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華と夢34

書斎では吏志がお茶を用意して待っていた。机の上には茉莉花の花が活けられた花瓶が置かれている。

吏志は清爛に座る様に促し、自分はその正面に座った。

そして黙って、翠明が毎日付けていた日記を清爛に渡した。

清爛は最初の一枚目から読み始めた。そして自分の身に何が起きていたのか、どれだけ翠明がかいがいしく世話をしてくれていたか、自分が翠明にしたことも全て知った。

「まさか・・・」

「全く覚えはありませんか?」

「わからない・・・」

茫然自失の清爛、あまりに衝撃的な内容にひどく動揺した。

「私は、あなたを地下牢に拘留しようとしました。意識がないとは言え、あなたが自身の手で翠明様を殺め、正常に戻られた時どれだけ自分を責めるか、それを思うと私にはその案しか出てきませんでした。」

「いや、そうしてもらって構わなかった・・・翠明を手にかけるぐらいなら、さっさと殺してもらった方が良かった。」

「あなたなら、そう言うだろうと思いました。ですが、翠明様は全力で拒否しました。自分があなたに殺されるかもしれない可能性があるにも関わらず、全力で抵抗しました。そんな姿を見ては、私もあなたと翠明様を引き離すことは出来ません。」

「なんてことだ・・・」

清爛は頭を抱え、机に伏せた。

「俺は、なんて事をしたんだ・・・」

「高蓬様から、今回の戦であなたが何をしたのかうかがいました。これは、あなたのせいではありません。」

それでも尚、落ち込み続ける清爛。吏志はそんな清爛が再び自暴自棄になるんじゃないかと思った。

「翠明様の労をねぎらって差し上げて下さい。あなたが戦に行ってから今日まで自分の時間など全くなく、書官としての仕事とあなたの介助にすべてを費やしたのですから。お庭に出ることもなかったのですよ?少し翠明様と共にする時間を作って差し上げて下さい。」

「あぁ、わかった・・・」

「よくもまぁお一人で暴れ狂うあなたを抑えていたと思いますよ。あんなに全身痣だらけになって・・・椅子も壊れましたし、私だって相当殴られたんですから、ちゃんと労働で支払って下さいね。」

「・・・わかった・・・」

しばらく黙っていた清爛だったが、日記を見て、どうにでも気になっている事があった。清爛は机に伏せたまま、吏志の名を呼ぶ。

「なぁ、吏志・・・」

「はい、」

「どうしても、わからない事がある・・・」

「はい、何でしょう。」

「なんで、風呂、お前じゃなくて翠明が入れてるんだよ・・・」

「それはあなたがそう望んだからですよ。」

「うそだろ・・・」

「厠だけは頼まれたので私が連れて行きましたけど、後は全部翠明様です。私と玉連様には、翠明様のお姿はまるででっかい御子を育てている母親に見えていましたよ。」

「それはどーなんだよ・・・」

女に風呂に入れられて、着替えまで全ての面倒を見てもらう、それに対し何も反応しなかった自分は男としてどうなのだろうかと清爛はまた落ち込んだ。

「まぁ、それだけ病気だったって事なんですよ。」

吏志もまた、落ち込んだ。

「一言だけ言えるのは、翠明様がいなければあなたは廃人のままだったと言う事です。私もいくらあなたのためとはいえ、あそこまでは出来なかったと思います。感謝すべきです。」

