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華と夢17

翠明は急に寒くなったと思い外を覗いた。すると空から雪がふわふわと落ちてきていた。寒いわけだと思い窓を閉め、火鉢の炭を返した。

誰かが部屋の戸を叩いているが翠明には聞こえていない。翠明は火鉢をいじっていた。

戸を叩いても反応がない事に香月は不思議に思った。戸に手を掛ければ鍵はかかっておらず、きしんだ音を立てて戸が開いた。中にいる翠明は火鉢をいじっていてこちらに気が付く気配はない。

「清爛様、」

香月が声をかけても翠明は気が付かなかった。

そんな姿を見て、香月は清爛の耳が聞こえない事を思い出した。どうしたものかと一瞬悩んだが、香月が動くよりも先に翠明が香月に気が付き、立ち上がり頭を下げた。

「ごめんなさい、脅かしてしまったかしら。」

翠明は首を振った。

「雪が降って来たから、どうされているかと思って。少しよろしいかしら。」

翠明は首を傾げつつ、香月を椅子に案内した。

香月はこの粗末な造りの部屋に心が痛んだ。捕虜だから仕方がないとは言え、一国の若い皇太子をこんな所に幽閉し続けていいのだろうかと思った。

「清爛様はどうやって話をするのですか?」

香月の言葉に、翠明は立ち上がり清爛からもらった筆箱を差し出して見せた。

「筆談、」

翠明はうなずいた。

「そうでしたか、でも筆と墨があっても、紙がなければ清爛様と話をすることは叶わないのですね。」

翠明はこの筆箱の下に紙がある事を知っていた。しかし、その紙は少なく、雑談で使えるほど余裕があるものではなかった。

「そんな小さな墨ではすぐになくなってしまいますね、準備させましょう。」

香月はそう言うと、部屋を出て警護の男に声をかける。そして墨と筆、紙を用意させた。

翠明は出された紙の上質さに驚いた。こんなに良い紙にたわいもない雑談を書くことに気が引けた翠明は、どうしても筆を進める事が出来なかった。そんな翠明に香月は首をかしげる。

「どうかなさいましたか?」

翠明は周囲を見渡した。そして水鉢の水に真新しい筆を浸し、机の上に文字を書いた。

【お心遣いありがとうございます、しかしこんな上質な紙にたわいもない会話を書くのは気が引けます。水で変色するような雑紙や木簡で構いません】

香月は驚いた。

一国の皇太子という身分の者が紙を使うことを勿体ないと言ったからだった。確かに香月は上質な紙を用意させた。しかしそれは清爛への敬意であり、この国の国力を示すためでもあった。しかし当の清爛は雑紙でいいと言って来た。香月には意味が分からなかった。

翠明は驚いている香月を見て、良くないことを言ったのかもしれないと思った。翠明は自分が皇太子清爛であることを忘れていた。一国の皇太子であればこのくらいの紙は当たり前なのかもしれないと思った。しかし、もし同じ状況に清爛がいたとしたら、同じ事を言ったのではないかとも思った。翠明は再び机に筆を走らせた。

【私にとって文字はただの会話です、その都度この様な上質な紙を使うのは気が引けます。文字に残す必要がない会話は半紙などに水で書いていました。やがて乾いて消えれば再び使えます、字が書けるのであれば地面でも石の上でもどこでもいいのです】

香月は驚きながらも、そうなのかもしれないと思った。

全ての会話を文字にしたのなら、とても膨大な紙や墨を使うであろう。消えてしまう文字の方が良い事もあるのだろうと香月は思った。

「わかりました、少しお待ち下さいね。」

そう言うと香月は再び席を立ち部屋を出る。そしてしばらくしてたくさんの雑半紙を抱えて来た。

「こんな物でいいのかしら?」

翠明は立ち上がって頭を下げた。

「雪が降り出してしまったらもう止むことはないでしょう。となれば馬車が動かなくなります。お国に帰るのは少し先になりそうですね。」

【わが国でお預かりしているご子息も同様ですね】

その言葉に香月は一瞬首をひねって、笑った。

「劉帆は私の子ではなく、甥です。私は王の妹なんですよ。」

【失礼いたしました】

香月は笑った。

女系皇族は普通他国や権力者に嫁いでいく、皇帝の妹が母国に残っていると言う事は嫁がなかったと言う事だろう。その理由が何なのか、翠明にはわからないが、聞く必要もないだろうと思った。

