62話 ついて行かない
それからは、何事もなかったかのように静かな毎
日を送っていた。
自由登校になっても、家での勉強は欠かさない。
そして受験当日。
前日に風邪を引いたせいかマスクをつけて出掛け
ていく歩夢を見送り郁也はただ、願うしかない。
歩夢はと言うと、少し鼻が詰まって辛いが、頭は
冴えていた。
電車の中では多少他人の声が気持ち悪かったが、
それでも、今日が大事な日だと言うことは変わら
ない。
いつも以上に落ち着いている自分に驚いた。
「大丈夫、やれる事はやったんだ、あとはやれる
だけやるんだ…」
郁也とまどかさんが買ってきてくれたお守りをポ
ケットにしまうと試験会場である、大学の講堂へ
と向かった。
前に郁也と一緒に、ここには来たことがあった。
あまりに郁也がべったりだったせいで『恋人』と
間違えられた事もあった。
あの時は何をされるのかと、怖かった。
が、今は少し理解した気がする。
推薦入試といえど、油断していると、落ちる事だ
ってある。油断は出来ない。
気を引き締めると、試験に臨んだのだった。
終わってみると、呆気ないものだった。
手応えは………だいぶある。
一旦、高校へと行くと試験が終わった事を伝えた
のだった。
「水城、どうだった?結構難しいだろ?」
「あ、はい……。でも、結構埋めれたので…」
「そうか、最近は頑張ってるもんなぁ〜期待して
るぞ?一応滑り止めも受けるんだろ?」
「はい、明日に……」
「そうか、明日も頑張ってこいよ?」
「はい……」
家に帰って今日の出た問題を振り返るところから、
始める。
あとは明日の対策をしてから就寝する。
郁也はというと、何かと整理で忙しいらしかった。
何をしているのかは歩夢からはわからなかった。
それに、知ろうともしなかった。
今の歩夢にはそんな心の余裕などなかったからだ。
連日の試験で、精神的に疲れたのか風邪が治りき
っていないせいか、熱を出していた。
コンコンッ
「歩夢〜、起きてるか?」
部屋のドアをノックしても返事がないので郁也は
勝手に開けて入った。
中で眠ったままの歩夢を見るとつい触りたくなる。
そこをグッと堪えると、声をかけた。
「飯だぞ?起きれるか?」
「んッ……今何時?」
「もう8時だ。起きれそうか?無理なら支えよう
か?」
「ん〜……大丈夫。自分で起きれるから……」
まだ寝起きのせいかフラフラしていて危なっかし
い。
「無理しすぎだ。少しは俺を頼ってくれよ?せめ
て家にいるうちくらいは頼りになるお兄ちゃん
でいたんだがな〜」
『もうすぐ出ていくから、それまでくらいは頼っ
てくれよ』
「………出ていく……のか?」
「あ、そうだったな、歩夢には隠し事はできなかっ
たなそうだ、就職するから家を出て、会社の側に
住む事になったんだ」
「社宅?」
「いや、違う。ちょっとボロいけどアパートかな。
それでだ、一緒に住まないか?俺は歩夢が好き
なんだ。歩夢も、もし俺の事を受け入れてくれ
るのなら……一緒に」
「わからない……出ていくなら勝手に行っていい
よ。僕はここに残る……」
「大学もアパートからのが近いぞ?いや、そんな
事じゃなくてだな……俺が歩夢と一緒にいたん
だ。だから頼む一緒に来てくれないか?」
「……もう、出てって」
「分かった、今日はこれで……いつでも待ってる
からな」
この日から、郁也が触れて来なくなった。
もちろん、揶揄う事も無くなったし、キスもして
こなかった。
嫌だと思っていた事が、全くなくなると、それは
それで寂しい。
「寂しい……どうしてだろう……」
プルルルーー。
「はい……綾野?」
「風邪治ったか?前にデートの話あったじゃん?
そろそろ大丈夫か?」
そういえばそんな話もあったのだった。
いきなりの歩夢の体調不良で、延期になったの
だった。
「分かった、今週末でもいい?」
「分かった。連絡つけとくよ」
「うん。よろしく」
あれから歩夢の体調が悪くなって断りの連絡を
入れたのが綾野だった。
そして、なぜか武藤ありさと仲良くなったらし
い。
これは綾野にも春が訪れていた事を示していた
のだった。