朝起きるのは大変
日も昇っていない真っ暗な時間。そんな時間だというのに、招待客の多くは遺跡探索のために行動を開始していた。
そんな中、遺跡から少し離れた森の中にはまだまだ全然行動を始めていない二人がいた。
「おーい、起きろー」
テトは朝露に濡れる草の上で、舞奈の入った寝袋を揺すっていた。
「起きろー起きろー」
しばらくゆさゆさと揺らしていると、寝袋がもぞもぞと動き始る。
「ようやく起きたか。それ、早く寝袋から出てこい」
言いながら寝袋を揺らし続けていると、中から舞奈の頭が飛び出しきた。しかし、その目は全く開かれていなくて、意識は夢から帰ってきていない。
テトは耳元に顔を寄せ、
「おい! もう朝だぞ!」
と叫んだ。すると、舞奈はものすごく顔をしかめた後、
「……いいから……あと二五時間……待て」
と、地の底から響いてきそうな低い声で唸った。
その瞬間、テトは揺するのを止めた。寝袋に背を向け、近くにあったリュックサック(重量約二〇キログラム)を拾い上げる。
「さっさと」
小さく呟いて、リュックサックを担ぎ、体を大きく捻った。
「起きろーッ!」
テトの怒鳴り声と共にリュックサックは舞奈の腹へと吸い込まれる。
「ごぼっ」
舞奈の口から一気に空気が吐き出された。
「どうだ? これで起きただろ。ほらほら、早くしなきゃ。みんなにおいていかれるぞ」
腰に手をあて諭すようなテトの声は、悶絶する舞奈に届かない。しかし、テトはお構い無しに小言を浴びせる。
「まったく、初日に朝寝坊か? 一人で起きれなくてどうするんだ。いつも誰かが起こしてくれるとは限らないんだぞ」
ガハッゴホッと咳き込む舞奈は相変わらず答えられない。
「ああ、もうそろそろ時間だよ。仕方ない! 私が着替えさせてやろう。だけど、いつもこうしてやると思ったら大間違いだからな!」
言うや否や、舞奈に叩きつけたリュックサックの中から着替えを取り出した。
「いら、ゴホゴホ……ない。自分……でッゴホ、やる」
「安心しな。かつて着せ替え人形で慣らした腕を見せてやるよ」
悠然と近寄るテト。
「え?でもあの人形の、ゴホッ、最後は確か……」
なんとか逃げ出そうと、寝袋がもぞもぞと動く。しかし、亀よりも遅いそのスピードでは逃げられるわけもなく、あっさりとテトに追いつかれた。
「ま、待って。やめ……ひ、ひい」
恐怖に震える舞奈を見下ろし、テトは噛んで含める様にゆっくりと、舞奈の耳に囁いた。
「安心しろよ。私が同じ失敗を繰り返すと思うか?」
早朝、遺跡の入り口は招待客でごった返していた。我先にとT字路へ向かう人、トラップを警戒して先行組みの後に続く人、すぐに遺跡には向かわず入り口で待ち合わせをしたり、混雑を嫌って道が空くのを待ったりしている人。様々な目的が、混ざり合うように遺跡の入り口に集結していた。
少し離れた木の下にも、混雑を嫌って待っている人がいた。テトと舞奈だ。テトはぴょんぴょんと飛び跳ねながら遺跡の中に入っていく人々を眺めていた。
「おお!壮観だな、こりゃ。なかなか面白いよな?」
テトは隣にいる舞奈に声をかけた。
「……」
しかし、その呼びかけに返答がない。隣を見るとそこには、先ほどからずっとぐったりしている舞奈がいた。舞奈は焦点の合わない目で、しきりになにかを呟いている。
「舞奈? さっきからどうした? なんかあったのか?」
テトは心配して聞いてみる。舞奈は、
「……着替え」
とだけ答えた。
「まだそのこと根に持ってんのか」
テトは呆れたように呟く。
「だからそれはさっきから謝ってるだろ?」
そのテトの言葉に、舞奈は目をかっと見開くと猛烈に抗議した。
