表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/38

華と夢2

「おい丹任、今日も客引きのバイトか?」

「まぁね、暇つぶしだよ。」

清爛は身なりを変えて花街に溶け込んでいた。城を出ると清爛は丹任と名前を変えて、気ままにふらふらして過ごした。花街の店に顔を出しては安い賃金で客引きのバイトをやった。気が向けば呑み屋に行き、見ず知らずの男達と安い酒を飲んだ。

誰もこの男が皇位継承者であるとは気付いていない、それが清爛には心地よかった。

清爛にとって花街は人間観察の場所だった。華やかな大人の世界。そして、その裏にある闇。清爛はそんな表と裏を間近で見ることの出来る世界をうろついていた。

「丹任、お前さん字は書けるかい?」

今日身を寄せていた店の女将が清爛に声をかける。

「まさか、書けませんよ。」

清爛は笑顔で答えた。

「まったく、困ったねぇ。」

女将は困ったと言う顔で去って行った。

清爛はこの会話を気にも留めていなかった。読み書きができる者は多くない、この界隈では読めない方が普通だった。清爛も丹任として歩いている以上、読めないと言う方が自然だった。


清爛は帰るといつも吏志にため息をつかれた。

「なぜあそこに通われるのですか?」

吏志は清爛がどこで時間を使っているかを知っていた。何をするわけでもなく、ただ町人のようにふらりふらりとしていることに疑問を感じていた。

「お前も行くか?なかなか楽しいぞ。」

そう言いながら清爛は文に目を通し続けた。

「ほかの場所には行かれないのですか?」

文を片付けながら吏志は問いかける。その問いかけに、清爛は頬杖を着いて、どこか遠い目をした。

「なぁ、吏志?」

「はい。」

「昔さぁ、兄貴たちと妓楼に行ったの覚えてるか?」

「えぇ、覚えていますよ。戦の祝賀でしたね。あの時は高蓬様もお若かったですね。」

「あの時、俺が何したか、覚えてる?」

「清爛様が?さぁ、覚えてはいないですけど・・・」

高蓬の軍は長い戦に勝利を得た。その祝杯の場として妓楼で盛大に飲んで暴れたことがあった。

本来ならば宮中で行うものだが、兵士たちに民兵が多かったこともあり、高蓬が妓楼を貸切ったのだった。

妓楼にいる妓女達は体を売ることはせず、芸を売った。踊りや歌、楽器などを嗜み品位が高かった。

その宴会に、清爛と吏志も参加していた。

「なら、いいや。」

清爛は筆を執って書をしたためる。

そんな清爛を見て、吏志もまたその時の事を思い出していた。

「そういえば、あの後からですね、あなたが急に勉強を始めるようになったのは。あんなに勉強は嫌いだと言って逃げ回っていたのに、まるで人が変わったように。」

「兄のようにはなれないと気付いたのかもな。」

清爛より一回り以上歳が上の兄高蓬は清爛にとって憧れだった。自分もああなりたい、ずっとそう思い、武芸こそ積極的に取り組んでいたが勉学からは逃げていた。自分も兄たちと一緒に喜びを分かち合いたい、輪に加わりたいと思い、あの時妓楼に付いて行ったのだった。

そこで、運命は大きく変わった。

「私は、あなたに武芸の才がないとは思っていません。あなたが自分の意思でやめてしまったんです。」

清爛は勉強を始めると同時に、あれだけ打ち込んでいた剣術などの武芸に興味を示さなくなった。

それは周囲すら驚くものだった。

「今でも時折なさってる姿を見かけますが、衰えてはいないと思います。」

「お前は良くできた役人だな。」

清爛は笑った。

「ただ、」

吏志は清爛が書き上げた書を手に取り、墨を乾かす。

「ただあなたの手は、剣を持っているよりも筆を持っている方がはるかに似合うと、私は思いますけどね。」

「ほんと、よくできた役人だよ、お前は。」


清爛は名前を使い分けていた。

清爛と言う名前はごく一部の者と皇族しか知らなかった。茶会や宴の様な宮中行事にも清爛は一切顔を出さない。内宮を一歩でも出たらそこからは孫文と言う書官になった。位はだいぶ下がり、いわば宮廷に仕える役人の一人だった。吏志はそんな清爛に合わせて呼び名を変える。二人きり以外の時は清爛の事を孫文と呼んだ。外宮に使える者のほとんどは、清爛の事を孫文だと認識していた。

