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「折り入って、ご相談したいことがあるのですが」


 女性歌手のヘアメイクに駆けつけてから1週間ほど経った夜、へりくだった声がスマホから聞こえてきた。

 神山だった。

 何事かと思って身構えていると、夢丘と共に会いたいという。

 用件を聞いたが、電話で話すようなことではないので、その時に話させてくださいと言葉を濁した。

 そう言われると、それ以上話を続けることはできなかった。

 夢丘の定休日の火曜日の夜に神山の会社で会うことを決めて、通話をOFFにした。


        *


「専属の美容師になっていただけないでしょうか」


「えっ⁉」


 驚いたわたしと夢丘は大きな声を出してしまった。


「凄いことになっていまして」


 先日のSNSの反響は物凄いもので、それを見た来日予定の女性ミュージシャンがこぞって夢丘を指名したいと言ってきたというのだ。


「嬉しいお話しですけど、でも、ちょっと、無理だと思います」


 面貸しをやりながら新たな仕事を引き受ける余裕はないと夢丘が声を落とした。


 確かに、本開業を前にして、これからフル回転へ向けて準備しようとしている時に、更に負担がかかることを引き受けるわけにはいかない。

 といって、もったいない話だとも思った。

 相手は有名な女性ミュージシャンたちなのだ。

 彼女たちの発信力は一般の人の比ではない。

 一気に山を動かすほどの影響力があるのだ。

 これを逃すのはもったいない。


 といって、夢丘の体は一つだ。

 あれもこれもはできない。

 今は面貸しを成功させることを優先しなければならない。

 諦めるしかなさそうだった。


 ところが、神山はまったく動じていなかった。

 夢丘の返事にがっかりするどころか、落ち着いた仕草で机の上に置いていたファイルから一枚の紙を取り出した。設計図だという。


「来の拡張のために残しておいたスペースを改造して、特別な美容室を創ろうと思っています」


 すべて個室で、10室ほどが可能だという。


「面貸しをやめて、こちらに専念していただけないでしょうか」


「えっ⁉」


 また同時に大きな声を発してしまった。

 その衝撃はすさまじく、目を合わせたまま固まってしまった。


「驚かれるのは無理もないと思いますが、真剣に考えていただけないでしょうか」


 夢丘に向けた神山の目はまったく動かなかった。


「でも、」


 金縛りを無理矢理解くように声を絞り出して、夢丘が言葉を継いだ。


「もう契約をしていますし、本開業も控えていますので、キャンセルは難しいと思います。それに、こんな立派なビルで開業するためのお金は用意できません」


 もっともだった。

 契約キャンセルは信義にもとるし、すべて個室の美容室にするための改装工事費と賃貸料は想像を絶するものになるに違いないのだ。


「はい、そのことは十分承知しています。その上でお願いしているのです」


 違約金は全額、神山の会社が負担するし、その上、個室美容室にかかわる費用もすべて負担するという。

 但し、個室美容室の所有権は神山の会社が保持し、夢丘とは業務委託契約を結びたいという。


「それはちょっと……」


 自分の店を持ちたいから面貸しを始めたのに、雇われ美容師に戻ることには抵抗があると言葉を継いだ。


「いや、夢丘さんを雇用するという話ではありません。個人事業主としての夢丘さんに業務を委託したいのです」


 雇用という形態を取ると給与を支払うことになるが、業務委託の場合には給与というものはなく、売上に応じた歩合を支払うことになるのだという。


「店名も『ビューティーサロン夢丘』で結構です」


 対外的にはオーナーとしてのイメージを保てるように配慮するという。


 それはありがたい申し出だったが、なんでそこまでしてくれるのかがわからなかった。

 多額の投資に見合う利益が見込めるはずはなかった。

 そのことを(ただ)すと、更に驚くような返事が返ってきた。


「日本一、いや、世界一の美容室を創ることができれば、十分、元が取れます」


 今回のSNSの反応は余りにも大きく、公演のチケットは3カ月先まで完売したという。それだけでなく、ビル全体の集客も1割ほど増えているのだという。


「何百万人というフォロワーを持つ有名人の影響力の大きさは予想をはるかに超えていました。ですので、このチャンスを逃すわけにはいかないのです」


 続々と来日する女性ミュージシャンが次々に発信してくれれば、美容室の開業費用などすぐにペイできるという。


「話題が話題を呼び、それがどんどん増幅していく可能性が高いのです。そのことを考えると、凄いことが起こるのではないかとワクワクが止まらないのです。それに、日本一の高さを誇るビルの最上階に美容室を創るなんて誰も考えないでしょう。だからやりたいのです、夢丘さん、高彩さん」


 物凄い熱気にあおられて、唖然としてしまった。

 それに、息をつかさぬ勢いで迫ってくるから、受け止めるだけで精一杯だった。

 しかし、そんなことはお構いなしというように、彼の口が止まることはなかった。


「そうだ、いい考えが閃いた。天空の美容室、というのはどうでしょう?」


 ビューティーサロン夢丘よりも〈天空の美容室・夢丘〉の方がインパクトがあると目を輝かせた。

 ところが、その舌の根が乾かぬうちに、「いや、天空の美容室・Dream&Loveがいい」と前言を(ひるがえ)した。

 女性歌手のSNS効果を最大に発揮させるにはこれしかないというのだ。


「ちょっと待って」


 急展開についていけない夢丘を置き去りにしたまま話を続けさせるわけにはいかなかった。


「色々なことをいっぺんに言われて混乱しているから、一つ一つきちんとまとめてくれないかな」


 すると、正気を取り戻したかのように、いつもの冷静な表情に戻った。


「申し訳ありません。昨日から興奮が続いていて、どうにも抑えられなくなったものですから」


 頭を下げてから、大型のメモ用紙に概要を書き始めた。


 ・オープンスペースを改装して、個室10室の美容室を創る

 ・出演する女性ミュージシャンが夢丘さんを指名した場合は必ず施術を行うが、それ以外は富裕層を対象にした超高級美容室として運営する

 ・改装や内装費用、備品などの購入費用は全額、神山不動産が負担する

 ・実質的な運営については夢丘さんに業務委託する

 ・店名は『天空の美容室・Dream&Love』とする

 ・面貸しの解約で発生する違約金などは全額、神山不動産が負担する

 ・その他必要な事項は協議のうえで決定する


「これでいかがでしょうか」


 メモを夢丘に渡して、反応を待つ構えになった。


「どうしましょう?」


 助けを求めるように自信無げな視線を投げてきた。


「うん、今日のところは預かって、じっくり検討しようよ。それでいいよね」


 神山に振ると、「もちろんです。しっかりご検討ください。疑問点があればいつでもご連絡ください。良いお返事をお待ちしております」と初めて笑みを見せた。



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