「心がこもってない! 起きようとしたら口封じに殺そうとしてきたし、着替えとか言って間接を曲がらないほうにぐいぐい曲げようとするし! それだけの事してごめんじゃすまないよ! ちゃんと謝って!」
怒号を上げる舞奈をテトは黙って見返した。
テトは着替えが終わったあと何度も謝った。それこそ、土下座までした。それで心がこもってないと言われたらどうしようもない。テトにはそれ以上誠意を込めた謝り方を知らなかった。
おそらく舞奈は謝罪を望んでいるわけではない。そうテトは判断した。ただ頭に血が昇って、冷静な判断が出来ないだけだろう。それは頭が冷えないことにはどうしようもない。しかし、頭が冷えるまで待つというのは面倒だ。
涙を流しながらがなっている舞奈を見つめつつ、テトはなだめる方法を考える。
浮かんでは消える案。結局最後に残ったのは、舞奈の姉への依存を無くすという、今回の目的とは相反するものだった。しかし、それ以外の方法がどうしても思いつかない。その後もう少しだけ考えて、結局それでいくことに決めた。
しばらくして、疲れたのか舞奈が口を閉じた。好機と見て取ったテトはぽつりと呟いた。
「……お姉ちゃん」
その言葉に舞奈はぴくりと肩を震わせた。
いけると判断したテトはさらに言葉を重ねる。
「舞奈、今回の旅の目的は何か分かってる? このイベントに参加できないあの人にお土産を持って帰ることだぞ」
「それはそうだけど」
舞奈はうつむきながら答えた。そして、少し考えてから顔を上げる。
「でも、それとこれとは関係が」
「遺跡を見てみろ! 舞奈!」
テトは反論を許さず、舞奈の言葉に対してさらに言葉を重ねた。
「もう空いてきた! もう行ける! 目的は遺跡の宝だ! なのに遺跡を探索しないのか? このままこうしてれば完全に出遅れる! 後からいってみたら遺跡の中は空っぽで、あの人になんて言い訳するんだ? もう無くなっちゃってた、か? あの人がどれだけこういうイベントを楽しみにしていたか分かるだろ! それに対して宝が無かったなんて、お前は言えるのか!」
さらに言おうとしたが、泣きそうになっている舞奈を見て言葉を止める。
もう舞奈の心はずたぼろだ。勿論、テトは心のケアを忘れない。
「しかし、宝を持ち帰れば」
急に語調を変えたためか、舞奈は顔を上げた。
「……持ち帰れば?」
「そしてそれをあの人に渡せば」
「お姉ちゃんに渡せば」
その先を想像してだろう。舞奈の言葉が少しだけ強くなる。
「あの人は喜んで」
「喜んで!」
もうここまでくれば大丈夫だろう。本当に単純でやりやすい。もういいかとも思ったが、念のため最後の一押しをしておくことにした。
「キスをしてくれるかもしれない」
「ぶっ……キス!」
これで完璧だろう。テトは自分の説得がうまくいったことにほくそえんだ。
安堵しきったテトは、早速これからの予定に思考を移す。あとはさっさと遺跡内に入って、パーティーを組むことになった人と合流して……。
テトの思考はそこで止まった。テトが舞奈の目を見た瞬間、その心の中に大きな後悔が押し寄せた。
しまった。強すぎたか。
舞奈の目は今にも燃え上がりそうなほど輝きを増していた。
まずい。抱きしめてくれる辺りで止めときゃよかった。
テトの後悔などお構い無しに、舞奈はヒートアップしていく。
「キス。キス? キス。キス! あはは、あはははは!」
テトは必死に過熱する舞奈を止める方法を考え始めた。しかし、何も思いつかず、思考は空回りを繰り返す。結論として出たのは、平和的な解決は不可能ということだけだ。
しかたないか。こうなったら少々乱暴な止め……?
