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華と夢29

平和な月が何カ月も続いた。季節も変わり、穏やかな日が続いていた。

そんな中で、事が起きた。

「そうか、とうとう軍が動くのか・・・」

「えぇ、そうなってしまいましたね。」

崔国には長年にらみ合っていた国があった。にらみ合ったまま長い年月が過ぎていたが、とうとう開戦に向けた動きが出てしまった。

「はぁ・・・どうすることもできなかったか・・・」

「仕方ありません。」

「ちょっと兄貴の所に行ってくる、ここを頼む。」

「わかりました。」

清爛は宮中に向かった。

書斎では翠明と留守を任された吏志が仕事をしていた。吏志は翠明に、清爛は今夜は宮中に行っているので戻ってこないと伝えた。

夜、清爛は重い足取りで孫文の部屋に向かっていた。そしてその途中で通過する翠明の部屋の前で足を止めた。もう夜遅い時間であり、翠明はとっくに寝ている時間だった。しかしなんとなく、清爛は翠明の顔が見たくなって部屋の戸を開けた。

翠明は静かに寝ていた。

清爛はそっと、寝ている翠明の元へ歩み寄る。

そして寝床のへりに腰を掛けて、静かな翠明の寝顔をしばらく眺めた。

音の聞こえない翠明に今ここで声をかけても気が付かない、翠明を起こすことが出来るのは朝陽だけだった。清爛はまるで翠明の寝顔を焼き付ける様に、目を細め、ずっと見つめていた。

翌朝も清爛は宮中に入りっぱなしだった。

翠明は何となく、城全体が騒がしい事に気が付いていた。それはあまりいい予感ではなく、胸騒ぎさえ感じた。吏志は翠明に何も言わなかった。

清爛が書斎を離れ、夜に翠明の元へ顔を出さなくなって数日たったある夜、清爛は翠明の元へ現れた。

翠明はいつも通り、清爛を受け入れた。

【お忙しいのですね、大丈夫ですか】

翠明は清爛を座らせ、そう問いかける。

「あぁ、人使いが荒くって。仕事を任せっきりで申し訳ない。」

【大丈夫です】

翠明はそう答えて、そして、胸騒ぎを問いかけた。

【最近お城が騒がしい気がします、何かあったのですか】

清爛は目を閉じ小さく数度、首を縦に振り、息を吐いた。

「戦が、始まったんだ。」

翠明は痛ましそうに、目を細めた。

「近いうち、兄たちが戦場へと向かうことになる。」

翠明は非常に嫌な胸騒ぎがした。

何も言わない翠明、しかしその目がとても不安がっている事に清爛も気づいている。清爛は翠明の頭に手をまわし抱き寄ると、自分も顔を寄せた。やがて清爛は翠明を見つめ、言葉を発した。

「俺も、行く事になる。」

翠明は目を閉じた。

「俺と兄貴は戦になれば一緒に動くんだ、俺は策士で、兄は兵を動かす。もちろん俺は全線には出ないが、終わるまでは帰って来れない。」

翠明は自分の胸が強く打っているのが分かった。

「戦に吏志は連れて行かない、置いて行く事になる。ここでの事を、お前に任せたい。」

翠明は小さくうなずいた。

「吏志と、待っていてくれるか・・・?」

翠明は溢れそうになる涙をこらえ、うなずいた。

それから二人は黙って、寄り添い続けた。

翌日、翠明と吏志と玉連と四人で清爛の部屋で今後の話をした。

翠明は黙って、清爛の言葉を読み続ける。

「開戦になってしまったのですね。」

「あぁ、どうしてもらしい。」

「清爛様はいつ行かれるのですか?」

「兄貴が向かうと同時に行く事になる、情勢にもよるだろうが、終わるまでは帰って来れないだろう。」

「長くなりそうですね・・・」

「あぁ、今回は、長くなりそうだ。」

翠明に政治の事はわからなかった。ましてや戦など初めて聞く内容で、三人の話をただ読むしかなかった。

「吏志、こっちを頼む、玉連も可能な限り来てほしい。」

「わかりました。」

「かしこまりました。」

吏志と玉連が頭を下げる。

「宮中への書状は、翠明に確認させてほしい。不安因子を見つけた場合は吏志が目を通して判断してもらえたらと思う。返事を書く必要はないから、内容に問題がなければそのまま中へ回してほしい。翠明を、支えてほしい。」

