the preparement ~戦仕度~
トラトラトラ、我奇襲に成功しせり。
アメリカ大陸西沿岸に数千機のゼロ戦が迫っていた。深緑色の機体は陽の光で光沢し、そのほれぼれとするデザインをより輝かせる。青空の下、これだけの機体が飛んでいるのだから、きっと下にいる人たちは突然の夜の襲来を感じたに違いない。
先頭をゆく九六式陸上攻撃機の上に、厳粛な空気を漂わせ、黒いコートを風に靡かせながら仁王立ちしている男がいた。戦闘機特有の轟音が鳴り響く中、彼はゆっくりと手を天に突き上げた。
二十一世紀後半から二十二世紀にいたるまで、日本は大きな変化の波の中にいた。
ロボット技術が高度に発展した結果、アンドロイドが登場する。その後、二十一世紀初頭のパソコンで価格競争が起きたように、人型ロボットであるアンドロイドも爆発的に値段が下がり、また技術も高まり、ついには人間との区別がつかないほどであった。
そのようなアンドロイドの登場は市場を突き動かし、人々の暮らしをおおきく変えることとなった。
ほとんどの企業は人件費ゼロ、しかもミスのないアンドロイドを使うことを喜びとともに迎えた。が、それは同時に大量の失業者の発生と同意義であり、政府はその方針を猛然と批判し始めた。
だが、その点において企業は賢かった。政府の本質が、国民の半分である七十歳以上の老人の意見であることを知っていたのだ。企業はアンドロイドの雇用を認めてもらう代わりに、年金を支払うことを政府に提案した。世界を相手に商売するのが当たり前になっていた時代、企業にとって、人件費は高くつくもので、それに比べれれば、日本の老人へのお小遣いなど高が知れた額だった。かくして高齢者が満足した結果、アンドロイドの雇用は黙認される事態となった。
この法案にもっとも打撃を受けたのは、政治的無関心をこじらせた二十代を中心とした若者だった。投票率が十パーセントを切った彼らにとって、大挙に押し寄せたアンドロイドの存在は寝耳に水、いや寝耳に熱した油、となった。アンドロイドが雇用され始めて数年のうちに、失業率は九十パーセントを超えた。その後、働く意欲のうせたものは失業率に入らない、という失業率の規定のため、逆に失業率は劇的に下降することとなり、十パーセント以下の数値となった。メディアはこの事態を「若者の底力」などと称賛したが、なんてことはない、ロボットより働けないと悟ったものたちの働く意欲が失せただけだ。
が、そこで事態は一変する。暇を持てました若者はついに政治的無関心から脱却することを決意したのだ。そこから彼らは早かった。ネットで同じような状況に陥った世界中の仲間たちと意見を交わし、自分のイデオロギーを研鑽する。多くの若者がほぼ同時期にそのような行動に移った。彼らの行動の結果、次第に次の言葉が若者の間でささやかれた。「ネオ・ソーシャリズム」だ。
ネオ・ソーシャリズム。新社会主義。言葉の通り、かつて世界を大きく揺るがせた社会主義の進化したものだった。資本家の作った「富」を労働者階級で強引に奪取しそれを皆で分配するというのが社会主義の根幹である。
働かなくなるものが国民の多数を占めることは、富の二極化という事態につながる。それも極端な二極化、である。
十分にプランを立てた若者の力によって、世界中で革命が起きた。が、革命というよりは恫喝、という形であった。たいてい資本主義の絶対勝利者という人物は高齢者たちであったし、護衛につけていたアンドロイドたちは人を攻撃することが禁じられていたため、数千という人数が集まれば革命は遂行できるものであった。、平和的なものや、憎しみのあまり血の流れたものもあったが、世界中で革命の成功の報告が挙げられた。
日本でも時代の流れに乗って革命が起きた。その革命は驚くほど平和的に、円滑に行われ、「第二の大政奉還」と人々は拍手した。
社会主義と新社会主義の違いはここから大きく浮き彫りになってくる。まず、社会主義は「労働」をみなで計画的に「平等」に行うことが良しとされたが、新社会主義の時代にはそぐわなかった。その第一の要因がアンドロイドの存在である。彼らが人の代わりに「労働」をするのはもはや当たり前なのだ。
新政府はアンドロイドの存在を肯定し、むしろ社会におけるアンドロイドの比率を圧倒的に押し上げた。街の清掃から、医者まで、もはや「労働」に人間のはいる隙間はなかった。ついにはアンドロイドの修理までアンドロイドがするようになった。
世界の総人口が必要な食料数の約七倍の職竜を天候に左右されずに作ることが可能になり、生きるために戦争をすることはなくなった。そして、労働を課されず、食べることにも事欠かなくなり、究極の暇に直面したそんな時代、人々が熱中したのは、人類の叡智の結晶、ゲームだった。
RRPG、リアルロールプレイングゲーム「the joy」。
動物のすべての行動を制御しているのは詰まるところ、脳である。知覚にしてもそうだ。味覚、嗅覚、触角、嗅覚、すべてが脳において識別される。
一つ、昔の実験の例をあげておこう。その実験ではある一匹のサルの大脳辺緑系という部分に含まれる、扁桃体を取り除く、というものだった。その手術を受けたサルは、攻撃性や恐怖の反応が減退し、温和化した。
このように感情すら、脳の部分によって行われる。私のハートを射止めて、なんていうときには私の脳みその大脳系を反応させて、というべきだ。二十一世末、人間は脳のすべての機能を解読した。これは人間のDNAゲノム解析と並ぶ偉業、とたたえられた。
そのような技術がある時代に世界中のネット大企業、大手のゲームメーカーたちが力を集結してつくったのが、RRPG[the joy]だった。
このゲームはヘルメットのような形状をしていた。頭にかぶせると、そのまま、直接脳に働きかける。ゲーム上で何かを食べる際には、その反応に対して、機械から脳の五感に命令が下され、まるで現実に食べているような感触が得られる。だれかに殴られた時は同様の痛みを、友達と再会した時は同様のうれしさを。
簡単にワープでき、身体は日本、脳内はパリなんてことは簡単だ。
だが、唯一このゲームが判断できないことがある。それは人間の死、だ。それだけはゲーム上で起きたとしてもリアルには反映されない。脳に一定の反応が起きると、強制的にシャットダウンされる仕組みになっていた。