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華と夢20

一人で夕食の片づけをしている翠明を清爛は見かけた。瓶に水を足し、今まさにその仕事を終えようとしている翠明に、清爛は歩み寄った。視界に入ってくる清爛に気が付いた翠明は頭を下げた。

「翠明、ゆっくりと話がしたいんだが、これから、いいか・・・?」

翠明は首をかしげるも柔らかく微笑みうなずいて見せた。

「俺の部屋に来てくれないか?」

翠明は再びうなずき、それを見た清爛は部屋に戻っていった。

思いのほか真面目な顔をしていた清爛に、翠明は何の話だろうかと思っていた。しばらく心当たりを探ってみて、備国の事だろうと思った。

翠明は一度部屋に戻り、服を着替え、清爛の元へ向かった。

部屋に入り、いつもの奥の部屋へと入る翠明、清爛は椅子に腰を掛けていた。翠明はそんな清爛に頭を下げてその横に立つ、そして筆と紙が置かれている椅子へと腰を下ろした。

「あれから体調はどうだ?」

清爛の言葉に、翠明はゆっくりと首を振った。

「ひどい扱いを受けたりしなかったか?」

翠明は再び首を振った。

「そうか、なら良かった、」

話したいことがあるはずなのに会話が続かない清爛に、翠明は首を傾げた。いつも気持ちを素直に表す清爛がどことなく言葉に詰まっている様に翠明には見えていた。

翠明は筆を執った。

【どうかなさいましたか】

清爛は気持ちの表現の仕方に困っていた。今の自分の複雑な想いをどう口にすべきか、考えすぎて言葉に詰まっていた。翠明はそんな清爛に言葉を続けた。

【私はこれから、清爛様と孫文様、どちらでお呼びしたらよろしいですか】

翠明はそう書いて、清爛の顔を覗き込んだ。

「仕事をしている時は孫文で、それ以外は清爛でいい・・・」

そう言って清爛は、やっと口を開いた。

「お前は、俺が清爛だと知って、どう思った・・・?」

翠明はその言葉に首をかしげるも、筆を走らせる。

【孫文様のご身分が書官よりも高いのではないかと言う事は感じていました。そしてお仕事もまた、書官以外にお国に関わる様なことをされているのではないかとも思っていました】

翠明の洞察力はさすがだと清爛は思った。自分の些細な行動や態度から何か違和感を感じ取ったのだろうと思った。少しは自分の事に興味を持ってくれていたのだろうかと思う清爛に、続く翠明の言葉は不安にさせるものだった。

【しかしそれらは私にとっては知らなくていい事だとも思っていました】

「・・・なぜ?」

思わず清爛はそう問いかけていた。

翠明はその問いに淡々と答える。

【私は書官孫文様にお仕えしています。それ以外の事は知る必要はないと思いました】

「なぜ?」

翠明が見つめた清爛の瞳は、何か縋る様なものだと思った。

「知りたいとは思わなかったのか・・・?」

清爛は、翠明が自分に対し興味がないのではないかと不安になる。しかし当の翠明は清爛の言葉に少しばかり悩んで、筆を続けた。

【私が知る必要があるのならば、あなたから言って下さると思っていました。今回のように】

清爛は翠明がとても我慢強く、信頼できる人間だと思った。

【孫文様が皇太子清爛様であると言われた時は驚きました、さすがにそこまでは思っていませんでした。ですが、ここにいる以上清爛様が孫文様でおられるのならば、私は孫文様にお仕えする限りです。私は書官として働いているのですから】

