祭りのあと
チクショウ、暑い。とにかく暑くて汗が止まらない。夏の盛りだ。今日の最高気温は三十七度だった。今、日はその体半分を地に沈めて、オレンジ色が西の空を染める時間だが、それでも空気は冷めることなく、コンクリートの上を熱く澱んでいる。
俺は人混みの中を歩いている。人が密集していて、あたりの空気は流れず暑い。短い距離を長い時間かけて歩く。人が多すぎて、縫って歩くこともできない。通りは、浮かれたカップルや家族連れで溢れている。さっき、ガキがぶつかってきた。ガキが持っていた綿飴がズボンについてベタベタする。最悪だ、人混みは得意ではない。ムカつくぜ、これからクールにならなければならないのに。
こんな熱帯夜に俺はジャケットなんぞ羽織っている。脇汗がとまらない。シャツの下に肌着を着てこなかったので、乳首が浮きだってしまっている。懐に大事なものが入っている。懐のそれは、歩く振動で薄手のシャツごしに俺の胸にゴツゴツぶつかる。こういうものは、懐から出すと相場が決まっているからな。そもそも、俺はカバンが嫌いだ。両手は常にあけていたい。キメる時はちゃんとした格好をしろとオヤジもよく言っていたしな。
さっき駅前で、人波を誘導していたオマワリとやけに目があった。クソ暑いのに、上着を着ていたからか。それとも、俺の首元を見て気がついたのか。一目でなんとなく、それとわかるのかもしれないな。浴衣の女たちで俺のことなど忘れてくれるとありがたい。奴が振り回していた誘導灯の光が瞼の裏に残ってチラチラする。
連絡が入る。タケルからだ。彼女は今、コーヒーショップにいるらしい。この人混みで追いつけるだろうかと思ったが、幸いにも店は長い行列らしい。
店に着いて、先に追っていたタケルと会う。異常はなく彼女はまだ中にいるらしい。タケルを会場の方に向かわした。会場に彼女の連れがいないもと限らない。邪魔はされたくない。
俺は店の前の裏路地にはいって、彼女を待つ。コーヒーショップの中は、おしゃれした女の子たちで溢れて、明るい。席についた子たちはおしゃべりに夢中で、いつまでも腰を上げようとはしない。表の新商品の看板には、桃やイチゴが水水しくはじけている。
路地はゴミが散らばっていて臭い。チューハイの空き缶が転がって、吸い殻がまるで模様のように黒いコンクリートに散乱している。汚れた排気ダクトは熱くて油っぽい息を吐いている。俺の後ろのパイプはカタカタいって、いまにも外れそうだ。
サプライズは嫌いじゃない。花火大会なんてシュチュエーションもいいだろう。勝負はビビらせた奴が勝つ。オヤジがよく言っていた。それを花束に入れるというのも考えたが、やめた。やはり花束を持って歩くのは目立ちすぎる。これは前に映画で見たやり方だ。
普段こんなことをするのは柄じゃない。俺の領分ではない。しかし、家のためだ。時代遅れだがな。今、俺のところはオヤジが死んでから傾いている。斜陽産業ということだな。昔はここらで一番だったらしいが。立て直すために彼女が必要だ。
ゴタクを並べたが、一番の理由は俺の願望にすぎない。俺がそうしたいから、そうするんだ。俺は彼女がほしいんだ。
やっと彼女が飲み物を片手に店から出てきた。浴衣姿で、とてもよく似合っている。浴衣は、白地に紫陽花が淡い色合いで染めてある。髪はうしろで束ねられていて、複雑に結って盛ってある。ニキビひとつないデコを出しているのは、美しさと自信の表れか。
彼女は大きい瞳を細めて、西の空を見やる。夕空の美しさを楽しんでいるようだ。夜は、きれいなグラデーションを描きながらゆっくりと、赤く縁取られた雲も巻き込んで、夕焼けを少しずつ押しつぶしていく。彼女は道の真ん中に突っ立って、人の流れを二分した。短い間にも、多くの人が通り過ぎた。横を通った男たちは、思わず振り返って彼女に視線を送った。それでも彼女はかまわずに空に見惚れている。俺は彼女から目が離せない。
彼女が歩き出したので、俺は五メートルほど後ろについて歩く。皆んな同じ方向に向かっているので、後ろについてまわっても、なんら不自然ではないだろう。彼女のフラペチーノについた結露は、鮮やかなネイルを施されたなめらかな手を滴る。かんざしをさした後ろ髪は小気味よく揺れて、つい手を伸ばしたくなる。彼女を振り向かせてやりたくなる。
道の右手は、祭りの屋台が並ぶ。ソースの匂いが俺の鼻をくすぐって腹を空かせる。なんとなく、肉は食いたくない。頭上には提灯が列を成して、都心の明るい夜を必要もないのに、ぼんやりと照らし出している。蝉たちも寝ずにわめいている。彼女は、緑のストローがついたプラスチックのコップを、たこ焼き屋の横にあった段ボールのゴミ箱に放って捨てた。
