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華と夢9

最近の翠明は文を書くこともあった。それは清爛が作った定型文を書き写すというものだった。仕事にも慣れて来た翠明、わからないことは積極的に清爛に確認し、非常に勤勉だった。そんな翠明がいるのだから仕事は早く終わることも多く、そんなときは玉連も交えてお茶の時間を取ったり、たわいもない話をしたりするなどの時間を取っていた。

そんな余裕が少しずつ翠明の表情を豊かにし、清爛と翠明の距離も徐々に近づいて行った。

そしてそんな二人の微妙な変化を吏志と玉連も気が付いていた。

やんちゃさが抜けず自由な思考の清爛と、まじめで気が強くそっけない態度を取る翠明。そんな二人の様子は非常に似合いに見えるときもあった。

落ち着いた日々が続いていたある日吏志は複雑な心境で廊下を歩いていた。

吏志はこれから清爛に、ある知らせを伝えなければならなかった。それは非常に喜ばしい事ではあるのだが、なぜか吏志は複雑だった。そしてそのことを聞いた清爛はもちろんだか、翠明が知ることとなった時、翠明はどんな反応をするのかも気になった。

吏志はどうしても、翠明に情報が伝わる前に、清爛に確認を取らなければならなかった。

書斎を開けるといつも通り清爛と翠明は仕事をしていた。座っている清爛の横に翠明が立ち、何か指示を仰いでいる。その距離は非常に近く、お互いを信頼している事が容易に想像ついた。

吏志は、清爛が翠明に特別な感情を抱いていることに気が付いている。それは翠明を連れて来て、その理由を知った時からわかっていた。翠明の方の想いはわからなかったが、少なからず来た当初よりも清爛に対し親しい気持ちを持っているのだろう事は感じていた。

吏志は本気で、この二人が夫婦になってくれたらと思っていた。

もちろんそれには翠明の身元を明らかにする必要があるのだが、皇位継承権のほぼない清爛であればさほど問題がないような気もしていた。実際自由な清爛は皇位を受けるつもりはない。

そんな中、どうしてこんな事態になってしまったのかと吏志は思った。

そして、それをできるだけ早く清爛に告げなければならなかった。

「孫文様、少しよろしいですか?」

吏志のその言葉に清爛が顔を上げ、その様子に気が付いた翠明が顔を上げた。翠明は吏志に頭を下げる。

「どうした、急ぎ事か?」

「えぇ、少々急ぎ事です。」

「わかった。翠明、続きを片付けておいてくれ。」

清爛の言葉に翠明は頭を下げた。

吏志は清爛を連れて部屋を出た。そして吏志は清爛の部屋に入り、周囲に人がいないことをしっかり確認すると内側から鍵をする。そしてさらに部屋の奥へと清爛を連れ込んだ。

吏志がここまで神経質になる時、それは宮廷内で何かが起き自分が関わらざるを得ない時だと言う事を清爛は知っている。何が起きたのだろうかと清爛は眉間にしわを寄せた。

「清爛様、最近桃花妃や愛麗妃の所に行かれていますか?」

吏志のその言葉に、清爛はぎょっとし、気まずそうな顔をして吏志から目を逸らした。

「いや・・・最近は、行ってないなぁ。」

「最後に伺ったのはいつですか?」

「・・・先月か、先々月か・・・」

「その後は?」

「ちょっと、顔を見によったぐらい・・・?」

「その時、何かお気づきになった事とかありますか?」

「気が付いた事?いや、特に・・・?」

そうだろうと吏志は思った。それだけ清爛はこの妃たちに興味がないのだ。

「桃花妃が、ご懐妊されております。」

「なんだって!!!?」

清爛が叫んだ。

「お気づきになりませんでしたか・・・?」

「いや・・・」

清爛は絶句していた。

「清爛様の正統な第一子になられるお子になります。桃花妃の所に伺いになって下さい。」

清爛の頭の中は散らかりすぎていて言葉すら出ない程動揺していた。まさかそんな事が起きていたとは思っていなかった。清爛は、孫文としての自由を謳歌し、やっと得た翠明との時間こそが自分の姿だと思い込んでいた。しかしこの事実は自分が皇族であり、皇位継承順位二位である清爛であることを突き付けられた気がした。

