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「実は、家庭用医薬品の各ブランドは誰もが知っている大手広告代理店によって提案されたものなのです」
その企業名を言うと、お~、という声が上がった。
「聞くところによると、代理店の幹部が自信満々でプレゼンしたので、経営陣からはなんの質問も反対意見もなく決定したようです。その幹部と昵懇の間柄にある広告宣伝部長が強く推したことも大きかったようです」
ま~そんなもんだよな~、というようなムードが教室内に流れた。
「3製品共に出足は悪くありませんでした。しかし、売上の大幅増を狙って宣伝を増やしても、思うように売上は伸びませんでした。それでも広告代理店はまだ宣伝量が足りないとプッシュしたようですが、増やしても増やしても売上に繋がらなかったのです。費用対効果という面では完全に失敗でした」
先を続けようとした時、教室内から声が上がった。
「会社は何も手を打たなかったのですか?」
教室内で一番若そうな女性からだった。
わたしは頷くしかなかった。
「経営陣は営業部門を叱責するばかりでした。売上低迷の原因を営業部の努力不足と決めつけたのです。家庭用医薬品部門の営業部長は当時の社長から厳しい言葉を浴びせられたと聞きました。『莫大な広告宣伝費を投入しているのに、この売上はなんだ! 営業部は何をしているのだ! 死ぬ気でやれ、死ぬ気で!』と」
言い終わった途端、同情のため息のようなものが教室のあちこちから漏れた。
それを聞いていると、辞めたとはいえ、これ以上会社の悪口を言うのはどうかという気になってきた。
しかし、ここで止めることはできない。
これからが重要なのだ。
意を決して、言葉を継いだ。
「会社のイントラネットに『提案箱』というアイコンがあります。これをクリックすると、『会社への提案』というフォルダが表示され、『経営課題解決への提案』『新製品・新サービスの提案』『売上増につながる販売促進策の提案』『コスト削減の提案』などから投稿したいものを選んで提案することができるようになっています。わたしはあるアイディアを心に温めていました。それを提案箱に投稿したのです」
カバンの中から当時提案した内容が記されている書類を取り出した。
「投稿したのは『企業ブランドと製品ブランドの統合』という提案でした。最も大事にしなければならないのは『QOL』という企業ブランドであり、製品ブランドは企業ブランドに合致させなければならない、と強調しました。ですので、感冒薬は『QOL風邪薬』、胃腸薬は『QOL胃腸薬』、抗菌剤は『QOL抗菌スプレー』にすべきだと結論づけたのです」
そこで書類をめくって新たなページを開くと、皆の視線がそこに集まっているように感じた。
「キャッチフレーズについても提案しました。『命を守るQOL』を参考に、『あなたを風邪から守るQOL風邪薬』、『あなたの胃腸を守るQOL胃腸薬』、『あなたを菌から守るQOL抗菌スプレー』へ変更するように訴えたのです」
すると、「そっちの方がいいよ」という声が聞こえた。
それに反応するように、〈そうだそうだ〉というような頷きが増えた。
すると、今まで黙って聞いていた教授がわたしを見つめた。
「会社がそれを採用することはなかったんだね」
その通りだった。
提案に対する回答は何も無かった。
わたしはただ頷くことしかできなかった。
これ以上話すことはなかった。
「以上で終わります」と言って脱力感を覚えながら椅子に座ると拍手が返ってきたが、それが収まると、すぐさまアパレル会社の女性が手を上げた。
そして、総合酒類メーカー、健康食品会社と発言が続いたが、誰の発言も耳に入ってこなかった。
抜け殻のようになったわたしの鼓膜はすべての声を拒否しているみたいだった。




