなしながら、バイトやサークルに明け暮れていた。
いわゆる”大学生活を満喫”していた。
一緒に連む友人たちもそれなりにいたし、
それなりに女性とのつきあいもあった。
自分ではそう思っていなかったが、どうやら俺は"天然"なのらしい。
(自分でそう思わないのはまさに"天然"だそうだ)
顔つきは悪くはないと思う、が童顔であるため、俺自身にとってはコンプレックスなのだが、なぜか年上の女性からはかわいいとそれなりに好意をもたれるのだ。
もっと男らしい、かっこよいと思われたいので少し複雑な気持ちを抱いている。(頬を赤くしてそっぽを向くしぐさが逆効果であることに気づいていない)
俺の意志に反して同姓からやっかまれることも多かったが、充実した生活を送っていた。
それが唐突に音を立てて崩れさったのは、よい意味でも悪い意味でも大学生活に慣れきった二年目のことである、留年はまだない。
特に何かがあったわけではない。
1年目は共通科目の修了のため、一所に集まっている学生たちも2年目からは各地の自分たちのキャンパスへと赴くことになる(例外もあるが)、また、2年目のコマ割(大学生の時間割)が改められることもあって、人手不足、予定が立たないということが頻発し、バイト先に緊急で呼ばれることが多かった時のことである。夜勤、日勤と入れ替わり入り、疲れきっていた俺は気力が沸かず、家でおとなしく本でも読んで休みを過ごそうと思ったのだ。
とはいえ、疲れているときに難しい本を読みたいわけもなく(テキストや参考書なんて論外だ)、帰宅途中に何か手軽に読める本はないかと思い、本屋にフラリと入った。
本を読むということを普段しない俺は何が人気なのかも分からなかったため適当にぶらついていたら、文庫サイズの、表紙がかわいらしい本が平積されていたのが目に入った。
貼られたポップにはライトノベルコーナーということだった。
”軽く読める内容の小説”だと思った俺はとりあえず気に入った1冊を
持ってレジへと向かった。
本は大抵ビニールで包まれていて、中身を読むことができず、見かけで選んだ(ジャケ買い)のだが、これが絵だけのツマラナい小説だったのなら後の悲劇(喜劇)は起こらなかったのかもしれない。
しかし、平積されていたほどの当時の人気作に
俺はハマった!
帰宅して読んだ俺はすぐさま本屋にとって返し、残りの巻を買った。
次のバイト代が出るまでの食費が削られて行くのもお構いなしだ。
昔、”人はパンのみにて生きるにあらず”と言ったらしいが至言だ!
俺はもうライトノベルを知らなかった頃には戻れない。
まとめて買う俺にレジのおっさんは、新刊コーナーにもう1冊あるよと教えてくれ、不慣れな俺は、何故分けておくのかわからないじゃないかと怒鳴り散らしそうになったのだが、むしろ余計に時間を使うだけだと思い、必死にこらえたのだった。
俺が買った小説は異世界転生ものだ。
それからラノベ(ライトノベルの略称と知った)にハマり込んだ俺はバイト・講義・ラノベを読む・睡眠というちょっとだけ健全な?引きこもり生活になった。ラノベを買うために金が必要なので仕方なくバイトをしていた(本当はラノベを読む時間にしたい)、講義に出ないとなると親からの仕送りが止められ生活が困難になる(本当はラノベを読む時間にしたい)、眠らなければぼんやりとして効率が落ち逆に読書料が減る(本当は睡眠時間もラノベを読むのに当てたい)。
いろいろなジャンルのラノベを読破した俺だが、やはりもっとも好んだのは異世界での冒険もの、つまりファンタジーだ。
最初に読んだラノベの影響も大きかったのかもしれない。
VRMMOや異世界転成及びトリップものに絞られたため、ラノベを読む時間が減った。
そのおかげで友人たちとの付き合いが増えた。
それは嘘だ。
俺は、少しずつ考えを改め始めたのだ。
”もしかしたら俺も異世界へとトリップしてしまうのでは?”
