華と夢19
「お国に帰ることが出来るようですね。」
【ありがとうございます】
香月の言葉に、翠明は頭を下げた。
「こんな北の国で、ずっとこんな部屋の中で、お辛い思いをさせてしまった事、心から謝ります。」
香月は深く頭を下げた。
翠明はそんな香月に手を掛け、顔を上げさせる。そして首を左右に振った。
「やがて使者が参りましょう、お荷物の準備が必要ですね。」
【多くはありませんので大丈夫です】
香月は清爛と言うこの耳の聞こえない青年との別れを、どこか惜しく思っていた。
【大変お世話になりました】
翠明はそう書き、床に膝を付けて頭を下げた。
「劉帆帰るの?よかったね!」
「まぁな。」
鈴鈴の嬉しそうな表情にふくれっ面の劉帆。
「劉帆の国って寒いんでしょ?もう雪解けたの?」
「そうだな、もう解けていると思う。」
「春が来るね!良かったね!」
「まぁな。」
劉帆は複雑な気分だった。
やっと皇太子として自分の国に帰れる事は喜ばしいはずなのに、なぜか面白くないと感じていた。
劉帆は何も知らされていなかった。なぜ自分が崔国に捕虜として差し出されたのか。その裏でどんなことが起きていたのか。捕虜として差し出されたのに自分はまるで客人の様に持て成されていた。それも、意味が分からなかった。
「お前は俺がいなくなったら、下女に戻るのか?」
「そうだよ、洗濯係に戻る。」
ふーんと劉帆が言う。
「内宮は楽しかったなぁ、どこもかしこもみんな綺麗だし、お妃様も見れたし!」
「妃なんて見て何が楽しいんだよ。」
「だって、とっても綺麗にしてるじゃん!服とか宝石とか!いいなぁ~。」
「お前も宝石とかそんなんが好きなんだ。」
「好きだよ、綺麗だし!あっでも私は食べ物の方が良い!」
その言葉を言った後、鈴鈴は突如はっとした表情を見せた。
「劉帆がいなくなっちゃったらもうおいしいご飯が食べられなくなるのか・・・残念。」
急にしょんぼりした鈴鈴を劉帆がじっと見ていた。
その日朝早く、清爛と吏志は劉帆を連れて備国に向かうことになった。
朝早いと言うのに鈴鈴や女官達が見送りに部屋の前までやって来た。
いつも通りにこにこしている鈴鈴、劉帆は足を止めて、鈴鈴の方に向いた。
清爛も吏志も、そっと足を止める。
「おい、鈴鈴。」
「なにー?」
劉帆は、少し照れくさそうに、顔を背け、そして再び鈴鈴の方を向く。
「一緒に、来ないか?」
その言葉に女官達がざわついた。
「どこに?」
鈴鈴は何もわかってはいない。
「俺の国、女官にしてやる。」
「だからぁ、私は女官にはなれないよ?」
「じゃぁ、毒見係で置いてやる。」
「えっ、ほんと!?」
鈴鈴はそう言って、しばらく考えて見せた。
「でも劉帆の国寒いから嫌だ!」
「はぁ!?」
清爛も吏志も、女官達も笑いをこらえるのに必死だった。
「肉も魚もいっぱいあるぞ!?」
「う~ん・・・」
鈴鈴は考えて、笑顔で答えを出した。
「じゃぁ、劉帆が王様になったら遊びに行くよ!そしたらたくさん食べさせてね!」
劉帆の不器用な求婚は、鈴鈴にはうまく伝わらなかった。
元気に手を振って見送る鈴鈴、劉帆はそんな鈴鈴の姿を馬車の中からふてくされた表情で、見えなくなるまで見ていた。
同じ馬車には清爛が乗っていた。清爛は劉帆を見て、在りし日の自分を重ねて微笑ましく思った。
「鈴鈴には劉帆様の事は何一つ伝えていませんでしたから、劉帆様が備国皇太子だなんて思ってもみないでしょうね。」
「・・・・・」
劉帆はそっぽ向いたまま。
「鈴鈴はあと二年もしたら城での務めは終わります。それから先は城に残るも、町に下りるも自由。城にいる間は下女達は同じ宿場に寝泊りをしていますし、男はほとんどいませんのでご安心頂けましょうが、町に出たら年頃の娘ですからすぐに嫁に行くかもしれませんね。」
「関係ない。」
「あなた様は皇太子、いずれ妃が与えられましょう。出所の確かな妃たちが嫁いで来ますから女性には困らないはずです。」
「・・・・・」
「それでも尚、うちの鈴鈴が忘れられそうになければ、ぜひ早めに迎えに来てあげてください。その時は備国皇太子として。」
「別に、あんな奴どうでもいい。」
強がっている劉帆が、清爛には懐かしかった。
「実は私も、二十年ほど想っている女性がおりました。」