突然、テトの視界が横倒しになり、ものすごい勢いで流れ始めた。
首を捻って辺りを見回し、ようやく状況を把握する。
テトは舞奈に耳を掴まれ、舞奈はものすごいスピードで遺跡へと走っていた。
「えへへ、お姉ちゃんのキス。えへへ、えへへへへ!」
恍惚とした表情で、狂ったように呟き続ける舞奈は、明らかに異常だった。なんとかして止めようとするテトだが、強烈な力で握り締められた耳は振りほどくことが出来ず、体を使ってブレーキングをかけようにも宙に浮いた体ではままならない。
何も出来ないか。
どうにかすることを諦めたテトは、今の状況をポジティブに考えることにした。
まあ、結局元気になったわけだし。
しかし、明らかに異常な舞奈をみると、心から納得することが出来なかった。
「うふはは! お姉ちゃん!キス! あはは! あははははは!」
『舞奈の日記』
テトが日記を書いたほうがいいといったので書くことにしました。三日坊主にならないといいなと思います。
今日は始めて遺跡に入りました。広くて山や森があって、遺跡の中とは思えませんでした。中にはいろいろな生きものがいて、竜とか、へんな生きものとかがいました。
歩いていると遠くのほうからたくさんの大声が聞こえてきて、招待された人たちはみんな嬉しいんだなあと思いました。私もみんなみたいに叫んでみると、テトがだめだと言いました。どうやら遺跡の中には危ないのでめだってはいけないらしいです。
お昼になって待ちあわせの場所にいくと二人、仲間の人がいて、全部で九人で行動するらしいです。どんな人たちなのか楽しみです。
夕方になったら郵便屋さんが手紙を配りに来ました。どこかの会社の派遣社員みたいで、大変だなあと思いました。耳がうさぎでした。名前は英語の名前で、聞き取れなかったけど、ラビットといっていたのでうさぎでした。テトのことを見たことがあると言っていました。テトは忘れていたみたいで考えていました。うさぎさんが行ってしまったあとに思い出したみたいで、昔お姉ちゃんが通っていた学校で会ったと言っていました。うさぎさんは学校でも郵便屋さんをしていて、自分の好きな仕事になれたんだなー、羨ましいと思いました。
日が落ちるとお風呂に入って寝ることになりました。野宿するので、早く寝なくちゃいけないらしいです。交替で火を見張らなくてはいけなくて、夜中に起きなくちゃいけないらしいので、大変です。でもこれから大変だと思うので、これくらいで疲れてはいけないと思いました。
『テトの日記』
何時何が起こるか分からない危険な状況のため、島内の経過を記す。もしも私の身になにかあり、これだけが残った場合、これを見ているものにこの日記を前述の住所に届けて貰いたい。
遺跡探索初日。真夜中。火の番の合間にこの日記を記す。
朝、舞奈を起こしてやった。しかし、一向に起きないので着替えまで手伝った。あれで大学生というのだから、呆れ果てるしかない。
着替えを手伝ってやったのに、鬱状態に突入し、逆ギレしてきた。面倒くさいから手っ取り早く説得を試みるとみるみる元気になったが、詰めを誤り暴走した。不覚だった。遺跡に入ると、私達の世界では見ることの出来ない珍しい光景に見とれ、暴走は止まった。単純だ。
遺跡内は、山や森などの多様な地形があり、見たこともない生物に溢れている。学者なら泣いて喜びそうな場所だ。
確かに景色は素晴らしかったが、かなり危険な島らしい。中に入って最初に注意を引いたのは叫び声だ。はっきりとは聞こえなかったが、四方から様々な叫び声が聞こえた。十、二十どころの話ではない。私は恐怖に震えた。だが、舞奈は周囲から聞こえる叫び声を、何を勘違いしたのか楽しくて叫んでいると思ったようで、私も遅れないように叫ばなくちゃとか言いながら決意表明を叫んだ。あまりにも無用心な行為にすぐさま注意をしたが、舞奈は「なるほどー」と、分かったのか分かってないのか分からない、気の抜けた声を返してきた。
日が頭上付近に差した頃、待ち合わせの場所に到着した。場所はモニュメントのある大きな広場で、人目も多く、比較的安全な場所だと言える。そこに居た仲間は二人。他に六人の仲間が居るらしいが、後日合流との事。厳格な規律に縛られて自由に行動できなくなるのではと危惧していたが、幸いパーティーは探索を共にする位の意味合いで、非常に緩い集まりだった。。
夕刻、郵便配達員がやって来た。郵便配達員がやって来たと言っても、別に郵便制度が確立している訳では無く、あくまでその自称配達員が個人的な趣味でやっているらしい。何処かで見た事があると思っていたが、その時は思い出せなかった。後で、あの人の通っていた学校で見た事を思い出した。舞奈は何やらしきりに羨ましがっていたが、何について羨ましがっているのかすら良く分からなかった。
夜は火の番をした。舞奈が間断無く話しかけてくるので非常にうるさい。かと思うと、いつの間にか声が止み、見れば舞奈が先に眠っていた。あれだけパーティーの為に自分が役に立つんだと息巻いていた癖に。責任感等欠片も無い様だ。