とりあえず、清爛は額に手を置いてふらふらと後ずさりすると椅子に腰を落とした。

吏志は黙って清爛を見ていた。

「・・・わかった、ちょっと落ち着いたら顔を出してくる・・・翠明の方を頼む。」

「わかりました。」

吏志はそう言って頭を下げ、部屋を出て行った。

清爛はなぜ自分がこんなにも絶望の淵に立たされているのかがわからなかった。清爛は秘密裏に、内宮の医師に頼んで子が出来なくなる薬を処方してもらっていた。それは煩わしい血族の流れから自身を外す目的もあったが、それよりも翠明を探すことに必死だったからだった。薬は今も飲んでいた、それは妃の所に通う数日前から飲むものであり、欠かしたことはなかった。薬が絶対ではないことはわかっていた。しかし、まさかこのタイミングでこの話を聞くことになるとは思っていなかった。

清爛の頭の中はぐるぐるしていた。

懐妊が事実であるならば皇族にとっては一大事、いくら皇位継承順位が低い清爛の子であっても、その懐妊を快く思わない者が妃や子供の命を奪うために何らかの悪事を仕掛けてくる可能性がある。故に基本的にはぎりぎりまで公にはされない。となれば尚の事、自分で確認する以外に事実を知る方法はなかった。

清爛は立ち上がり、重い足取りで内宮に向かった。

内宮の自身の部屋に戻ると清爛は着物を換え、髪を結い上げた。皇位継承順位第二位清爛の完成だった。表情は凛々しく立ち振る舞いも孫文とは違う。常に柔らかい表情の孫文とは全くの別人だった。

清爛はそのまま桃花のいる宮殿に向かった。

清爛の登場に桃花の宮殿は大騒ぎになった。明らかに今までとは違う女官達の慌て様に清爛は何か引っかかるものを感じていた。宮殿内に通されると、女官達は一斉に頭を下げ、その場を離れる。そして清爛は桃花のいる寝室に通された。桃花は大きく優雅な長椅子に腰を掛けていた。

「清爛様、お待ちしておりました。」

「桃花妃、ご機嫌はいかがかな。」

「はい、本日はとても良く過ごしております。」

桃花は清爛より三つほど年下だった。まだ幼さの残る顔をしている。

「悪いが、二人で話がしたい。いいかな。」

その言葉に桃花の世話をしている女官達は一斉に頭を下げ、部屋を出て行った。

清爛はドアがしっかり締まったことを確認し、桃花の横に腰を下ろした。

「吏志から聞いた、懐妊していると言うのは本当か?」

「はい、清爛様のお子でございます。」

「そうか、今、何カ月ほどだ?」

「一月程でございます。」

「そうか、体調は問題ないのか?」

「はい、悪阻は大層でなかなか食欲がありませんが、一時的なものでやがて治まるとお医者様から伺っております。」

「そうか、それは良かった。これから色々と大変ではあろうが、健康な子が無事に産まれる事を願っている。」

「大切な清爛様のお子でございます。この身に変えましても立派に産み育てます。」

桃花はにこやかにそう言って、頭を下げた。

清爛は出来るだけ多く顔を出すことを誓い部屋を出た。女官達が再び頭を下げる。宮殿を出る手前で食事を運んでいる女官とすれ違った。清爛はその光景を見て、やはり何か、引っかかるものを感じていた。内宮の自身の部屋に戻り清爛は頭の中を整理していた。

何かがおかしい、清爛は率直にそう思った。

それは、現実を受け入れたくないと言う本心とはまた別に、何か今自分が見た光景がちぐはぐしているように思えた。これは少し探りが必要なのではないかと清爛は思った。

しかしそれと同時に、もしそれらの感覚が自身の思い過ごしだった場合、桃花を酷く侮辱する事にもなる。自分が思う違和感を秘密裏に調べるためには、どうしても吏志の協力が必要だった。そして、玉連にも知恵を借りなければならないと思った。

