華と夢30
戦の本陣は校外の町だった。住民は皆町から出され、住居は軍が占領していた。清爛は一番大きな屋敷に入れられる。部屋の中心には大きな机があり、そこには大きな地図が広げられていた。高蓬が先に入り、先に待っていた軍人達が一斉に膝をつき頭を下げる。そしてその後に続いて入って来た男に、頭を下げていた男達が思わず息を飲んだ。その男は長い髪を高く結いあげ、切れる様な目、溢れた黒い髪が輪郭を伝い、より冷たさを感じる。これが策士清爛の姿だった。
策士清爛と言う男の存在はもはやうわさでしかなかった。その姿を見たことがある者は宮中のわずかな者だけ、もしくは軍の中でも高蓬に近い中枢の者だけだった。
「清爛、こっちだ。」
戦の時の清爛は感情を殺した。人ともあまり関わらず、私的な会話はしなかった。それこそが完璧な策士清爛である時の姿だった。そこには何の感情もなく、ただ勝つためだけの策を冷静に客観的に判断する。どこで誰がどんな状況で戦っているかなど、清爛の耳には一切入らない。清爛はただ、盤上の駒を動かす策を講じるだけだった。
「状況を説明してくれ。」
座った清爛はただ一言、そう言った。
翠明はただ黙々と仕事を行った。とは言え、皇族に宛てた手紙も全て目を通さなければならない、それは非常に多い仕事量だった。見かねた玉連と吏志がお茶を運び休憩を促すも、翠明はすぐに机に戻ってしまった。
そんな翠明を見て、玉連と吏志は顔を見合わせてため息をつくしかなかった。
何かをしていなければ落ち着かない翠明は、働くことで自分の中の処理しきれない想いをかき消そうとしていた。その想いは不安や悲しみや恐怖で、何もしていないと潰されてしまいそうだった。
この気持ちには覚えがあると翠明は思った。
花街に売られ、下女となった時、働くことで自分の身に起きた受け入れがたい現実を全て忘れようとした。
そんな翠明の心の内が玉連と吏志にもわかっていた。わかっていたからこそ、翠明を止める事が出来なかった。二人には翠明の心の葛藤が収まるのを待つ以外、見守る事しかできなかった。
「清爛、小間使いだ。この街の人間だから使えるだろ、自由に使え。」
打ち合わせの後高蓬がそう言って清爛の前に連れて来たのは、まだ幼さの残る青年だった。
青年は清爛を見るなり床に膝をつき頭を下げる。
清爛は表情を崩すことなく、目を細めてその青年を見た。
「秀雲です!よろしくお願いします!」
「あぁ、」
清爛はただ一言、そう言った。
秀雲は清爛とすべての行動を共にした。会議の時は後ろに立ち、部屋に篭り策を練っている時はその外でずっと立っていた。
ある夜の事、清爛が部屋で一人地図を見ながら駒を動かし策を練っていた時だった。
ガコッ!
戸の外から大きな音がして清爛は勢いよくその方向に体を向ける。手に剣を持ち戸の方に向かい辺りをうかがった。
「・・・秀雲、いるか。」
「はい!」
清爛は戸を開けた。
「何の音だ、」
「いえっ!何でもありません!」
秀雲は焦った様な口調でそう答えた。
「何の音かと聞いている。」
「・・・・・」
黙る秀雲、清爛は何となく察した。
「悪いが、ここの番を頼む。」
そう言って清爛は秀雲を残して部屋を出て行った。
「高蓬、いるか。」
「なんだ清爛、」
清爛は高蓬の部屋へとやって来た。清爛の登場に高蓬の周囲にいた軍人達は皆膝を着く。清爛はそんな男達には目も向けず、高蓬に真っ直ぐ歩み寄る。
「悪いが部屋の前の晩は軍兵に変えてくれ、あれでは心もとない。」
「ここは陣の中だ、兵を付けることもないだろう。」
「気に入らないなら俺は降りる。」
「わかった、そう言うな。すぐ手配する。」
清爛は身をひるがえした。
「おい、今着いている若いのはどうする?」
「あれは小間だ、中で使う。」
清爛はその場を去った。
戻ってきた清爛に秀雲は膝を着き頭を下げた。清爛はそんな秀雲の横に立ち、足を止め、頭を下げている秀雲を目を細めて見下ろす。そして戸を開け、再び足を止めた。
自分の横で全く動かない清爛に、秀雲は恐る恐る顔を上げた。清爛は表情なく、ただ真っ直ぐと部屋の中を見て立ち止っていた。
「・・・・?」
「ここは他の者が来る、中に入れ。」
そう言って部屋の中に入る清爛、秀雲は慌てて追いかける様に部屋の中に入り戸を閉めた。
清爛は机に向かい、再び地図を眺める。秀雲は呼ばれたもののどうしていいかわからず、戸の前に立っていた。
「そこで寝ていろ。」
清爛は秀雲を見ることなく、そう言った。
