2話
「はい」
「…あんがと」
どういたしましてと。
いつも当たり障りのない仮面のような微笑を張り付けている空の表情が緩く笑んだ。
思わず見惚れる美しい笑み。
手渡されたジュースのストローに口を付け、隣に座った空をこそりと盗み見る。スクリーンに流れるアクション映画の予告を涼やかに観ている彼は、その隣に座っている年上女子の視線を独占しているが特に気にした風はない。
見目好い男が二人きりで映画なんて、彼女はいないのかしら、とその期待に満ちた視線が語っていた。
その視線が面倒で、俺は気付いてない素振りでスクリーンに視線を固定させた。
すらりとした肢体の金髪美人が銃口をこちらに向け、スタント無しだというアクションを披露している。
ずっと好きだった女優だが、隣に空が居ると思うとスクリーンよりも気は隣に向かってしまう。
重症だ。
深々と息を吐き出してから椅子に沈む。
「よくチケット取れたよね。相変わらず強運」
「まぁね」
上映終了後に監督と主演の人気俳優たちが並ぶ舞台挨拶が当たったのは何度目か。今回は相当倍率が高かったらしい。大学の友達連中も申し込んだらしいが、当たったのは俺だけだ。
こういう運は相当強い。ライブでチケットを取れば中央一列目。箱の時は整理番号一桁とかざらだし、悪くても百より前だ。
宝くじとか金銭が絡むものは当たった試しはないが。
告白から二日。
空の態度は想像以上に普通で今まで通り。俺を意識することも避ける気配もない。
嬉しいような悲しいような。
正直、若干凹む。
「皆様お待たせ致しました〜」
甲高い声を上げて現れたのはそこそこ名の知れた女子アナ。観客たちは歓声と拍手を持って彼女を迎えたが、俺はそのまま瞼を落とした。
「ヒロイン役の子可愛かったなぁ」
「そうだね。イメージ通りって感じだった。これから売れるだろうね」
俺がぼんやりと呟いたのを空は聞き逃さずに頷いた。
映画の後は飯を食べながら感想を話すのが恒例だ。カニのクリームパスタをくるくるとしながら、通りを歩く人々に視線を投げる。
映画の出来は中々だった。あの原作漫画の世界観を良く表現したな、と二人で感心する。
何より、ほわっほわで世間知らずのヒロインを演じた女優がバッチリハマッていた。
映画終了後に出て来た本人は、凜とした美少女でそのギャップもまた良かったなぁ。
空はべらべらと喋るタイプではないが、聞き上手で会話が止まる事はない。俺がよく喋るというのもある。
あっという間に二時間が過ぎ、いい加減帰るか、と席を立った時だった。
「空」
ほわんと柔らかい女の子の声。それに呼び止められた空は凄い勢いで振り返った。
セミロングの緩いパーマがよく似合うほんわり系美少女。あのヒロインがそのままそこに居るような空気。
ばっちりと大きな双眸に自前と思われる長い睫毛。
背は標準より低く手足が細くて華奢。めちゃくちゃ男受けするタイプだ。庇護欲をそそられる。
(外見だけならうちの妹も同じくらいのレベルだが、中身が物凄い残念な娘なのでナンパはよくされるが彼氏は出来ない。粗暴という言葉がしっくりくる)
知り合いか、と空を見遣って俺はぎょっとした。
「みい」
甘ったるく彼女の名を呼んで、破顔、と言って良い程に表情を緩めていたのだ。
こんな表情、今まで見たことない!
彼女の隣に居た友人らしき子は真っ赤になって空に見惚れている。
俺は確信した。彼女が空の想い人だと。
彼女を見る空の視線。目の前の人に恋焦がれる、俺と同じ瞳。それを彼女は平然と受けて流す。気付いていないのだろうか。
「偶然だねぇ。帰るトコ?」
「ああ。映画の帰り」
「そちらは…お友達?」
「同じバイト先の友達。瑞樹」
彼女は俺をじっと見てからにこりと笑んだ。
「はじめまして。空がいつもお世話になってます」
まるで奥さんみたいな挨拶に、俺の胸はギリリと痛んだ。身内のような挨拶が出来る関係なのか。慣れた空気からも長い付き合いなのだと見て取れた。
愛想よく笑ってこちらこそ、と言ったつもりが、微かに声が震えている。きっと笑顔も引き攣っているに違いない。
ほわわっと笑んだ彼女は信じられない一言を放った。
「姉の海です」
……『うみ』で『みい』か。
ん?
え?
「あ、ね?」
「もう、またこの反応!どうせ下にしか見えないって言うんでしょ?!双子で同い年でも姉は姉ですっ!」
自分の魅力を最大限に引き出そうと思ってやっているのだとすれば彼女は天才だ。僅かに頬を膨らませ、上目使いに睨んでくる彼女はそれはそれは愛らしい。
俺の好きな人の想い人は女の子らしい美少女で。
その美少女は全然似てない双子の姉。
姉。
義理の、ではなく血の繋がった姉。
どの問題から片付けるべきか。
俺の思考はフリーズ寸前でそれだけを導き出したはいいが、それ以上の機能を果たせそうもなかった。