閑話:在庫移動の報告書
王都の夜は、もはや静寂ではなく停滞に支配されていた。
街灯の魔導ランプは電圧不足で弱々しく明滅し、石畳を叩くのは寒さに耐えかねた民衆の咳き込む声ばかり。かつて華やかさを誇った大通りも、今や維持管理を放棄された巨大な墓標のようだ。
その暗がりに沈む一角。王都最大の魔導部品卸、ハルバード商会の巨大な地下倉庫だけは、異様な熱気に包まれていた。
「……会頭、本当によろしいのですか? 王宮からの至急発注、これで三通目です」
若い丁稚が、震える手で羊皮紙の束を差し出した。そこには王家の紋章と共に、なりふり構わぬ強権が記されている。
『予備の魔力抽出器をすべて供出せよ。拒否すれば反逆罪と見なす』。
商会の主、ガラム・ハルバードは、手元の古びた算盤を弾く手を止めなかった。パチ、パチという乾燥した音だけが、冷え切った地下室に響く。
「構わん。『在庫なし』と突き返せ。あんな運用音痴に我が商会の至宝を渡すのは、火の中に金を投げ込むのと同じだ」
「しかし、反逆罪などと脅されては……」
「ふん。反逆も何も、現物がなければ差し出せんだろう? 帳簿上、それらはすべて欠陥品として廃棄処理済みだ。文句があるなら、ゴミ捨て場でも漁りに行けと言ってやれ」
ガラムは冷ややかな視線を王宮の方角へ向けた。彼が守っているのは金ではない。道具への敬意だ。
かつてリーゼロッテ嬢……リゼ様が王宮の備品を買い付けていた頃、彼女は誰よりも厳しかった。納品された部品のわずかコンマ一ミリの歪みを見逃さず、許容誤差を超えたものは容赦なくリテイクを命じた。
当初、ガラムは彼女を「潔癖すぎる小娘」と疎んでいた。だが、彼女の指示通りに精度を突き詰めた部品は、過酷な環境下でも一度として稼働停止を起こさなかった。
彼女の徹底した保守点検こそが、この国のインフラという巨大な時計の歯車を回していたのだ。それを「ガラクタ磨き」と嘲笑い、管理者権限を持つ唯一の人間を追放した王宮。そんな経営センスの欠片もない連中に、卸す部品など一つもありはしない。
「それより、例の特急便はどうなった?」
ガラムが声を低めると、丁稚は周囲を警戒しながら声を潜めた。
「はい。ハンスが目撃した『北の森を真昼に変えた光』。あれを目印に、信頼できる職人連中に声をかけました。皆、リゼ様に救われた者たちです。二つ返事で協力してくれました」
「……ほう、ハンスの奴、やはり生きていたか」
「ええ。動く光の主……アイアンの背中には、温かい食事と、凍死の心配がない完璧な居住区があったと。王都の商人たちは皆、その噂に賭けてしています」
丁稚が示した大型の木箱には、王宮が喉から手が出るほど欲しがっている最重要スペア、魔導炉の心臓部が詰められていた。それだけではない。最高級の茶葉、特級小麦、防寒用の魔導繊維。それらすべてが、王宮の検問を迂回し、北へと進むリゼ様たちの予想進路へと流れる手はずになっていた。
ガラムは、リゼがかつて引いた古い保守点検図面を愛おしそうに撫でた。そこには、誰にも見えない場所で戦い続けた彼女の執念が刻まれている。
「あのお方は、ゴミからでも伝説を作り出す御方だ。王都の馬鹿どもが投げ捨てたガラクタすら、彼女の手にかかれば世界を救う資産に変わる」
彼は知っていた。リゼが持ち出した「ゴミ」と、自分が今送り出した「部品」が合わさった時。王宮という巨大なシステムは、二度と手に入らない管理者権限を永遠に失うのだと。
「さあ、急げ。夜明けまでに、あのお方が残した合図を辿って荷を届けろ。アイアンが放つあの光が、我ら商人の道標なのだからな。一秒でも納期が遅れれば、商会の信用に関わるぞ」
丁稚たちが足早に木箱を運び出し、偽装された隠密馬車へと積み込んでいく。ガラムは一人、冷え切った地下室で、最後の算盤を弾いた。導き出された答えは、王宮の経理破綻。
「エドワード様……精々、返品不可の現実を噛み締めるがいい」
ガラムの呟きは、重い倉庫の扉が閉まる音に消えた。
「お前さんが捨てたのは『一人の令嬢』じゃない。この国の未来そのものだったのだからな。……さて、私もそろそろ、楽園への移住準備を始めるとしようか」
王都が絶望に凍え、暗闇に沈んでいく中。
リゼを信じる者たちの意思は、北の空を裂くアイアンの光に向けて、静かに、だが確実に動き出していた。
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