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荊の城が崩れ去るとき

作者: 久保 珠紀
掲載日:2026/04/05


登場人物

 村雨(むらさめ) 慧音(けいね)

 →天翔学園の新入生。


 村雨(むらさめ) 彼方(かなた)

 →慧音の姉。

 妹のことをとても大切に思っている。


 黒森(くろもり) 颯姫(さつき)

 →天翔学園化学部の部長にして、唯一の部員。


 蔦野(つたの) 彩葉(いろは)

 慧音の友達。

  

 月満湊&月影瑠璃

 →天翔学園生徒会会長&副会長。


───────────

〜♪

「ん…もう朝?」

鳴り響くアラームの音で目を覚ます。

(まだ眠い…あと5分だけ寝させて…)

眠い目をこすり再び布団に潜ると、下階から声が聞こえた。

「慧音〜?もう起きないと遅刻しちゃうわよ〜」

「は〜い…、え?お姉ちゃん!?」

慌てて体を起こすが、もう何も聞こえてこない。

(あぁ、またか…)

夢は夢。気にしても仕方がないと自分に言い聞かせながら、私は朝の支度のため洗面所へと向かうのだった…


─────

私は村雨慧音。この度名門、天翔学園に合格し晴れて高校生になった。

寮で生活するという選択肢もあったが、姉と共に暮らしたこの家を離れたくなかったので一人暮らしを続けている。

あれから2年経った今でも、今日のようによくあの頃の夢を見る。

(うわ…酷い顔)

鏡に映ったのは、目の下に酷い隈を作っている自分の顔だった。

(メイクで隠すのもそろそろ限界かな…)

姉の夢を見る度に目が覚めてしまうので睡眠もまともに取れず、日に日に酷くなっていくのがわかる。

(よし、これで大丈夫。朝ごはんでも作ろ)

隈が完全に見えなくなったのを確認してから、朝ごはんの用意に取り掛かる。

献立は…いつものでいい。

昨晩から卵液に漬け込んでおいた食パンをベーコンと共にフライパンで焼き、その間にお気に入りのコーヒーを淹れる。

姉に教えてもらったメニューなので、特に思い入れがある。

「よし、美味しそうにできた。」

完成した料理を並べ、暇潰しがてらテレビをつける。

『夢野動物園で、アルパカの赤ちゃんが生まれました』

(へぇ、かわいい…いつか見に行こうかな)

『次のニュースです。今週も、荊姫症候群の』

考えるよりも先に体が動き、テレビの電源を落とす。

姉を苦しめ続ける病、荊姫症候群。

感染性は確認されていないが、発症原因は不明。発症した者はその命が尽きるまで眠り続けるため、呪いにより100年の眠りについたある童話の登場人物になぞらえてそう名付けられた。

その名前を聞くだけで、昔の記憶が蘇ってくる。

あの日も、いつも通りのはずだった。

─────

2年前のある日。

『お姉ちゃん、ただいま〜!』

いつもなら、透明感のある優しい声で

「おかえり」と返ってくるはずなのだが、その日は何も返ってこなかった。

(いないのかな…?でも、靴はあるし)

疑問に思いながらも家に上がると、台所で姉が倒れていた。

『え…?お姉ちゃん?大丈夫?』

呼吸はしているようだが、軽く揺すってみても反応はない。

(どうしよう…!そうだ、救急車!)

あの時の私は、これで姉が助かると思っていた。しかし病院で医師に告げられたのは、あまりにも残酷な現実だった。

『お姉様は、恐らく荊姫症候群です。感染する病ではありませんので、面会は可能ですが…目覚める可能性は、限りなく低いです』

一瞬、頭が真っ白になった。

聞いたことしかなかった病の名。そして、それは…決して癒えることのない、いわゆる不治の病。

「あ、姉は…治らないってことですか?」

「残念ながら、今の医療では…荊姫症候群は免疫力の低下なども引き起こすので、もって10年程かと思われます。それまでに技術が進歩すれば…」

─────

あの日以来、私の世界から色が消えた。

学校に行くことすらも億劫になり、休む日も度々ある。

(はぁ…もうこんな時間か。学校行かないと)

