華と夢36
長い雨の季節がやっと終わりを迎え、日に日に気温が上がっていった。
「紫陽花も終わりだな。」
清爛と翠明が窓から外を見ていた。
【暑い季節が来ますね】
翠明はそう清爛の手に書いた。
七月七日、乞巧節の夕食、翠明は並んでいる食べ物を見て驚き、横にいる清爛を見た。
清爛は笑い、玉連も楽しそうだった。
「さぁさぁおかけください、冷めないうちに始めましょう。」
いつも通り四人での食事ではあるが、いつもより食事は豪華であり祝い料理だった。そんな料理を見たのは何十年ぶりだろうかと翠明は思った。
驚いている翠明を見て、三人は笑った。
「坊ちゃんは誕生祝にどんな料理をお出ししても結局饅頭しか食べなかったんですよ。」
「そうでしたね、」
「おい玉連!吏志!」
清爛の幼き頃を知っている二人は思い出話を始める。
「好き嫌いも多くて苦労しました。」
三人のやり取りを見ながら翠明も笑う。
翠明はこの四人で食卓を囲む時間をとても暖かく、とても幸せだといつも感じていた。会話に混ざることは出来なくともここにともにいる事が許されている、それだけで翠明は良かった。
「妓楼では何か特別な祝い事をするのですか?」
食事を終えてお茶の時間、吏志が翠明に問いかけた。
翠明は首を振ると筆を執る。
【妓女も遊女も歳は取りたくないものです、ですのであまり祝われている所を見たことはありません】
歳の話が出るとき、その場の空気はあまりいい物じゃなかったことを翠明は思い出した。
今思えば嫌がらせや追い出しの意味があったのだろうと翠明は思った。
「歳など取りたい女はいませんよ、ねぇ翠明様」
玉連の問いかけに翠明もいたずらっぽい笑顔を見せた。
「ですが、生まれた日とは尊いものです。今のあなた達がこうして存在しているのですから。婆としましては、早く次を繋いで欲しいと思いますがね。」
玉連はそう言うと笑いながら部屋を出て行った。
清爛と吏志が何とも言えないと言う様な顔でお互いを見合い、そんな二人を見て翠明が笑った。
ひとしきり三人で笑い合い、吏志は微笑んで部屋を出て行った。翠明はいつも通り立ち上がり茶器の片づけをする。そんな翠明を清爛はじっと見ていた。無駄なく手際よく動く翠明、その動きは手馴れていて、下働きの長さを感じた。そしてそれと同時に、気が利く良い妻になるだろうと思った。
清爛はそっと手を伸ばし、翠明の手を掴む。
翠明は清爛が自分を呼んでいる事に気が付き、手を止めて清爛を見た。
「片づけの続きは明日でいい、」
「?」
「部屋で、着替えて待っていてくれないか?」
翠明は首をかしげる。
「町に行くときにそろえた服があっただろ、好きなのでいい、着替えていてくれ。」
翠明はじっと清爛を見つめ、微笑んでうなずいた。
「後で行く。」
清爛も微笑んだ。
清爛も着替えた。その衣装は書官孫文ではなく皇太子清爛で、髪を結い上げ簪を挿していた。そして手には二つの木箱を持ち、清爛は翠明の部屋を開けた。
「・・・・・・」
清爛はそこにいた翠明を見て言葉に詰まった。
軽やかな翡翠色の上着に白い腰巻、高く結われている髪は下ろされて横に流すように編まれていた。
それは窓から差し込む月明りも相まって、織姫が降りて来たかのようにさえ見えた。
翠明も清爛を見て驚いた。まさか正装で来るとは思っていなかったからだ。
翠明はそんな清爛を見て膝を曲げて頭を下げた。
清爛が座り、翠明がその横に座る。しばし二人は顔を見つめ合った。
「今のお前は差し詰め織姫だな。」
そんな清爛の言葉に翠明は笑う。
【であればあなたは彦星ですか】
「一年に一回しか会えないってのは嫌だなぁ。」
【そうですね、泣きながら機を織るのは嫌ですね】
翠明もそう答えて笑う。
清爛は二つの木箱を翠明の前に並べた。翠明は首をかしげて清爛を見る。
「開けてみてほしい。」
翠明はそっとその木箱を手に取り、ふたを開けた。そこにあったのは金糸と翡翠の耳飾り。その美しさに目を丸くしている翠明に、清爛はもう一つも開けるように促す。
言われるままに翠明はもう一つの箱を手に取り開けた。それは翡翠の腕輪だった。
その美しさに固まってしまう翠明に、清爛はそっと手を添え微笑んだ。
翠明は耳飾りを手に取った。
金糸の耳飾りは、花型の金具が翡翠を止めていて、それはそれは細かい細工だった。翡翠には花の彫が施されていて技術の高さがうかがえた。