その言葉に秀雲はビクッと体を跳ねさせ、背を伸ばす。
「お前は私の小間だ、張り番をする役ではない。私がお前に用がない時は寝ていようが構わない。」
清爛は先ほどの音が秀雲が眠りをしたがために壁にぶつかった音だと気が付いていた。秀雲はその事に気が付かれたと察し、慌ててひれ伏した。
「申し訳ありませんでした!」
秀雲は大きな声で叫んた。
清爛はそんな秀雲の叫びを聞いて、フッと息を吐き秀雲を見た。
「お前は軍人だろ、ならばたとえ寝ていたとあっても剣を身から放さず、かすかな物音でも起きるぐらいでなければならない。それが出来る様に戸の前で寝ろ。」
「はっ!」
「そして私が呼べば何をしていようと私の小間となる、それが前の仕事だ。」
「はっ!」
「そこに座って、番をするんだな。」
清爛はそう言うと再び地図を睨んだ。
感情を殺して生きている清爛は、軍の中では非常に冷徹な策士に映っていた。熱く皆を鼓舞し引っ張る高蓬とは対照的な弟清爛を演じることで、高蓬に対する支持を絶対的なものに押し上げた。そしてあえて冷徹な姿を覚えさせることで、温厚な孫文の存在と結びつかない様にしていた。
その後いくらか地図とにらみ合った後、ふと秀雲の方を見た。秀雲は剣を抱え、戸に背を付けて座ったまま寝ていた。
まだ若い秀雲の姿を見て、清爛は改めて戦の残酷さを思い知った。まだ十数年しか生きていないような若者さえ、命を掛けた争いに巻き込まれなければならない。策のため、勝利のため、前線の兵士の事など考えない様にしていた清爛だが、さすがに秀雲を見ていると心がざわついた。
少なくともこの青年だけは無事に帰そうと清爛は思った。
清爛と秀雲が共に行動をする様になってだいぶ日数が経った。
戦況は平行線で、兵士の数ばかりを失った。今は我慢の時だと清爛は思っていた。近隣の同盟国に文を出し、兵を要請する。そして一般町民にも有志を募った。
清爛は耳に入る情報を書き起こし、整理し、陣の動かし方などを考えていた。
相手は最強との呼び声高い騎馬民族、行動力は今までの戦と桁が違った。
清爛はまるで碁を打つ様に地図の上を眺めていた。
秀雲はそんな清爛をずっと見ていた。
清爛が何を考え、どうやって駒を動かそうとしているか、必死で着いて行こうとしていた。いつの間にか秀雲の清爛を見る目は憧れへと変わっていた。
そんな秀雲の視線を清爛は感じていた。そして、もしかしたらこの青年は軍よりも内部に置いた方が使えるのかもしれないと思った。その時ふと、清爛は高蓬の言葉を思い出した。
「秀雲、お前はこの町の人間だったな。」
「はい!生まれも育ちもこの町です!」
清爛は背を伸ばし、目を細め、秀雲を見つめる。
「ならば聞く、この時期、風はどっちから吹く。」
「はっ!この時期でしたら東から乾いた風が吹きます。」
「秀雲、こっちへ。」
「はっ!」
清爛は地図の正面に秀雲を立たせた。
「地図で説明しろ。」
「はっ!」
膠着状況の続いている最中、他に打つ手立てはないかと模索していた清爛にとって、地元民であり気象状況を把握している秀雲はまさに助け船だった。以降清爛は秀雲を近い所に置くようになった。
清爛が戦に出て一月以上が経過し、翠明はただ書と向かい合い仕事をする日々を送っていた。
以前の様にたわいのもない話をしたり、心を動かすような事がなくなり、翠明の表情は徐々に薄くなってきていた。抱く感情は不安だけ、ただ清爛の無事な帰城を祈り待つのみだった。
そんな翠明の心情が玉連と吏志にもわかった。
「翠明様の表情が以前のようになってしまいましたねぇ。」
「えぇ、清爛様がいなくなって、話すことも減りましたから・・・」
吏志と玉連は、自分達にはどうすることもできないのだろうと察する。話しかければ翠明は笑顔で返してくれた。しかしそれはほんの一時で、続かない会話ではすぐに仕事に戻ってしまう。吏志も玉連も自分の仕事もある為、常に翠明とずっと一緒にいる訳にもいかない。ましてや翠明は清爛の分も仕事をこなさければならない。吏志は、何とか翠明の心の負担を軽くしてやりたいと思っていた。
ある日の仕事中、吏志は翠明の視界にそっと手を入れた。
そんな自分を呼ぶ合図に翠明は顔を上げ吏志を見上げる。
「お茶にしましょう。」
にこやかに微笑む吏志、翠明はうなずいて立ち上がった。
机に向かい、入れられたお茶に手を掛ける翠明。その香りは茉莉花の香りだった。
「お心の疲れに良いと思いましたので。」