清爛は孫文に戻り、外宮の自身の部屋に戻った。

そして書斎に戻り吏志に声をかけ、翠明には本日の仕事はもう終えて部屋に戻るように伝えた。翠明は一礼をして部屋に帰って行った。

清爛と吏志は再び部屋に戻ると、奥の部屋で向かい合った。

清爛は長椅子に腰を掛け、吏志は清爛の様子をじっと見て、言葉を待った。

「吏志、俺の知識と感覚がおかしければ言ってくれ。」

「わかりました。」

「桃花は懐妊して一月と言う、と言う事はその前の月に妊娠したことになる、それは、合っているよな?」

「そうだと私も心得ております、月物がなくなって初めて懐妊が分かるものだと。」

「確かに俺は先月桃花の下に行っている。懐妊して一月ならその時の子だろう。桃花は現在悪阻がひどいと言った。悪阻と言うのがどれ程かは俺にはわからないが、持ち込まれた食事はいつも通り、豪勢なものだった。悪阻で食欲がないと言うのに、いささか不思議に思うのだが?」

「悪阻中でしたらそのような豪勢な食事をお出しするのではなく、粥のようなものをお出しするとは思いますが・・・何か考えがあってなのでしょうか?」

「懐妊したことを疑っているわけではない、俺の子であるならそれは認めるし、無事に産まれて育ってほしいと思う。しかし、何か・・・違和感を覚えたんだ。」

吏志は冷静に話を聞いた。

現実を認めたくない清爛の気持ちが分かるからこそ、吏志は第三者として客観的に清爛の言葉を聞いた。全てを清爛の思い込みではないだろうかと疑いながら聞いたとしても、やはりどこかおかしかった。

「桃花は、嘘をついているんじゃないだろうか・・・?」

「何のためにでしょう?」

「わからない・・・」

皇族の下に嫁ぎ、妃として迎え入れられ、その子供を身ごもるなどこの上なく喜ばしい事であるはずだった。懐妊の可能性があれば真っ先に主にその喜びを伝えるであろう。嘘をつく必要はないはずだった。宮に入った時の使用人たちの慌て様も清欄には気になることだった。今まであんなことはなかったと思った。やはり、どこかおかしいと清爛は感じていた。

清爛は、ふと、ある事が頭に過った。

「吏志。」

「はい。」

「桃花の子は、俺の子じゃないんじゃないのか・・・?」

「内通者がいると・・・?」

「わからない、調べられるか?」

「わかりました、調べてみましょう・・・」

清爛はその夜、複雑な思いのまま寝床に横たわっていた。窓からはかすかに茉莉花の甘い香りが舞い込んでくる。同じように窓を開けていたのなら翠明の元にもこの香りは届いているのだろうと清爛は思った。翠明の部屋は庭の前、窓を開け外を見ながら、この香りを楽しんでいるだろうと思っていた。

清爛はなぜか翠明に会いたくなった。

行ったところで特別会話もなく、何がしたいと言う訳ではないのだが、空気のように静かな翠明が横にいることが、清爛にとっては落ち着くものだった。

自分に子供が出来た、本来ならそれはとても喜ばしい事なのだろうと清爛は思った。兄や父を見ればそれはわかる。無事に子が産まれ、その子が男子だったときの喜び様は、それは大層だった。

自分も父になることを望まれ、二人の妃を宛がわれている。決して望んで得た者ではないが、それでも彼女達の事を思えばこそ、顔を出した。

彼女達もまた、決して望んで来たわけではないだろうと思った。嫌々来たのだろうか、それとも清爛と言う男の肩書と、その子供を産むことだけを望んで来たのだろうか。前者だったのならどれだけ苦痛だろうと思った。しかし逆に後者だったのなら、どれほどの喜びだろうとも思った。

桃花がどちらなのか、清爛にはわからなかった。

しかし、今日見た桃花の表情は明るく、喜びに満ちている様に感じられた。だとしたら、桃花は後者なのかもしれない・・・そんな事がずっと清爛の中を支配していた。

吏志に調査を依頼したからには、結論は必ず出る。その結果自身の子である可能性が高いのであれば認めようと清爛は腹をくくる。しかし、もし逆に、自分の子供じゃないことが分かったのなら、桃花をどうすべきかと考えた。他の男の子供を身ごもった妃に対し、どんな裁きを下すのか。相手の男は誰なのか、その男にはどんな裁きを下すのか。最悪、極刑になるだろうと清爛は思った。