彼女はりんご飴屋の前で立ち止まった。美しい横顔が屋台にぶら下がった電球によって照らされる。形の良い唇は、りんご飴に負けないくらい赤く艶やかだ。乱れた髪を耳にかけて、幼い少女のような瞳で飴をみつめている。彼女が飴を選んでいる間、俺は十五メートルほど先に進んで、そこらの店先を物色するフリをして待つ。
近くにいたおもちゃ売りを覗く。並んでいるおもちゃは、けん玉やヨーヨーなど古風なものばかりだった。店のジジイは小柄で着古した法被をきている。こんな古臭い玩具が売れるのかと疑問に思う。人混みの中に外国人の姿をよく見るので、彼らが土産にでもするのだろうか。それとも今の子供でも遊んだら案外楽しいものかもしれない。俺は、鮮やかな黄色とオレンジのかざぐるまを買った。やはり、背広姿はこの賑やかな通りでは浮いてしまうので、かざぐるまを上着の胸ポケットにさした。今日は無風である。
支払いをしている間に、彼女に抜かされてしまった。彼女の腕には、小さめのりんご飴が二つ袋に入れて、ひっかけてある。彼女の草履がパタパタと鳴る。
道は川にぶつかり橋になる。橋の左右は長く続く土手である。土手の雑草は繁茂して青々としている。堤防から河岸まで広く、サッカーや野球の試合場になっている。見物客は色とりどりのレジャーシートを広げて、酒の蓋を開けている。花火があがる場所は左に曲がって五分ほど。人の密度はさらに増して、息苦しい。
彼女は橋のたもとで止まって、あたりを見回した。人と待ち合わせているらしい。俺は道のはじに寄って、タバコに火をつけた。
彼女が笑って手を上げた。俺は勝手に約束の相手は女友達だと思っていたのだが、違った。来たのは甚平姿の男である。甚平は落ちついたグレー色だが、奴の染めた髪は遊んでいる。ホストのような男だ。俺は面食らった。ほかに男がいるなんてな。だが大した奴だと思う。こんな女に手を出すなんて。男と一緒だろうが、俺のやることは変わらない。懐のそれをさわる。
きめてやる、今夜。
彼女と男は、楽しそうに土手を歩く。彼女は男の前腕をつかんでいる。もうすぐ花火が上がりはじめる時間だ。コイツらはどこから見るのだろうか。
二人は河岸に降りる土手の階段の端に腰を下ろして、りんご飴を食べはじめた。打ち上げ場所を通り越して少し歩いたところだが、それでも人は多かった。やがて、花火が始まった。
俺は土手の下に降りて、周囲の様子をうかがった。みな花火に集中していて、周りにいる他人なんぞ気にしていないようである。大勢の顔がいっぺんに同じ色の光に照らされる。男も女もババアもガキも、顔が一様に緑、赤、青と光るのを見ていると、なんだかおかしい。
土手の傾斜に腰を据えてくれたおかげて、彼女が遠くからでもはっきりと認められる。周りの女を霞ませるほどの美人なので、なおわかる。彼女は照りつける光をものにして、花火を自身の引き立て役にした。
花火を観察する。発射からどれくらいの間で開くのか。タイミングが大事だ。玉が放たれて、いち、に、バン。いち、に、バン。せっかくだから、大輪の花を咲かせるときにキメたい。
かいた汗が冷たくなってきた。懐のそれも冷たい。ような気がする。俺の思い込みかもしれない。キメられるか不安になってきた。指先がすこし震える。こんなことをするのは、久しぶりだ。覚悟をきめろ。落ち着くために、少し歩こう。
これからの生活は、とても静かなものになるだろう。毎朝決まった時間に寝起きして、塩分を控えた食事をする。おだやかな、おだやかすぎる生活。それでもかまわない。とにかく、やらなくては。
花火は様々な色や形で街を照らしていった。朝顔のようなものもあれば、桔梗のようなものもある。花火があがるたびに人々は歓声をあげた。
咲いては散ってを繰り返す花火のその姿に、人々は儚さをおぼえる。あぁ、きれい、でも消えてしまう。さみしい、消えないで。夏が終わってしまう———
しかし、花火は何百発と続き、来年もまた花火大会はある。来年とも言わずとも、日本では無数の花火大会が開催されている。人は花火をすぐに消えてしまう儚いものと思いながらも、家族や昔の恋人とみた過去の花火を今見ている花火と重ね、そして自分の人生に来年の花火大会があることを疑いもしない。いつかまか見る機会があるだろうという甘えが生じる。今この瞬間に眼前に広がるものを心から楽しむのは難しい。多くの人にとって、花火はつまらない感傷にひたるためだけのシロモノにすぎないのか。俺は本当に一回きりの.渾身の花火を求めている。いや、見るだけではダメだ。俺自身が打ち上げるのだ。