制服に着替え、玄関の写真立てに向かって今日も告げる。

「お姉ちゃん、行ってくるね!」

桜が散り始めた通学路に時の流れを感じていると、聞き馴染みのある声が聞こえた。

「あっ、けーね!おはよ〜」

「おはよう、彩葉。」

蔦野彩葉。中学時代からの私の友達で、親は何処かの研究所の所長らしい。

「ねぇねぇ、部活見学どこ行く〜?」

部活見学…?そういえば、先週そんなことを言われたような気もする。特に何も考えていなかった。まあ近いところでいいだろう。

「まだ決まってないんだよね」

「どこも楽しそうだからね〜あ、そうだ!これ部活リスト!昨日休んでたから貰ってないよね」

彩葉がリストを手渡してくる。

(吹奏楽部、文芸部…どこでもいいな。帰宅部が許可されてればそうしてたんだけど。まあ教室から近いところでいいか)

「化学部に行ってみようかな」

「え、化学部…?」

彩葉の顔が少し青ざめる。

「彩葉、どうしたの?」

「お姉ちゃんから聞いたんだけど、あそこの部長は『実験室の魔女』って呼ばれてるんだって…怖い人なんじゃないかな。私も化学部行きたかったんだけど、怖くてやめたの」

「へぇ…気に留めておくよ」

「気をつけてね…」

彩葉と別れ、私は実験室へと向かった。

ドアを軽くノックしてみるも、反応はない。

留守だろうか…

「すみません、部活見学に来たのですが」

辺りに沈黙が広がる。部活見学の日に誰もいないということがあるだろうか。

試しに少しドアを引き、中の様子を確認する。

(誰もいない…?というか、部活にしても散らかりすぎじゃない?)

部屋中に散乱した書類、乱雑に積み上げられた本の山。本当にここは部室なのだろうか。 

物置と見紛うほどの散らかり具合に戦慄していると、誰もいるはずのない部屋に声が響いた。

「そこに、誰かいるのかい…?」

声の方向に視線を向けるが、やはり誰もいない。予想外の出来事に驚き、その問いに答えることすら叶わない。

動くこともできずに硬直していると、積み重なった書類の山をかき分け声の主が現れた。

「…?君は誰かな?」

「し、新入生の村雨といいます。部活動見学に来ました」

白衣を着た長身の人物の圧に押されながらも、なんとか答える。

「部活見学…?えっ!?す、すまない、今日は何日かな?」

「4月20日ですが…」

突然焦り出したようだが、どうしたのだろうか…?

「あぁまずいまずい、まさか日が変わっていたとは…」

何やら小声で呟いているが、よく聞き取れない。困惑していると、突然頭を下げられた。

「本当に申し訳ない、昨日から眠ってしまっていたようだ!」

「…学校に泊まり込んでるんですか?」

「あぁ、私は寮暮らしでね。部室も誰も使わないような辺鄙な所だから、特別に許可を貰っているんだ。」

「熱心に活動してるんですね」

「ああ、何せ私が部長だからね。部長といっても部員は私だけだが」

「部長…あなたが?」

「私、黒森颯姫が化学部部長だが、どうかしたのかい…?」

「いえ、物騒な渾名で呼ばれていたのを聞いていたので、思ったより優しそうだなと」

そう告げると、黒森さんは納得したように手を打った。

「ああ、『実験室の魔女』だったか。私はあまりこの部屋の外に出ないから、それもあるんだろうが…如何せん見た目がこれだからね」

改めて黒森さんを見ると、私より一回りほど高い身長・少し乱れた目が隠れるほどの長髪。

魔女と呼ばれても一瞬納得してしまうような容姿をしている。

「さて、本題に入ろうか。部活見学に来てくれたと言ったね。じゃあまずは…まずいな、散らかしすぎた。少し片付けるから、その椅子に掛けて待っていてくれ。えーっと、これはどの棚だったかな」

