✂ 第9章 ✂ スペシャルなプレゼント(1)
本開業に向けて検証を進めている時、突然、直角教授から電話があった。
用件は会った時に伝えると言われた。
*
5日後、久々に経営大学院を訪ねた。
構内に入ると、当時のことが蘇ってきて懐かしさを感じたが、それは一瞬のことで、教授室の前に立つと、少しナーバスになった。用件がなんなのかわからないからだ。
ノックをして中に入ると、3人の男性がソファに座っていた。
1人は直角教授の知り合いで、QOL薬品の社外取締役だった。
もう1人は取締役経営企画室長で、
更に、もう1人は社長だった。
わたしが退職した時には副社長だったが、その後、社長に就任していた。
一瞬、目を疑った。
社外取締役以外は顔も名前も知っていたが、それでも、雲の上の人を前に緊張が高まった。
そんなわたしの肩に手を置いた教授は、リラックスするようにとでもいうような笑みを浮かべていた。
促されて社長の真向かいに座ると、横に座った教授が「スペシャルなプレゼントを君に贈る!」と大きな声を出して破顔した。
その意味がわからなかった。
なので、ぽかんとした感じになってしまったが、そんな様子を気にすることなく、教授は話を続けた。
「あの時、君がディスカッションで話した内容を覚えているかね? そしてその後、私が君に言ったことを覚えているかね?」
「はい。はっきりと覚えています」
すると、企業ブランドと製品ブランドの統合について熱く語ったあの日のことが鮮明に思い出された。
そして、教授室で「知り合いの教授がQOL薬品の社外取締役をしていてね。君の提案を彼に話そうと思うんだ」と言われたことや、「君の提案はとても重要だ。このまま聞き流すわけにはいかない」と断固とした口調で言われたことも蘇ってきた。
その後、教授は約束した通り社外取締役に伝え、それが社長に伝わり、取締役会の議題になったという。
反対意見も少なくなかったため、継続して議論をすることになったが、調査と分析を続けるうちに賛成の意見が増えていき、さらに詳細に検討した結果、GOという判断がなされたという。
教授がそこまでの経緯を話し終わるのを待っていたかのように、秘書が部屋に入ってきた。
淹れたての香りを放つコーヒーがそれぞれの前に置かれると、一口飲んだ社長が真剣な表情で話し始めた。
「高彩さんは弊社の元社員と伺いました。在職中、会社のためを思って提案箱に投稿していただいたにもかかわらず、会社が何も対応しなかったことに心からお詫びいたします。社外取締役から高彩さんの提案内容を聞き、驚くと共に忸怩たるものを感じました。今まで提案箱への投稿はスタッフが事務的に処理し、分類保管していただけで、それを経営会議に上程することはありませんでした。完全に形骸化していたのです。このことについては、当時、社長ではなかったとはいえ、私の責任も大きいと思っています。社員からの真剣な提案をスタッフ任せにして放っておくなんて、なんともったいないことをしていたのかと反省しています」
会社の非を詫びてくれたが、それで終わりではなかった。
「社員からの提案を『緊急』『重要』『関係部門が検討』に分類し、『緊急』は毎週、『重要』は月1回、経営会議で審議しています。その事を全社に通知したところ、提案数が2倍になりました。数だけでなく、経営計画に反映させるほどの優れた提案も増えてきました。優れた提案に対しては表彰をしています。このことを通じて経営者と社員の意思疎通が深まったと考えています。これも高彩さんのお陰です。ありがとうございました」
頭を下げた社長は、その後のことを続けた。
「ブランド認知度の調査を改めて実施しました。すると、驚くような結果が出ました。社名の認知度が70パーセントを超えているのに対して、各製品の認知度は30パーセントに届いていなかったのです。多額な広告投資をしていたにも拘らず、費用対効果は悲惨なものでした。調査に答えてくれた人たちのコメントも読みましたが、社名と製品名が繋がらないという意見が圧倒的でした。このことから、弊社のブランド戦略を早急に見直すべきと判断したのです」
それまで使っていた大手広告代理店との契約を破棄し、ブランド価値向上に特化しているコンサルティングファームと新たな契約を結んだという。
そして、企業ブランドと製品ブランドの統合について検討させた結果、提案に全面的に賛成するという報告を受けたというのだ。
わたしは驚くというよりも呆気にとられた。
信じられなかった。
提案を採用してもらえるなんて思ってもいなかったからだ。
本来なら天にも昇るような気持ちになるはずだが、そんなものはどこからも湧いてこなかった。
しかし、驚きはこれにとどまらなかった。「そろそろスペシャルなプレゼントを」と教授が社長に促すと、経営企画室長から受け取った書類を手にして、「高彩さんと契約を結ばせていただきたいのです」と言ったのだ。
またしても意味がわからなかったが、渡された書類を見てみると、『製品ブランドのネーミングに関する実施許諾契約』という文字が目に入った。
ネーミングを変更することによって売上が増えた分の5パーセントをロイヤルティとして支払うという内容だと社長から告げられた。
呆気に取られていると、経営企画室長が補足説明を始めた。
「前提としては同じ広告投資額ということになりますが、その条件下で3製品の売上が仮に年間5億円増えたとしますと、ロイヤルティは2,500万円になります。10億円とすると5,000万円になります。更に、今後発売する新製品に対しても社名ブランドを使って展開する予定ですから、その分についても適応させていただきます。但し、新製品に関しては売上増加分という考え方は適応できませんので、売上の2.5パーセントとさせていただきます」
えっ⁉
完全に固まってしまった。
彼の言っている意味がよくわからなかった。
2,500万円とか5,000万円とか、どこの世界の話だろうという感じだった。
だからボーっとしていると、「5パーセントではご不満ですか?」という社長の声が聞こえた。
見ると、顔を覗き込むようにしてわたしを見ていた。
「いえ、そんな、不満だなんて」
立ち上がって頭を下げようと思ったが、腰が抜けたようになっていて体が動かなかった。それでも言葉だけは必死になって絞り出した。
「ありがとうございます。元社員の提案を真剣に受け止めていただいただけでも光栄な上に、契約という過分なご提案いただき恐れ入ります。本当にありがとうございます」
わたしは座ったまま体を二つ折りにして、頭を下げた。