腹に子がいる女を極刑に処す、そんな事が、自分に出来るだろうかと、清爛は思い悩んだ。

その夜清爛はほとんど眠れなかった。


翌日、翠明はいろいろと疑問を抱いた。

朝から吏志がいない事、そして清爛がとても眠そうな事。何かあったのだろうかと思うも、深くは気に留めなかった。

その翌日もまた、同じだった。吏志はおらず、眠そうな清爛がいた。

吏志がいない事は今までにもあったが、終日いない事は初めてだったと翠明は思った。そして、それが二日も続いたのだから疑問に思わない方が無理だった。

「わっ!」

筆を動かしながら居眠りをしてしまった清爛は見事に墨をこぼした。

書きかけの書は黒く染まり、清爛は頭を抱える。

そんな行動は翠明の視界に入り、翠明は手を止めて立ち上がった。翠明はすぐに端切れの布を手にして机を拭く。清爛は立ち上がり一歩下がった。

翠明は黙って机を掃除した。清爛はバツが悪そうに頭を掻いて、その光景を邪魔することなく見ていた。きれいになった机の上、翠明は筆を執り文字を書くと、清爛に示す。

【今日はもうやめましょう、紙が無駄になります】

清爛は息を吐き、小さく数度うなずいた。

【墨を流したらお茶を入れます、休まれてください】

翠明は頭を下げて、墨で染まった布の入った桶を手に部屋を出て行った。

翠明はこうなる事が予想出来ていた。清爛が何度もコクリコクリと頭を揺らす姿が視界に入っていたからだった。

墨を洗い流している間に湯を沸かし、布を干してから茶を入れた。そしてそれを盆にのせて書斎に運ぶと、清爛は椅子にもたれて眠っていた。

翠明は何があったのだろうかと思いながら、そのままそっとしておくことにした。そして自身は手元にある書物に目を落とし、再び仕事を始めた。どのくらい時が経ったか、ふと自分の視界に手が割り込んできて、翠明は顔を上げた。そこには非常にバツが悪そうな清爛が立っていた。

「申し訳ない・・・」

清爛は恥ずかし気に言った。

【体調が悪いのですか】

「いや、ただの寝不足だ・・・」

【お茶を入れ直してきます】

翠明はそう言って立ち上がる。卓の上に置かれている茶器は二つあり、両方ともに茶が入っていた。それは両方とも飲まれた形跡がなく、翠明も口を付けていないことが想像ついた。それを見て、清爛は何だか申し訳なく思った。

新しく入れられたお茶は、ほんのり茉莉花の香りがした。

【吏志様はお忙しいのですか】

「あぁ、別件で忙しい。」

【孫文様も夜にお仕事を】

「・・・いや、考え事をしていたら、明け方になることが続いていて、」

【お疲れですね】

翠明はそう書くと、フッと息を吐いた。

翠明の瞳はすべてを見透かしているように清爛には感じられた。耳が聞こえない翠明はきっと、それ以外の感覚に優れているだろうと清爛は思った。清爛は自分の揺れ動く心の中を、翠明にすがり片付けてほしいと思った。

「翠明、」

清爛は翠明の視界の隅でコンコンと机を軽く打った。翠明はそれに気が付き清爛を見る。

「もし、自分の夫が別の場所で女を作り、子が出来たとしたら、お前ならどうする?」

翠明は首を傾げた。

「もしも、だ。」

翠明はうーんと何かを悩むような顔をして、考えながら筆を動かした。その筆は珍しく迷いや躊躇いがあり、文字が乱れていた。

【悲しむべき事でしょう、ですが、夫に不徳を働かせた責任は自分にあるとも思うでしょう。自分は夫の求めるものに答えきれていなかった、だから夫は自分以外の女の所に行った、そんなところでしょうか】

その言葉に清爛は目が覚めた気がした。

【夫を満足させられなかった、それは夫にとっては不満だったでしょうし、自分に足りなかったものをその女が埋めてくれたのでしょう、だからその女の所に行った。夫婦として生涯を誓っていたとしても、夫だけを責めることは出来ないと思います】

