(8)
「先週の続きを始めよう。付加価値についての新たな切り口を考えた人、いるかな?」
教授はゆっくりと教室全体を見回した。
「はい」
わたしは誰にも先を越されないように真っ先に手を挙げた。
前回は気後れして発言できなかったから、今日の講義ではディスカッションの口火を切ると決めていたのだ。
教授はわたしを指差し、発言を促した。
「先週は付加価値を独自価値と言い換えて、研究開発など主に技術的な観点からの発言が多かったように思います」
緊張のせいか声が少し震えたが、構わず続けた。
「当然のことながら技術的優位性はとても大事だと思います。技術立国として世界をリードすることを国是としている日本にとっては最優先に取り組まなければいけないことだと思います。しかし、それだけでは片手落ちになる可能性があります。技術的優位性と同じくらい、いえ、それ以上に大事なものがあるからです。それは、ブランド優位性です」
その途端、教授が〈おっ〉というような顔になった。
関心を示してくれたようだ。
的が外れていないことに安堵して、話を続けた。
「日本はモノつくり大国を目指して加工技術や生産技術を磨いてきました。その結果、世界から一目置かれる存在になりました。しかし、」
机の上に置いていた経済誌の最新号を手に取って、ブランド・ランキングのページを開けた。
「ご承知の通り、ブランド・ランキングの上位はアメリカの企業が独占しています。残念ながら日本企業はベストテンに1社も入っていません。何故でしょうか?」
教授が身を乗り出した。
「ブランド価値の重要性を理解している経営者が少ないからです」
断言したが、すぐに心配が襲ってきた。経営者でもない自分がこんな偉そうなことを言っていいのだろうかと急に弱気になった。
それでも、拍手がそれを打ち消してくれた。
神山だった。
その通りだというように何度も頭を縦に振った
続いて西園寺が、そして宮国が拍手をした。
教室中が拍手に包まれるのに時間はかからなかった。
皆、出身企業の現状を頭に思い浮かべているのかもしれなかった。
「その通り!」
教授が拍手をしながら大きな声で言った。
「その通りだ。ブランド価値が企業の存在価値に直結する時代になっているというのに経営者の多くはそれを理解していない。製品力を磨くことにしか関心がない。嘆かわしいことだ」
企業の資産には有形資産と無形資産がある。
有形資産とは製品や土地、建物、製造設備や有価証券などをいう。
対して無形資産とは文字通り形のない資産、つまり、手に取って見ることができない資産のことで、特許や商標、ノウハウといったものを指す。
少し前までは有形資産の競争力が企業の競争力に直結していた。
しかし、今は無形資産の競争力なくして企業の競争力なしとまで言われるようになった。
特にブランド価値は近年その重要性が高まるばかりである。
「続けて」
促されたわたしは教授の顔を真っすぐに見つめて、声に力を込めた。
「外国の企業はブランド価値の重要性を理解し、その価値を高める努力を何十年も、いや、何百年も続けてきました。しかし、日本の企業はどうでしょうか?」
そこでその先を言おうかどうか一瞬、躊躇ったが、言うべきだという心の声に背中を押された。
「わたしは20年近く医薬品メーカーで営業の仕事をしてきました。その会社はQOL薬品です」
すると、へ~、というような声がいくつも上がった。
「ご存知の通り、医療用医薬品だけでなく家庭用医薬品も販売している総合医薬品会社です。テレビで宣伝をしているのでご存知の方も多いと思います」
すると、多くの人が頷いてくれた。
「ブランド戦略としては社名を徹底的に押す戦略を取ってきました。『命を守るQOL』という宣伝を見たことがある人も多いのではないかと思います」
知ってる、という声がいくつも聞こえてきた。
「それが功を奏したせいか、最近の調査では認知率が70%を超えているようです。これは中堅の医薬品会社としては高い認知率であり、医療用医薬品の営業に携わっていたわたしもその恩恵にあずかってきました。でも、せっかくの高い認知率を家庭用医薬品に活かせていないという問題を抱えています」
そこで主要な3製品を紹介した。
総合感冒薬の『ララ』、胃腸薬の『スキロン』、最近発売した抗菌剤『アータック』
「残念ながらどれもが低いシェアに苦しんでいます。『ルル』に対抗した『ララ』は独自成分を処方しているにもかかわらず、まがい物のような扱いを受けています。また、飲むとスッキリするというところから名付けた『スキロン』も胃腸薬というイメージと結びつかないせいか、一桁のシェアに甘んじています。しかし、それ以上に悲惨なのが『アータック』です。〈菌にアタック!〉というところからネーミングしたのですが、テレビ宣伝をいくらやっても売上が上がってこないのです。洗剤の『アタック』に著しく似ているので、抗菌のイメージが湧かないのが大きな原因かもしれません。せっかく社名の認知率が70%を超えているのにもったいないですよね」
そこで声を止めると、ほとんどの人が頷いているように見えた。
それに力を得て、本題に入ることにした。




