華と夢23
吏志は自室でいくつかの道筋を考えていた。
翠明の母親である璃林が備国の出身であり、質のいい教育を受けていた事は事実だった。
もし、翠明が備国の皇族の血縁者だとした場合、父親の存在によって話が変わっただろうと考えた。
もし、母親が嫁ぐ前に一般階層の者との不貞の元に授かった子であったのなら王はその父親を処分し、子の事も処分するだろうと思った。それは後の権力争いの火種となる可能性があるからだ。
しかし、もし父親が皇族関係者の、しかも親族であったのならば、子供の存在をなかったことにして母親だけを連れ帰れば目的を達成したことになるかもしれないと思った。連れ戻すように命じた者が父親なら、情けをかける可能性があると考えていた。
子供を見逃す代わりに戻る様に言われたとしたら、母親なら、断腸の思いで帰国することを選ぶだろう。
そう思うと、翠明はどこかの高い身分の、血縁者間の子供であると言う説の方が納得がいった。
そして、決まっていた嫁ぎ先から、嫁が逃げたことの抗議を受けることがなく、揉み消すことが出来る身分となると、かなり高い階級であることが考えられた。
それは場合によっては、国王の血族であることも意味していた。
しかしもしそうであった場合、今回の捕虜の件で気が付かないものだろうかと考えた。
母親ならば気が付く可能性があるのではないかと考えた。しかし、その考えもまたすぐに否定できた。なぜならば翠明は性別と名前を偽り、身元のはっきりとした肩書を持って捕虜になっていたからだった。
吏志はとんでもないことになったかもしれないと、思った。
この案件を自分だけで抱えられるだろうかとさえ思った。
備国の関係者だとわかれば、高蓬は間違いなく翠明を追い出すだろう。追い出すだけならまだいい、首を跳ねる可能性も考えられた。あの件で、両国間の関係は良好だが、もしそれ以前の事を蒸し返され、あらぬ疑いをかけられた場合、今の翠明にそれら全てを否定するだけの条件は整っていなかった。
高蓬にどう伝えるべきか、何を伝えるべきか、吏志にはもう少し整理する時間が必要だった。
そして整理が付かないまま一月が経過しようとしていた。
「あぁぁー!っとに!」
清爛が文を見て叫んで、書を机にたたきつけた。
その行為に吏志が驚き振り向いた。
音の聞こえない翠明は、視界の角で暴れている清爛に気が付き手を止めた。
「どうかなさいましたか?」
「吏志!備国に行くぞ!今すぐだ!」
「はい!?」
吏志は時が止まったような衝撃を受けた。
「まったく!あっちの事業担当者は頭が悪いのか!?こんな文でのやり取りを延々と繰り返していたら道なんて一向にできない!時間の無駄だ!」
叫んでいる清爛に翠明は首を傾げ、静かに立ち上がるとそっと書斎を出て行った。
「落ち着いてください、急には無理です・・・」
「二言目には金だなんだと!うちの石工たちに任せればいいのに!直接話をしたい!」
「わかりましたから、落ち着いてください。その前にいろいろと手続きを踏まないといけないでしょう。急には行けませんよ。」
「じゃぁすぐにでも許可を得て来る!それから文を書いて返事を待って・・・って、どんだけ時間がかかるんだまったく!」
「まぁまぁ・・・」
吏志は気が気じゃなかった。
今の吏志は備国と言う言葉に非常に敏感だった。
吏志が一生懸命清爛を落ち着けている最中、静かに戸が開き、翠明がお茶を持って入って来た。
翠明は当然ながら黙ってお茶を卓に置く。
その行為を見た清爛と吏志は顔を見合わせ、同じく黙って卓に向かって茶器を手に取った。
そしてしばらく黙って茶をたしなんだ。
小さな茶器であるにもかかわらず、随分と気持ちが落ち着くものだと清爛と吏志は思った。そして飲み終えた頃にはあれほど高ぶっていた気分は落ち着き、清爛は体の中から支柱が一本抜けてなくなったような気分になっていた。
翠明は軽く頭を下げると三人分の茶器を再び盆にのせ、静かに書斎を去って行く。清爛は黙って自分の机に戻り、座り、吏志もまた黙ってその横に立った。
「さて、どうしようか、吏志・・・」
「どういたしましょうか・・・」
吏志は非常に複雑だった。今の自分が備国に行けば何らかの情報を得たくなり本題とそれた動きをするかもしれないと思った。敏感な清爛はそんな自分の行動に何かを感じるかもしれない。しかし、逆を言えばこんなに絵にかいたような機会は二度とないとも思った。
二人は別々な理由で頭を悩ませていた。
幾度目か、静かに書斎に戻って来る翠明。
翠明は自分の机に向かって腰を下ろすと、文字を書き、二人の前にその紙をつるした。
【落ち着きましたか】
