(3)
早桐社長と気まずくなったわたしは仕事が手につかなくなった。
社長から呼ばれることもなくなると、居場所がないように思えた。
降格ともクビとも言われてはいなかったが、飼い殺しのような状態に気分がめげた。
そんな悶々としていた時にスマホが鳴った。
誰とも話したくなかったので気が進まないまま通話をONにしたが、スピーカーからは愛しい人の声が聞こえてきた。
「相談したいことがあるんです」
いつもと違う声の調子だった。
どうしたのかと心配になったが、日時と場所を言っただけで電話が切れた。
*
約束の日、待ち合わせ場所であるイタリアンレストランに10分前に着くと、彼女はもう既に着席していた。
しばらく会わないうちに、また綺麗になっていた。
「忙しいのに、ごめんなさい」
忙しくはなかったが、軽く頷いた。
すると、すぐに用件を切り出した。
「自分の美容室を持ちたいという気持ちが強くなってきて、居ても立ってもいられなくなったのです。でも、開業するための知識もお金もなくて。どうしたらいいか、頼れるのは高彩さんだけなので」
独立の相談だった。
〈頼れるのは高彩さんだけ〉という嬉しい言葉にグッと来たが、そんな力があるわけではないので、なんの反応もできないまま話を聞いた。
彼女は自らの技術を磨き、お客様の意見に耳を傾け、人気店の秘密を探り、自分が目標とする美容室のイメージを固めていた。
しかし、実際に開業するとなると、どう具体的に動けばよいのか、皆目見当がつかなかった。
技術や接客には自信があったが、経営という目に見えない高いハードルを前にただ立ち尽くすしかなかった。
そんなことを切なそうな声で訴えた。
それはもっともなことだった。
秀でた美容師になることと優れた経営者になることは同じではないのだ。
『名選手、名監督にあらず』という言葉があるとおり、求められる能力や資質はまったく違う。
だから、自分が経営者となって彼女に思う存分腕を発揮してもらいたいと思って大学院に行き、実務を経験するために速攻カットに就職したのだが、なんの結果も出していない今の自分ができることは何もなかった。黙って聞くことしかできなかった。
でも、私が何も言わないことに焦れたようで、救いを求めるような声が沈黙を破った。
「どうしたらいいんでしょう」
「う~ん、そうだね~」
答えは何も浮かんでいなかったが、集中するために目を瞑ると、何故か大学院の最終講義のシーンが蘇ってきた。
直角教授が黒板に『同質』と『異質』の二つを書いて、同質の文字の上に×を書いた場面だった。
そうなのだ、競争力の源泉は異質なのだ。
そのことに思い至ると、彼女は独立を急ぎ過ぎる余り、前のめりになりすぎているように思えた。
確かに彼女の施術は評判が良く、指名客が増えているようだったが、店を構えるとなると、それだけで十分ではない。インパクトのある何かが必要なのだ。それを質した。
「何を売りにするの?」
「えっ⁉」
「つまり、君しかできないことは何かってこと」
「それって……」
「よくわかっていると思うけど、街には美容室が溢れているよね。その中で選ばれるためにはインパクトのある何かが必要だと思うんだ。ちょっと上手だとか、ちょっと丁寧だとか、その程度ではお客様を集めることはできないと思うんだ。だから他店とは違う強烈なアピールポイントが必要だと思うんだ」
すると、彼女は黙ってしまった。
そこまでは考えていないようだった。
開店することばかりに気がいっていて、差別化までは頭が回らなかったのだろう。
それは仕方のないことではあったが、このままでは進まない。
ささやかなアドバイスをすることにした。
「例えば、賞を取るとか、記録を作るとか、話題になることをやるとか、何かないかな」
「あっ」
一瞬にして顔色が変わった。
「実は、コンテストに出る準備をしています」
それは全日本美容技術選手権大会で、東京予選会を間近に控えているのだという。
「それってどういうもの?」
「はい、ヘアスタイルやカット&ブローやフリースタイルカットを競うもので、私はヘアスタイル部門に応募しようと思っています」
全国大会で優勝すれば世界大会への出場も可能となるのだという。
「それだよ、それ!」
思わず大きな声を出してしまったので周りの視線が気になったが、それでも興奮は収まらなかった。
「それで優勝すれば大きなアピールになるし、SNSでも評判になると思うから、それ獲ろうよ」
「でも、そんなに簡単には……」
東京都の代表になるだけでも大変なのに、初挑戦で優勝なんてとんでもないという。
彼女の腰がちょっと引けたので、どんなものか確認するためにスマホに収められた歴代の優勝作品を見せてもらった。
見て、驚いた。
想像していたものとはかけ離れていた。
アニメの世界に入ったような感じなのだ。
火の鳥のような髪形や、宝塚の男役をデフォルメしたような髪形ばかりだった。
それに、メイクがすごかった。
マネキンというのだろうか、首から上が台座に置かれたものが鮮やかな色で創作されていた。
「う~ん、ちょっと違うかもしれないね~」
普通の人を相手にする美容院の売りにはなりそうもなかった。
「もっと他にないかな~?」
すると、また黙ってしまった。
腕に自信はあっても、それをどう打ち出していくのかがわからないようなのだ。
明確なアピールポイントという大きな壁の前で立ちすくんでいるように見えた。
「まあ、そんなに簡単に見つけられるものではないから、ちょっと時間をかけて考えてみようよ」
自分も考えてみると言い添えると彼女は頷いたが、それでも不安そうな表情は隠せなかった。
相談することによって一歩前進を期待したはずだから、逆に後退してしまったという結果は受け入れられないのだろう。
申し訳ないという気持ちになったが、今のわたしにこれ以上手助けできることは何もなかった




