表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

華と夢3

「なぁ、吏志、頼みがある。」

「なんでしょう?」

ここの所ずっと出歩く日々だったため仕事が溜まってしまっていた清爛、さすがに吏志から当分外出禁止令と言うのが出された。清爛もまた、それを仕方ないと諦めていた。

「女物の書官の服を準備してほしい。」

その言葉に、吏志の動きが止まった。

「あと、部屋を一つ。」

「何を言ってます?」

吏志は驚きを通り越して、意味が分からないと言う様子だった。

「優秀なのを見つけた、近いうちに引っ張ってこようと思う。」

「どなたか高官の娘さんですか?」

「いや、違うと思う。」

「・・・思う?」

吏志はいよいよ意味が分からない。

「使女にではなく?」

「書官だ。」

「どちらの生まれの方ですか?」

「たぶん、妓女。」

「はい?」

清爛の言動に大抵免疫がある吏志だったが、この言葉にはさすがに驚いた。

「能力がある者は生まれが何であろうと仕事と対価を与える、普通の事だ。」

階級差別があるこの時代に、兄高蓬と弟清爛は能力を重視して人事を行った。だからこそ高蓬の部隊は軍人以外の者が多くいた。清爛もまたその考え方は強く、多くの人事に関わってきた。

しかしさすがに妓女から官僚への出世は聞いたことがなかった。

「わかりました、準備します。」

吏志からしたら、清爛の命は絶対。半ばあきらめてその命を受けた。

「しかし、清爛様、この案件はちょっと上手に行わないと、ドロドロしますよ?」

「・・・・・。」

いくら何でも下町女の飛び級はいろんな念が渦巻くであろうと吏志は思った。また清爛は容姿に恵まれていたために書官である孫文は少なからず女性たちからの視線を集めている。身辺に女性を置いたことが外宮で噂にならなければいいと吏志は思っていた。

「無駄な仕事が増えない様にだけはしてくださいね。」

吏志の冷ややかな視線に、清爛は深い溜息をついた。


女はその日も洗い物をしていた。

清爛は、静かに背後から声をかけた。

「こんにちは」

女は、全く反応しなかった。

(やはり・・・)

清爛は、静かに横に回る。女は視界に入って来た清爛の足先に気が付き、顔を上げた。

「こんにちは」

清爛は笑顔で女に声をかけた。女は一度は見上げるも、再び黙って洗濯物に目を戻し作業をする。清爛はそんな女の横にしゃがんだ。

女はそんな清爛に驚き、清爛を見つめる。

「名前は?」

清爛はにこやかに女に問いかけた。しかし女は依然黙って作業を続ける。

清爛は懐から紙を出した。粗悪な茶色い半紙と筆、そしてその筆を水に浸け、半紙に字を書いた。

【あなたの名前は】

水で濡れた所は色が変わり、字が浮き出ている。女はぎょっとした目をして、手を止め、いよいよじっくりと清爛を見た。

清爛は相変わらずにこにこして、筆を女に差し出した。

女は少し戸惑いながらも、渡された筆を持ち、半紙に字を書いた。

【翠明】

その字は美しく、きちんとした教育を受けていることは明らかだった。女はとても不思議そうな目で清爛を見た。その瞳は、なぜと問いかけている。

【あなたを探していました】

清爛は紙に書く。

【数日後、あなたの身元を引き受けに来ます。その時は私と一緒に来て下さい】

女は訳が分からないと言う様子で、何かを伝えようとしている。しかし、言葉は出てこなかった。

清爛は乾いてゆく紙に再び水で字を書き続ける。

【私を信じてください】

清爛はそう伝えると、立ち上がり、その場を離れた。

女には事の次第が分からなかった。あまりに不明なことが多かった。自分を信じろと言うこの男が何者なのか見当もつかず、会ったことはないと思った。自分を引き受けるとはどういうことか、さっぱりわからなかった。しかし、それと同時にどうでもいいとも思った。どうせどこに行っても、自分の仕事は変わらないだろうと思った。それであれば、ただ生きる場所が変わるだけだと思った。