勧められた椅子に掛けるが、黒森さんのたどたどしい手つきを見ていると、少し不安になってきた。

「あの…よければ私も手伝いましょうか?」

「大丈夫さ、見学に来てくれた子に手伝わせたりなんて…うわぁっ!」

言いながら倒れてきた本の山に押し潰された黒森さんを救助し、2人で実験室の片付けを始めたのだった。

10分程で、部屋は見違えるほど綺麗になった。ほとんどの本は棚に戻り、書類はジャンル毎に整理されている。

「あぁ…5ヶ月ぶりに床を見た気がするよ」

「そんなに散らかしてたんですか…」

どうも片付けは苦手でね、とはにかむ黒森さん。その目は見えないが穏やかな笑顔なのはよく分かる。

なぜなら、その笑顔は…似ていたのだ、姉に。

「さて、では改めて化学部の活動内容を紹介しよう。私は基本的に生物、薬学関連についての研究、開発をしているんだが…例えば、この薬とかね」

差し出された瓶のラベルを見ると、『人を好きになる薬』と書かれていた。あまりにも胡散臭い。

「気持ちはわかるが、そんな顔をしないでくれ。効果は確かなんだ」

「誰かに使ったんですか…?」

「過去に提供した人から、効果があったというレビューを貰ったんだ。人の感情に作用するという性質上、大々的な発表は難しいがね。それはあくまで研究の副産物にすぎない。他に興味があることはあるかい?」

どうやらこの人は凄い人のようだ。改めて部屋を見渡すと、机の上のレポートらしきものに見覚えのある用語があった。

「すみません、あれは…」

私の問いは、部屋の扉をノックする音に遮られた。

「すまない。はい、どなたですか?」

「生徒会執行部だ。失礼するよ」

入ってきたのは、入学式で講演をしていた二人組だった。

「やあ、黒森さん。久しぶりだね。規定数の部員は集まりそうかな?」

その問いに、黒森さんは黙って首を振る。

「そうか…では、約束通り化学部は廃部と」

「待って、待ってくれ!もう少しだけ、私に時間を…!私には、まだ」

涙を流しながら必死に懇願する黒森さんを、会長が静かに静止する。

「落ち着いて、話は最後まで聞くものだよ。廃部と言いたいところだったんだが、副会長の発案でね、最後の機会を与えることになった。詳しくは本人から説明してもらおう、瑠璃。」

会長が目配せすると、横に控える副会長が話し始めた。

「本化学部が、4ヶ月後に開催される天翔化学シンポジウムにて何らかの成果を残した場合、部の存続を認めます。」

天翔化学シンポジウム。ここ天翔市で開かれる、私でも知っている程の大規模な学会。

全国から集まった高校生たちが研究発表を行う中で結果を残すのは決して楽なことではないように思えるが…黒森さんは、力強く頷いた。

「ああ、分かった。それで部が続くのなら」

「ふむ。私達からの伝達事項はこれで終わりだ、期待しているよ」

会長が身を翻して去っていく。副会長も黒森さんにこう告げ、後に続いた。

「これで借りは返したよ、後は頑張ってね」

再び部屋が私達だけになったところで、黒森さんが口を開いた。

「…見苦しいところを見せてしまったね。聞いての通り、この部はあと4ヶ月で消える可能性が高い。それでも、興味を持ってくれる?」

明らかに気勢をそがれたその様子に、私は首を振ることはできず頷いた。

「ありがとう…では、質疑応答に移ろうか。何かあるかな?」

先程の件も気になったが、まずは新たに浮かんだ疑問について聞いてみることにした。

「先輩は、どうしてそんなに熱心に部活に取り組んでいるんですか?さっき廃部と言われた時も、涙を流していましたが」

「…話すと長くなるかもしれないが、構わないかな」

私が了承すると、黒森さんは白衣の胸ポケットからロケットを取り出し、中の写真を見せてくれた。

「この人達は…ご両親ですか?」

「そうだよ。しかし、もうこの世にはいない。」

思ってもいなかった展開に言葉を失う。

「荊姫症候群だった。君も聞いたことがあるだろう?」

荊姫症候群。先程のレポートにも書いてあった、あの忌まわしい名前。そうか、黒森さんもあれに肉親を…

「両親の急逝は、3年前の私にはあまりにも酷だった。ひたすら泣きはらし、学校に行けなくなった時期もあった。あの時の私と同じ思いをする人を減らしたくて、設備が整ったこの学校で化学部を立ち上げ研究をしている。」