その日もまた、清爛は町に出ていた。

「丹任お前、うちで男娼として働く気はないかね?いい金になるよ?」

女将をしている婆さんが清爛に声をかけた。

長い髪を雑な布でまとめ、宮中で着る様な着物ではなく、町人が着る様な着物に着替えて、清爛は最近よく顔を出している店の玄関に腰を下ろしていた。

「そんな趣味はないよ。」

「全く変な男だよぉ、見た目もいいし、これで金を持っていりゃお客として扱ってやるんだがねぇ。」

「金はないなぁ。」

清爛は笑う。

「じゃぁ働きな!」

そう言って婆さんは清爛の背を蹴り飛ばした。

花街の女達は体を売り金を稼ぐ。芸を売る妓女とは違った。ここにいる女達の事情は様々で、売られた者、身寄りがなく行きついた者がほとんど。自ら進んで来た者などいない。

売られた女達は借金を返すと自由が選択できた。

しかし、ほとんどの女達はここを出ない。その理由もまた、様々だった。

客の中には官僚もいる、清爛はそんな生々しいやり取りを見ては、人間の業の深さを思い知った。

「これも洗っといて。」

背後の路地の裏から女の強い口調が聞こえた。

その声色は誰かを見下すような声色だった。清爛にとって、女同士の格付けは真新しいものではなかった。それは宮中でもごく普通に起こっており、女達は集まると喧嘩しかしないと清爛は思っていた。

格付けし合い、裏と表がある。ここもまたそんな場所だった。

いつもなら気にも留めないようなやり取り、しかしその日、清爛はそのやり取りに思わず振り返ってしまった。

「不満があるなら何か言ってみたら?どうせ話せないくせに。妓女の娘のくせに芸の一つもできないのね。」

女達の笑い声が遠く去って行った。

清爛はその路地に立った。

路地の奥、多くの投げつけられた洗濯物を拾う女の姿があった。

下働きの身なりは、花街の者とは思えない姿。裏で働く下女であることが容易に想像ついた。

女は洗濯物を拾い終えると、そのまま水路の方へと消えて行った。

清爛はそんな女をただ立ったまま見送った。


清爛の町遊びは決して毎日ではない、書官としての仕事は案外多く、隙を見て逃げ出ると言った方が正しかった。それは大抵、吏志が目を離したすきに行われていた。

どこで着替えているかなど吏志には見当もつかず、自身が部屋を空けて、戻ってその姿がない時、またかと思うのだった。

しかし吏志は小言こそいうものの、清爛を咎めたり、監視を付けてやめさせようなどはしなかった。

これもまた、清爛には必要であると考え、清爛の微妙な立場を思うと仕方ないのだろうと思っていた。

国王である父と、絶対的な兄、王位を受け継ぐ甥。王位にこだわる必要がないのなら、縛られる必要もないのだろうと吏志は思った。

また清爛が女性に興味を示さないのは、自身の母親の影響だろうとも思った。

派手に着飾り、清爛に興味を示さなかった母、美を求めるあまりに多くの薬やまじないに手を出し、清爛がまだ幼い時に他界してしまった。男児を産むことは后としてはこの上ない権力の象徴になる。しかし、それが次男以下ともなれば皇帝の寵愛を受けるのも難しい。

清爛の母は、王位継承の序列が低い清爛の母親になるよりも、自身が皇帝に寵愛を受けることを選んだ。

清爛に与えられている妃たちは母同様派手な女性ばかり、苦手意識を抱いてもおかしくはなかった。

しかしどんな理由を考慮したとは言え、あんなに慕い憧れた兄と同じ道を捨て、学問の道に身を投じた理由は吏志にもわからなかった。


清爛はその日、花街の裏を歩いていた。にぎやかで騒がしい表とは違い、粗末な長屋が連なっていた。埃っぽい道、そこにも多くの人間がいて、いっぱしの遊女以外はみんな似たようなものだと清爛は思った。水路の下流で女達が洗い物をしている。女達は花街の世話役達だろう、そこそこ年齢のいった婦人たちだった。皆一応に声を上げて話をしている。

清爛は、そんな女達を横目で見ながらいつもの表道に出てきた。そして最近贔屓にしていた店に入り、いつも通り玄関に腰を掛けた。

「なんだ、久しぶりじゃないか。」

婆さんは煙管を咥え、玄関でのんびりしている清爛に声をかけた。

「今日も日銭を稼ぎに来たのかい?」

「あるならね。」

のらりくらりとした清爛の態度に、婆さんは見慣れたと言うような顔をした。

「お前を客引きで雇っても大した客を連れてこないじゃないか。」

「いつかは連れて来るかもよ?」

婆さんは、はいはいと言って足を進めようとした。

「ねぇ女将、ここには元妓女もいたりするの?」

婆さんは煙管を外して清爛を見る、清爛は腰を下ろしたまま婆さんを見上げていた。

婆さんは煙を吐いた。

「妓女落ちなんて当たり前さ、妓女ってのは当たれば金が取れるが外れれば一文にもならない。プライドをへし折られた女は体を売る。そのためにここが必要って訳さ。」

「元妓女ってのは、値段はどうなんだ?」

「値段?様々だよ。使える奴もいりゃ使えない奴もいる。ここじゃぁねぇ、見た目が一番なんだよ、妓女の様な芸事は出来なくったって愛想がよけりゃ売れる。妓女落ちはプライドが高い女が多いからねぇ、そういう奴はここでもうまくはいかないよ。ここの女達は男の前で服を脱いで足が開けりゃいいのさ。」