翠明にとっては、どうでもいい事の一つに過ぎなかった。

数日後、清爛はいつも通り店の玄関に座っていた。

「なんだ、最近見かけなかったから野垂れ死んじまったのかと思ったよ。」

婆さんは煙管をふかしながら清爛を見下ろした。

「結構しぶといもんなんだ。」

清爛は、へらへらと笑った。

「女将、聞きたいことがある。」

「なんだい、面倒くさい話はよしとくれよ?」

「面倒くさいかもしれないが、悪い話じゃないと思うよ?」

清爛のいつも通りの掴み所のない受け答えに、婆さんはまたかと言わんばかりだった。

「女を一人身受けしたいんだけど、いくらかかる?」

「はぁ?」

婆さんは煙管を落としそうになった。

「お前、身受けするにはそこそこな金が必要なのわかって言っているのかい?」

「一応、知っているつもりなんだけど、いくらぐらいか聞きたくて。」

女将は柱にもたれて、煙を吐いた。

「で、どの女だい、あんたが欲しいってのは。」

「洗濯係の、翠明って女。」

その名前に婆さんは再び煙管を落としそうになる。

「翠明だって!?」

婆さんの声に、周辺を歩いていた女達が一斉に足を止め視線を寄せた。

「そう、下女の。」

「いよいよおかしな男だよ、なんで下女の見受けなんてするんだい!?」

「別に、面白そうだから。」

婆さんは煙管の煙を清爛に向かって吹きかける。

「お前みたいな日銭を稼ぐ程度の男が何を言うかね。」

「だから、いくらぐらいかと思って。」

清爛は煙を手で払いながら、相変わらずへらへらと答えた。

「翠明ねぇ。」

婆さんは考え込んだ。

「そうだねぇ、あの女自体に価値はないが、あの子は字が書けるから代筆させるのに重宝してたんだよねぇ。値段を付けるなら、あの子を押し付けられたときに払っちまった二百と、代筆代百で三百ぐらいかね。」

普通に考えると、三百とは平民の三年分ぐらいの稼ぎだった。

「三百か、わかった。」

清爛はにこにこと答える。

「お前、おかしな気を起こしちゃいけないよ?そんな金用意できるのかい?」

「用意出来たら、もらいに来るよ。」

そう言って清爛は店を去って行った。

清爛が去って行ったあと、女達がざわつきながら婆さんの元へ集まって来た。

「あの男、とうとう頭おかしくなっちまったのかねぇ。」

婆さんは首をかしげる。

「容姿は良いのに、もったいないねぇ・・・」

そう憐れみながら言って婆さんがその場を離れ、女達はまた元の持ち場に戻って行った。


数日後の夕刻前、清爛は五百の金を持って店にやって来た。

その様子は相変わらずで、まるで数枚の硬貨を持って来ているかのようだった。

婆さんは煙管を落とし、店は大騒ぎになった。

「お前、この金どうしたんだい!?」

「いろんな方向から。」

清爛は、にこにこと答えた。

「正気かい!?」

「もちろん。約束通り、女をもらうよ?」

清爛の目が一瞬、いつもの目ではなく、鋭い色をした。それは婆さんに対し、約束を守れと言う牽制だった。

「・・・翠明はどこかね!呼んできな!!それと荷物も全部まとめさせな!」

婆さんが声を上げ、女達が数人パタパタと走り出した。

「丹任、お前、この金は足が付くようなもんじゃないだろうねぇ。」

「それは大丈夫だと思うよ?」

清爛はいつも通りへらへらして見せた。

数人の女に連れて来られた翠明は清爛を見て目を丸くした。

清爛は翠明を見て片手を上げて微笑んだ。

翠明の荷物は少なかった。荷物はすべて布に包まれた状態で渡され、翠明はそのまま清爛に手を掴まれて連れて行かれた。婆さんと遊女達は店の外まで出てきて唖然とその光景を見送った。


