兄の独白
病院で目が覚めた直後、兄が死んだと聞かされた。
私は昔から体が弱かった。
二年前に体調を崩してから入退院を繰り返し、一年前に意識を失った。
かなり危ない状況だったけど、どうやら死なずに済んだらしい。
目を開けると、母が泣いて、父も泣いた。2人は涙が収まると「そういえば」と切り出した。
陽翔が死んだと、無感情に告げられた。
兄は両親とうまくやっていなかった。
兄はプライドが高くて、優秀で、縛られることが嫌いだった。
対して、両親は過保護といえるほどに子供を手元に起きたがった。決して悪人ではない、ただ、愛情が深すぎて、真面目で神経質な兄には耐えられなかった。
私も昔は拘束されるのが嫌だった。
価値観を押し付けられるのが嫌だった。自分のやったことすべて、考えていることすべてを話すよう強要されるのが嫌だった。それが親心だったとしても。
親が煙たい時、いつも兄がかばってくれた。
それとなく間に割り込んできて、バカみたいな、くだらないことを言って矛先を自分に向けさせた。
私が親とうまくやっているのは、兄が防波堤になってくれていたから。
私が、彼らとうまくやっていけるくらいの器用さを身につけるまで、ずっと守ってくれた。
兄が高校を中退して家を飛び出したとき、私は驚かなかった。いつかきっとって予感はあったから。
ずっと音沙汰なしで、九年ぶりの便りが訃報。
自殺だった。弁護士に託した手紙で、2千万円と、五百冊以上の本、段ボール箱2つが私のところに来た。
段ボールの一つにパソコンが入っていた。
意外なことにデータは消えていない。きっと本と同じで、最期まで捨てられなかったもの。
パスワードはすぐにわかった。好きな人の誕生日なんて、本当にあの人らしい。
このことを両親に教えたら驚くはずだ。彼らにとっての兄は人を好きになることなどあり得ない、怜悧冷徹な理性の怪物。
最後に保存されたのはテキストファイル。
死ぬ前に、自分のすべてを残そうともがいた証。
たったひとりの見知らぬ少女に向けた、痛々しいラブレターだ。
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あの子を好きになってしまったのはいつだったのか、今や知るすべもない。会話履歴が消えてしまったのが痛い。あれがせめてもの慰めになっていたのに。機械音痴を治さないでいた代償か。
日記を読み返せば分かるのだろうが、やめた。今の私を構成するのは、記録ではなく記憶だから。
鮮烈に覚えているのは、私が将来に悩んでいる時、「陽翔さんなら頭いいし、なんでもできるし、大丈夫だよ」と言ってくれたこと。
なぜ私がかほどの評価を得ていたのはわからない。何度か歴史は教えたが、他は何一つとして敵わなかった。
あの言葉が支えだった。私はそれを、本人に告げてしまった。君がいなければとっくに折れていたと。
それがまずかったのだろう。以来、返信が来なくなった。もう一年も経つ。
好きになるな。なってしまってもそれを気取られるな。それが少しでも長く続けるコツだ。
私は気持ち悪い人間だから、いつかは愛想を尽かされる。けど、好意を持っていることがばれなければ意外と受け流してくれる。
初恋のときは全く何もしなかった。中学に上がると彼氏ができていた。
好きだなんて一言も言わなかったから、ただのクラスメイトとしての交友は続いた。
問題は二回目。
塾の子を好きになって、とことんアプローチした。ことにつけては話しかけて、やたらと褒めちぎった。
ある日、塾長に呼び出されて、「なんで呼び出されたかはわかるだろう、◯◯さんのことだ。向こうも迷惑してるから、やめなさい」
次の日からはその子に近づかないようにした。
本当に申し訳ないと思う。不快な思いをさせてしまった。
謝りたかったが、それすら気持ち悪がられるだけだ。唯一私にできるのは近づかないことだけ。
失恋の衝動を勉強にぶつけたおかげで、内申のわりにはいい高校に受かって、最初の試験で二位になった。
これが第二の問題。
私には、成績上位のプレッシャーに耐えられなかった。
一度いい順位になると落ちるのが怖くて、必死に勉強した。
失恋のはけ口のために勉強していたのが、義務感に変わった。
熱を失ったあとも、プレッシャーに追い立てられて勉強を続けた。
数学は好きだったけど、成績を維持するためには他の科目も必要だ。
日に日にストレスは溜まっていった。
勉強のストレスが、理性を狂わせた。
クラスの子に「勉強を教えて」と話しかけられ、仲良くなって、依存して、拒絶された。
