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華と夢5

昼食後、清爛と吏志は翠明の部屋を訪れた。翠明と玉連は頭を下げる。

「食事はちゃんととっているか?」

「えぇ、細いですがちゃんと。」

「それは良かった。」

玉連が答え、翠明が再び頭を下げた。

「では、行こうか。」

清爛を先頭に吏志、玉連、続いて翠明が歩くとちょっとしたざわつきが起きた。清爛こと孫文はある程度身分が高いため、歩いている姿を見れば使用人たちは道を譲り頭を下げる。そしてその麗しい見た目は女性たちの視線も奪った。玉連について知っている者はいないが玉連が連れている翠明に関しては、清爛同様に皆の視線を集めた。背筋が伸び、凛々しいその書官の容姿はとても目立った。

そんな四人が医局に入って来たのだから、白い服を着た医官たちは驚き手を止め戸の方を見た。

「白皙殿はいるか?」

白皙はこの医局の主任医務官だった。

若い医務官たちは慌てて白皙を呼びに行く。

やがて追い立てられるように白皙と言う中年の男がやって来た。

「これは孫文様、吏志様、お連れ様もご一緒でどうなさいましたか?」

白皙は頭を下げた。

「実は、診てほしい者がいて、頼めるかな。」

「わかりました、どうぞ奥に。」

清爛達は白皙に導かれ、診察室に通された。

「診てほしいと言うのは、どなたですか?」

「実は、この娘の耳を診てほしい。」

翠明は頭を下げた。

白皙はじっと翠明を見て、やや首を傾けた。

「新しい書官の方ですか?」

「こちらの玉連様のご親戚の娘さんで、読み書きができるので書官として預かることにしたんだ。」

清爛言葉にの玉連が頭を下げる。

「玉連様は皇宮にお勤めになる女官だ。」

その言葉を聞き、白皙は慌てて頭を下げた。

「玉連と申します。」

玉連が言葉を続けた。

「この娘、翠明は幼き頃より耳が聞こえておりません。ですが勉学には非常に長けておりまして、この度孫文様にご無理を申しまして書官として置いて頂く事になりました。孫文様にその旨を話しましたところ、一度きちんと診せた方が良いのではないかとおっしゃって頂きまして、このような運びとなりました。幼き頃からでありますので本人も音を失った理由は覚えておりませんが、一度診て頂けたらと思います。」