はっきり言えば現実的ではない。むしろ異常である。
ただ間違いなくそんな予感がした気がした。
誰に言っても笑われるだけであったろうが。
中にはもし断るなら元の時間の元の場所に送り届けるーというイエス/ノーを答のもあったが、異世界ものと言えば突然異世界へと行くというのがお決まりである。
俺の生活に変化が訪れた。
近所の古流剣術の道場へと通い始めた。
インターネットでの評判では、厳しすぎて、軽い怪我くらいは日常茶飯事ということだ。
それでいい、魔物の群に襲われたときに生き延びるのに軟弱ではダメなのだから。
ラノベ以外にも本を読むようになった。
もし軍勢を率いることになった時のために孫子を始め、諸葛公明の三国志、日本なら竹中半兵衛に黒田官兵衛か。
自炊するようになった。
異世界での食事はたいてい不味いから。
塩や砂糖はもちろん、調味料は大抵高価だ。
なるべく素材を生かした味がこのましい。
後は小麦粉を使ったレパートリーを増やす。
米が見つかるのは大抵後で、小麦粉及びパンの文化が多いから。
果物を使った酵母の作り方も必須だ。
昔ながらの火の付け方も覚えておくべきだろう。
運が良かったのは祖父母が田舎で鳥を飼っていたことだった。
現代では滅多にない。
夏期休暇を利用して田舎へと帰り、祖父から羽をむしり、捌く方法を教わった。近所の人がたまたま鹿を捕まえたというので、鹿の捌き方も教わりつつ体験した。
祖父母はなぜこんなことを急に尋ねるのか不思議そうだったが、孫に何かを教えるのが嬉しかったのだろう、厳しくも丁寧に教えてくれた。
両親は講義をちゃんと受けているので、文句は言わなかったが、たまには帰ってきたらどう?と言うことが増えた。
だが、そんな暇はなかった。いつ俺は異世界に転移してしまうのか分からないのだ。
腕を錆び付かせないよう、小さな肉屋でバイトをし始めた。
むろん、人を雇って給料を払えるような経営状態ではないので、技術を学びたいのだ、と言って代わりに、余りの肉をもらえるように交渉した。鳥あたりを丸ごと捌くのとはまた違ったが、肉を切り分ける経験を積むことで、対象が違っても骨、関節などを見極めて包丁を入れればいいのをなんとなく分かるようになった。
古流剣術を学ぶのは実践を意識したからだが、もっと体を鍛えなければならないことを実感した俺は走り込みや筋トレも始めた。
そんなこんなでやることが一気に増えたため、スケジュールをてきぱきとこなす必要性が生まれ、効率よく動けるようになっていくのであった。
後は・・・最大の問題として想定される言葉の壁か。
とはいえこれは事前に準備することができるものでもないから、推理小説、ロックオルメス卿(サー、ロックオルメス)シリーズの踊る人魚編でも読んで、解読の仕方のヒントを得ておくくらいがせいぜいだ。
その次に考えたのは、どういう形で異世界へ行くかだ。
読んできたラノベを分類すれば、
1 なんらかの存在に召還される
2 突然現れたゲートのようなものに落っこちる
3 死んだ後、異世界の存在として転生する
4 VRMMOのゲーム世界が現実となる
とまぁこのあたりだろうか。
俺はゲームはやらないし、なにより仮想現実の技術はまだそこまで発展していないから4番は考えなくていいだろう。
となるといちばんやりやすいのが、1番で、召還するのが神様だった場合だ。3番でもいいが、20年以上生きてきて、もう1度赤ん坊を体験するのは恥ずかしいからな。いや、大きくなるまで自我がない、というパターンも多いからな。とにかく、神様によって異世界へ連れて行かれた場合、神様から加護をもらえる場合が多い。特殊な力や魔法などだ。
なにより、言葉が通じるようにしてくれると大きい。
自分の能力がわかった状態でいけたらグッドだ。
次は1番だが、権力者に召還された場合だな。
いわゆる”おお、勇者さまよ”と言う奴だ。
大抵は魔王が復活したので召還したってパターンだな。
ある程度生活は保障されるし、身分も与えられる場合が多く、情報を得られやすいというのがメリットだ。但し、うまく立ち回らないといいように使われる可能性が高い。
3番については、転生した先がどこかで変わる。
身分が高いところならやはり生活がある程度保証されているのがいいだろう。いや、待てよ?中には親がろくでもない貴族で奮闘する子供の話もあったな?要注意だな。
身分が低い場合は身分が上のものから難癖つけられるのがやっかいだ。俺は身分というのがないという建前の世界で生きてきたからな。馴染むのに苦労するかもしれない。まぁ俺のラノベの読破量が助けになってくれるだろう。
それ以外のパターンだとはある程度出たとこ勝負といった感が否めない。いや待てよ、2番の場合、手持ちの道具は持っていける可能性が大きい。電化製品は使えないから最初から除去。非常時用の手動で充電するタイプのライトはあったほうがいいし、最初に村なんかにたどり着くまで時間がかかる場合がある。携帯用の水と食料もあた方がいいだろう
。そもそもソーラーでの充電機があれば家電も小さいものならありか?
そんなことを持っていった方がいいだろうと決めた手帳に書きながら整理するのであった。
なお、ここまでの間にオタク扱いされたり、急に生活態度が変わり過ぎてついていけなくなったりで友人と呼べるものは誰もいなくなっていた。
当然ながら、異世界へ行くということは現実的でなく、普通に日常が続いていったのである。
俺は焦っていた。もしも、この異世界へいくというのがただの妄想だったなら俺はただの変人ではないか!(無論かつての知人は既にそう思っている)
そして、3年目、4年目が終わっていき、俺は本屋に就職していた。
授業がまばらな学生とは異なり、生活は安定していたが、自由時間は減っていた。そのため、読んでいるシリーズの本が出たら、睡眠時間を削ることになる。鍛えられた体はビクともしなかったが、ぼんやりした意識は危険の回避を遅らせた。
居眠り運転したトラックに跳ねられてしばし、俺の生涯は幕を閉じた。
でだ、本来開くはずのない瞼が開いたらもはや現代社会ではレアな土の臭いや草いきれの濃厚な香りが鼻孔を通り抜け、それに見合う風景が視界いっぱいに広がっているわけで。
そこでまず確かめたのが、股間にあるアレの存在だ。
よかった、性転換はなしだ。
続いて自分の体をあらためるが、麻でできた簡素な服の上下をきており、地球でこんな格好はしていない。
自分の姿を確かめるには鏡・・・は文明の発達具合によってはまだないとして、川があればいいが、ここは森の中だ。くっそ、空気がうまいってのを実感させやがる。冷静なようで実は結構パニックである。あれだけ事前に準備などしていたというのに。
勢いを殺すことなく突っ込んできたトラック。
あれは死んだだろう。
だが今のこの視点は子どものものにしては高く、地球でのの俺のよりは低い。
転生でもなければ召還でもないのか。
別パターンかよ。
いつでも鞄にいれていた、携帯食や水もない。
事実は小説より奇ってやつか。
思わず笑えてきやがった。いや、笑うしかねーだろ。
っし、異世界にきたぜ。