劉帆がちらりと横目で清爛を見る。清爛は気付かないふりをして話を続けた。
「幼き頃に一度だけ会った女性なのですが、ずっとその女性だけを想っていました。大人になって嫁を迎える年齢をとうに過ぎても、嫁も得ず、仕事をしながらその女性に再び会える日を想っていました。」
「・・・・・」
劉帆が、清爛の方に少し顔を向ける。
清爛は話を続けた。
「どこに住んでいるか、何をしているかもわからない。どんな姿に成長しているかもわからなかった。でも、探しました。思い当たる町をずっと。」
「そんなの、見つかるわけないじゃん。」
「私もそう思ってました。でもね、会えたんですよ。」
「会えたのか・・・」
「えぇ、会えました。とっても長かったですが、会えたんですよ。」
「その女を嫁にしたのか?」
その問いに、清爛は少し悩んで、そして笑顔で劉帆に答えた。
「いいえ、今は一緒に仕事をしております。」
「なんだそれ。」
清爛ははははと笑った。
「男とは案外と臆病な者ですよ。想いを伝える事は難しく、なかなか手は出せないものです。」
「なんだよ、それ。」
劉帆がまた膨れた顔をしてそっぽ向いた。
清爛は、笑う。
「ですが、いつか、妻に迎えたいと持っています。男としてけじめはつけたいと思っていますよ。」
「・・・・・」
劉帆が再びちらりと清爛に目だけを向けた。
「もしまだ尚鈴鈴を想って下さるのであればぜひ城を訪ねて来て下さい。鈴鈴はあの性格ですから、何と答えるかはわかりませんが、悪いようにはならないんじゃないかと私は思いますけどね。」
「・・・・・ふん。」
途中休憩を取り、携帯した饅頭を食べ、清爛ははやる気持ちを抑えただ耐えた。
翠明にもう直会える、そう思うだけで、清爛は落ち着かなかった。翠明を見た時、自分がどんな反応を取るのか、清爛は全く分からなかった。冷静に孫文として迎えるのか、取り乱してしまうのか、全くわからないと思っていた。
ただ確かなことは、今まで経験したことがないほど嬉しいだろう、と言う事だった。
「おい、」
「なんでしょう。」
「お前、嬉しそうだな。」
劉帆に言われて清爛はハッとする。しかしすぐに笑顔に戻って劉帆に答えた。
「嬉しいですよ、わが主に会えるのですから。」
日が暮れている、もうじき備国の城が近い事を清爛は知っている。絶望的な気分で見たあの日の道とは違い、随分と明るく感じるものだと清爛は思った。あの日は帰りの記憶がほとんどないほど絶望的だったと清爛は思い返していた。しかし今は全く逆だと思った。帰りの夜道を走ることも苦痛ではないのだろうと思っていた。
やがて、馬車の速度がぐっと落ちた。清爛も劉帆も町中に入ってきたことに気が付く。
劉帆も心なしかそわそわしているように見えた。
「もう直ですね、」
「あぁ、」
「劉帆様、この度は大変お疲れ様でした。数々のご無礼、お許しください。」
「孫文、」
「はい、何でしょう。」
「頼みがある・・・」
そう言うと劉帆は懐から茜色に白い線の入った石の飾りを出した。赤い紐できれいに編まれた飾り、独特の柄をした綺麗な石には細かい細工がされており、高価なものだろうと清爛は思った。
「美しい石ですね、これは?」
「瑪瑙だ、これを、鈴鈴に渡してほしい。」
「鈴鈴にですか?」
「あぁ、礼だ・・・」
「わかりました。」
懐にしまっていたことからすると、とても大事な物なのだろうと清爛は思った。
このくらいの年頃で好きな女に自分の意思を素直に伝えられる男はいないだろうと清爛は思った。これは劉帆の精いっぱいの感情表現なのだろうと清爛は思い、この想いがうまく届けばいいと心から思った。
やがて馬車は止まった。
外から戸が開き、吏志が立っている。
清爛は先に下り、劉帆を迎えた。
劉帆は堂々と馬車を下り、目を細め、懐かし気に城を見つめた。
夜の到着により真っ暗い宮殿には松明の明かりが灯っている。視界の奥には多くの人影が確認できた。灯に照らされ、凛として真っすぐと立っている翠明。その姿を見て、清爛は何かがこみ上げてくるのを感じた。
「世話になった、孫文。」
劉帆はまっすぐ前を見たまま清爛に告げた。
「またお会いできる事を楽しみにしております。」
清爛はそう告げる。
劉帆は真っ直ぐに、堂々とした足取りで城に向かった。