「はい、しています・・・」

「明日からは一人で入って下さいね。」

「当たり前だろ・・・」

吏志はやれやれと立ち上がった。

「これでやっと私もゆっくり眠られます。明日は休みを頂きますんで。」

「何日でもどうそ・・・」

「では、失礼致します。」

吏志はそう言って頭を下げると、書斎を出て行った。

清爛はしばらく一人で机に頭を付けたままいろいろと思い出そうとした。わずかに覚えているのは翠明の笑顔だけで、自分を正面から見つめ優しく笑っていた顔だけだった。

思い出したいが、どこか思い出したくもないとも思う。もし翠明を殺めようとしていた事を思い出してしまったら、生きていけないと清爛は思った。

辛い戦だった、清爛はその事は明確に覚えていた。

思い出すのも辛いが、翠明には伝えなければならないだろうと思った。

何があったかを口にしなければ、自分の中だけで留めて置けばきっとまたいつか今回と同じことが起こるだろうと清爛は思った。

清爛は立ち上がり、部屋に戻った。

そして自分の部屋を見て、改めて足が止まった。

自分の寝床は一回り大きくなっていて、そこには翠明が寝ていた。部屋の隅には吏志が使っていたであろう簡易的な寝床がある。

清爛は迷った、意識が戻った今、自分はどこに寝るべきなのだろうかと。

吏志の使っていた寝床を使うべきか、翠明と共に寝るべきか。

清爛は翠明の所に足を向け、翠明の寝顔を覗き込んだ。翠明の長いまつげはまだ濡れていて、目尻には涙が溜まっていた。清爛は黙って、翠明の目元を拭う。そしてそっと翠明の隣に横になった。あんなにも泣き崩れた翠明を見たのは初めてだと清爛は思った。捕虜から戻ってきた時も、翠明は泣かなかったと思った。それを思えばどれだけ辛い思いをさせたのか容易に想像ついた。

清爛は優しく翠明の頭に手をまわす。そして自身の胸に抱き寄せる様にして眠った。


翌朝、まだ暗い中翠明は目を覚ますと、その光景は昨日と変わらなかった。

しかしすぐに昨日との違いに気が付いた。翠明は清爛の胸に抱かれていた。目の前にある清爛の顔は、昨夜までとはどことなく違って、穏やかだった。

泣きはらして寝てしまったせいか頭がズキズキしていると翠明は思った。体もどこか重い。それでも翠明はいつもの様に起きようと体を起こした。

「!?」

腕を引っ張られる感覚がして翠明は振り返る。するとさっきまで寝ていたはずの清爛が翠明の手を引いて、翠明を見上げていた。

「早いな、もう起きるのか・・・?」

翠明はうなずく。

「今日は吏志も来ないぞ?」

翠明は首を傾げた。

「今日は一日寝ていたいから休みと言われた。」

なるほど、と翠明は思った。確かにこの間の吏志を想えば、なかなか眠れなかっただろうと翠明は思った。

「だから、」

そう言うと清爛は翠明の手を引っ張って、再び布団の中に戻した。

「もう少し寝ていても、今日は文句を言われない。」

そう言って清爛は翠明を抱きしめる。翠明は驚き顔が真っ赤になった。

「もう少し・・・寝ていよ・・・」

清爛はそう言うと再び眠った。

翠明はどうしていいのかわからず清爛の腕の中で固まっていた。心臓がすごく強く打っていて頭のズキズキなどどこかに行ってしまった。恐る恐る清爛を見上げてみると、そこには優しそうな寝顔の清爛がいた。翠明はまた涙があふれてきた。そしてそんな涙を隠すように、清爛に擦り寄り再び目を閉じた。