「あなたは今ここに、何があったら嬉しいかしら。お国には帰して差し上げられないけれど、物であれば用意できるかもしれない。言って見て?」

その問いに翠明は悩んだ、そして、正直に答えて見せた。

【本はありませんか】

「本、どんな?」

【何でも構いません、本が読みたいと思っています。木簡でも書物でも構いません】

「至急手配致しましょう。他には?」

【いいえ】

さほど表情も動かない翠明を見て香月は哀れに思った。

「あなたはとても我慢強い方なのですね、きっと多くのご苦労があったのでしょう。」

【私はまだ恵まれている方です】

香月は、王が清爛を知らないと言った事を思い出した。この青年は耳が聞こえないからという理由で表に出してもらう事が叶わなかったのだろうか。忌み子として扱われたのだろうか。そう思うと、香月はまるで我が事のように胸が痛んだ。

「文字はどなたに?」

【周囲の者です】

「お母様もご達筆で?」

【母は幼き頃に亡くなりました】

翠明は以前、清爛がそう言っていた事を思い出した。

「そうでしたか、それはお辛かったでしょう」

【いいえ、記憶はありませんので】

香月にはなぜか、清爛がそれ以上聞いてほしくないと言っているように感じていた。

「長居を致しました、本は近いうちにお持ちいたします。」

立ち上がる香月に、翠明は頭を下げた。


備国に本格的に雪が降り出し、とうとう使者の来城が止まってしまった。

使者が行き来すれば、捕虜の情報を交換できた。しかしこれから先備国の雪が落ち着くまで翠明の情報は手に入らない。清爛はどうしようもなく落ち着かなかった。

そんな清爛の姿を見ている吏志もまた、心落ち着くものではなかった。もし自分が清爛の立場ならどれほど不安に思うだろうか、そう思うとむしろ清爛がこの場にとどまっている事の方が不思議だった。

以前の清爛なら城を抜け出で備国に入り込むぐらいの事をやっただろうと思った。しかし、今の清爛は落ち着きがないながらも耐えていた。吏志にはなぜかそれが余計に哀れに思えていた。

国同士の話し合いは平行線のままだった。

水源豊かな国土が欲しい崔国と、対等な関係の同盟国になりたい備国。落としどころはなかなか見つからなかった。

高蓬も我慢強くなったものだと吏志は思った。

若かりし頃の高蓬であればすぐに兵を送っただろうと思った。この兄弟は光と影であり表と裏であり、二人で一人なのだと言う事をこの交渉を見ることで、吏志は改めて思い知った。

吏志は、淡い茜色のお茶を清爛に差し出した。

「冷えますから、お茶にでもしましょう。」

吏志の言葉に、清爛はふと我に返り吏志を見上げた。差し出されたそのお茶の水面に映る自分の顔を見て、自分の顔がとても疲れているように見えた。

「お気持ちは察するに余りあります。」

吏志が清爛に声をかけた。

「雪が降るまでに連れ帰せなかったな・・・」

「仕方がありません、個人間の話ではないのですから。」

「落としどころさえあれば・・・備国が何を求めているのか掴めない。」

清爛は髪をかき上げる様に、無造作に掴んだ。

「あなた様がそうであれば、きっと誰もわからないと思います。」

「備国は限りなく対等な関係を望んでいる、そうであれば自身から手の内は明かさないだろう。明かせば願を乞う形になる、こちらが向こうの求めるものを付くまで首を縦には降らないはずだ。」

清爛は策士として過去最大の難題に向かっていた。平和的に事を運ぶことがこれほど難しいとは思わなかった。力の差を見せつけ圧倒する戦とはわけが違う。清爛はどうやって相手の急所を突くか、どんな手でそれを引き出すのかを考えていた。