玉連はすらすらと吏志と打ち合わせた内容を白皙に伝えた。

白皙は話を聞きながら難しい顔をして見せた。

「幼き頃からであり、原因もわからないとなれば治すことはほぼ不可能かと思いますが、診てみましょう。翠明様、こちらへ。」

翠明は白皙の前に座った。

白皙は翠明のあらゆるところをくまなく調べた。手から足からすべてを確認し、そして目が見えない様に布で縛ると聴力を確認する。

翠明の耳は、まったく音を感じてはいなかった。

白皙は難しい顔をしてうなった。

「残念ながら、回復は難しいかと。」

清爛にとって、わかっていた事だったが、突き付けられた結果にそれなりのショックを受けた。

「なんとか、ならないのか。」

「不可能だと思います、しかしだからと言って何もしないと言うのも医師として気が引けます。難聴に効く薬を処方いたしますので根気よく飲んでみてください。」

翠明にとってはどうでもよかった。今更耳が聞こえる事など望んではいなかった。

翠明は、なぜこの孫文と言う男が自分に興味を持ち、ここまでするのかがわからなかった。どちらかというと、そっちの方が気になっていた。

翠明は悩ましい顔をして白皙と話をしている清爛をじっと見つめていた。


玉連は夕食の準備をしていた。

やることがなく時間を持て余していた翠明は、ふと窓の外を見た。

ずっと仕事をしていた翠明にとって、何も与えられない時間をどう使いこなせばいいかわからなかった。

窓の外にある小さな庭、翠明は、この庭にはどうやって出るのだろうかと思った。

まだ陽は高く、食事の時間まではありそうだと翠明は思う。翠明は部屋を出て建物の外を歩きだした。


清爛はいつも通り山のようになっている書物に目を通しながら、一つ一つに返事を書いていた。

しかし今の清爛は先ほど白皙に言われた言葉が思いのほか響いており、筆の進みが悪かった。それは吏志にも手に取るようにわかった。

やれやれと思い、吏志は清爛に言葉をかける。

「しかし、彼女を書官として置いて、何をさせるおつもりですか?」

吏志の言葉に、清爛は手を止めた。

「この山の仕分けをしてもらおうと思ってる。」

吏志は茶を入れて清爛に差し出す。

「ここに来る書にはそれなりの機密内容もあるでしょう、それを彼女にも見せると言う事ですか?」

城の中に書官は数人いた。

清爛以外の書官はここではなく、他の場所にいた。彼らが行う内容は清爛が仕分けを行った下級使用人の文の管理や書物の正書がほとんどであり、古くなった書を書き直し改めて保存すると言う仕事だった。

宮中に当てた外部からの書には機密事項や政治的内容が含まれることもある、外部に漏れることを防ぐために清爛一人が携わっていた。

「彼女は言葉が話せない、筆と紙がなければ他者に意志を伝える事もできない。問題ないだろう。」

「しかし・・・」

吏志はそれでも躊躇した。

「大丈夫だよ、吏志。」

清爛は茶を飲み干し、立ち上がり背を伸ばした。

「あの女には高い誇りがある、外部に漏らすなどしないさ。」

清爛は窓を開けた。

「・・・はぁ!?」

そして声を上げ、部屋を飛び出していった。

吏志には清爛の行動の意味が分からず、しかしさほど珍しい光景でもないため去って行く清爛をただ見送った。そして、乱雑に置き去られた茶器を取り、窓の外を見る。

「あぁ、なるほど。」

吏志はその理由を知るも、特に気にすることもなく茶器を片付けに歩いた。

「翠明!」

清爛は、裏庭の草むしりをしている翠明に声をかけた。当然、翠明の耳にその声は届いていない。

清爛は走り寄り、背後でその勢いを落として脅かさない様に足を進めた。

翠明はしゃがんで草を抜いていた。視界の端に靴先が入り、翠明は顔を上げる。そこには若干息を切らした清爛が立っていた。その光景は、数日前に洗濯場で見た光景のようだと翠明は思った。

清爛が何かを言っているが、翠明にはそれが重要な事ではないような気がした。なぜならば、自分は咎められるような事はしていないと思ったからだ。

清爛は周囲を見渡した。地面に文字が書けそうな小枝は見つからない、仕方なく小石を拾い、翠明の横にしゃがんで字を書いた。

【何をしている】

翠明は問われている内容が今一理解できなかったが、そのまま答えた。

【草をむしっている】

清爛はそういう意味ではないと言いたげに、小石で字を書く。

【なぜ草をむしっている】

【生えているから】

清爛は髪をかき上げて悩ましい顔をした。

【なぜ、お前がここの草をむしっている】

翠明は問われている意味が未だに分からなかった。なぜなら、この行為自体に理由はなく、時間を持て余し気が向いただけだったからだった。

【窓から見たら草が生えていたので抜いていた、おかしな事ですか】

清爛は頭を掻いた。

【おかしな事ではない、だがする必要はない】

【なぜですか】

【おまえの仕事ではない】

【私がやりたいからやっているだけです】

清爛は、はぁと大きく息を吐いた。この頑固さは、幼き頃に見た翠明そのものだと思った。隣の翠明は未だに草をむしっていた。その姿をしばらくじっとみて、清爛は笑った。そして、再び小石を取った。