嫌われてるのがわかりきってるのに諦めきれずに話しかけて、クラスからも孤立した。
仲良くし続けてくれた人もいたけれど、私の目には大多数の、私を嫌う人たちしか映らなかった。
家に帰れば塗炭の苦しみ、高校ではうまくやれそうだったのに自分でぶち壊した。
あるいは所属するグループを間違えてしまったのかもしれない。
私が仲良くしてたのは、いわゆるトップカーストの連中。
試験ができる事でそこのボスに気に入られ、放課後勉強会するからと誘われた。
言葉通りに受け取ったが、実際にはお菓子を食べながらだべるだけの会。どうにも馴染めなかったがせっかく誘ってくれたのを無碍にするのも気が引けた。
勉強会には参加を続けたが、気分は晴れず、大人数での会話にも入れず、人に囲まれているのに孤独だった。
別に無口キャラでいてもよかったと思うが、当時は何か話すべきという焦燥に追われていた。
トップカーストの一番下、だから辛かった。
つるむ相手を間違えなければストレスも溜まらなかったろう。
といっても、これは今だから言えること。
当時はカーストの存在にすら気づいていなかった。
あるのは個人と個人の繋がりだけだと思っていた。
クラス内にも複数のコミュニティがあって、上下の階層があるなんて知らなかった。見えていなかった。
社会性が欠如している自覚はあった。けれど、私はそれを過小評価していた。
人間は準社会性の動物だ。社会あっての個。
自我は社会の中での関係性に依存して存在する。ライプニッツが主語にすべての述語が含まれると言ったように、私を規定するには私以外が必要だ。
私はそれを理解できず、イデア論的に、私自身の内的な本質に基づいて存在していると思い込んでいた。
自分では論理的に考えているつもりだった。
論理で出した答えは正しいのだと信仰していた。
真偽は現実の世界を見ることでしか確かめられないのに。
私は、自分の頭にある世界に対する像を見ただけで、世界を理解していると思い込んでいた。
プラトンの育てた哲人王は失敗し、現実を見続けたアレクサンドロスが世界を制した歴史を知りながら。
私は私自身の論理に自閉した。一切を閉め切って、外の世界を拒絶した。
不登校になり、部屋に引きこもった。
ひたすら読書にふける生活がはじまった。持っていた本に飽きると図書館に通い、本を買うためにバイトを始めた。
バイト先のコンビニで、また人を好きになり、感情の制御に苦しんでいた時、あの子と話すようになった。
あの子もまた片思い中だったから、話が会った。
匿名snsという胡散臭い場だったのに会話は続いて、ラインでもやりとりするようになった。
私は失恋し、少し間をおいてあの子も失恋した。
失恋はしたがバイトのおかげで五十万ほど溜まっていたので、一月ほど海外へ飛んだ。
人生でもっとも解放された、幸福な時間だった。
けどコミュ障に貧困旅は難しく、家に帰らざるをえなかった。
もっと金を貯めて再び海外へ行こうと思い、自衛隊に入った。
中卒でも入れて生活費がかからず、公務員なので給料も安定している。ついでに旅で必要な体力もつけられる。
そんな打算で、私は入隊した。
あの子が失恋したのはちょうどその頃だったと思う。
十年来好きだった年上のお兄さんが引っ越していなくなったと。連絡はつくが、もう諦めるしかないと悲しげに語っていた。
慰めの言葉をかけた。私自身も失恋直後は愚痴を聞いてもらった。
だから、好きになっただなんて口が裂けても言えなかった。
いつから好きだったのか、こうして思い出してみてもわからない。入隊したころは年の離れた妹くらいにしか思っていなかった。
出会ってすぐに年下だとは気づいた。
あの子は私なんかよりずっと頭が良くて大人びていたが、雰囲気が妹に似ていたせいだろうか。実際に年を聞くと六つも下で驚いた。
六つ下の少女に依存して、1年間も連絡がつかないのに未練たらたらで、会ったこともないし、声を聞いたこともないのに、私のもっとも大事な外的存在になっている。
童貞の妄想とは恐ろしいものだ。ただ言わせてもらえばあの子は恐ろしくいい子で、優しかった。うちの妹もたいがい素直で可愛くて本当に血が繋がっているのか疑うくらいだったが。
自衛隊はクソみたいにしんどくてバカみたいに楽しかった。金を貯めるという当初の目的も忘れてずるずると続けてしまった。
社会性の欠如も多少は隠せるようになっていた。三十くらいまでは自衛隊を続けてから退職して、海外に行くのもいいかと、甘い夢を抱いていた折、連絡が途絶えた。