吏志はそう言って微笑んだ。
翠明は目を閉じその香りを嗅いだ、懐かしさを感じるその香りに、心が落ち着くのを感じた。
「清爛様なら、大丈夫ですよ。」
顔を上げた翠明に吏志がそう問いかける。翠明は少し疲れたように吏志に微笑んだ。
「今まで何度か戦に行っておられますが、傷一つなく、まるで町から帰って来るかのように戻って参ります。まぁ、小言はひどいですけどね。」
そんな吏志の言葉に、翠明がクスリと笑った。
「翠明様は、清爛様が剣を持たれる事をご存知ですか?」
翠明はその言葉を気いて、以前園遊会で剣劇をしていた事を思い出した。
【園遊会で劇を披露されたとうかがいました】
その文字を見て吏志は一瞬驚くも、微笑んだ。
「ご覧になったことは?」
【お部屋で練習されているのを見かけました】
「見られてしまったのですか、じゃぁ仕方ないですね。」
吏志は優しく微笑んで、言葉を続けた。
「清爛様は高蓬様の様な軍人になることをやめて、文学にその身を投じました。しかし元より武芸の筋も捨てがたかったお方です。芸として続けていらっしゃいました。」
吏志は清爛の剣を握った姿を思い出していた。
「今は芸として握られておりますが、組手をさせてもまさに芸事そのもので、美しく無駄なく、流れる様な剣捌きでした。翠明様が来られてからは組手をされていませんが、中級兵士程度であれば太刀打ちできない程の腕前でしたよ。」
翠明は清爛が誰かに剣を向けている姿を想像できなかった。一度見た清爛の剣劇は美しさこそ感じたものの、そこには敵意や殺意はなかったと思った。
「・・・だから、清爛様は大丈夫ですよ。」
吏志が自分を安心させ様としている事に翠明は気が付く。そして頑なに自分の心だけに気を向け不安から一人逃れようとしてきた自分を恥じるべきだと翠明は思った。
周りがこんなにも自分に気を使っている、その事を痛感した。
翠明は以前のように微笑むと、筆を動かす。
【早く帰ってきて頂かないといけませんね】
「えぇ、そうですね。」
翠明の微笑みに、吏志もまた、翠明を守らなくてはならないのだと痛感した。
それからどれだけの日数が経ったのか、戦の状況も少しずつ変わり始めていた。気象条件を読む策がうまく回っていると清爛は思った。清爛はふと、横に立つ秀雲に声をかけた。それは策士清爛としては比較的珍しい行為だった。
「秀雲、お前はなぜ軍を志願した?」
「はい!崔国の高蓬様の軍が兵を募っていると聞いたので志願しました。」
「では、それまでは。」
「農民です、この辺りは作物がうまく育たず生活が苦しく、軍に入ればいい賃金が得られると聞きました。国の為に役に立った賃金を両親に送れることは誇れる事だと思います!」
平民が軍を志願する理由はほとんどがこの理由だと言う事を清爛は知っていた。
確かに軍に身を置けば農民などよりも良い対価が得られた。しかしそれは命の値段であり、それを思うとこの青年に付けられた命の値段はとても低いのだろうと清爛は思った。
「武術の経験は?」
「ありません!」
「武器は扱えるのか?」
「入隊前に剣と槍の指導を受けました!」
民兵が数日武術訓練を受けた程度で使い物になるわけがない事は清爛もわかる、秀雲は当然捨て駒の一人だった。
この戦が終わり、軍に残して鍛えたとしても、この青年はあまりいい駒にはならないだろと清爛は思った。軍人としての粗さや勢い、骨の太さを秀雲から感じなかった。この青年は優しいと、清爛は思った。
「戦が終われば対価が支払われる、それで親の元に戻るんだな。」
「自分はそのまま軍に残りたいと思っています!」
「お前は、向かない。」
「・・・えっ、」
秀雲はぽかんと清爛を見上げた。
「国に帰ることをすすめるよ。」
清爛はそう言い放った。
秀雲は清爛に言われた言葉の意味が今一わからなかった。自分は軍人には向かないとそう言った清爛の言葉はすごく冷たいと感じた。今すぐ辞めろと言われている様に感じた。
「自分は!」
秀雲は清爛に声を張った。
「自分は軍に行きます!剣技武術に励み崔国の為にこの身を捧げます!いつか高蓬様の部隊に入るのが自分の夢です!」
清爛はそんな秀雲を横目で見た。
「・・・そうか、なら、励め。」
「はっ!」
戦とは人の運命を大きく狂わすものなのだと、清爛は改めて思った。
戦などなければこの青年はこんな考えを持つ事はなかったはずだった。悪い夢を見させてしまったのだろうと、清爛は秀雲を哀れに思った。