「そうだったんですね…」

「生徒会が提示したあの条件。かなり厳しいものだが、私には願ってもないチャンスなんだ。あそこで結果を残せば、名のある研究所からスカウトが来るという話もある。そうすれば、薬の開発にも近づくはずだ」

その場に重い空気が満ちる。

「しんみりしてしまったね…えっ、どうしたんだい?」

話を聞いているうちに、目から涙が零れ落ちていたようだ。

「わたしも、姉が荊姫症候群で…入院しているんです」

「そうか…それは、辛かったね」

「先輩の話を聞いて決めました。私も、この部活の一員になりたいです!化学の知識は乏しいですが、あの病を消し去りたいんです」

それを聞いた先輩は、髪に隠れた瞳を輝かせた。

「私と一緒に研究してくれるのか…!ありがとう。えっと、入部届は…」

差し出された入部届に署名し、私は今日から化学部に所属することになった。


─────

「改めて、入部してくれたことに感謝する。早速だが、私達の当面の目標『天翔化学シンポジウム』について説明しよう」

黒森先輩の説明によると、展示枠と発表枠があり、そのどちらかに出場する形式らしい。

「展示枠の場合は私が今まで作った薬品で出るという手もあるが、あくまで最終手段だ。あれは軽々しく世に出していいものではない。何かやりたいことなどあるかな?」

「私は、荊姫症候群を題材にして発表枠に出場したいです!」

「ほう…私もそうしたいところなんだが、何せあれは全てが不明の病。何を調べるのかな?」

「確かに、薬を作ったりするのは難しいと思います。でも、原因ならまだ調べられると思うんです」

「確かに、感染性の無さから菌・ウイルスなどの可能性は低いか…わかった。一先ずそのテーマで研究を始めよう。」

この研究が成功すれば、姉を救うことに繋がるかもしれない。この瞬間、何もなかった私の世界に意味が生まれたのだった。


─────

研究を始めて2カ月。似た症状を引き起こす菌のサンプルを用いて調べたところ、菌によるものであった場合感染性がないことはありえないようだ。

「これは…先天性のものなのか?いや、しかしそれならもっと昔からあるはず…」

黒森先輩は、頭を抱えながらパソコンの液晶を睨めつけている。

「村雨さん。今日はもう遅い、帰るといいよ。片付けは私の方でやっておくから」

私は一礼し、実験室を後にする。

(最初は部活なんてなんでもいいと思ってたけど…化学部に入ってよかったな)

そう考えながら、星の輝く中帰路につくのだった。


─────

「先輩、明日は姉のお見舞いに行くので部活に遅れます」

「ああ、構わないよ。ゆっくりしてくるといい。」

昨日はああ言っていたものの、本番の迫ってきている中、先輩は明らかに焦っている。休憩もあまり取らず、ひたすらに文献を漁り、資料と向き合っている。体を壊さないか心配になるレベルだ。大丈夫だろうか…

