第19話
壁に飾られた、様々な絵画。それに、肖像画。楕円形のテーブルに、それを囲む人々。その面持ちは、個性はあれど、落ち着きのある面々で囲まれている。どうやら、どこかの会議室だと思われる。
その一番端に座った女性が、発言しようとしていた。
「遺伝子情報工学科の事故は、皆さん、ご存知ですね。入院中の塚原教授には、ここを去ってもらいます。次の職場は私が手配をするので、それはご安心を」
「和泉理事長、噂に聞いたのですが、ご自身がそのゼミを担当されるのは、本当でしょうか?」
誰が知ろう。この和泉と呼ばれた女性の理事長が、あのお釈迦様だと。
「そうですが、何か異論でもありますか? 言いたいこと、意見があれば、遠慮なくどうぞ」
当然の事かもしれないが、反論は一切と出て来なかった。大学の理事長であるが、お釈迦様に説法を説くという、度胸と無知な人間はこの場に必要とされていない。それだけに、この大学の人材は優秀で、厳選されている。
「では、皆さん、頼みましたよ」
理事長が退席すると、同席者もそれに習い、同じようにその場を後にする。
ゼミのある実験室は、研究棟の1階にある。大学の門を潜り、講堂脇の専用通路を入った場所に、それはある。
その中でも塚原教授の実験室は特別で、その規模も大きい。この大学では、特別扱いされ、優遇されていると言っても良いだろう。
だが、研究内容が難しかったせいもあるが、ゼミ生は、俺と麻友を含む五人だけだった。先の事故の時には、俺と麻友だけがその場に居合わせ、残りの三人は、資料集めに追われていて、運良くもあの件に巻き込まれなかった。
今日は、ゼミに参加する全ての研究生が、この第一実験室に集まっている。当然の事だが、前任の塚原教授について、俺と麻友はそれを聞かれるのだが、事の全てを知っているのは、俺だけだ。貧乏神を除けばだが。
その貧乏神も何かを隠していやがる。それは俺の予想だが、今はそれを問い質す、その時間が惜しい。
俺の肩にいる貧乏神、一体こいつは何を考えているのだろう。本当に俺が世界一不幸な人間なのだろうか。そして、その目的も同じだ。俺を幸せにすること。これが全ての目的なのだろうか。
「旦那、来やしたぜ。お釈迦様の登場でやんす」
どうやら、気配を感じ取ったらしい。
実験室のドアが横に静かに開く。貧乏神の言葉は正しかった。入って来たのは、先程に会った、和泉と名乗った女性で、お釈迦様だったからだ。
「皆さん、はじめまして。塚原教授の後任の和泉です。少しの間、海外に行っていたので、知らない人もいるかもしれませんが、この大学の理事長を務めさせていただいています」
理事長だって? そうか、そういえば、この大学にはトップとなる、そうだ、理事長が海外出張中だと、大学に入学した時に聞いていた。確か、出張先はインドだったな。里帰りではないのかと思ったが、それを口に出せるはずもない。
「本田君に鈴木さん、お二人とは先程会いましたね。改めて、宜しくね」
「あ、はい、宜しくお願いします」
俺の返事に麻友も続く。
「宜しくお願いします、和泉理事長」
麻友の返事を聞くと、理事長は少し思案顔をしてみせた。困っているような、何かを考えている、そんな顔だ。
「皆さん、私はこの大学の理事長ですが、教鞭を取る身です。う~ん、そうねぇ。こうしましょう。私の事は『和泉先生』と呼んで下さいね」
俺と麻友は、お互いの顔を見合わせる。麻友は、少し戸惑った表情をしていたが、どうやら、理事長の案に異論はなさそうである。
「はい、異論はなさそうなので、その通りに呼ぶように」
強引に決定されてしまった。
先生ではあるが、お釈迦様に敵うはずがない。何しろ、貧乏神の話では、天界の神々でも口喧嘩では、お釈迦様には敵わないと言っていたからな。人間である俺達が勝ててたまるか。
「じゃあ、和泉先生、質問があります」
俺はゼミの方針、塚原教授は土蜘蛛であったが、今後の研究が気になるので、それを聞かなければならない。
「本田君、どうぞ」
「今後のゼミの方針ですが、実験装置が全壊し、研究データも飛んでしまいました。何かお考えがありますか」
「問題ありません。そのために、私が担当になりましたからね。心配はいりませんよ」
即答されてしまった。どうやら、俺の心配は杞憂に終わりそうだ。
「では、今後のゼミのテーマを皆で決めましょう」
即答に即答されたが、俺の耳はおかしくなったのか。これは幻聴なのか。「教えて下さい、お釈迦様」これは俺の心の声である。
「和泉先生、ゼミの方針は、何かのお考えがあるのだと思いましたが?」
「これは、貴方たちのゼミであり、研究ですからね。私が出来るのは、その補助である指導です。ですから、これは貴方たちで決めなさい。 そうね。まず、これが最初の私からの課題です」
「いや、それは違います。大学なので教授職にある人のテーマを学び、補助するのが学生ですよ」などと、言えるはずもなく、俺と麻友は、お互いの驚いた表情を確認するしかなかった。
これが、お釈迦様か。その意見に逆らえない、その何かが反論を許さない。こうなれば、自分達でゼミの方針と研究のテーマを決めるしかなさそうだ。
だが、俺達には時間が無い。来年の春には卒業なので、それまでの時間を考えると、ゼミに集中出来るのは、あって、半年くらいだ。卒論も書かなければならないからな。
「麻友、良いかい」
「う、うん」
不安が言葉に出る。
「それでは私は戻りますね。テーマが決まったら、理事長室まで呼びに来て下さい」
そう言うと、実験室から逃げるように出て行ってしまったぞ、お釈迦様は。




