(4)
人事部長が言っていた通り、会社に行くなり、社長室に呼びつけられた。
部屋に入ると、すぐに指示が飛んだ。
「住宅地立地の店舗を考えてくれ」
甲高い声が部屋に鳴り響いた。
部屋の中は2人だけなのでもう少し小さな声で話してもらいたかったが、社長は興奮すると普段の3倍くらい大きい声になるようだった。
「住宅地立地、ですか?」
「そうだ。住宅地立地だ。駅前は優良物件が少なくなっている。そのため賃貸価格が上昇して、新規出店をしても採算が合わなくなっている。だから断念するケースが増えている。それに、我々のメインターゲット層である通勤客や若者の数がこれからどんどん減っていく。少子化の影響をもろに受けることになる」
社長は腕組みをして、自らに言い聞かせるように話を続けた。
「退職者世代を取り込まなければならない。団塊の世代を中心とした退職者世代を。そのためには、既存の理容室、特に住宅地で営業している理容室の顧客を奪わなければならない」
そう強調したあと、「少なくなっているとはいえ全国の理容室がどのくらいあるか知っているか?」と問うた。
しかし、返事をする間もなく、「12万店舗もあるんだぞ。12万!」と大きな声で自ら答えを言った。
そして、「住宅地立地店舗の検討を急いでくれ。頼んだぞ」と強い視線を送られた。
*
指示を受けてから1週間が経った。
その間、足が棒になるほど都内の住宅地を歩き続けたが、速攻カットのビジネスモデルが住宅地で通用するとは思えなかった。
今までとまったく違う客層を開拓するというのは確かに無限の可能性があるのかもしれないが、そんな簡単なものではないように思えた。
強みが活かせるという感じがまったくしないのだ。
その後も住宅地を歩き続けたが、疲れ切ってベッドに倒れ込む度に〈無謀〉という言葉が頭の中で響き続けた。
それだけでなく、〈やってはいけない〉という言葉に強く支配されるようになった。
しかし、それは社長の意に反することであり、進言するためには覚悟が必要だった。
下手をしたら心証を大きく損ねる可能性があるのだ。
クビにはならないにしても、降格や減給はあり得るかもしれないのだ。
でも、そうだとしても逆鱗に触れることを恐れて媚びを売るわけにはいかない。
会社の将来がかかっているのだ。
例え社長の意に反したとしても、言うべきことを言わずして職責は果たせない。
そう腹を括った翌日の朝、社長秘書に面会のアポイントを入れた。
*
会えたのは、その日の午後遅くだった。
わたしは意を決して、早桐社長と向き合った。
「住宅地立地の店舗は止めた方がいいと思います」
「何故だ」
「ビジネスモデルが違いすぎます」
「何を言ってる。違うことをやらなければ変化の波に飲まれるだけだ」
「しかし、」
「しかし、なんだ」
「早急に決断するのは危険です」
すると目が一気に厳しくなり、「反対するなら代替案を示せ!」と凄まれた。
「まだ……」
口を噤むしかなかった。
言われてみればその通りだったが、そこまで考えていなかった。
思慮の浅さを悔やんだが、後の祭りだった。
「代替案のない反対は説得力を持たない!」
案の定、厳しい口調でドアの方を指差した。
部屋を出ていくしかなかった。
それでも、反対したことが間違いだとは思わなかった。
心をチクチクと刺す得も言われぬ違和感が将来を暗示しているように思えて仕方がないのだ。
「走りながら考えろ!」というのが早桐社長の口癖だった。
「考えてから走り始めるのでは遅すぎる!」という言葉を入社以来何度も聞かされた。
生き馬の目を抜くような激しい競争を繰り広げている業界においては、それが当然なのだろう。
それでも、わたしには拙速と同義語のようにしか思えなかった。
重要な意思決定をする時は考え抜くことが大事なのに、この会社では社長の独断ですべてが決まってしまうのだ。
それも勘に頼るという危険な判断を繰り返している。
今まではたまたまうまくいっていたが、今後もそれが続くという保証はない。
それを社長に進言するのがわたしの役目なのだが、これといった代替案が思いつかない状態では、それは不可能だった。
その後は手をこまねいたまま時間が過ぎていったが、寝耳に水という感じで、社長が新たな行動を起こしていることを知った。
忠告したにもかかわらず、住宅地立地の実験店を都内に10店舗、矢継ぎ早に開店するというのだ。
店名は『速攻カット』
店名だけでなく、内外装や施術、価格も駅前立地と同じだという。
しかも、もう最終段階に入っていて、止めることは無理だという。
対象顧客が違うのに、
立地が違うのに、
ビジネスモデルを変えずに見切り発車していた。
傷口が大きくなる前に止めなくてはならないと焦ったが、前のめりになっている社長を抑える術は何もなかった。