「わかりました、」

吏志はそう返事をして、大きく息を吐いた。

吏志は、翠明の心の内はいかほどだろうかと思った。戦など、町にいれば風の噂程度にしか聞かない事であり、あまり身近に感じた事はないだろうと思った。ましてや耳が聞こえない翠明に風の便りや人々のうわさ話など聞こえない。今、どれほどの不安の中にいるのだろうかと思った。

そして同じことが清爛にも言えると思った。

戦に同行すること自体は幾度目かであり、要領を得ているだろうと思った。しかし今の清爛には翠明がいた。最愛の翠明を置いて、命に係わる場所に行き、もう二度と会えないかもしれないと言う心理状況に立たされる、それがどれだけの苦痛か、表情から測り知ることは出来なかった。

翠明は何も言わなかった。自分が何か言うことが清爛に負担をかけることになるのではないかと思っていた。自分にはただ、その無事を願い待つ事しかできないのだろうと思いながら、三人のやり取りを黙って見ていた。

その後、何事もないかのように書斎で仕事をする清爛と翠明、一見すればいつもと変わらない光景だが、吏志にはいたたまれなかった。可能であるなら、自分が清爛の代わりに戦に行きたいとさえ思った。しかしそれが決して叶わない事を知っている、清爛の頭脳は万人に太刀打ちできるものではない事は吏志が一番よく知っていた。かと言って翠明を置いて清爛について行く事もまた叶わない。

清爛、吏志、翠明の三人は各々葛藤に苦しんでいた。


夜、清爛は翠明の部屋の前に立ち、なぜこんなにも気まずいのだろうかと思っていた。話さなければならない事はたくさんあるはずなのに、どうしていいのかわからなかった。

出兵の日は迫って来る、出来る事ならその日まで戦の事など忘れていたいと清爛は思っていた。万が一出兵の日が別れの日となるのであれば、今ここで事を荒立てたり、関係を乱すようなことはしたくなかった。

清爛は、翠明は何を想っているだろうかと思ったが、すぐに、翠明は何も言っては来ないだろうと思った。いつも通り、不安を抱えたまま、表情にも出さず、ただずっと自分の言葉を待つのだろうと思った。

それを思うと、きちんと伝えるべきだろうと清爛は思い、戸を開けた。

翠明は自分の机を片付けていた。視界の角に入って来た清爛を見て、翠明はいつもと変わらずにこやかに頭を下げる。清爛もいつも通り椅子に座り、翠明がその横に座った

翠明はいつも通り、清爛の言葉を待つ。

清爛は、自分を見つめる翠明の瞳がいつもより悲しげで、心苦しかった。

「不安だろう?」

翠明はうなずいた。

「町にいれば戦など、身近な事ではないからな。」

翠明は再びうなずいた。

「今回は長くなりそうなんだ、帰って来る時期のめどが立たない。数カ月なのか、半年なのか、一年なのか。その策を練るのは俺なんだが、相手の出方次第では長くもなるし短くもなる。できるだけ自国兵を疲弊させることなく、被害を最小限にしようとは思うが、保守に走ることが良くない事ももちろんある。その場合は攻めると言う判断を下さなければならない。それが、何よりつらい決断だ。」

翠明は、清欄の手に自分の手を重ねた。

「俺が命を落とす様な事はまずないと思ってもらっていい。俺が死ぬときはうちの軍が壊滅する時だ。兄貴が軍を率いている限りそれはまずありえない。軍師高蓬は最強だ、奴の軍が落ちることはまずない。まぁ、あって負傷するぐらいかな。」

