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1週間後、神山に紹介された『東京美容支援開発』の本社に向かった。
中野駅の南口から徒歩10分の距離にある25階建てビルの10階にその会社はあった。
受付で用件を告げると、立派な応接室に通された。
高そうな絵画が飾られ、花瓶には豪華な花が活けてあった。
役員専用の応接室のように感じた。
きょろきょろして部屋の中を見回していると、ノックがあり、美しい女性が入ってきた。
秘書だった。
落ち着いた動作でお茶をテーブルの上に置き、「すぐに伺いますので、もう少しお待ちください」と言って、部屋を出ていった。
少しして、またノックがあった。
入ってきたのは、恰幅のいい中年男性と、その部下らしき若い男性だった。
受け取った名刺を見て、驚いた。
取締役営業部長と書かれていた。
若い男性は営業部主任だった。
「神山さんには大変お世話になっています」
このビルは神山不動産所有のものだという。
それでわかった。
大した取引にもならない面貸し相談者に対する格別の待遇の意味が。
神山の影響力の大きさを改めて実感した。
その後も神山の話が続いたが、それが一段落して具体的な話になると、役員は退席し、主任の男性だけになった。
紹介者の顔を立てるだけが役員の仕事で、実務は社員に任せるということだろう。
しかし、それはこちらにとっても好都合だった。
見栄を張らずに具体的な相談ができるからだ。
面貸しを利用する条件やメリット、デメリットなどについて質問をした。
「面貸しはミラーレンタルとも呼ばれていて、既存の美容室の空きスペースや設備などを借りる仕組みのことを言います」
そのメリットとしては、
①多額の初期投資が不要
②予約があった時のみ働くことができる
③分業制ではないので、1人のお客様としっかり向き合える
ことだという。
デメリットとしては、
①集客は自分でしなければならない
②固定給ではないので、客の増減によって収入が変動する
③経理業務など施術以外の仕事に時間を取られる
ことだそうだ。
次に、具体的な費用の説明をしてくれた。
「オーナーに対する支払いの形態としては、時間制、歩合制、月額制の3種類があります」
時間制とは、借りた時間をレンタル料として払う仕組みで、相場は1時間当たり1,500円~2,500円だという。
歩合制とは、売上のうち契約で決められた割合をオーナーに払う仕組みで、相場としては40%~60%だという。
月額制とは、一定額を毎月払う仕組みで、立地や設備によって違いがあるが、1カ月5万円~15万円だという。
「どれが一番お得ですか?」
身を乗り出して聞いていた夢丘が待ちきれないというように声を出した。
「そうですね~、一概にどれとは言えませんが、資金計画が立てやすいのが月額制で、無理のない支払いができるのが歩合制で、高い収入が見込まれる場合は時間制がいいかもしれません」
ケースバイケースだという。
確かにそうだと思った。
客がどれくらい見込めるかによって収入が変わってくるのだ。
その見込みが立たないと、どれが有利か判断できない。
「ということは、お客様の数が安定しないスタート時点では月額制で契約して、順調にいき始めたら歩合制に移行して、フル稼働できるようになったら時間制にするというのがいいのでしょうか」
「いや、それは難しいと思います。借りる側の都合によって契約内容をころころ変えるというのはちょっと……」
そこで彼は同意を求めるように視線をわたしに移した。
頷かざるを得なかった。
でも、夢丘の発言を否定したくもなかった。
わたしは話題を変えた。
「吉祥寺で面貸しをしている美容室はありますか?」
現在、夢丘を指名してくれている客は吉祥寺近辺に住んでいる人なので、来店客数の予測をするためには当然のことながら吉祥寺が最適と言える。
乗り物を乗り継いでわざわざ遠くまで来てくれる人は皆無に等しいからだ。
「少々お待ちください」
彼はパソコンを立ち上げて、何やら操作を始めた。
物件の検索をしているのだろう。
しばらく見守っていると、「1軒だけあります」と言って、画面の向きをこちらと彼が両方見えるような角度に変えた。
「ビルの1階で、10席ある老舗の美容室です。現在の稼働率は6割ほどのようです」
昔は繁盛店だったらしいが、近くに新しい店が次々に開店して、客を奪われているのだという。
「場所はどちらになりますか?」
「えーっと、う~ん、中心部からは少し外れていますね。」
表示された地図を見ると、吉祥寺というよりも三鷹に近い感じだった。
バス通りをかなり南に行ったところにある 井の頭公園の入り口近くにあるのだ。
「吉祥寺駅から歩くとなると……、ちょっと遠いですね」
夢丘は頭の中で時間を計算しているようだった。
「これ以外にはないのでしょうか?」
「ええ。吉祥寺で面貸しを希望されているのはこの1軒だけですね」
あっさりと否定されてしまった。
「どうする?」
「う~ん、そうですね~」
夢丘は両手を顔に当てて動かなくなってしまった。
当然だ。
失敗するわけにはいかなのだから、安易な決断をできない。
といって、チャンスはチャンスなのだから、見逃すわけにもいかない。
わたしは大事な確認事項を口に出した。
条件だ。
「はい。これは交渉になります。ただ、オーナーは確実に収入を得られる月額制を望まれているようですので、時間制や歩合制での契約は難しいかもしれません」
確かに、貸す側としては安定した収入に勝るものは無いだろう。
海のものとも山のものともわからない借り手の集客に期待することはできない。
「わかりました。それで、金額はいくらくらいを考えておけばいいのでしょうか」
「はい。月額15万円を希望されています」
相場の上限だった。
中心地から離れた立地にしては高すぎると思ったので、交渉が可能かどうかを尋ねた。
「さあ、どうでしょう。現時点ではなんとも言えませんね」
色よい返事は返ってこなかった。
ちょっとガッカリしたが、担当者にこれ以上突っ込んでも仕方がないので、次の質問に移った。
「ところで、いま引き合いはきているのでしょうか?」
すでに引き合いがあるなら急がなければならないし、そうでなければ検討する余裕があることになる。
「ちょっとお待ちください」
彼は画面を自分の方に向け直して、キーボードを叩いた。
「あ、大丈夫ですね。今のところないようです」
「ということは、少し考える時間があるということですね」
「はい。ただ、いつ問い合わせが来るかわかりませんので、早めに決めていただいた方がいいと思います」
オーナーは早く契約したがっているので、引き合いがあればすぐに応じるだろうという。
「わかりました。急いでシミュレーションをして、またご相談に上がります」
開業支援に関するパンフレットや資料をもらって、丁寧に礼を言って、その場を辞した。