次に目をやった翡翠の腕輪は耳飾りよりも更に細かい細工がされていた。翠明は耳飾りを元の箱にそっと戻し、腕輪を手に取る。翠明はその腕輪に耳飾りと同じ花が彫られている事に気が付いた。そしてそんな花の中を一匹の龍が泳いでいる事にも気が付いた。
「その龍は俺の龍なんだ。」
清爛の言葉に翠明は首をかしげる。
清爛は自分の髪に挿していた簪を抜いて翠明に差し出した。
翠明は腕輪を箱に戻し、差し出された簪を受け取る。
「皇帝である父は龍の紋章を代々受け継いでいる。その龍は皇帝だけが使える龍であり、それ以外の者は決して使ってはならない。それは息子である俺たち兄弟も同じ。皇帝にならないとその龍は受け継げない。でも兄と俺も生まれた時に龍をもらっていて、それは皇帝とはもちろん違って、兄と俺のも姿が違う。この簪の龍は清爛の龍で、逆を言えば清爛しか使えない龍だ。」
銀細工の簪の龍は翡翠の球を大事そうに抱えていた。その表情はとても勇ましく見えるが、なぜか優しさも感じると翠明は思った。そして翠明はその球にもまた、同じ花が細工されている事に気が付いた。
「翠明、その花は何の花かわかるか?」
翠明は簪の珠を見つめた。そして腕輪と、耳飾りの細工にも目をやった。
その花は牡丹や薔薇ではないと翠明は思った。また梅や桃でもないと思った。細い枝の左右には小さな葉が付いていて、先端には細かい花がたくさんついていた。その細工をじっと見つめていると、翠明はどこか見たことがある気がしてきた。
「!?」
翠明は清爛を見上げた。
「気が付いたか?」
清爛が笑う。
翠明はうなずいた。
「百日紅だ。」
まるで筆の毛一本で描かれたかのような細工はとても細かく、腕輪はもちろん、小さな耳飾りや簪の翡翠にも彫られた百日紅は見事だった。
「この翡翠は元々一つなんだ、それを分けて作ってもらった。」
翠明は清爛をじっと見つめ、首を傾げた。
どういうことかと問われているようなその視線に、清爛は顔を赤くして目を泳がせる。
「吏志に、怒られた・・・」
「?」
「形を与えてやれないのならせめて、番になる物を持つべきだと。」
「?」
清爛は更に顔を赤くする。
「孫文として、お前を妻にする事は出来ない。かと言って清爛の妃になる事をお前は望まない。墨で書いたとはいえ、そこには何も形がない。ならせめて、番のものを互いに持っていれば・・・」
翠明は静かに立ち上がった。そんな翠明を見上げる清爛。
翠明はそっと清爛の顔に両手を添えて、その額に口づけをした。そして床に膝を付け、深く頭を下げた。
清爛は立ち上がり、膝を付いてひれ伏す翠明の前にかがみ、肩にそっと手を置いた。
翠明は清爛を見上げ、清爛もまた翠明を見つめた。
「約束する、翠明。俺は永遠にお前と同じ時間を生きる。あの腕輪の龍が花の中を泳ぐように、俺はお前の側から離れたりしない。この程度の物しか形として持たせてやることが出来ない事を許してほしい。あの簪は清爛の物だ、例え清爛として過ごすわずかな時間でさえも、お前と離れる事は決してない。その意だと思ってほしい。」
清爛は翠明の頬に手を添えて、翠明の口に自分の口を重ねた。
「翠明?」
翠明はとても近くにある清爛の顔を見つめる。
「今日は朝まで、一緒にいたい。」
翠明はくすりと笑って、うなずいた。
翌朝、湯から出てきた翠明を玉連は見かけた。玉連が知る限り、朝湯に入った翠明を見たことはなかった。
「清爛様、おはようございます。」
「あぁ、おはよう。」
「湯に入られたのですか?」
「あぁ、まぁ・・・」
濡れた髪を拭いている清爛に吏志は昨夜の事を何となく察した。
「と、言う事は湯は今翠明様が使われていますか?」
「えっ!?」
清爛が真っ赤な顔で吏志を見た。
「いえ、使われているのでしたら掃除は後にしようかと思っただけです。」
「・・・・・」
「お気になさらず。」
そう言って吏志は一礼して部屋を出て行った。
次期皇帝を高蓬が正式に継いだ。
それに伴い皇位継承順位は翔栄が一位となった。
清爛は書官孫文としてその一生を終え、翠明は最後までそんな孫文に付き添った。
吏志もまた、清爛と翠明を最後まで見守り、最後まで仕えた。
金と権力争いで騒がしい城の陽の当たらない端の書斎、そこは最後の最後まで、とても静かで幸福な時間が流れていた。
END