先輩の気持ちはよく分かるが、あまり無理はしてほしくない。日に日にやつれていく先輩を見ていると、こちらまで辛くなる。

思索を巡らせているうちに病院に到着した。

「こんにちは、本日はどのようなご要件ですか?」

「村雨彼方に面会を」

「あ…はい!こちら病室の鍵です」

鍵を受け取る。病棟の端、無菌室を経て入る厳重な部屋。重厚な扉を開き、姉と向き合う。

「お姉ちゃん、久しぶり。今私ね、荊姫症候群について調べてるんだ。いつかまたお姉ちゃんの元気な姿が見られるように」

何の反応が返ってくるわけもないが、それでも話し続けるうちに、感情が溢れてきた。

「お姉ちゃん、帰ってきてよ…!またいっぱい話したいよ…お願い、起きて…」

溢れ出す涙でメイクが崩れたっていい、ここには私達以外誰もいないのだから。

一通り泣き、我に返ると姉の眼からも涙が流れていることに気づいた。何か悲しい夢でも見たのだろうか…持っていたハンカチで姉の涙を拭う。昔はよく姉が私の涙を拭ってくれていたものだ。懐かしいな…

「じゃあ、お姉ちゃん。また来るね」

これ以上ここにいると湧き出す思い出に圧し潰されそうになる。私は病院を出て学校へと向かった。


─────

「くそっ…!どの症状も当てはまらない、何故だ…一体何を見落としているんだ!」

本番まであと2週間。私は、何としても荊姫症候群の真相に近づかなければいけないのだ。

そのためなら、多少自分の生活を削ったとて構わない。村雨さんも、知識が不足している分を熱意でカバーしてくれている。私の両親を奪ったものを、必ずこの世から消し去る。その思いだけが、私の研究意欲を支えてくれた。

(菌でもない、先天的な疾患でもない…では、荊姫の正体は、一体…?あ、あれ…?)

思考がうまく回らなくなる。頭が、痛い。

(こんなところで、倒れるわけには…)

なんとか意識を保とうとするも虚しく、私の意識は闇へと溶けていった。


─────

「先輩、すみません。遅くなりま…」

部室の扉を開けると、先輩が棚に寄りかかって倒れていた。

「は…?え、先輩?」

2年前と同じ状況。最悪の事態が頭をよぎる。私は、また大切な人を失うのか…?

慌てて先輩のもとに駆け寄る。

「先輩?先輩!大丈夫ですか?」

(お願い、目を覚まして…!)

知識のなかった私に、色々と教えてくれた先輩。空っぽだった私の人生に、意味を与えてくれた人…

こんなところで、失うわけにはいかない!

「…い」

「先輩!起きたんですね!」

「たべものは、ないかい…?」

声は弱々しいが、あまりにも予想と違う言葉に一瞬困惑する。すぐに我に返り、お昼ごはん用に持ってきたお弁当を取り出す。

「先輩、食べられますか?」

「ああ、大丈夫…これ、君が作ったのかい?とてもおいしい…」

よかった…空腹が限界に達していただけか。

(それにしても、料理褒めてもらったの久しぶりだな…)

姉が倒れて以来、あまり手の込んだご飯を作る気にもならなかった。でも、やはり人に喜んで貰えると嬉しいものだ。

「ふぅ…ご馳走様。ごめんね、せっかくのお昼ご飯を」

「いえ、私は大丈夫です。…先輩、何日食べてないんですか?」 

「多分3日くらい…?時間が勿体無いかと思ってね」

「それで体壊してどうするんですか!もっと自分の体を大事にしてください!」

「ひっ…ご、ごめん!」

「すみません、つい大きな声が」

「いや、いいんだ。悪いのは私なんだから。あ、そうだ。お姉さんはどうだった?」

「目は覚まさなかったんですけど…話しかけてたら、涙を流していました。何か悪夢でも…」

「待ってくれ。涙と言ったかい?」

「は、はい…」

「ハンカチか何かで拭った?」

「はい、これで…」

さっきのハンカチを差し出す。

「良ければ、貸してもらえないか。何か原因に繋がるものが見つかるかもしれない」

先輩にハンカチを手渡し、私は先輩が何やら複雑な器具を扱うのを見ているしかなかった。

20分ほど経つと…顕微鏡と向き合っていた先輩が、声を上げた。

「すまない、その棚からサンプルの25〜33番を持ってきてくれないか」

25〜33番。確かそのナンバリングは…花粉?