「夫に、戻って来て欲しいと思うか?」

【夫本人がどう望むかではないでしょうか】

「子供に対してはどう思う?」

【子供には罪はないでしょう、私だって父を知らない者の一人ですから】

何やら悩む清爛を見て、翠明は再び筆を執り、目の前に突き付ける。

【寝取られましたか】

ブッとお茶を吹く清爛に、翠明は眉間にしわを寄せて布巾を出した。

「違う!そう言う事じゃなくって!」

清爛の言葉を翠明は見ていない。

「翠明!」

「!?」

清爛は机を拭く翠明の手を取って叫び、翠明は驚き清爛を顔を見つめた。

驚いた顔で自分を見つめてくる翠明に、清爛は我に返り、掴んでいた翠明の手を離した。翠明はそんな清爛の手に一度目を落とし、再び見上げ、軽く微笑むと拭いていた布巾を畳んで置いた。

【夜は寝た方がいいですよ】

翠明が笑う。

「あぁ・・・そうだな、」

清爛は気まずさから、頬を掻いた。

翠明が城に来て、玉連がその世話をするようになってから、清爛の夕食も玉連が用意していた。その味は懐かしいもので、まだ幼く、何も知らず、夢ばかりを見ていた頃を思い起こさせた。

清欄は早めに寝床に横になり昨日一昨日と同じように仰向けになって天井を眺めていた。昨日までは一時もじっとできないぐらいに落ち着かなかった身も心も、今は何だかおとなしいと思っていた。翠明の言葉が、すべての答えだった様な気がして、清爛はもう一度事態を整理してみた。

もし桃花が他の男と内通し、子供を身ごもったとしても、自分に裁く権利はないのではないか。妃となるような女達は身元のしっかりした女達で、蝶よ花よと育てられてきたはずだ。そんな女達が実家を離れ、皇位継承権のある皇族に輿入れし、寵愛を受けると思いきや月に一度顔を出せばいいと言うような扱いを受ける。どれだけ自尊心が傷ついた事か。また逆に、自分の子を身ごもったことで、やっと寵愛を受けられると思っているとしたら、それはそれで大変申し訳ないとも思った。

清爛は、妃たちを寵愛する気はなかった。

きっと数日のうちに吏志は結論を持って来る。自分はどちらの答えを出されたとしても対応できるよう、決めておかねばならないと思った。

翠明は、自分は父親を知らないと言っていた。母親が妓女であるのならば、それもまた当たり前の世界なのかもしれない。清爛はふと、翠明の母親と父親はどんな人間だったのだろうかと思った。母親は生きているのだろうか、なぜ娘を置いていなくなったのか・・・父を知らない翠明と、母をほとんど覚えていない自身が、どこか似ている気がして、それもまた自分が翠明の事が気になる理由なのかもしれないと思った。

それから吏志は数日書斎に顔を出さなかった。

吏志はいくつかの真実を掴んでいた。そんな中、不可思議な人事が起きている事もわかった。それは、桃花の料理番であった男と、側近の女官が数名、城を去っている事だった。吏志はすぐに、その者たちに会いに行った。そして真実を聞いた。

その夜、吏志は清爛に調べた内容をすべて伝えた。

「内通者は軍兵英敏、一年ほど前から通っていた様です。女官達のほとんどはその関係を知っています。料理人にも確認をしましたが、数か月前より食欲がないとのことで粥などを好んだそうです。最近は食欲も戻り量も増えているとの事でした。その時の料理番はつい最近桃花妃により職を解され、内通者との関係を不審に思っていた数人の女官もまた、城を出されたようです。」

「ふーん、ってことは俺は一年間も気付かなかったって訳か。」

清爛は自分自身に呆れた。

「子が清爛様の子なのか、英敏と言う男の子なのかは調べる術はありませんが、懐妊の日程を偽うべきなのは事実です。ましてや妃ともあろうものが清爛様を騙し他の男と関係を持っていたとなれば極刑です。」