笑う清欄に、翠明は小さくうなずく事しかできなかった。

「もし右腕を失ってしまった場合は、お前の仕事量が増えるかもしれないな。」

【左手で書ける様、訓練いたしましょう】

「怖い事を言う。」

翠明は笑った。

【吏志様はご一緒ではないのですね】

「あぁ、戦に吏志は連れては行かない。やつは官僚だ、剣術などは出来ない。戦の最中俺には兵が付く。吏志は、兄貴と俺に万が一があった時、兄貴の息子翔栄の後見人になってもらう事になっている。今のこの仕事も吏志なら引き継げる、だから置いて行くんだ。」

吏志を連れて行かないと言うこの言葉が、戦の現実を表しているのだろうと翠明は思った。それは清欄が常に死を意識していると言う事だからだ。

「出兵までもう少し日にちがある、それまで出来るだけお前と過ごしたい。変わらず側にいてほしい。」

翠明は笑顔でうなずいた。


吏志は何となく、仕事量の調整をかけた。それは、出兵までの間少しでも清爛と翠明の時間を作ってやりたいと言う想いからだった。今までは下級使用人の文も全て翠明が目を通していたが、二人が書斎にやって来る前にわかる範囲の下級使用人の文を吏志が目を通していた。それは出兵が決まった日の打ち合わせで、吏志が清欄に許可を得ていた事だった。そしてそれは今後翠明の仕事量が膨大になることに対する特例としての許可だった。

「さぁ、今日は終わりましたので、届けてきますね。」

そう言って吏志は書類を持ってのんびりと書斎を出て行った。

清爛は立ち上がり、背を伸ばすと窓の外に目をやる。あんなに寂しかった庭はいつの間にか青く茂り、きちんと手入れをされたものになっていた。清爛はふと、ここに牡丹や薔薇のようなあでやかな花が植えられたらと思った。こんな壁さえなければ百日紅も植えられるのかもしれないと思った。

「なんでこんな壁があるんだろうな・・・」

清爛はそびえる高い壁を見てつぶやいた。戦などなければこんな壁など必要ないのにと清爛は思っていた。

翠明が清爛の横にやって来て、共に並び窓の外を見た。翠明もまた、あの寂しかった庭が生きているように見えていた。

「平和な世とは、どのような世を言うんだろうな・・・」

清爛のつぶやきに、翠明はその顔を見つめる。

「こんな高い壁がなきゃ自分達の身を守れない、それが果たして平和な世の姿なのだろうか・・・」

翠明も壁を見上げる、その壁は相変わらず重苦しいと思った。

「なぜ、こんなものが必要なのだろう・・・」

町人達の家にこんな壁はないと清爛は思った。彼らはこんな壁などなくとも平和に暮らしていると思った。なぜ自分たちはこんな壁に囲まれて暮らしているのだろうと、今更ながら疑問がわいてくる。翠明はそんな清爛の手を取り、文字を書いた。

【大きな鳥籠】

清爛は首をかしげる。

【今すぐではないかもしれませんが、いつか籠はなくなると思います。だってこの国にはあなたがいるのですから】

翠明は優しく清爛の手を握った。


出兵の日は快晴だった。

後宮大広場には多くの軍人達と馬に乗った高蓬、そして籠の中に清爛がいた。

清爛はその姿を表に出すことはない。見送る者たちは籠の中に誰がいるのかを知らなかった。

勇ましい軍人たちの出兵に後宮勤めの女達は大騒動で見送った。

翠明と吏志はそんな見送る使用人たちの群れの一番奥からそっと清爛の姿を見送った。

清爛もまた、籠のわずかな隙間からそんな二人を見ていた。

吏志は、翠明の何とも言えない表情を見ていた。その表情はとても辛そうなのに、必死で平静を装っている様に見えた。

翠明は清爛の籠が見えなくなっても立っていた。

吏志はそんな翠明の肩にそっと手を掛ける。気が付いて振り向く翠明に、吏志はいつも通り優しく微笑んだ。

「戻りましょう、翠明様。」

翠明は寂し気な笑顔でうなずいた。

見送る翠明の表情までは清爛に見えていなかった。しかし、どんな表情で見送っているかなど手に取る様にわかった。清爛は絶対に無事に帰って来る事を誓った。

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