先輩はそれを受け取り、一つ一つ観察し始めた。

「やはり、これだったか…村雨さん。お姉さんは、かなり厳重な病室にいるんだよね?」

「はい、窓すらない部屋に」

「なら、入院してから花粉が入るはずはないんだ。まして、この辺りには生えていない野薔薇の花粉が」

「えっ、それってまさか…」

「ああ、そのまさかだ。恐らく、荊姫症候群の正体は、花粉症のようなものだ。体外に排出されなかった花粉に免疫が過剰反応し、体を休めるため眠りに就かせるのだろう。しかし野薔薇の花粉は特に小さい。体中に広がり排出しきれず、それが『不治の病』として扱われている所以だろう。私の家は古くてね、一部が野薔薇に覆われていた。まさにかの童話の、荊の城のように。君のお姉さんもどこかで接点があったんじゃないか?」

「姉は、ローズヒップが好きで…」

「ローズヒップか。あれは野薔薇の実だが、花粉が付いている可能性もある」

「繋がりましたね…!」

「ああ。これは仮説に過ぎないが、あと1週間で本番だ。発表の用意を進めよう!」

そうして、急ピッチで最後の仕上げが始まった。

原稿の用意、野薔薇の生息域に向かい現物の採取。やることは多かったが、先輩といると不思議と辛くなかった。そうしているうちに、発表前夜。明日に向けて、私も学校に泊まり早く眠ることにした。 


─────

天翔化学シンポジウム当日。

多数の観客が詰め掛ける中、私達の発表順はなんと最後。前の人達が専門的な話題を展開する中、舞台裏の私は焦りに焦っていた。

「さっきからずっと震えているが、大丈夫かい?」

「すみません…どうしても緊張しちゃって」

「ここまで来たんだ。そうそう失敗しないさ」

その言葉を聞いてもまだ緊張が収まらない私を見た黒森先輩は、何も言わず私を抱きしめた。優しい体温が伝わってくる。

「両親が生きていたころ、よくこうしてくれたんだ。少しは落ち着いた?」

「はい…」

先輩の顔を見上げると、綺麗な瞳がはっきりと見えた。

目と目が合う。それだけで、力をもらえる気がした。

アナウンスが流れる。

『最後に発表してくれるのは、天翔学園化学部のお二人です!』

「さ、行こうか。村雨さん」

「は、はい!」

壇上に上がり、私たちの立てた仮説について述べる。

発表が終わったとき、会場を包んだのは歓声と万雷の拍手だった。

そして迎えた表彰式。

第三位、第二位は別の学校。残すは第一位のみ。

横に座る先輩は、ずっと俯いて祈り続けている。あれだけ頑張ったんだ。一位も夢ではないはず…!

『第一位は……、城ヶ崎高校化学部!』

「え…?」

「ふふ…そうか、これで終わりか…やはり確実性が足りなかったようだ。予想はしていたが、やはり悲しいものだね…」

先輩の目から、大粒の涙が溢れている。かくいう私も、涙を堪えきれなかった。

しかし、奇跡は起こるもので…

『最後に、審査委員長特別賞の発表です!』

「「えっ…!?」」

『審査委員長、蔦野創世様が特別に制定されました。その栄えある賞を獲得したのは……天翔学園化学部です!おめでとう!』

「天翔学園って、私たちですよね…!」 

「ああ、そのはずだ」

「ということは…廃部回避ですね!」

「やったな、村雨さん!」

私達は互いに手を取り合い、喜びを分かち合った。

急遽できた賞のためトロフィーはなかったものの、審査委員長から先輩に連絡が来たらしく、先輩は「少し、時間をくれないか。整理がついたら話すから」と言っていた。

いったい何だったんだろう…?