ふーんと清爛は何やら考え込む。

「なんだい、妓女落ちの女が好みかい。」

「そうじゃないさ。」

へらへらする清爛を見て、婆さんはまた煙を吐いた。

「そーいや下女の中にも妓女落ちの女がいるよ、見た目は良いんだけどねぇ、愛想が一切ないんだよ。一切話しもしないし。まぁ、字が書けるからね、札の書き換えなんかをさせるには使えるんだけどさ。」

「へぇ、そんな女がいるんだ。」

清爛は数日前のやり取りを思い出した。

「その女は、何で話さないの?」

「さあね、知らないよ。十過ぎぐらいの娘の時に売られてきたんだよ。まったく、結構いい値段だったのに無駄金を払っちまったもんだよ。声なんて一度も聴いたことがないよ、男の前に放り出してみたこともあったけど全くダメ。だから、下女をやらせているのさ。」

「ふぅ~ん、興味あるね。その女はどこにいる?」

「はぁ?裏の洗濯場じゃないかい?ほんと、お前は変な男だよ。」

婆さんはそう言って去って行った。

清爛はしばらくその場に座って、何やら考えていた。

客引きの仕事は出来高制、お客を連れてきたら賃金がもらえた。また、その客が金持ちや上客だと追加でいくらかがもらえた。清爛はそもそも金を稼ぎに来ているわけではないから、客引き同士で話をしたり人間模様を眺めて過ごしたりする事が多かった。

清爛は花街に来る前、妓楼の界隈をうろついていた。ひと時妓楼の界隈をうろついて、この花街に辿り着いた。そしてやっと、探し物に辿り着きそうなところまで来ていた。

清爛は時を気にしていた。先日、女達の会話が聞こえた時間を待っていた。やがてその時が近づいて来ると、清爛は腰を下ろしていた石段から立ち上がり、ふらりと身を返して歩き出した。

昨日の裏戸、その付近に清爛はこっそりと身を隠した。

女がやって来た。

鼻筋の通った異国の雰囲気を感じさせる美しい女だった。黒く長い髪は束ねられているが、あまり手入れができていないのか艶がない。背筋の伸びた、下女であるはずなのに品を感じさせる女だった。

女は戸口に出されていた洗濯物を抱え、裏の水路に向かう。

清爛は、彼女に気付かれない様に距離を置いて後を付けた。そしてそっと、女の様子を見ていた。

石組みの水路は長く続いていた。女はそんな石組みの際に洗濯籠を置きしゃがんだ。他の女達とは一切会話をしない、女はただ黙々と洗濯をしていた。周囲の女達も彼女を気にする様子がない。

女の痩せた姿に、清爛は胸が痛んだ。表情は全くなく、口元はピクリとも動かない。ただ、目だけが生きていた。黒い瞳は表情とは違って力強かった。

他の女達が早々に水場を去って行った後も、女は洗い物をしていた。そして、籠いっぱいの洗濯物をすべて洗い上げて立ち上がった時、女は急にめまいを感じ、体がふらりと揺れた。

そして女の体は水場の方に傾いた。

「おっと。」

清爛は咄嗟に女の手を取った。女は力なくその場に腰を落とし、息を整えて、清爛を見上げた。

「大丈夫ですか?無理をしない方がいいですよ?」

にこやかな清爛を女はじっと見つめた。

女は黙って、両手を合わせ礼の意を示す。そして立ち上がると、洗濯物を持って埃っぽい道を去って行った。

清爛は黙って、その女の後ろ姿を見送った。

翌日も清爛は時間を合わせたかのように洗い場に向かった。

二日連続の逃走に吏志はため息をついたが、何かがあるのだろうと放っておいた。帰ってきたら仕事を行っていることを考えると職務怠慢とまでは言い難かった。

「どこで何をしているのやら。」

吏志はため息をついた。

その日も同じ時間に女は洗い物をして、そしてやはり最後まで洗い物をしていた。

清爛は数日かけて、女が毎日同じ時間にやってきて、同じ仕事をして去って行くことを掴んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