それと同時に翠明が城から真っ直ぐに清爛の方に向かって歩いて来る。その足取りは決して急がず、しっかりとしていた。崔国皇太子清爛として、翠明は威厳すら感じられる姿で歩いて来た。ちょうど中央で翠明と劉帆はすれ違う。二人は正面を見たまま視線を交わすことなくすれ違った。
劉帆は多くの使用人たちに歓迎されて迎え入れられた。そこには香月もいて、劉帆の帰りを喜んでいた。
翠明はまっすぐに、清爛の元に歩いた。
そして、清爛の正面に立った。
清爛は、両膝を付き頭を下げた。上げた腕で顔が見られない様に、顔を隠してひれ伏した。その肩が細かく震えていることに翠明は気付く。翠明はそっと屈み、ひれ伏した清爛の肩に手を置いた。
清爛は袖でそっと目元を拭い、翠明を見上げる。
「清爛様、お迎えに上がりました。」
そんな清爛の言葉に、翠明は優しく微笑んだ。
国同士は献上品の交換を行い、清爛達は備国を後にした。
馬車が夜道を走り出した。
車内はあの日と同じで清爛と翠明の二人だった。
しばらくは会話をすることもなく静かに並んで座っていた。これもまた清爛は孫文であり、翠明は清爛であるためだった。
しかし清爛は横に翠明がいると言う事実に、感情が抑えきれなくなっていた。その感情はもはや言葉にすることができない程複雑で、清爛は咄嗟に翠明に抱きつき顔を埋めた。
翠明はそんな清爛に驚きもせず、そっと手をまわし、その身体と頭を抱えた。
震えが止まらず、涙が止まらない清爛。悲しさ、寂しさ、嬉しさ、安堵、疲労、感情は止められないほどに溢れてどうすることもできなかった。清爛は翠明の服を掴み、声を殺して歯を食いしばって、泣いた。
翠明はこの男が今日までいったいどれだけ苦労したのかをこの姿で知った。いつも通り完璧を絵に描いたような立ち振る舞いをしながら、内心どれだけ追い詰められていたのか。翠明は清爛の頭に自身も顔を寄せ、優しく抱きしめ続けた。
夜道、馬を休ませるために馬車は止まる。吏志は馬車を下り清爛達の馬車に足を進めた。窓は締まっており中をうかがい知ることは出来ない。馬車が止まっているにもかかわらず降りて来ない様子から、吏志は何となく内部の様子を察した。静かに戸を開け、わずかな隙間から内部を覗く。真っ暗い内部で寄り添うように寝ている二人の姿を見た吏志は、そっと戸を閉めた。
「清爛様も孫文様もお休みだ。ここは開けるな。」
吏志は他の者達にそう声をかけると一晩清爛達の馬車の番をした。
明け方、揺れる馬車の音で清爛は目を覚ました。そして自身の身体が横になっている事に気が付いた。はっきりしない意識の中で、辺りに意識をはせてみると自身が翠明の膝の上に頭を乗せて寝ている事実に気が付いた。一瞬にして顔が赤くなり動けなくなる清爛。恐る恐る視線を上にあげて翠明を見てみると、翠明は座ったまま寝ていた。
一回り細くなってしまったように見える翠明の身体、どれだけ苦労したのだろうかと清爛は思った。清欄はそのまま手を伸ばし、目を閉じている翠明の顔に触れた。
翠明は何かが優しく触れる感覚で目を覚ました。ゆっくり目を開けると、清爛がじっと自分を見上げていた。
翠明は目を細め、清爛を見つめる。
「また痩せてしまったな、さぞ辛かったろう。」
翠明は首を振った。
「わがままを言ってもいいか?」
笑いかける清爛に、翠明はうなずく。
「もう少し、このままでいさせてくれないか?」
翠明は清爛の体に添えていた手を自分に添えられている清爛の手にそっと重ねる。そして反対の手をゆっくりと清爛の顔に添え、優しく微笑みうなずいた。
清爛はゆっくりと目を閉じて、安らかに眠った。
昼過ぎに馬車は宮中に着いた。清爛が馬車から降り、翠明が続いて下りる。
翠明は馬車から降りた途端、足をもつれさせて転びそうになった。
「大丈夫か?」
清爛が翠明を咄嗟に支えた。
「大丈夫ですか翠明様、足でも痺れましたか?」
吏志のこの言葉に清爛はビクッと肩を跳ねさせる。翠明はそんな清爛を見て笑った。
玉座の間に通された翠明、皇帝の前に膝をつき頭を下げた。
「大儀だった翠明、感謝する。」
翠明は深く頭を下げた。
「清爛、この度はご苦労だった。」
清爛もまた深く頭を下げた。
翠明は宮中の清爛の部屋に入る、そこで清爛の着物を脱ぎ、書官の服に着替えた。