─────

翌日の学校にて

「けーね!お母さんから聞いたよ、おめでとう!」

「お母さん…?あ、もしかして」

そういえば、審査委員長の名字は…

「うん、審査委員長だったの!部長さんにプレゼントがあったみたいだから、後で聞いてみて」

「ありがとう、彩葉!行ってくる!」

早速実験室へと向かうと、先輩はこちらに背を向けて座っていた。

「ああ、村雨さん。来たか」

先輩がこちらに向き直る。

「いい話と、あまり言いたくない話があるんだ。どっちから聞きたい?」

「いい話から聞きたいです」

「そうか、ではそちらから。あの後審査委員長から、『興味深い発表だった。私の研究所に来ない?』という打診があったんだ。」

「それって、スカウトってことですよね!よかったじゃないですか、先輩がいなくなるのは寂しいですけど私一人で」

「それについてなんだ、あまり言いたくない話というのは」

「え…」

「覚悟して聞いてほしい。このスカウトなんだが、一緒に発表した君も乗る権利を持っている。私としては君と行きたい。想いを寄せている人と一緒なら、それ以上何も要らないんだ」

想いを寄せている人…?え、私?

「二人で目標に向かっていった時間は、本当に楽しかった。これからも、私と共に歩んでくれないか?」

顔に熱が集まっていくのが分かる。私も、先輩をずっと支えたい。実直で、綺麗で、少し頼りないこの人の隣にいたい。

「喜んで。私も、一緒に行きます」

「それは…君も、私のことが」

先輩の目が輝く。私はそれに黙って頷いた。


─────

あれから5年。私は、再び姉の病室にやってきていた。しかし今回は、あの時とは違う。

荊を燃やす炎を、私たちは手に入れた。

2人で開発した荊姫症候群の特効薬、イグニス。ラテン語で、『炎』を意味する名をつけた。

(お願い…これで)

「うん…?もう朝なの?」

懐かしい声が耳に響く。この瞬間、今までの全ての努力が報われたような気がした。

「お姉ちゃん…おはよう!」

「慧音〜?おはよう。えっ?なんで泣いてるの?…その前に、ここはどこ?」

一通り喜びを噛み締めた後、姉に事情を説明した。この7年間、何があったのかを。

「えっと…私は病気で7年間眠ってた。でも慧音たちが薬を作って私を起こしてくれた。それでいいのかしら?」

「うん。それでね、今日は私と一緒に薬を開発してくれた博士も来てるんだ。颯姫、入ってきて」

「どうも、初めまして。蔦野研究所副所長、黒森颯姫と申します。」

「貴方がそうなのね〜この度はどうもありがとう」

「いえ、とんでもない。助かって何よりです。突然ですが村雨さん、お話があります。」

颯姫の目に真剣さが宿る。今はあの頃とは違い髪を上げているので、はっきりと見える。

「あら、何かしら〜」

「その…妹さん、慧音さんとの結婚を、認めてくださいませんか」

「結婚…?貴方たち、そういう仲なのね〜」

「はい。彼方さんの許可があれば入籍できる状態です」

「ええ、いいわよ。慧音をよろしくね」

「えっ…いいんですか?」

「ええ。だって慧音、あなたの話をしてるとき本当に嬉しそうな顔をしてたもの。よほど貴方のことが好きなのね」

「あ、ありがとうございます」

急に飛んできた流れ弾に、私も照れくささを隠せない。

「じゃあお姉ちゃん、結婚式には呼ぶからね」

「ええ、幸せになってね」


─────

結婚式を終えた夜。

夜の帳が下り、静まり返った街に私たちの声だけがこだまする。

「今日、私の家でご飯食べていかない?お姉ちゃんが腕を振るったみたいなの」

「彼方さんが?楽しみだな〜」

我が家の扉を開けると、漂ういい香りと共にお姉ちゃんが出迎えてくれる。

「おかえりなさい。慧音、颯姫さん。」

7年ぶりに聞いたその言葉に感極まって泣きそうになりながらも、私は言葉を紡ぐ。

「ただいま、お姉ちゃん!」

こうして、私たちの平穏な日常が再び始まったのだった…


読んでくださりありがとうございます!

初投稿でまだまだ改善点もあると思いますので感想を書いていただけると非常に嬉しいです。

これからも毎週1〜2作程度の更新を目指します!

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