吏志の言葉に、清爛は長く息を吐いてその身体を椅子の背に投げた。そしてじっと、天井を見つめた。

「俺はそんなにも、桃花に関心がなかったんだな。」

吏志は、黙って清爛の言葉を聞いた。

「自分の妃が他の男を連れ込んでいた、そんなことに一年も気が付かず、関心も持たなかった。そりゃぁ、桃花はつまらなかったろうよ。女官達はさぞ滑稽な思いで俺を見ていたんだろうなぁ。」

本来なら怒りに震えるところだろうが、清爛は何の感情も起きなかった。それは、それだけ桃花に関心がないと言うよりも、自分に呆れていると言う方が正しかった。男として、最低だったと、今気が付いた。

「吏志、お前が言う様に、俺はもっと桃花や愛麗の所に通うべきだったのかもしれない。そうしたら、こんな事にはならなかったろう。」

「どんな理由であれ、清爛様を裏切った行為は許されません。桃花妃、英敏、女官達の処分はどうされますか?」

吏志は立派な官僚だった。使える清爛の言葉は絶対であり、清爛を守る事こそが仕事だった。

清爛はその事を一番よくわかっている。清爛は天井を見上げたまま、ぼーっと考えていた。

「なぁ、愛麗を兄貴の所に置くってのは、ありだと思うか?」

「高蓬様の妃に、ですか?」

「扱いは兄貴に任せるけど、やっぱり俺は、愛麗を寵愛できない。」

清爛は体を起こし、言葉を続けた。

「桃花もそうだ、俺にはやはり、好きでもない女を妃にして子を設けてなんて、そんな事は出来ないし、まだ早いと思ってる。二十五って歳を考えればもう子供ぐらいいるのだろうが、俺にはまだやりたいこともあるし、そんな気分じゃない。今回の桃花の事は俺にも責任がある、極刑にするつもりはない。」

「では、どうなさいますか?英敏だけでも極刑に処しますか?」

「桃花と英敏、それぞれと話がしたい。可能か?」

「可能ですが、身の安全のためお二人にすることは出来ません。私が同伴します。」

「あぁ、かまわない。二人と話してから、考えたい。」

「わかりました、手配いたします。」

吏志がそう言った後、清爛はまたしばらく黙った。そして清爛は、翠明との会話を口にした。

「翠明がさぁ、寝取られるのは自分のせいだと言うんだよ。」

その言葉に吏志がぎょっとして、思わず大きな声を上げた。

「翠明様に言ったのですか!?」

「いや、言ってないよ。もし自分の夫がよそで女を作って子が出来たらどうするって聞いてみた。」

「それは言っていると同じ事じゃないですか・・・」

吏志は頭を抱えた。

「女の意見が聞きたくてさぁ。そしたら翠明は、夫を満足させられなかった自分のせいで他所の女に手を出したと言ったんだよ。まんま、俺の事だと思った。」

「まぁ、翠明様なら、そうおっしゃるでしょうね・・・」

「なんか、ぶん殴られた気分だった。」

吏志は清爛の言動の幼さに呆れた、賢い翠明ならばこの会話で清爛の身辺に何が起きているかを察するだろうと思った。しかし翠明はそれがわかっていても決して他言せずに傍観するだろう事もまた、わかっていた。

そして清爛のこの問いかけに翠明の性格なら、他人を責める前に自分を責めるだろう事もまた容易に想像ついた。

「桃花と英敏を別々に尋問する。その結果、皇宮に対し悪しき考えがあるのであれば極刑も検討する。しかし、二人の想いが本物であり、それなりの覚悟を持っているのならば、考える。」

「わかりました。愛麗妃の件はどうしますか?」

「そっちは俺が話を付ける。」

「わかりました。」

一通りの会話が終わり、吏志は深い溜息をついてまるで力尽きる様に椅子に腰を下ろした。

「・・・清爛様・・・」

「・・・わかってる。」

「何でこんな事になるんですか・・・」

「俺が聞きたい・・・」

「私はあなたに付いてからと言うもの、女性の案件しか扱った事がない気がします・・・」

「俺は何もしていない・・・」

「勘弁してくださいよ・・・」

「俺も、勘弁してほしい・・・」

はぁ・・・

二人は全身の力が抜ける様な、大きなため息をついた。

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