花火に目を奪われて二人から少し離れてしまったので、土手の下のもときた道を戻る。人をかき分けて進む。前からきた男とぶつかる。肩で跳ね飛ばして、かまわず進む。大股で歩を進めて、ジャケットがゆれる。懐のそれは強く俺の胸を叩く。額の汗を服の袖でぬぐう。こんなんじゃダメだ。クールにならなくては。
懐に手を突っ込んで、ついにそれを出した。それは、固く、どっしりと重い。思わず握る力が強くなる。すぐ横にいたオッサンがそれを見て驚いたが、屋台の景品だと思ったのだろう、すぐに夜空に視線は戻った。俺は彼女に向かって歩いていく。彼女は花火と横にいる男に夢中だ。楽しいそうに笑っている。残念だ。
二人の前にいたグループが移動して、ちょうど彼女の全身が見えるようになった。草履の赤い紐がやわらかい彼女の指をおさえている。
花火はその数を次第に増して、火の粒を互いにぶつけ合わせる。フィナーレが近い。
俺は彼女の斜め前に立つ。彼女は男と楽しそうの話している。土手の上で俺の位置は低く、彼女をこころもち見上げるかたちになる。再び花火を見る。笛がなる音とともに、竜のような炎が空を昇る。俺は、ふりかえる。腕をのばして、それを彼女がいる方向に突き出す。そのとき、彼女と初めて目が合った。彼女は、ただでさえ大きいその瞳を見開いた。
俺の背後で花火が開いた。前に伸びる俺の影は、その暗さを増した。引き金をひいた。一瞬おくれてやってきた花火の音とともに、銃は火を吹いた。
煙がかすかに立ち上る銃をゆっくりとおろした。充実感が俺のこころに満たされる。風が吹いて、川のドブ臭さが鼻をつく。かざぐるまが少しだけ回った。
銃声は、花火の音によって完全にはかき消されなかったが、周りにいた人間は驚いただけで、なにが起こったかわからないでいるようだった。ガキがたまやと叫んで、花火は続く。
彼女は夏草の上に身を投げた。着物の腹部を血がゆっくりと染めてゆく。紫陽花の模様の上に、真紅の彼岸花が咲くようだった。襟が乱れて、桜吹雪の刺青がのぞいている。色白の顔はなお白んで陶器のようだ。口元がかすかに動いている以外は、指先すらも動かない。りんごの芯は彼女の手を離れて坂を転がった。黒い瞳に花火が反射して光る。
一緒にいた男は、なさけない声を出しながら、土手の上へと逃げていった。人を押しのけて、よたよたと四つ足で土手をのぼっている。
ヤクザの組長の女に手を出すなんて、たいした奴だと思ったのだが。
俺は何事もなかったように、土手を下って歩き出す。人混みにまぎれる。喉が渇いた。
これからは、敵の組との激しい抗争になるだろう。俺は塀の中から観戦させてもらうことにする。
俺は満足だ。彼女は敵対する組の女だったが、今や彼女は俺のものだ。彼女の死は俺だけのものだ。
ウイスキーが飲みたい。酒をのんで、家の整理をしよう。タケルが待っている車は近い。焦ることはない。目立たないようにゆっくりと歩く。
歩いているうちに、川が支流の細い川と合流する場所にぶつかった。細い川が土手の交わるところには水門が鎮座していて、錆びた巨大な鉄板を盾のようにかまえている。水門の下に、まだ握りしめていたままだった銃を放り投げた。銃はドボンと飛沫をたてて川に飛び込み、すぐに深く沈んでいった。川なのに水が流れていないようだった。花火が開いていない間の水面はやけに黒く、ドロドロしているように見えて、まるで重油のようだ。
胸ポケットからかざぐるまを抜いて、汗で重くなったジャケットを脱いだ。丁度近くにあった、容器や割り箸で溢れたゴミ箱に投げた。ジャケットは箱に収まらず、食べカスやケチャップをまといながら、ゴミの上を転がって雑草の上に落ちた。ゴキブリはカキ氷の容器に頭を突っ込んで、長い触覚のヒクヒク動かしながらシロップを舐めている。
俺は身軽になった体をのばした。全身から汗が水蒸気となって肌を冷やすのがなんとなく感じられる。スッキリとして頭が冴えている。視界がクリアになって、目が良くなった気がする。
かざぐるまを口で吹いてみた。それはカラカラ音をたてながら、まるで夜を引き裂くように回った。いい買い物をした。俺はかざぐるまを口に咥えた。
打ち上げ会場まで戻ってきた。様々な臭いが混じりあった人波に揉まれながら、クライマックスのしだれ花火を見上げる。輝く火の雨は、空のアルタイルを霞ませながら、地面まで届くかと思われるほど頭上近くまで降ってきた。それらは夜の闇にもまれ、散り散りになって、消えた。
夜の空気は蒸し暑く、汗は止まることを知らない。今は夏の盛りである。紫陽花は少し遅くて、彼岸花は早すぎる。