清爛はもちろん、吏志もまたなぜか恥ずかしかった。
【勢いで物事を決めてもいい事はありませんよ】
「・・・あぁ、わかってる。」
清爛は頬を掻いた。
【備国に行かれるのですか】
「あぁ、行こうかと思っている所だ。」
【その際は香月様によろしくお伝えください】
翠明が書いた文字に、清爛と吏志が首を傾げた。
「翠明、香月とは?」
【私の面倒を見て下さった方です】
「そうか、それは礼をしなければならないな。」
「翠明様、その方は使用人かどなたかですか?」
【いいえ、国王の妹だそうです】
「王の妹!?」
清爛が声を上げた。
その横で吏志はなんだか、胸騒ぎがしていた。
「なんで妹がまだ国に残ってるんだ?普通はどこかの妃として嫁いでいるだろう。」
翠明は何事もないかのように筆を進めた。
【そこまではわかりません、ですがよく身の回りの面倒を見てくれました】
「翠明様、それは、翠明様が女性だと言う事が分かって・・・でしょうか?」
【いいえ、気が付いていないと思います】
「ではなぜ、わざわざ妹君が翠明様のお世話を・・・?」
吏志の胸は、ざわついていた。
翠明は少し戸惑いながら、筆を動かす。
【亡くなったご子息が、私と同じで耳が聞こえなかったと言っておりました】
「なるほど、それならなぁ・・・」
一連の話を聞き納得している清爛と、どうしようもなく心が騒がしい吏志。
思わぬ方向から翠明出生の確信を突くような内容の話が出てきてしまい、吏志はだいぶ混乱していた。
「・・・とりあえず、孫文様、備国に行かれるのでしたらまず皇帝に一言お伝えしなければ、それからです。」
「あぁ、そうだな。」
吏志はとりあえず、その場をなだめた。
誰に何を報告すべきなのか、吏志はもはや大混乱だった。
しかも、兄弟間にわだかまりを作らせない様に動かなければならない。もし備国に行く事になり、香月と言う女性の何らかの情報を得た時、翠明の身元は確定するのだろうと吏志は思った。
そうなれば、いよいよ腹をくくらなければならないだろうと吏志は覚悟を決める。
そして、清爛と共に備国に行く事を決めた。
備国行きは認められたが、まずは文のやり取りが必要だった。備国側にも受け入れの準備があるからだった。清爛の文は早馬に渡され備国に送られた。
「私たちが不在の間、翠明様はどうされますか?」
吏志の問いかけに清爛はわからないと言う顔をして見せる。
「ん?大丈夫だろう?」
吏志はため息をついた。
「雅陵殿が、お越しになった時の事ですよ。」
「あぁっ!」
清爛が思い出して、勢いよく頭を上げた。
「あなたも私もいませから、ここが手薄になります。その間に来られては・・・」
「翠明を連れて行けないか?」
「それをしてしまったら、いろいろと混乱が起きます。」
「・・・だったか。」
二人は腕を組んで悩み、ちらりと翠明を見た。
翠明は我関せず仕事をしている。
二人の翠明を見る目の奥は違っていた。
女好き雅陵が翠明に手を出すのではないかと心配している清爛と、翠明の存在に疑問を抱いている高蓬が何らかの接触を図り亡き者にするのではないかと心配する吏志。
二人はそれぞれ考えていた。
「玉連、だな。」
「そうですね、玉連様ですね。」
玉連は清爛はもちろん高蓬をも育てているため、それなりに厳しく言うことが出来た。皇族たちが唯一頭の上がらない存在だった。
「目を離すなと、伝えておこう。
「張り付いていていただきましょう。」
二人はやれやれとため息をこぼした。
その夜清爛は翠明に事の次第を話した。
「十日は不在にしないつもりだが、何かあったら玉連に頼んでくれ。」
【道中お気を付けて】
清爛は天に腕を伸ばし背を伸ばした。
「今まで備国までは迂回して行かねばならなかったが、この道が出来ればもっと時間が短くなるはずだ、そうすればもっと人々が行き来でき、商品や金が動くようになるはずだ。」
【そうなればいいですね】
「お前の事は、玉連に頼むから心配しなくていい。」
そんな清爛の言葉に翠明は首をかしげる。理解していない翠明を見て、清爛は目を泳がせた。
「雅陵が来るかもしれないからな・・・」
あぁと言う様な顔をして笑う翠明。
【玉連様は雅陵様とお知り合いなのですか?】
「あぁ、まぁ、玉連はちょっと有名なんだ。」
雅陵と高蓬が同一人物であることに気が付いていない翠明にとっては不思議な事ではあった。
清爛は玉連にもよく事の次第を伝えておかなければならないと思った。
「孫文殿!いるかな!」
勢いよく開いた戸に書類整理をしていた吏志と翠明が顔を向ける。清爛は手を止めて深くため息を吐いた。
「これは翠明殿、先日は失礼した。」
翠明は頭を下げた。