【ここに花でも植えるか】

その文字に、翠明は手を止めて清爛を見た。

【ここはお前の部屋から見えるのだろう、花でも植えたらどうだ】

そう書いて、清爛は立ち上がった。

改めて見渡せば、高い壁に覆われた日当たりもあまり良くない殺風景な土地。桂花の木が一本生えているだけだった。

【そうですね】

翠明はそう書いて、立ち上がり清爛の横に立った。

清爛は横に立つ翠明の手を掴む。翠明は驚き清爛を見上げた。

清爛は翠明の手のひらに文字を書いた。

【この庭を任せる】

にっこりと笑った清爛の表情は少年のようだった。翠明はそんな清爛をじっと見つめ、手を合わせて目を伏せて、感謝の意を伝えた。


吏志はふと窓から並んで立つ二人を見た。

翠明は女性にしては背丈があった。清爛と並んでも引けを取らず、痩せている体型のせいか後ろ姿だけを見れば女性とは思いにくい。髪を高い位置で結い、どこか凛々しさを感じた。表情の薄い顔は宮中の女性たちとはまるで違い、ともすれば冷酷な軍人にすら見える。

その横に立つ清爛は長い髪を下ろし、落ち着かない子供っぽさが残る性格と柔らかい表情は誰からも好まれ慕われた。剣を置き筆を手にした時から清爛は中性的だった。

寄り添って立つ二人はまるで対照的だと吏志は思う。そしてもしかしたら、本当に良いパートナーになるかもしれないと思い、笑みがこぼれた。


その日の夜も清爛は翠明の部屋の前に立っていた。手には数枚の木の札を持ち、そして昨日と同じ悩みを抱える。

一体どうやって翠明に自分が訪れた事を伝えたら良いのか、戸の前で腕を組み悩んだ。昨日は翠明の方がやって来たことで事故的に中に招かれた。

今、清爛の頭の中は翠明の事でいっぱいだった。

翠明は窓から外を眺めていた。

庭を任せると清爛に言われたものの、どうしたものかと考えていた。そもそも、どうやって花を手に入れればいいのかもわからなかった。

植えたい花はいくつかあると、翠明は思った。しかし、この日当り条件でそれらの花がうまく育つのかわからない。草むしりを全て終えたら孫文に聞いてみようと思った。

翠明はふと、昨夜この時間に孫文がやって来た事を思い出した。そして、耳の聞こえない自分の部屋を訪ねるとき、彼は一体どうするのだろうかと考えた。戸を叩いても自分にはわからない。かと言っていきなり入って来るようなことはしないだろうとも思った。翠明は、じっと戸を見つめた。

戸の隙間からは灯が漏れている、翠明が起きていることは容易にわかった。清爛は困り果てて、戸を叩いてみることにした。これで気が付かなければ明日にしようと思った。それは一種の賭けだった。

翠明は、見つめていた戸がかすかに動いた気がして立ち上がった。当然音は聞こえていない、しかしその分かすかな変化に非常に敏感に反応出来た。翠明は戸の前に立ち、そっと開ける。そこには昨夜同様清爛が立っていた。

昨夜と同じように、二人は目を丸くして見つめ合った。

そして翠明は昨夜同様に驚いて立っている清爛に挨拶を行い、部屋の中へと促した。それは全く昨夜と同じ光景だった。

【今夜はどうされましたか】

翠明が文字を書いて清爛に問いかける。

清爛は手にしていた木の札を机の上に並べて見せた。その札には何やら文字が書いてあった。

翠明は、その札を一枚手に取った。その札には、『牡丹』と書かれている。首をかしげながら他の札も見てみると、書かれている文字は全て花の名前だった。

清爛は筆を執った。

【準備できる花の種類】

牡丹の他に、薔薇、菊、蘭、躑躅、水仙、百合、紫陽花、茉莉花、桃、梅と書かれた札があった。清爛は札をじっと見つめている翠明を見ていた。

【他に必要な花があれば取り寄せる】

清爛はそう筆を走らせて、翠明に示す。翠明はその文字を読み、首を左右に振った。そして頭を下げた。

翠明は、目を細め、ゆっくりと札を取った。

翠明が取った札は、水仙、紫陽花、茉莉花の三つだった。

【他は良いのか?】

翠明が手にした札はどれも派手な花ではなく、どちらかというと地味だった。それは妃たちが牡丹や薔薇や百合などの派手で美しい花を好んで飾っていることを思えばいささか不思議だと清爛は思う。

