(8)
髪を染めた日の10日後、偶然にも駅前のスーパーであの若い女性美容師に出会った。
「あの~、吉野さん?」
躊躇いがちに声をかけると、「えっ?」と彼女が振り向いた。
それでも、驚きの表情はすぐに消えて、「あっ、この前いらっしゃったお客様ですよね」と笑みを浮かべた。
「お名前は確か……」
「高彩です。高彩貴光」
「あ、そうでした。高彩様」
店の時と同じように様を付けられたので、「様は止めて下さい」と言うと、「では、高彩さんと呼ばせていただきます」と、また笑みを見せた。
そして、自分の名前が『ゆめおか』だと言って、夜に見る『夢』と小高い『丘』だと補足した。
「えっ、吉野さんじゃないんですか? 店長が『よしの』って呼んでいましたけど」
「はい。よしのは名前なんです。『愛乃』と書いて、よしのと読みます」
「そうなんですか。でも夢丘愛乃って芸名みたいですね」
「よくそう言われます。でも、高彩さんも芸名みたいですよ」
くすっと笑った。
その笑顔に魅せられた。
余りにも可愛すぎたので目が離せなくなって、ちょっとの間、見つめ続けてしまった。
「どうかしましたか?」
不思議そうに見つめ返された。
「いえ、こんなところで偶然会うなんて思ってなかったから」
慌ててごまかした。
「ほんとですね。私もびっくりしました」
またくすっと笑った。
今度も可愛かった。
それでも見つめ続けるわけにはいかないので適当な話題を探したが、頭に浮かぶものは何もなかった。そのせいか、苦し紛れに退職したことを話してしまった。
「えっ、会社を辞められたのですか?」
目を大きく見開いた。
「そうなんです。お店に行った前の日が最終出社日でした」
髪を染めて、新たな髪型にして、人生を変えようと思ったこと、新しい仕事を見つけようとしていることなどを話した。
すると、「そうなんですね」と頷き、「どういう仕事をされるのですか?」と興味津々といった目で見つめられた。
「人を幸せにする仕事です」
思わず口から出た言葉に自分で驚いた。
「人を幸せにする仕事ですか……」
「そうです」
「それは、どういう……」
「愛乃さんのような仕事です」
「えっ、美容師?」
「いえ、そうではなくて……」
しどろもどろになりそうなので話を変えた。
「名前を呼んでしまって、ごめんなさい。夢丘さんと呼ぶべきでしたね」
謝ると、彼女は小さく手を振って、「よしので大丈夫です。お店でもそうですし、中学や高校の時もずっとよしのと呼ばれてきましたから」と笑みを見せた。
その表情にまた吸い込まれそうになったが、「お仕事のことですけど、私のような仕事で、でも美容師ではないというと」と話を元に戻されてしまった。
見つめられて焦った。
そのせいか、「美容室の経営者になりたいと思っています」とまたもや信じられない言葉が口を衝いた。
何を言っているんだ自分は!
自分で言って自分で驚いたが、それは彼女も同じようで、「美容室の経営者、ですか……」と可愛い口が開いたままになった。