やっと終わったのだと、翠明は思った。
「翠明、服はこれだけか?」
清爛は翠明の持参した服が孫文の服だけであることに気が付いた。翠明はうなずく。
「まぁ、そうなるだろうと思っていたが、この服渡しといてよかったな。」
清爛と吏志はやれやれと言った顔をした。
「お疲れでしょう翠明様、お部屋で玉連様がお待ちです。しばらくはゆっくりされてください。」
翠明は吏志に頭を下げた。
三人は書官としての部屋に戻った。翠明を見つけた玉連は翠明に駆け寄り喜んだ。翠明もまた玉連との再会を喜んだ。翠明は数カ月ぶりにゆっくりと湯に入り、髪を流した。玉連は再び細くなってしまった翠明に心を痛めるも、初めて会った時とは違い元気そうな姿に安堵した。
翠明は部屋に入り、その部屋がきれいに保たれていることに気が付く。埃一つない机はきっと誰かが定期的に掃除してくれていたのだろうと思った。窓を開けるとそこにはあの小さな庭があり、もう桂花の香りはしなかった。翠明は長い時が経ったと言う事をそんな変化で気付かされる。そしてふと、井戸の周りに小さな緑が芽吹いているのを見つけ速足で庭に向かった。井戸の周囲に植えられていたのは水仙だった。よく見ればもう蕾を付けている物もある。自分がいぬ間に清爛が植えたのだろうと翠明は思った。
翠明はしゃがんで、春を迎えようとしている水仙のつぼみに触れた。自分が再びここに帰って来れたと言う事実に胸が熱くなるのを感じた。
清爛はそんな翠明の姿を書斎の窓から静かに見ていた。
「行かなくていいのですか?」
吏志がそんな清爛に問いかけた。
「今日はそっとしておこうと思う。」
「大人になりましたね、清爛様。」
「どういうことだよ。」
清爛は差し出された茶器を手にし、お茶を口にした。
「それだけ、御苦労なさったと言う事ですよ。」
清爛は卓に肘を付き、窓の方に目を向けながらわずかに覗いている青空を見上げた。
「吏志、」
「はい。」
「お前には、感謝してる。」
吏志は黙って清爛のつぶやきを聞いた。
「ずっと俺に就いてくれて、俺が道に迷いそうだったり、踏み外しそうだった時に必ず引っ張り上げてくれた。お前がいなきゃどっかで道を間違っていたと思う。」
吏志は、ある日自分の前に連れて来られた主はまだ子供だったと言う事を思い出した。役職とは言えこんなに幼い子供に従うのかと思い、複雑な思いをした事を思い出した。やんちゃでじっとできなくて、兄の真似をして剣ばかり振るっていた清爛。手におえなくていつもぐったりしていた事を思いだした。そんな幼い主は立派な大人になり、いつの間にか皇族としての振る舞いが出来ている。
吏志は目を細め、清爛を見つめた。
「いつまでだってお就きしますよ?あなたは私の主なのですから。」
「ありがとう・・・」
清爛と翠明は数日の暇をもらった。この数か月は本人たちが思っていたよりも過酷だったようで、互いに体重を落としてしまっていた。それは吏志にも言えることで、吏志もまた長い心労から解放されていた。
少しずつ陽が長くなり、凍てつく寒さは穏やかになり、陽の当る所にさえいれば暖かさすら感じた。
玉連が竈に火をくべ、翠明が一緒に横に立った。またいつも通りの穏やかな日常が戻り始めていた。止まってしまっている文などの書物は徐々にその量を増すけれど、吏志もまたそれを片付けるのは今ではなくてよいと思っていた。
もう少し、この二人に時間を与えてやりたいと、吏志は思っていた。
水仙が一輪咲いていた。
それに最初に気が付いたのは清爛で、清爛は一人庭に出ていた。小さな白い星の様な花、今にも咲きだしそうな蕾も多く見つけることが出来た。清爛は庭の長椅子に座って、自身の胸の中が意外にも複雑であることに気が付いていた。その原因は、翠明が備国に行く前に遡り、その時に交わした形の残らない会話のせいだった。
翠明の自分に対する態度は何も変わっていないと、清爛は思っていた。自分の事を清爛だと知っても、翠明は何も変わらなかった。それ自体は望ましい事ではあるのだが、それとは違う小さな棘が胸にかかっていた。
「男とは、臆病な生き物だなぁ・・・」
清爛は空を見上げてつぶやいた。
清爛は今夜、翠明の元へ行こうと思った。
そしてちゃんと話をしようと思った。