翠明の言葉はどれも正しかった。しかしそれらの言葉は、清爛にとって求めている答えではなかった。

清爛でも、孫文でもなく、自分に対してどう想っているのか、その答えが欲しかった。

「翠明、」

「?」

「備国に行く前に交わした言葉を、覚えてるか?」

翠明は首を傾げた。

清爛は再び言葉に詰まる。そんな清爛を見て翠明は、今日はやたらと口下手だと思った。奥歯にものがかかったとはまさにこの様な事を言うのだろうと思った。

「俺と、一緒にいてほしいと、言った会話だ。」

翠明はきょとんとした顔をした。

まるで子供の様に照れくさそうに目を泳がせている清爛、そんな清爛を見て、翠明は何となく言いたいことを察した。

翠明は立ち上がり、清爛の机の上から墨を持ってきた。墨を磨り、筆先をていねいに染める翠明。そんな翠明の行動に、清爛は意味が分からず見つめる以外他になかった。

翠明は筆を置くと、清爛の手を取った。そしてその手に文字を書いた。

【いいえ、覚えていません】

その言葉に清爛は翠明を見つめる。そんな驚きと絶望が混じった表情の清爛を見て、翠明は笑う。

【だからもう一度、書いて頂けませんか?】

翠明は墨の付いた筆を清爛に押し付ける様に渡した。

清爛は顔が赤くなるのを感じた。胸が強く早く打っている気がする。

翠明は黙って、清爛の筆が動くのを待っていた。

清爛は息を吐き、心を落ち着けて筆を持ち、紙の上に美しい文字を描いた。

【ずっと、俺の側にいてくれないか】

翠明は清爛の手から筆を執り、返事を書いた。

【私でよろしければ】

【お前じゃなきゃ、嫌だ】

【では、ずっとお側におります】

それは、いつもの乾いて消える言葉ではなかった。

ずっと残る、形のある言葉だった。

翠明は筆を変え、いつものように水で文字を書き始めた。

【私からも聞きたいことがあります】

「・・・なんだ、」

照れくささから返事が遅れる清爛、翠明は気にせず書き始める。

【なぜ、私なのでしょう】

「どういうことだ?」

【清爛様は花街の多くの女達の中から私を身受けしました。まるで、私の事を以前から知っている様でした。私は清爛様の事を存じ上げなかったと思います。なぜ私を選んだのですか】

清爛はどこかで、翠明は気が付いているのではないかと思っていた。遠い昔、幼き頃の共通する思い出。どこかでわかっていて、それで自分の側にいることを選んだのではないかと思っていた。しかし、今の翠明の瞳はそうは語っていなかった。

清爛は、墨の付いた筆を持ち、新しい紙に文字を書き始める。翠明はそんな清爛を不思議そうに見つめた。

【昔、まだ幼かった時、同じ年くらいの少女に出会った。その少女は店の裏庭で木の枝を持ってしゃがんでいた】

翠明は首をかしげる。

【幼い頃の俺は兄の様な軍人になりたくて、剣術ばかりに夢中だった。そんな俺の前に現れた少女は、地面に文字を書いていた】

翠明はこの言葉に目を見開いて、清爛を見つめた。

清爛は微笑みながら文字を書き続けた。

【俺はその少女に声をかけた、しかしその少女は俺を見上げるだけで何も答えず文字を書き続けた。俺がどんなに声をかけても少女は振り向かない。ややあってその少女はとても面倒くさそうに、手を使って耳が聞こえないのだと俺に伝えて来た】

翠明は、両手を口の前で合わせた。

【気が強い少女で、俺に木の枝を押し付けて文字を書くように催促した。しかし俺は文字なんて書けないし読めなかったから、少女に答えることが出来なかった。少女は俺の手から木の枝を取り上げると再び文字を書き始めた。俺がどんなに声をかけても少女には聞こえない。名前を名乗っても届かなかった。それがとても悔しかったし、寂しかった。それから俺は字の勉強をした。いつかその少女を見返してやるために。大人になって、その少女がいた妓楼に行った。指名してあの時の事を言ってやろうと思って。でも、その少女はその妓楼にはいなかった】

感極まった翠明の瞳から、一筋の涙が零れた。

【ずっと探した、何年も何年も。そしてやっとあの花街にたどり着いて、耳が聞こえない下女の存在を知った。その姿は俺がイメージした気高い妓女ではなかったけれど、強く美しい目をしていた。きっとこの女だろうと思った】

「お前が探す男とは、俺で合っていると思うか?」

翠明は涙をこらえながらうなずいた。

翠明にとってもこの時の出来事は特別だった。自分の人生に一石を投じたその男に会いたいと思っていた。しかし、清爛と暮らすうち、その出来事はいつの間にか過去の事となり、次第に自分の中でも思い出として片付けられていた。

「ずっと探していたんだ、翠明。」

翠明は深く頭を下げた。

「だから、お前じゃなきゃダメなんだよ。」

清爛は翠明の手に、自分の手を乗せて、そっと掴んだ。

「わかっただろ?だからずっと、側にいてほしいんだ。」

翠明は何度も何度もうなずき、清爛の手を額に当てた。

「いろんな話をしよう、翠明。今日までの事も、これからの事も。」

清爛と翠明は夜遅くまでいろんなことを話した。時に笑い、時に感慨深い思いを抱えながら。

「本来ならお前を妻として迎えたいところなんだが、俺が孫文として生きる以上それは無理なんだ。」

あまりに唐突に、そして普通に出てきた清爛の言葉に、翠明はぎょっとした。

「お前、その意味が分かるか?」

翠明は目をぱちくりさせてゆっくり首を傾げた。

「だよな、」

清爛は笑う。

「城にいる男は皇族、官僚、軍人のどこかの役職に就いている。官僚は内宮外宮を行き来し様々な仕事をする。吏志のように主人に就いたり、書官、医官様々だ。で、そんな官僚は高給と引き換えに、ここに入る前に男を捨てくるんだ。」