清爛は牡丹や薔薇の札を翠明に差し出した。

その行為に、翠明は首を振る。

【牡丹や薔薇は日当たりの良い肥沃な土地を好みます】

なるほどと清爛は思う。確かに妃たちの花が植わっている場所はそんな土地だと思った。

翠明は筆を執った。

【雪解けには水仙、雨の時期には紫陽花、夏の夜には茉莉花が咲きます。秋には桂花が咲くでしょう】

清爛が筆を執る。

【花には詳しいのか】

【何年も見て来た光景です】

華やかさを売る花街の女達もまたよく花を飾った。それは妓女達も同じ。翠明はそんな町を出入りしているうちに運び込まれる花や、捨てられる花を何年も繰り返し見て来た。

「なるほどねぇ。」

清爛は腕を組み感心したようにつぶやいた。

【必要なだけ準備しよう】

清爛の答えに翠明は頭を下げた。

花の会話が終わり、しばらく沈黙が流れた。清爛は要件が済んでしまい何を話していいかわからず、でも可能ならばもっと話したいと思っていた。そんな清爛の内心など翠明には手に取るようにわかった。

翠明は、フッと息を吐き、筆を執った。

【私に用事がある時は気にせずお入りください】

その内容に、清爛は自分の考えを読み取られたようでぎょっとした。

【あなたは私を買いました、ならば私はあなたの所有物です。お気になさらないでください】

そんなことはないと清爛は返したかったが、翠明は筆を動かし続けた。

【その代わり、寝ていた場合はお帰り下さい。私に呼び掛けても聞こえないのですから】

筆を置いてじっと清爛を見つめる翠明、その目は力こそ感じられるが、相変わらず表情はない。

清爛は頭を掻いた。

【一つ、お願いがあります】

翠明は続けて筆を執り、その文字を見て清爛はうなずいた。

【仕事をさせてください】

清欄は首を傾げ、筆を執る。

【もっとゆっくりしていても構わないが】

翠明は首を振った。

【孫文様は私に仕事をしてほしいとおっしゃいました、その仕事をさせてください。何もするなと言われることは慣れない事です】

物心ついた時から定刻に起き、仕事を行い、定刻に寝る生活をしていた翠明にとって、何もしないことは慣れない事だった。

それは仕事の内容が何であるかなどは関係なかった。

清爛はそんな翠明の気持ちを察した。

ずっと下働きを行い生きるために働いて来た翠明にとって、何もしない時間が苦痛と言われればそうなのかもしれないと思った。

位が高い者は身の回りのすべての事を使用人が行っている。当人は動くことがなくとも時間は過ぎて行く。それが贅であり優雅と言うものだった。

自分も昔はそうやって生きたと清爛は思った。しかし、今の自分が再びそれをしろと言われたのなら、翠明と同じことを思うだろうと思った。

【わかった、明日から手伝ってもらおう】

清爛のその文字に、翠明は頭を下げた。

【明日、迎えに来る。玉連には私から伝える】

清爛は立ち上がり、そしてそのまま筆を走らせる。

【今日は寝られそうか】

【はい】

【ならば、明日】

翠明は立ち上がり、深く頭を下げた。清爛はそのまま部屋を立ち去った。


清爛はベッドに仰向けに転がり、天井を見つめていた。

自分を買った、そう言われたときに反論し損ねてしまったことに後悔していた。

翠明を買ったのは自由にするためだった、決して自分の所有物にするためではないと言うべきだったと清爛は思った。しかし、実際には、自分の下に置き、その身を拘束しているとも思う。

そして、やっと手に入れたと思っている自分もいる。

まだ連れて来て二日、もうしばらく経てば自分の想いも何か変わるかもしれないと清爛は思った。そして、翠明の考えもまた、変化があるかもしれないと思った。清爛は翠明がここの暮らしに早く慣れてくれればいいと思っていた。

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