玉連は竈に翠明がいないことに気が付いた。

何かあったのかと思い、清爛の部屋に行く玉連。戸を開け寝室を覗くと、そこには抱き合う様にして眠っている清爛と翠明がいて、吏志の姿はなかった。

その様子で玉連はすぐに、良い事が起きたのだと感じ取った。

静かに微笑み、そっと戸を閉じて玉連はまた竈に向かった。


自分で食事をする清爛を翠明と玉連が物珍しそうに見る、清爛はそんな二人の視線を感じ、息を吐いた。

「食べにくい・・・」

「だってねぇ、翠明様。」

翠明もうなずいた。

「昨日までは雛鳥のようでしたからねぇ。」

「・・・・・」

くすくす笑う女二人に、清爛は当分こんな視線を受けながら食事をする事になるのだろうと諦めた。

昼過ぎには吏志も顔を出した。

のんびりとお茶をしている清爛と翠明を見て、吏志もまた平和が戻った事に安堵した。

昨日までの苦労話こそすれど、三人はあえて戦の事には触れなかった。

たわいもない話をして、お茶を飲み、三人は笑い合った。ごく普通と言う事がこんなにも幸せである事、それを清爛、翠明、吏志は感じていた。


その夜、翠明は清爛の部屋にいた。清爛は翠明が付けていた日記をそっと机の上に出した。

「全て、目を通した。」

翠明は静かにうなずいた。

「本当に、苦労を掛けた。」

翠明は顔を左右に振る。

「体は、大丈夫か・・・?」

翠明はうなずいた。

「戦の事は、全て覚えているんだ。」

翠明は清爛の手をそっと取った。

「戦の時は策士清爛として参加している、たぶん、お前には見せたことのない顔をしていると思う。誰とも話さず、感情は全て殺し、戦地を見ることもなく、兵の事は駒のように考える。そこに感情が入ってしまえば策を誤る可能性があるからだ。それは逆に多くの犠牲者を生む事になる。負ければこの国自体がなくなる可能性もある、だからこそ、冷徹にならなければならないんだ。」

戦の時の自分を見たら、翠明はどう思うだろうかと清爛は思った。自分を見る男達の目が、時には怯えた様になることを清爛は知っていた。

「俺には毎回小間使いの男が一人着く、今回兄が俺に宛てたのは、陣を引いている町の農民の子で歳は十五・tと言ったところだ。いつもなら会話などしないのだが、少し話をするようになって、家が貧しく軍に入ったと聞いた。軍に入ればそれなりの対価はもらえる。それを親に渡すのだと。優しい青年だった、だから俺は、軍を下りるように忠告した。生かしたかったからだ。この戦が終わったら金を持たせて親元に帰そう。そう思っていた。」

清爛の表情が曇った。そんな変化に気が付いた翠明は、しっかりと清爛の手を取る。

「相手が優秀な騎馬民族と言う事もありなかなか思う様な戦にはならなかったが、それでもこんなにも自分の策が当たらなかったことは今までなかった。何かがおかしいとは思っていたが、それを確かめる事はしなかった。そしてやっと戦も終わりが見え始めた時、俺のいた本陣が攻められた。攻めて来たのはうちの軍の人間だった。」

翠明が首をかしげる。

「内通者がいたんだよ、我が軍の中にね。情報が漏れていたんだ。」

翠明は驚いた表情をする。

「その日兄は前線に行っていて陣にはいなかった。陣にいたのは俺と小間使いの青年、数人の兵だった。攻め込んできたのはある程度腕のある兵士で、陣に残っていた兵士はみんな殺された。俺は小間使いの青年に馬の準備をする様に言って逃がした、しかししばらくして、青年は戻ってきて、仲間だと思っていた兵に斬られてしまった。」

翠明は目を閉じ咄嗟に顔を反らした。翠明が顔を戻したのを確認して、清爛は一度翠明に微笑みかけて、そして話を続けた。

「すぐに青年の元に駆け寄ったけれど、青年は最後に両親を呼んで死んだ。俺は、そのまま自分に向かって来た男を斬って、そして主犯と思われる男の首を落とした。そこからはもう憤りに任せて馬を走らせ兄の所に行きすべてを話し戦に加勢した。今まで何度も戦には行ったが、人を斬った事はなかった。ましてや首を落とすなど、考えもしなかった。戦が終わって、ふと我に返った時に見えた目の前の光景は、たくさんの人間の死と、荒れ果てた大地、自分はとんでもない事したんじゃないかと思った。それからの事はいまいち覚えていない。」

清爛はその時、横で喜んでいた高蓬達が何を喜んでいるのかわからなかったことを思い出した。この男達は何が嬉しいのだろうか、なぜ楽しそうなのだろうか、なぜ笑っているのだろうかと思った事を思い出した。