清爛は真っ直ぐに城には向かわず、少し遠回りをして歩く。そして、城の脇にある藪に入った。

藪に入ると翠明の手を放し、自身の口の前に指を立てて静かにするように伝え、奥に足を踏み入った。

わずかな時間で戻ってきた清爛を見て、翠明は本日何度目かの驚いた顔をして見せた。

清爛は、町人丹任から、書官孫文に変わっていた。着物を着換え、髪を下ろし結い直し、高貴な身分の男へと変わっていた。

清爛は驚いている翠明に向かい、再び静かにするように伝えると、手を掴み、城の裏手から中へと入った。まるで曲者のように周囲をうかがいながら、城の中に入り、翠明を手早く自分の書斎へとかくまった。

翠明は想定していた身受けとはあまりに違い、何が起こっているのかさえ分からなかった。

自分はまたどこかで下女として生きるのだろうと思っていた翠明にとって、まさか城の中に連れて行かれるとは思ってもいなかった。

今目の前にいるこの男が何者で、自分がどうなるのか見当もつかなかった。

清爛は、翠明を椅子に座らせた。

そして、前回同様、粗悪な半紙に水で字を書く。

【ここで待て】

そう残して、部屋から出て行った。

「吏志!吏志はどこにいる?」

清爛は吏志を呼びながら廊下を足早に歩いた。

吏志はそんな声と派手な足音を聞き、いつもとは違う時間に帰って来た清爛に首を傾げ、廊下に出た。

「孫文様、ずいぶんお早いお戻りで。」

「以前頼んでおいた件について話がしたい、来てくれるか?」

「わかりました、準備をして向かいます。」

「頼む。」

清爛はそう伝えると書斎に戻り、吏志は準備していた女物の書官の服を取りに向かった。

吏志にもいったい何が起こるのか、見当がつかなかった。

書斎に戻った清爛は翠明が逃げ出していなかったことに胸をなでおろした。

翠明は相変わらず表情もなく、目だけでこちらを見ていた。

清爛は改めて翠明をしっかりと見た。粗末な服、汚れた足、荒れた手、成人女性のはずなのに痩せて幼子みたいな身体、その姿を見て改めて、こんなはずじゃなかったと思い胸が詰まった。

やがてやって来た吏志は、扉を開けた瞬間に声を発しそうになった。そして勢いよく戸を閉め、内側から鍵をかけた。

「孫文様、本当に・・・?」

「この女を書官として迎える。」

吏志もまた、翠明の容姿に目を奪われた。町の下女とはここまで粗末なのかと我が目を疑った。

「孫文様、ちょっと違うお部屋でお話が、」

吏志は気を使い、清爛に部屋を変えようと申し出た。

「いや、平気だ。この女は耳が聞こえない。ここで話していい。」

吏志は再び驚いた視線を翠明に向けた。翠明はまるで置物のように表情を変えずに座っている。

「孫文様、私には意味が分かりません・・・」

「ちゃんと教育は受けていて字はしっかりと書ける。会話は筆談をすればいい、問題はない。」

吏志はいろいろと言いたいことはあった。しかし、どんなに耳が聞こえないとはいえ、本人の前で不快に思われるようなことは言いたくなかった。清爛の賢さを誰よりもわかっている吏志は、それなりの考えがあってだろうと、この場は飲み込むことにした。

「しかし、この身なりでは・・・湯にでも入れないと、」

吏志は困ったと言う顔で翠明を見る。

「玉連を呼んできてもらえないか?」

「えっ、玉連様ですか?」

「あいつなら湯に入れてくれるだろう。」

「わかりました、お声掛けしてまいります。」

吏志は頭を下げて部屋を出た。

清爛は翠明を見る。翠明はまるで置物のように、表情も変えず、ただじっとしていた。

完全に下女的思考が付いてしまっているのだろうと清爛は思った。本来は知的で誇り高い女だろうと思うも、今の翠明にはそんな様子はない。自分が目を放している時に逃げることもできたはずだ。でも、それをしなかった翠明を見て、清爛はいよいよ何とかしてやりたいと思った。