「備国の内情に詳しい者でもいたら話は早いのだが・・・」

清爛のそのつぶやきに、吏志も悩む。

そして、二人そろって勢いよく顔を上げ突き合わせた。

「「劉帆!」」

二人から出てきた名前は同じだった。

「しかし、あの劉帆様がそうやすやすと口を割るでしょうか・・・そもそもまだ十五ですし。」

「こっちが頭を下げたって絶対に話さないだろうなぁ・・・」

「でしょうね・・・」

そして二人はまた、うーんと考え出す。

「吏志、」

「はい。」

「鈴鈴を呼べ。」

「鈴鈴ですか?」

「あいつはもうずっと劉帆に付いている、何か聞いている事があるかもしれない。」

「そうですね、これだけ長いこと一緒なのですから、聞いている事もあるかもしれませんね。」

「劉帆に怪しまれたくない、怪しまれては情報を抜かれたことを悟られる。鈴鈴もまだ幼い、そもそも鈴鈴自体にも悟られるわけにはいかない。これはかなりうまいことやらなければならないぞ。」

「そうですね、あの子なら普通に我々と話した内容を劉帆様に話してしまいそうですからね・・・」

「さて、どんなエサで釣るか・・・」

それから数日、吏志は女官達から情報を集めた。女官達から話を聞く限り、劉帆は鈴鈴を完全に信頼していた。その信頼が崩れたらもう劉帆は口を利かなくなるだろうと清爛は思った。

清爛は夕食後の鈴鈴が自室に戻る時間に呼んだ。

「失礼します、お呼びでしょうか?」

「あぁ、鈴鈴よく来た。こんな時間に呼んですまない。」

「いいえ!大丈夫です!」

清爛と吏志が菓子でにこやかに持て成した。鈴鈴は目を輝かせ椅子に座る。

「劉帆の様子はどうだ?だいぶ慣れたみたいだが。」

「どうなんですかね、でもご飯はちゃんと食べてます。俺は軍人だとか王様になるとかよくわからないことはいっつも言ってるけど、なれるわけないのに頭悪いのかなって思ってます。」

清爛と吏志は苦笑いしかできない。

そもそも鈴鈴は劉帆の素性を知らない、清爛が世間知らずな他国の子を預かっているとしか言っていない以上、鈴鈴からしたら変わった子でしかなかった。

「鈴鈴、君は劉帆と仲良くやってくれているみたいだね、ありがとう。」

「う~ん、仲良いいんですかね。よくわからないですけど、一緒にご飯食べています。私は毒見らしいです。」

「毒見?それは申し訳ない、代わりを付けようか?」

「あっ、いいです!だって毎日劉帆と同じ豪華なご飯が食べられるんですもん!」

鈴鈴の嬉しそうな表情を見て、清爛と吏志は安堵する。

「劉帆とはいつも何を話しているんだい?」

「話、ですか・・・?」

う~んと考え出す鈴鈴。

「何話してるかな、何か話してるかな・・・今日何話したかな?」

悩む鈴鈴にもはや苦笑するより他にない清爛と吏志、これで鈴鈴が何も情報を持っていなければここまでの流れはすべて頓挫することになる。

「食べ物の話とか、お祭りの話とか、町の話とか?あと劉帆の国の話をしました。」

「へぇ、劉帆の国の話?どんな?」

清爛と吏志は目を合わせた。

「えっと、この時期はもう雪が降っているって言ってました。とってもたくさん降るって。あとはお米やお肉やお魚をよく食べるとか、大きな川があるとか、その川がよく氾濫するんだって言ってました。」

「川が、氾濫?」

清爛と吏志は再び目を合わせる。

「川が氾濫して困るって言ってました。その度にみんなの家が流されるんだって。」

「・・・川が氾濫する、か・・・」

清爛はぽつりとつぶやいた。

「劉帆様はご自身の事は何か言っていますか?」

吏志がお茶を出しながら鈴鈴に話しかける。

「自分の事?軍人だとか王様だって言うぐらい。」

劉帆は自身が捕虜であると言う事を鈴鈴に言っていないと言う事が分かった。きっと高いプライドから捕虜になっている事が認められず言えないのだろうと清爛も吏志も思った。故に自分を大きく言うのだろうと思った。