「先日とは・・・?」
吏志が翠明を見る。
「何の御用ですか、雅陵殿。」
清欄が言葉を遮った。
「なんだ、用がなければ来てはいけないのか。」
「そうです。」
「ならば、話があるとでもしようか。」
清爛は面倒くさそうに頭を掻いた。
「吏志、」
「はい。」
「雅陵殿を部屋へ。」
「かしこまりました。」
「なんだ、ここでも構わないのだが?」
「お部屋でお待ちください。」
清爛の言葉で、吏志は高蓬を部屋へ行くように促した。
「翠明殿、ではまた。」
翠明は頭を下げた。
吏志は可能ならば高蓬と二人きりになりたくなかった。それは、翠明の事を問われることを恐れていたからだった。
「吏志」
「はい・・・」
「調べは、どうなっている。」
「現在進行中です。」
「どこまで調べが付いている。」
「いえ、全く・・・」
吏志は息を吐いた。
「どういうことだ。」
「情報が全くなく、何もつかめておりません。」
「そんなわけがない、調べろ。」
「かしこまりました・・・」
部屋に入ってすぐに清爛が後を追ってやって来た。
「一体何の話です。」
「備国への準備はどうだ?」
「えぇ、出来ていますよ。それだけを言いに?」
「お前は孫文の時は感情的だな。いつもこうなのか、吏志?」
「あなたが来る時だけです!」
答えたのは清爛だった。
「で、本当の要件は何ですか?」
清爛がイライラした様子で高蓬を見る。
「あの翠明と言う女、お前が連れ込んだと聞いたが?本当か?」
清爛も吏志も、確信を付いて来たと思った。
高蓬はどこか楽しそうに清爛を見ていた。
「えぇ、そうです。美しい字を書いていましたので仕事を与えました。それだけです。」
「どこの出の者だ?」
「町ですよ、どこの出だっていいでしょう?」
その返事に納得がいかない様子の高蓬に清爛のイライラは高まる。
「出所なんて関係ないでしょ?才がある者は等しくその才を認め出世させる。それはあなたも常々言っている事でしょ。」
「あぁ、全員男だがな。」
清爛は不服そうに黙って高蓬を見つめた。
「いい女じゃないか、字が書けてあの美しさだ。しかもお前の代わりに捕虜にまでなった、度胸もある。相当賢いのだろうな。」
「・・・そんなに興味がおありですか?」
「あぁ、美しい女だからな。」
楽しそうな高蓬に更にイラつく清爛、その横で内心落ち着かない吏志。
「えぇ、確かに美しいですよ。でもあなたの好みじゃないでしょ。」
「まぁそうだな、俺はもっと肉が付いている女がいい。」
高蓬の妃たちはみな女性的な丸みのある体型をしていて、翠明の様な細身ではない。
「でも、まぁ、嫌いなわけではない。」
清爛はいよいよイライラが止まらなくなっていた。
「もし、我々が備国に行っている最中に彼女に手を出したら、その時は許しませんよ。」
「部下の出世だ、喜ばないのか?」
「喜びません!」
高蓬はわざと仕掛けていると吏志は思っていた。いつも冷静で客観視している清爛もここまで感情的になってしまえば自らボロを出す可能性がある。それは、避けなければならなかった。
「そうですね、翠明様がいなくなってしまうと仕事は半分以下しか進みません。」
吏志の助け舟に、清爛はふと我に返り、高蓬はつまらなそうに吏志を見た。
清爛は長い髪をかき上げ、雑に頭を掻いた。
「とにかく、不在時の書斎およびこの部屋への出入りは禁じます。もしその事実が分かったその時は、あなたを厳しく罰します。いいですね、雅陵殿。」
「そりゃ困るな。」
孫文、吏志、雅陵では雅陵が一番身分が低い。孫文や吏志が罰することも不可能ではなかった。
「我々が不在中は玉連様がずっと就いておりますから、お越しにならない方がよろしいと思いますよ。」
その言葉に高蓬が思わず黙った。
「やられたな・・・」
高蓬はつまらなそうに腕を組んだ。
「仕方ない、不在時はやめておこう。斬首されそうだからな。」
高蓬はやれやれと言いながら部屋を出て行った。吏志はその後ろを付いて歩き見送る。高蓬はおとなしく内宮の方へと帰って行った。
吏志は深く息を吐いた。
今日ここに来たのは間違いなく、自分に調査の進捗状況を確認するためだろうと思った。清爛に絡んだのはそのついでに過ぎないのだろうと。
「帰ったか・・・?」
清爛が不愉快気に吏志に声をかける。
「孫文様、」
「なんだ、」
「挑発に乗ってしまっては相手の思うつぼですよ。」
「・・・わかってる。」
「翠明様の事となると・・・」
清爛は吏志から顔を背けた。
吏志は、やれやれと思いつつもどこか笑ってしまう。
「さぁ、これで心置きなく備国へ行けますね。準備を済ませてしまいましょう。」
「あぁ、そうだな。」