清爛は、筆を執った。

【私は孫文、あなたの生活は保障する、心配することはない】

翠明に反応はない。それでも清爛は書き続けた。

【あなたの知性が必要です、私の仕事を手伝ってもらいたい】

翠明は、紙にこそ目を落とすが、相変わらず反応はなかった。

【あなたを助ける、私を信じてほしい】

翠明は髪に落としていた目をゆっくりと清爛に向け、見上げた。

清爛は目を細める翠明に対し、笑って見せた。

吏志に連れて来られた玉連は、まず清爛に向かい挨拶をする。

「悪いな、呼び立てて。」

「坊ちゃんから呼ばれるなんてびっくりいたしましたよ。」

「・・・坊ちゃんは、やめてくれ。」

玉連は初老の女だった。玉連は以前、清爛の世話係だった。清爛だけではなく、幼い頃の高蓬の面倒も見ていた。時には上の位の者に対しても厳しく叱る女性だが、清爛にとっては数少ない信頼できる者だった。

玉連は、翠明を見た。しかし玉連は対して驚きもせず、翠明に対しても挨拶を行った。

「この者は翠明と言う、今後書官として雇うことになった。出が町人であり才はあるが耳が聞こえずに話すことはできない。お前は文字も書けるし、世話を頼めないだろうか。」

「もちろんよろしいですよ、ちょうど翔栄様の手も離れた頃ですし、お仕えさせていただきます。」

玉連はそういうと、再び清爛に頭を下げた。

「ではまず、湯にでも連れて行きましょう。美しいお顔立ちですので身なりを整えれば見栄えもするでしょう。」

そういうと玉連は翠明の元へ歩み寄り、挨拶をした。

「玉連と、申します。」

玉連は、はっきりとした口調で、翠明に自分の名を告げた。

「おい玉連、耳は聞こえないぞ?」

「はい、存じておりますよ。」

玉連はそう言うと、翠明を立たせ、新しい服を手に取りそのまま湯へと連れて行った。

吏志が何か言いたげな目で清爛を見ている。

その目は吏志がよく行う無言の圧力で、清爛はこの目をされると非常にバツが悪かった。吏志の、「自分は使える身分なので文句は言いませんが、納得できる理由を言って下さい」と言う心の声が嫌と言うほど分かった。

吏志もまた、清爛を幼き頃から見ているので比較的強い態度を取ることが出来た。だからこそこうして清爛の近くに付き制御をしている。

「わかったよ、そんな目をするな。」

清爛は、諦めたように深くため息をつき、椅子に座った。

「俺は、昔からあいつを知ってる。」

恥ずかしいのか、プイっと吏志から顔を背け清爛は話し始めた。

「この前、昔妓楼に行った時の話をしたよな。あの時、俺は妓楼の裏で地面にしゃがんで木の棒で文字を書いている同じ年くらいの娘に会ったんだ。話しかけても何にも反応を示さず、耳が聞こえないと俺に伝えた。」

清爛は、その時翠明がやって見せた仕草を吏志にして見せた。耳を指し、手を横に振った。

「で、娘は、地面に文字を書いて俺に何かを伝え様とした。そして、自分が持っていた木の枝を俺に押し付けて、書けと迫ったんだ。」

話し始めるうちにどこか遠くを見ていく清爛を、吏志は黙って見つめ、言葉を聞いた。

「俺は、一切勉強をしていなかったから、その娘が書いた字も読めなかったし、意味も分からなかった。戸惑っている俺を見て、その娘は見下した様な視線を向けてきて、ため息をつき、俺の手から木の枝を奪い取ると再び字の練習を始めた。誇りをへし折られた気がしたよ。武芸に邁進して力さえあれば何でもできると思っていた俺は、目の前の妓女娘より遥かに劣った。どんなに話しかけてもこっちを向いてくれなくって、それが悔しくて、寂しかった。」

「そんなことが、あったのですね。だから急に勉強を始めたのですか。」

「あぁ、そうだ。あの娘をいつか見返してやろうって思った。字が書けるようになって、あいつよりきれいな字を書いて、見返してやるんだって思った。振り返ってもらいたかった。」

