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「素晴らしい人をご紹介していただき、ありがとうございました」
面談の3日後、QOL薬品の社長から電話があった。
人事部長も経営企画部長も高評価で、今日、採用申請にサインをしたという。
「宮国さんには人事から連絡が行っていると思いますが、出社の日を楽しみにしています、とお伝えください」
「ありがとうございます。わたしの提案に対するご対応といい、今回の宮国の件といい、なんてお礼を申し上げればいいのか」
「いえいえ、素晴らしいご提案や有能な人材に対して適切に判断しただけですので、そんなに気にされないでください。ところで、先日お伝えしましたようにブランド名を変更した製品の売上が好調ですので、近日中にロイヤルティのお支払いを致します。もう少々お待ちください」
1億円近くが口座に振り込まれるという。
遂に現実になるのだ。
わたしはスマホを持ったまま直立不動になって声を絞り出した。
「本当にありがとうございます。心より御礼申し上げます」
*
ロイヤルティのことは飛び上がるくらい嬉しかったが、それを一旦忘れて、急いで宮国に電話をかけた。
喜びを分かち合いたかったからだ。
しかし、話し中で、何度かけ直しても、つながらなかった。
わたしはスマホを置いて、彼からかかってくるのを待った。
20分ほど経った頃だった、スマホが鳴った。
宮国だった。
すぐに通話をONにしたが、彼の声はまったく高揚していなかった。
「良いお話しをご紹介いただきながら大変申し訳ないのですが、たった今、お断りしました」
「えっ⁉」
彼が何を言っているのか、わからなかった。
せっかく希望する仕事に巡り合えたのに、企業側も高い評価をしてくれたのに、それを断るなんて信じられなかった。
「どうして?」
声に力が入った。
神山やQOL薬品の社長や2人の部長の好意がすべて無駄になるのは許せなかった。
「ちゃんと説明してくれないとわたしも納得できない」
QOL薬品の社長に説明するためにも詳細を把握する必要があった。
「はい。悩んだのですが、母校に戻ることにしました」
「母校? って、大学ということ?」
「はい、そうです」
それは、意外な内容だった。
面談が終わったあと、経営企画部長の発言が耳に残り続けたという。「なるほど。仰る通りだと思います。ただ、それを開発するとなると、莫大な費用と期間が必要になるのではないでしょうか」という発言だ。そして、「はい。簡単ではありません。ほとんどが治療薬のない分野ですので、一から始めるとなると大変なことになります」という自らの発言も脳裏から消えなかったという。
「製薬会社は研究開発が命といっても、あくまでも営利企業です。利益を出し続けなければなりません。そのためには、上市確率の高い候補品に絞り込んで、それに集中投資しなければならないのです。でも、私が提案したニッチ領域の、それも、難病指定の疾患の治療薬となると、不確実性が高く、企業の負担は重いものになります」
世界を代表する製薬会社ならばそれにも耐えられるだろうが、日本の中堅企業では投資の重さが命取りになりかねないという。
「目指す方向性は間違っていないと、これは断言できます。でも、QOL薬品でそれをやるのは無謀だと思うようになったのです」
認知症治療薬の開発失敗で財務的に厳しくなっている状態で、研究開発のノウハウを持たない新たな領域に踏み出すのはリスクが大きすぎるという。
「それに、実は、母校の教授から誘いを受けていまして」
彼が卒業した薬学部では難病に対応する研究を続けていて、それを手伝ってくれないかと打診があったそうなのだ。
「基礎研究がだいぶ進んできたので、次のステップに進むためには開発のノウハウを持つ人材が必要というのが理由でした」
特任助教というポストを用意してくれているという。
ただ、年収が大幅に下がるし、任期があるので生活の不安もあり、一度は断ったのだという。
「でも、この間の面接のことを思い出すたびに、私が考える研究開発は企業ではなく大学でやるべきだという思いが強くなってきて」
悩んだ末に、大学を戻ることに決めたのだという。
わたしは何も言えなくなった。
ビジネスルールに反する行為だと決めつけようとしていたが、そうではなかった。QOL薬品が置かれている現状を考えた上での決断だったのだ。
「わかった。残念な気持ちもあるけど、君の決断を尊重する。社長は気分を害されるかもしれないけど、なんとか理解していただけるように伝えるから」
「ありがとうございます。ただ、完全に縁を切ったわけではありません。基礎研究に目途が付いたら製薬会社と共同で開発することになりますので、教授との相談にはなりますが、その時にはQOL薬品にお声掛けすることも考えています」
それを聞いて、雲間から太陽の光が射してきたような気がした。
さすが、宮国だ。
「いい結果が出ることを楽しみにしているから」とエールを送って、通話を切った。
*
QOL薬品の社長からクレームが付くことはなかった。
というより、快く了承してくれた。
会社のことを考えてくれたことに感謝しているとも言ってくれた。
その上、宮国が戻る大学の薬学部に寄付をすることを検討してくれるという。
「うちで開発ができるかどうかはわかりませんが、難病に苦しむ人たちのための研究ですから、健康産業に携わる一員として少しでもお役に立てればと思いまして」
それを聞いて、ジーンとなった。
辞めた会社だが、ここに勤めてきて良かったと思った。
そのせいか、エールのようなことを口走ってしまった。
「いつの日か、宮国の研究がQOL薬品で花開く日が来ることを願っています」
ちょっと照れ臭かったが、再度お礼を言って、社長が電話を切るのを待った。