「一番許せなかったのは、刃こぼれした剣を持ち、軍服を着ている自分自身だった。自分は策士に徹し、戦場には出ないと決めていたのに、怒りや憤りに任せて戦地に出て、芸として身に着けた剣を人に向け、命を奪った。そんな自分が他の何よりも許せなかった。そんなことが重なって、自分を責め続けた挙句、俺は壊れたんだと思う。」

翠明はいたわるように、清爛を見つめる。

「戦など、もうあってほしくない・・・」

清爛はそうつぶやき、目を閉じた。

「お前がいなきゃおれは地下牢だったと言われた。俺はそれでもよかったと思うよ。お前を殺めてしまうぐらいなら、その前に殺してもらっても構わなかった。だがお前がそんな吏志の提案に必死で抵抗したと聞いた。ありがとう、感謝している。」

翠明そっと清欄から手を外し、筆を握った。

【戦に向かわれた時、吏志様が戦場でのあなたの身は安全だと伝えてくれましたが、それでも戦です。生きて帰ってきてさえくれればそれだけでいいと願っていました。生きてさえいれば自分が支えるから、無事であります様にと願いました。だから、あなたが帰ってきて、おかしくなってしまっている事を知っても、永遠にあのままであっても、私はあなたと共にいる覚悟はできていました】

「強い女だな、お前は。俺は多くの人間を殺したんだぞ?」

【私もあなたを守るためなら、誰かを殺す事ぐらいするでしょう、同じです】

「・・・吏志が殺されなくてよかったよ。」

【本当に】

二人は笑った。

【雅陵様の事は、ちょっと、殺してやろうかと思いました】

その言葉に清爛は苦笑する。そして口が裂けても雅陵が高蓬だとは言えないと思った。

「翠明?」

「?」

「その、さぁ、」

「?」

何か言いにくそうな清爛に、翠明は首をかしげる。

「なぁ、俺は、お前とずっと風呂に入っていたのか・・・」

【はい、付き添いました】

躊躇いもなく答える翠明に、清爛は顔が赤くなる。

「湯に、一緒に入ったりなどは、してないよな・・・?」

翠明はうーんと考える。

【何度かしたと思います】

清爛は逆上せそうだった。

【病人との事です、何とも思っていません】

それもどうなのだろうかと清爛は複雑な気分になった。

「で、寝起きはずっと、ここでしていたのか・・・?」

【吏志様にお願いいたしました。音が聞こえませんので、共に寝る事が一番かと】

清爛は、自分は本当に雛鳥と呼ばれる生き物だったのだろうと思った。

翠明からしたらもはや自分は男ではなく、大人の姿をした幼子だったのだろうと思った。だからこそ翠明もまた、共に湯に入っても何とも思わなかったのだろうと。

【ちなみに、今夜からは部屋に戻ります】

そう書かれた文字に清爛は勢いよく翠明を見た。

翠明は何かおかしなことでもあるのかと言わん気に清爛を見て首をかしげる。

「いや、でも・・・」

何かを言いたげな清爛に、翠明はふぅと息を吐いて筆を動かした。

【私は清爛様ではなく孫文様と生涯を共にするとお約束しました、もし何かの間違いが起きてしまった時、私は孫文様でも吏志様でもない他のどなたかと関係を持ったことになってしまいます】

そうだったと清爛は思って、固まった。

書官孫文は男性ではないことになっていた。もし翠明が妊娠でもしようものなら誰の子になるのか、皆目見当が付かなかった。

【それに、私達がここで共に寝起きを始めたら、吏志様や玉連様に気を使わせてしまいます】

翠明の言葉は最もで、清爛には翠明を引き留める理由が見つからなかった。

【その代わり】

翠明はそう筆を走らせ、清爛の顔を覗き込んだ。

【また毎晩、私の部屋に来ては頂けませんか、ゆっくり話がしたいものです】

「あぁ、必ず。」

清爛と翠明は再び寄り添った。

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