第11話
昼には定食屋の暖簾、夕方からは小料理屋の暖簾。店が変わるわけではないのだが、昼と夜では店の雰囲気が全く違う。今は、夜の顔をそこに見せてくれている。
店のドアの横には、マスコットキャラ、いや、違うな。名物となっている、陶器の狸の置物が、俺達二人を迎えてくれていた。その大きさは高さ約1メートルと大きく、まるで、店を守っているかの錯覚を覚える。
「旦那、この店に入るのでやんすか?」
貧乏神がいやに小声で話しかけて来た。
「入るが、それがどうかしたのか?」
「いえね、いやすぜ」
「何がだよ、今更何を言っているんだ」
「それがですね、あっしと同類か、 それ以上の存在でやんす」
「俺はこの店の常連だが、特に何も感じなかったぞ」
「あっしにはわかるのでやんす。旦那、悪い事は言いやせん。お止めくださいな」
貧乏神を見ると、その貧相な顔は青ざめ、震えていやがる。お前は『堕天使サタン』ではないのか。
いや、もしかすると、俺の知らぬ間に店が変わった可能性も否定できない。仮にも悪魔の盟主とも呼ばれている存在だからな、貧乏神の奴は。
「隼人、どうしたの? さっきから何か変よ。お金の心配なら、いらないから。次のデートで倍返しを期待しているわ」
ここまで来て、引き返すわけには行かない。俺は覚悟を決めた。
そして、暖簾を潜り、ドアを横にスライドさせて開ける。
「だ、旦那、やばいかもしれやせんぜ」
貧乏神の悲鳴にも似た声が聞こえたが、俺はそれを無視して店に入る。
「いらっしゃい、お、隼人じゃないか」
「こんばんは、おやじさん」
何だ、何も変わっていないじゃないか。少し太めの元気な、おやじさん。それに、常連客で溢れ、賑やかな店内。それと、この食欲をそそるような匂い。
「おいおい、そちらの別嬪さんは誰なんだ。突っ立ってないで、早く入りなよ」
おやじさんは、そう言いながら、カウンターの少し、喧騒から離れた席を用意してくれた。俺と麻友は案内された席に座り、二人して渡されたメニューを見るのだが、おやじさんの興味は麻友にあるようだ。
「おい、早く紹介しやがれ、この色男が」
口は悪いが、料理の腕と人柄は保証出来る。それが故に、この店はいつも客でいっぱいだ。
「あ、彼女は、俺の大学の…」と言いかけたところで、麻友が間に入った。
「隼人の大学の同期で、麻友と言います。関係ですか? 勿論、お付き合いさせていただています」
麻友の口から、そんな言葉が出るとは思わなかったので、少し驚いたが、これは事実なので、俺の方がまだ現状を理解出来ていないのかもしれない。
「うんうん、良かったなぁ、隼人。女と無縁と心配していたが、こんな綺麗な彼女が出来るとはな」
素直に喜びたいところだが、話しが長引きそうだ。おやじさんはこの手の話しが好きだからな。
「おやじさん、ここで油を売っていて良いのかい?」
「そうだったな。話しは後でじっくりと聞かせてもらおう。注文が決まったら、呼んでくれ」
そう言うと、飛ぶようにカウンターの中に入り、何やら作り始めている。
店は、おやじさんとアルバイト二人の三人だが、連携が良いのか、店の注文が滞ったことは、未だに見たことがない。
「おやじさん、生中二つに、お任せで、三品くらい作ってもらえるかしら」
言ったのは俺ではない。
麻友だ。
「旦那、いやしたぜ」
これは、貧乏神の奴だ。
「飲めるんだ」
「うん、そんなには飲めないけどね。嗜む程度かな。でも、今日は潰れるまで、飲んでみたい気分よ」
「付き合うよ」
「嬉しい、ありがとね」
貧乏神が忙しそうに、恐る恐る、その間に入る。
「旦那、旦那、聞いて下せえ」
「だから、何がいたんだよ」
「神とその使いでやんす」
「それは目出度いな。それなら、話しが早い。ここで点数を稼いでおけよ」
「旦那、あの店主は、恵比寿でやんす。そして、その手伝いが、酒吞童子ですぜ。鬼でやんす」
「それなら、尚更だ。目出度いどころか、縁起が良いではないか、貧乏神」
「旦那、あっしが人間界にいるのは、内緒のことでやんす。事情を知らぬ神に出くわせば、神罰で消されてしまうでやんすよ」
「そうなのか」
「へい、間違うことなき、真実でやんす」
「それなら、店の外で待っていると良い」
「それが出来るのなら、とっくにしてやすぜ」
貧乏神が本当に震えていやがる。どうやら、それは真実のようだ。しかし、今更、店を出る方が不自然で、怪しく思われてしまうだろう。
そう考えている時に、店員がビールを持って来た。
「お待たせしました。生中二つです。料理は、もう少しお待ち下さい」
「ああ、ありがとう」
どう見ても普通の人間である。あれが貧乏神の言う、酒吞童子なのか。そして、おやじさんが恵比寿とは、いったい誰が信じよう。
「じゃあ、乾杯」
「おう、乾杯」
そう言い、俺と麻友はジョッキを合わせた。
美味い。そういえば、大学から何も口に入れていなかった。それと、麻友の存在が俺の気分を高揚させた。
「う~、美味しい」
そう言ったのは、麻友で、ジョッキのビールを一気に飲み干してしまった。
「おやじさん、生中、お代わりね」
「おう、どんどん飲んでくれ」
どうやら、麻友とおやじさんの相性は良いらしい。いや、これは麻友の人柄とも言えよう。
負けてたまるか。
麻友に負けじと、俺も一気にジョッキを空にした。
「おやじさん、俺も頼むよ」
「おう、飲みねえ、飲みねえ。頼もしいじゃねえか」
そして、お待ちかねの料理だ。店員がビールと一緒に、香ばしい匂いのする料理を運んで来てくれた。
「お待たせしました。お代わりのビールです。それと、鶏の唐揚げとマグロの刺身、枝豆です」
そう言い、テーブルにビールと料理を並べてくれた。
が、そこまではいい。何の問題もない。違うのは、陶器で出来た酒瓶にお猪口が、俺達のテーブルに置かれたからだ。
「あの、これは?」
当然の疑問を店員にぶつけてみる。
「こちらは、店主からのサービスです。そんなに怖がらないで下さい、肩のお方。今の名前はわかりませんが、心配はご無用です。ここで会ったのは、ここだけの秘密にしますからね。お飲み下さい」
「奴が見えますか?」
「はい、私にも、当然ですが、店主にもです」
「聞こえたか、貧乏神」
「へい、ありがたいことで、このような扱いは、天界以来の事ですぜ」
「では、ごゆっくりどうぞ」
店員は、そう言うと、カウンターの中へ戻り、自らの仕事に専念しているようである。
貧乏神はというと、酒瓶をじ~っと睨みつけていやがる。
「旦那、いいですかい。これは天界の酒でやんす」
「そうなのか?」
そう言い、俺はお猪口に酒を注いだ。
「おい、貧乏神、好きなだけ飲むと良い」
貧乏神を見ると、目を輝かせ、怪しげな踊りをしていやがる。いや、俺にもそれくらいはわかる。それだけに嬉しかったのであろう。
「ありがとうございやす、旦那。天界の酒は、もう1000年近くを口にしていやせん。これはありがたくいただきやす」
貧乏神がお猪口を口にし、酒を飲むと、店の雰囲気が変わった。
それは、まるで夢物語の出来事のようだった。