幸い鈴鈴はそんな劉帆に対してさほど興味がない様だった。

「鈴鈴、手間をかけるね。劉帆は春ぐらいまではこの城にいるはずだからもう少し相手を頼むよ。」

「わかりました!」

鈴鈴は元気に返事をした。

「鈴鈴お疲れ様でした、これは部屋でみんなと食べなさい。」

そう言って吏志は鈴鈴に菓子を渡した。

「わぁ!ありがとうございます!」

鈴鈴は喜び、勢い良く頭を下げるとそのまま走り去っていった。

「・・・鈴鈴は適任だったな。」

「そうみたいですね・・・」

二人はふぅと息を吐き、吏志がお茶と菓子を用意した。

「川が氾濫すると言ったな。」

「えぇ、そうみたいですね。」

清爛はじっと考え出した。

「いいかもしれないな。」

やがて小さな庭にも雪が舞い下りて来るようになった頃、清爛は現在考えている策を動かすべく精力的に動き回った。雪が溶ける頃にはどうしても翠明を連れ戻したい、その一心だった。


翠明が本を読んでいたその時、人の気配を感じて見上げてみると、そこには香月がいた。

翠明は立ち上がり頭を下げた。

「いかがお過ごしですか?とは言っても代わり映えはないでしょうけれど・・・」

香月が申し訳なさそうに翠明に声をかける。

【多くの本を頂き感謝しております】

翠明はそう言って頭を下げた。

「あと少し・・・もうじき雪の季節も終わります、そうしたらまた使者が動き出すでしょう。早くお国に帰ることが出来たら良いですね。」

【ありがとうございます】

翠明はそう言って再度頭を下げる。

香月は懐から何やら包みを出すと、火鉢に置かれているやかんを取り茶を入れ出した。そして茶器を翠明の前に出す。その香りは翠明にとって、少しばかり懐かしいものだった。

「茉莉花茶です、お嫌いじゃなければいいのですが。」

甘い茉莉花の香り、それは翠明にとって特別だった。

【好きな香りです、ありがとうございます】

翠明は頭を下げて茶器を顔の前に寄せた。香月はそんな翠明を見てやっと感情の動きを見た気がした。

その表情は懐かし気で悲し気で、何かを思い出している様でもあった。

「体調など崩されておりませんか?何か不便なことがおありでしたらすぐ言って下さいね。」

翠明は香月をじっと見つめた。この城で自分にここまで関わろうとする者はいない。見張りの男も会話をしないし、食事を運ぶ者たちも関わりたくないと言う様子で手早く去って行く。自分は異国の捕虜であり、この国の運命を握る最後の手段なのだからそうであろうと翠明は思っていた。この交渉がうまくいかなければ自分は敵国の人間であり命を奪われる様な存在、そんな人間とうかつに関われば自分の身も危ない事は皆心得ているのだろうと思っていた。

しかし、この香月と言う女は積極的に自分の世話を焼こうとし、関わろうとしていた。そんな香月に裏の意図があるとは翠明には思えなかった。

翠明はじっと、香月を見つめてしまった。

香月は自分を見つめる翠明の目が何かを問いかけているようだと感じた。

その瞳は、なぜ?と問いかけていると香月は思った。そして昔、そんな眼差しを何度も受けた気がして、その事を思い出し、香月は目を閉じた。そして香月は、筆を執った。

【私にも、あなたと同じように耳の聞こえない子がいました】

その言葉と、文字の美しさに翠明は驚いて、さらに香月を見つめる。香月は微笑んで筆を動かし続けた。

【あなたを見ていると、我が子の事の様で気になってしまうのです】

【ご子息は今どちらに】

翠明の問いかけに、香月はしばらく筆を動かせなかった。そんな香月を見て、翠明も事を把握する。

【亡くなりました】

なるほどと翠明は思った。

「あなたを早く国へ帰して差し上げたい、劉帆の事も心配です。」

【なぜ、劉帆様を崔国へ】

その問いかけに、香月は少し返事をためらった。

「昨年、男の子が生まれたのです。」

要は男子が二人になったから、どちらかを失っても大丈夫と言う事なのだろうと翠明は思った。そして、まさに今の自分はその立場なのだろうと思った。清爛が一体どんな気持ちで自分が捕虜になると結論付けたのか、それを思うと翠明はいたたまれなくなった。きっと自分がいなくなったとしてもこの国には問題はないと、判断したのだろうと思った。

だとしたのならば、差し出された劉帆の気持ちもまた、察するに余りあると思った。

【劉帆様はきちんとした対応をされているはずです、ご安心下さい】

「ありがとうございます。」

香月は笑った。

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