「・・・?」

翠明はさっぱりわからないと言うような顔をした。

「みんな、取られていると言う事だよ。不貞を働かないためにな。」

翠明は顔が真っ赤になるのを感じた、それと同時にそれはとんでもなく人の道に外れた行為だと思った。

「俺は一応皇族だ、だから取られてはいないんだが、官僚として働く以上「ない」事になっている。だから、俺が孫文である以上、お前を妻として迎えることは出来ないんだ。」

驚きすぎて言葉が出ない翠明、理解し受け入れるには時間がかかりそうだと思った。

「吏志は、まだ十代だった頃に男を捨て、幼い俺に仕えることになった。主が五つ程度の子供だ、さぞ受け入れられない事が多かったと思う。それでも奴はずっと俺の側にいた。だからあいつは最も信用できる奴なんだ。」

清爛と吏志の関係は特別だと翠明は思っていた。それは親兄弟よりも強い絆であると思っていた。翠明はその理由をやっと知ることが出来た。

「俺はこれから先すっと、清爛じゃなく、孫文として生きることになると思う。父の次は兄が継ぐ、その次は息子の翔栄だ。もし万が一翔栄が成人する前に兄が死んだ場合は一時的に俺が引き受けるだろうが、その予定もないだろう。俺は外宮で孫文として検疫に関わり監視し統制をする、これまで通り、ずっとな。」

翠明はいろんな情報がいっぺんに入ってきて若干混乱していた。妻になる事など考えてもいなかった翠明は、事態の急展開に付いて行けそうになかった。

「清爛としてならお前を妻に迎えることが出来る、清爛の妻とは妃の事だ。だが、そうなればお前は内宮に閉じ込められ、今のような自由はなくなるだろう。周囲の事は世話役の女官が行い、数日に一度やって来るか来ないかの俺をただ待つ様になる。それはとても辛い事ではないかと、俺は思うんだ。」

清爛はいつぞやの桃花の事を思い出していた。

「俺は、このまま、今のまま書官孫文の側にいてほしいと思っている。お前がどう望んでいるか教えてほしい。」

翠明は世間の事をほとんど知らないに等しかった。清爛の話を聞いて、この世には不可思議な事があまりに多く、それが常識となっていると言う事に驚くばかりだった。皇族なのに複雑な立場の清爛、そして大切なものを捨ててまで城で働くことを望む男達、籠の鳥の妃たち、どれも翠明には理解できそうになかった。

翠明は、そんな暮らしは自分には不可能だろうと思った。何もさせてもらうことの出来ない辛さは、備国で散々味わった苦痛そのものだったからだった。

【私は、今のままがいいです】

翠明は墨の付いた筆でそう書いて、微笑んだ。

【今のように、自由なあなたの側について、共に仕事をし、お側に仕えさせていただきたいと思います】

「よかった。」

清爛は心の底から安堵の笑みを浮かべた。


清爛と翠明の関係はいつも通りだった。

変わった事と言えば夜の食事を吏志と玉連を含め四人で囲むことになった事。今までは清爛と吏志が先に食事を済ませ、その後に翠明と玉連だったが、清爛の一言で四人で卓を囲むこととなった。

食事の準備は主に玉連だが、翠明もよく手伝った。

備国の件以来、清爛と翠明が特別な関係になった事は吏志にもわかった。しかし、二人があえて今まで通りの関係を続ける道を選んだ事にどこか切なさを感じていた。

それと同時に、吏志にはいよいよどうしてもやらなければならないことが出来てしまった。それは、翠明の出生調査だった。公ではないが正式に皇太子清爛の妃候補になった翠明、吏志は主清爛に仕える官僚として、翠明の身元を明らかにしなくてはならなかった。

それは場合によっては破滅をもたらすかもしれない事を意味していた。もしそんな最悪な結果が自分の手元に上がった時、吏志は翠明をどうすべきかを考えておく必要があった。

吏志は自室に帰る途中、足を止め、明るく輝く月を見上げた。自らの命を懸けてまで捕虜になり清爛はおろかこの国を守った翠明を、自分はその身元だけで裁けるのだろうかと思った。

もしそうなったとしても、翠明は黙って裁きを受けるだろうと吏志は思った。しかし、清爛が受け入れられるわけがないと言う事もまた吏志にはわかっていた。その結果、清爛がどうなるか、自分がどうなるか、そして自分がこれから行う事は正しい事なのか、しばらくは自問自答しなければならないだろうと思った。

あんなにも、清爛に落ち着いてほしいと願っていた吏志。しかしいざその条件が目の前にそろった時、まさかこんなにも複雑な想いをするとは思っていなかった。

吏志はただただ、何も出て来ない事だけを神に願った。

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