清爛は立ち上がり、窓に向かい、外を眺めた。

「大人になって、書官の役職について、やっと堂々と女に会えると思って町におりた。妓女の娘だろうと思っていたから、同じ妓楼に行けばきっと会えると思っていた。会って、指名して、筆談であの時の事を言い返してやろうと思った。でも、該当する女は妓楼にはいなかった。かなりの日数通って、やっと、花街に売られたことを掴んで、花街に通った。そしてやっと見つけたその女は、あんな姿になっていたってわけだ。」

吏志はこの話を聞いて、やっと清爛のこれまでの行動の意味が分かった。

「気位が高く、品のあった女だったと記憶していた。強い視線に強気な態度、見下すような目、だからこそ俺は誇りを砕かれたし、文学の道に入り必死になった。しかし、今のあの女は、すべてを失っている。こんな予定じゃなかったんだ。」

吏志は、自身の考えが間違っていたのかもしれないと思った。

清爛は自身の母の面影を嫌い、妃の元へ行かないのだと思っていた。確かにそれも一因かもしれない。しかし、最も大きな理由は、この翠明と言う女なのだろうと思った。

この翠明と言う女の存在が清爛の中では圧倒的に大きく、清爛の唯一、手に入れたい女だったのだろうと思った。

そう考えるとすべてのつじつまが合うのだ。

二十五にもなり、子が数人いてもいい頃だと思っていた清爛は、実は幼き頃からずっと一人の女を想い続けていたのだった。

(そりゃぁ、妃たちに興味ないわなぁ・・・)

清爛にあてがわれた妃たちの事を思うと、吏志は頭を抱えたくなった。

「お気持ちは、よくわかりました。」

吏志は、ふぅとため息をついた。

「まさかあの清爛様が、幼き頃よりずっと一人の女性を想い慕うほど純粋だとは思いませんでした。」

吏志の言葉に我に返った清爛は、真っ赤な顔をして勢いよく吏志に向き直った。

「想い慕う!?」

「もう、私は妃たちが不憫でなりませんよ、こんな最初から負けの決まった勝負事・・・」

「違う吏志!俺はそういう様に想ってはいない!」

「はいはい大丈夫です、口外は致しませんから。」

「吏志!!」

慌てふためく清爛を他所に、淡々と事を進めていく吏志。

「となると、宮中教育もしないといけませんし、妃教育もしないといけなくなりますね。」

「まて吏志!そうじゃない!」

いよいよ真っ赤になって狼狽える清爛、吏志は完全に清爛を無視して今後の策を練り始めていた。


玉連は、やせ細り荒れ果てた手足の翠明を見て哀れに思った。漆黒の瞳の色を考えると、本来の髪は張があり艶やかだろうと思った。髪は、伸ばしているわけではなく、切っていないのだろうと玉連は思う。

それよりも気になったのは失われてしまった表情だった。これを戻すには相当な時間がかかるだろうと思った。

新調された書官の着物に袖を通させれば、翠明の見栄えはだいぶ変わった。それはまるで、失っていた威厳を取り戻したようにさえ見えた。

「さぁ、行きましょう。」

玉連はそう言葉をかけ、翠明に微笑んだ。


部屋に戻ってきた翠明を見て、清爛と吏志は動きが止まった。

全く違う女に仕上がっている翠明を見て、どういていいのかわからなくなるほどだった。

「なかなかいい素材をお持ちですね。」

玉連が笑う。

「・・・とりあえず、数日はこの中の事などを教えてやってくれないか。落ち着いた頃に、仕事に就いてもらえればいい。そう、伝えてくれ。」

たどたどしく言葉を発する清爛に、吏志はため息をつくも、なぜか微笑ましく感じた。

「わかりました。」

玉連はそう言って、翠明を連れて行った。

閉じたドアをしばらく見つめた清爛、その目に映っていた翠明は、自分が想像していた姿だった。

凛とした立ち姿には誇りを感じた。

彼女が妓女だったなら、その知性で男達を負かし、決して身を売らなかっただろうと清爛は思った。

「見栄えとしては見劣りしないので問題ないと思いますよ。」

吏志の言葉に清爛は再び我に返る。

「だから!そうじゃないってば!」

はいはいと言って、吏志は書類の山を清爛の前に積んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