(11)
廊下に出ると、3人が待っていた。
西園寺と神山と宮国。
顔を見た途端、固まっていた体が解れた。
そのせいか、教授とのことがスラスラと口から出た。
学食へ向かいながら事の成り行きをすべて話した。
すると、「凄い!」と3人が口を揃えた。
「よかったですね」と顔を綻ばせた。
自分のことのように喜んでくれるのが嬉しかった。
ガッツリ食いたい気分だったので、『かつ丼』の大盛にした。
480円と高かったが、今日は特別な日なので迷わずに決めた。
食券を購入すると、すぐさま西園寺が『カツカレー』を、神山が『かつ重』を、宮国が『かつ定食』の食券を買った。
テーブルに並んだ〈かつオンパレード〉を見て、大声で笑い合った。
笑いながら、食べながら、わたしの気持ちに寄り添ってくれる3人に出会えたことを、この上なく幸せに思った。
*
「それはそうと、神山さんは家業を手伝うと言っていましたよね。家業って、もしかして神山不動産ですか?」
わたしが誘って、スペインバルの店で乾杯をしてすぐの時だった、宮国が何気なく言ったのは。
すると神山は、「うん、そうなんだ。父が社長で、兄が副社長をしている」と躊躇いなく言ってから、宮国からわたしへ、そして西園寺に視線を移して、家業について話し始めた。
神山不動産は財閥系を除く独立系では最大手の不動産会社であり、その歴史は終戦直後から始まった。
焼け野原になった東京では住む場所の無い人が至る所で野宿のような生活をしていたが、幸いにも神山の祖父の家は被災を免れており、空き部屋を貸し出すことを思いついた。
借り手はすぐに見つかった。
それも一人や二人ではなく、多くの人が貸してくれと頼みこんできた。
そこで、空き部屋を貸すだけでなく、貸家専用の家を建てることを思い付き、庭に家を建てた。
すると、当然のことながら建築を始めたそばから借り手が見つかった。
それに気を良くした祖父は近隣の土地を買い、貸家専用の家を建てた。
それでも、そこで満足する祖父ではなかった。
世の中が混乱している今こそチャンスと土地を買いまくり、家を建て続けた。
その結果、事業は急速に拡大した。
「現在、本社がある六本木の土地はほとんど祖父が手に入れたものです。祖父を継いで社長になった父はその土地を担保に金を借り、自社ビルを建てました。下層階に商業施設、中層階にはオフィススペース、そして、上層階に居住スペースという複合ビルです。当時、六本木で最高の高さを誇るビルだったので、ランドマークとして新聞やテレビに大きく取り上げられました。その効果はてきめんで、商業施設には人が殺到し、オフィススペースは全部埋まり、居住スペースは完売しました。神山不動産の急成長が始まったのです」
注文した料理に手をつけず、わたしは神山の話に聞き入った。
それは宮国と西園寺も同じようで、食い入るように彼を見つめていた。
「父は初めての自社ビルを建てる時にビルの名称を考え抜いたそうです。神山ビルでは当たり前すぎるというのが理由でした。しかし、そう簡単にインパクトのある名称が思いつくわけはなく、七転八倒するがごとく苦しみ抜いたそうです。それでも諦めなかったせいか、ある日、英語にすることを思いつきました。神はゴッド、山はマウンテン、だから、神山はゴッドマウンテン。これだ! ゴッドマウンテンビルだ! と叫ぶようにして父は祖父の了解を取りに行きました。でも、祖父は冷たく言ったそうです。ダメだ、と。横文字なんてとんでもないと。戦争で負けた国の言葉を使うなと。ビル以外に横文字を使うことは許さんと。だから、ゴッドマウンテンの頭文字をとってGMビルと提案した時も即座に却下されたそうです」
それで?
わたしは身を乗り出して神山の言葉を待った。
「ある日、夜中にふっと目が覚めたそうです。それからあとはウトウトしては目が覚めるという状態を繰り返し、やがて眠れなくなったそうです。仕方なく父は暗闇の中で取り留めなく言葉遊びをしていたそうですが、カーテンを通して夜明けを感じた時、突然、閃いたそうです。ゴッドマウンテンの最初の言葉はゴ、最後の言葉はテン。二つ合わせればゴテン。そうだ、御殿ビルだ!」
オ~、と思わず声を出してしまったわたしは更に身を乗り出した。
「今度こそは大丈夫だと思って、書道半紙に墨で御殿ビルと書いて祖父に見せたそうです。すると祖父は腕組みをしてじっと考えた末に、御の字の上に二文字書き加えたそうです。神山と」
神山御殿ビルは、現在、六本木を中心に東京で10棟、関東全体で17棟、全国に25棟となり、更に各地で新たな建設が進んでいる。




