第10話
タクシーに乗り込み、行き先を告げる。
「運転手さん、南原通りの浜屋へお願いします」
「お、お客さん、通ですね。浜屋と言えば、知る人ぞ知る、隠れた名店ですからね。安いので、私達も利用しますが、車だとお酒が飲めないのが残念ですよ」
40代だと思われる男性運転手が自分のことのように浜屋について語る。
そうなのか。俺は普通に利用していたので、そこまでは知らなかった。学生の身には、あの味と料金が助けになっている。早い安い美味いは、どこかの牛丼チェーン店のキャッチフレーズだが、俺に言わせれば、それは浜屋にこそ相応しいだろう。
「そちらの女性は、彼女さんですかい? 可愛らしい方ですな」
「あ、彼女ね。まあ、そんなところです」
「隼人、私達は、私の言いたいことがわかるかな?」
「わかってるよ。麻友は俺の大事な女性、これ以上言わせるのかい」
「う~ん、まだ100回くらい言って欲しいところだわ」
タクシーの運転手がここぞとばかりに話しに入る。
「仲がよろしいことで、私の若い頃を思い出しましたよ。実に羨ましい」
「本当にそうなのか」などと、つっこめるはずもなく、運転手との会話を聞き流す。
「浜屋という、お店は人気なのですね?」
「そうですね。値段もさる事ながら、その味は銀座の一流と言われる、料亭にも負けないと、これは私だけではなく、仲間内では有名ですよ」
麻友が興味津々と、運転手と会話をしている。俺には特別とは言えないのだが、これは普段から利用しているからだと思われる。
そうこうと話しをしていたら、タクシーは浜屋の前へと着き、車を停車させた。
「お客さん、着きましたよ。料金は、1480円になります」
そこで、俺はある重大なことを忘れていたことに気付く。そうだ、俺には払える金が一銭もない。貧乏神の指示で、財布の有り金全てを寄付してしまったからだ。
「麻友、実は、何だけど。ごめん、持ち合わせが一銭もない」
「隼人、その胸の赤い羽根。もしかしてだけど、全部寄付してしまったの?」
「正解」
「心配しなくてもいいわよ。これは私がお願いしたこと。それに、次のデートでのお返しを楽しみにしているわ」
そう言いながら、麻友は自分の財布から、運転手にタクシー代を渡した。
笑いを堪えながらであるが。
「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
タクシーを降りると、賑やかな喧騒が耳に入る。これが浜屋で、俺のお気に入りの店だ。
「いよいよね。わくわくだわ」
店を前に、麻友が目をキラキラと輝かせている。