自業自得だ。私はあの子に依存心を見せてしまった。
久しく忘れていた己の醜悪さを思い出し、夢から覚めた。
器用さを身につけたところでしょせんはごまかし。仕事は、人との繋がりは、息苦しくて、精神をすり減らす。
適当な理由をつけて職を去り、海外に行くための準備に取りかかったが、熱はもう冷めていた。
私は努力を放棄した。
放棄してすぐ、途方に暮れた。
金を貯めて海外に行く、それは私にとってたった一つの理由だった。
そのためならがんばれた。仕事は辛くて人間関係は面倒で、帰国したあとのことなんて考えるだけでも億劫だったけれど、目標があれば耐えられた。
なぜ捨てたのだろう。
なぜ捨てられたのだろう。
あるいはその時にはもう、無意識のうちに価値基準が転倒していたのかもしれない。
たった一つ大事なものの座には、あの子が座っていたのかもしれない。
たった一つ、私はそれを求め続けた。それさえあればいいと思える一つ。
それだけがあればよくて、それ以外はどうでもいい。それ以外のすべてがあっても無意味になってしまうような一。
幼少期の私にとって、それは物質世界の真理だった。ラプラスの霊を求めて、私は科学書を読みあさった。
不確定性原理にぶち当たり、真理を求める場は数学へと移った。学校に通う頻度が減っても上位を維持できたのは数学が好きだったおかげだ。
学校に行かなくなって、図書館で歴史書を読むようになり、私の求める真理は人間社会までも含めた世界に遍在する法則へと変わっていった。
人間の欲、マクロな現象、宗教、それらさえ包含した何か。
学べば学ぶほどに求める真理から遠ざかり、欲しいはずのたった一つは届きそうになるたび姿を変えて逃げ去った。
真善美は超越論的だ。そこへたどり着くために必要なのは思索ではなく観察。
経典ではなく体験の中に悟りを求めた禅。身口意の密教。幸福を論理空間の外側に置いたウィトゲンシュタイン。
思考を極め、それゆえに思考の限界を知り、それさえ踏み越えた彼ら超人たち。
たった一つは存在する、それは私が無意識のうちに持っていたドグマに過ぎない。
自覚した瞬間、ドグマはドクサへと墜ちる。
信じていた足場を失い、自己を観察した時、残ったものはあの子だった。
あの子さえいればいい。あの子さえいれば、人間社会の中でも生きていける、夢を目標を失って、ドグマすら崩壊しても、瑣末事と一笑できる。
けれど、あの子はもういない。
ここまで私は、頭の中身をそのままに書き出した。
頭の中にある言葉と口にする言葉は別物だ。
頭の中にある言葉を話しても、相手にはちんぷんかんぷん。わかってくれたのは2人だけ、月と、あの子。
月は十六年も一緒にいたのだから当然かもしれない。あの家で会話が通じたのは月だけだった。
あいつらには何を言っても無駄だった。あいつらは自分の感情だけだ。何も見ていない。
自分自身のドクマに縛られ現実を見なかった私に言えたことではないが。
あの子は聡明で、私の浅い考えなど簡単に読み取られた。
あの子は私以上にめんどくさい。理屈ばっていて、それ以上に激情家だ。
理不尽は努力でねじ伏せる、怒りは成長の糧とする。プライドが高くて不器用で、天高く飛んでいける才能があった。
その才能を愛した。龍も幼ければ虎に食われる。凡人たちは天才の羽をもぐため徒党を組む。
片思いに敗れ、才能ゆえにクラスでも孤立していた彼女に、私は自分を投影した。あるいは、自分の理想を押し付けただけなのか。
守りたかった、あの才能を、潰えさせたくなかった。
どこまで飛べるのか見たかった。私が求め、届かなかった高みを掴む姿を見たかった。
私がかけて欲しかった言葉をかけた。あの子は喜んでくれた。
兄が欲しかったからと、私を兄さんと呼んできたときは嬉しいような恥ずかしいような、むず痒い気持ちになった。
そうしていつしか、私はあの子に依存した。
あの子が頼ってくれることが、私の自尊心の拠り所となり、心の支えとなっていた。
つまり私は親と同じだったわけだ。下に見れる相手を見つけ、それに施しを与えることで自分の心を守る。
嫌われて当然だ。
あの子がいなくなって一年経つ。私はあの子に代わるたった一つを見つけられなかった。
それなくして、この苦しい人間社会を生きていける強さは、私にはない。
願わくば彼女がその才能を振るえる未来を。
ついでにもう一つわがままを言っていいのなら、妹に幸福な将来を。
それが信仰と理性を失ってもなお残った、捨てきれないもの。