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破裂列島   作者: NOZON
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2話「先導脱県者(ヴァンガード)」


エレルエトラ(拳銃型圧縮粘弾射出装置)の粘弾で、右前のブレードプロペラが砕け散る寸前、網膜上の熱探知マップでのヤツの姿を数秒見失った。消えた、としか思えなかった。四基あるプロペラのうち、一つでも破壊されただけで、搭乗者にドローンを御す術は無かった。瞬く間に機体のバランスが崩れ、錐揉み回転をしながら深緑の森の中へと突っ込んでゆく。頭の熱探知用ゴーグルや、背負ったドローンが弾け飛び、全身に刺さる枝と葉による、絶え間ない痛み。枝葉に揉まれて地上に落ちて行く途中にも、溝口(みぞぐち)可児(かに)の位置を探ろうとしたが、駄目だった。どうやら、俺とほぼ同時刻に撃ち落とされたらしい。墜ちる。墜ちている。このまま地表にぶつかれば、間違いなく即死だろう。腰に巻いた非常用の逆噴射装置を。クソっ、ふざけるな、逆噴射などと。先導脱県者(ヴァンガード)としての二十年近くのキャリアの中で一度も使用した事のない装備だった。クソっ、畜生っ、俺が。この俺がっ。自覚は無くとも既に老いぼれてしまっていたのか、クソっ。地面に追突寸前、半ば無意識に逆噴射のトリガーを引いた。腰からのガスの噴射音とほぼ同時、身体中に走る凄まじい衝撃。即死を免れたのは、地面が土なのが幸いしたようだ。もんどりを撃つように転げ、太い木の幹に当たって止まった。ハァ、ハァ、生き、てる。ヤ、ヤツは、ヤツは何処だ。噎せる程濃厚な草木の匂い。ち、近くに居るはずだ。全身打撲の痛みも忘れ、泳ぐ様に腐葉土の上を這いずる。ハァ、ハァ、ザクっ、ザクっと。忌まわしい死神の足音が聞こえた。わ、お、わわ、く、来るな。ザクっ、ザクっ。徐々に近づく足音。ザクっ、ザクっ、ザクっ、不意に今までに殺してきた人狩り達の顔が浮かんできた。ザクっ、ザクっ、クソっ、ヤツらも地獄に俺を引きずり込もうとしてきやがるのか。ザクっ、ザクっ、く、来るなぁ、俺の側に来るなぁ。ザクっ、ザクっ、ザクっ、ヤツがっ、ヤツがっ、あ、ああ、来るなぁ。ザクっ、ザクっ、地獄への誘いの音が。ザクっ、近く。直ぐ近くに。ザクっ、あ、あ、あ、突然、目の前の視界が真っ暗になる、高い闇の壁が立ち塞がった様であった。ザクっ、と、そこで足音は止まった。傷だらけの顔を闇の上方へと向けた。エレルエトラの冷たい噴射口が額に当たる。おそろしく古い旧式の型だった。暗銀色の銃身が鈍い光を放っている。それまで、枝葉が合わさり陽光を隠していたが、不意の風で揺れて、闇の壁の正体を露わにした。キャスケット帽を目深に被り、登山用の防水透湿ジャケットを身に纏った、目も眩むような美女が立っていた。歳は二十歳くらいか、ともすれば十代後半くらいかも知れない。表情は無く、美しく鋭い瞳で射竦める様に俺を見下ろしている。ハ、ハハハ、ハハ、俺も、ヤキが、回ったな、こんな、嬢、ちゃん、に...。意識が遠くなって、深い深い闇の底に堕ちて行くのを感じた。


「...天花寺(てんげいじ)です。ヴァンガード1名確保。弥勒山の麓に護送車の手配をお願いします」


———



規則的な振動と重低音。どうやら車の中らしい。麻酔がかけられているのか、全身の痛みが消えていた。かろうじて動く首を動かして、辺りを見回す。医療設備整った救急車両。違うな、これは護送用の軍用車両か。俺の身体は、というと拘束具を何重にも重ねて巻きつけられ、まるでミイラの如くストレッチャーに縛り付けられていた。


「あ、気がつきました?」


今際の際。いや...気絶する寸前、微かに聞こえた声だった。顔を向けると、俺を撃ち落とした人狩りが少し離れて座っていた。薄暗い森の中、逆光で煽り気味に見た姿よりも遥かに幼く見えた。俺の娘でも何らおかしくない年頃の嬢ちゃんだな。


「全身打撲ですが、命に別状はありません。現在、医療刑務所に護送中です」


医療刑務所...。そこで傷を治した後は脱獄不可能な監獄市へ送られて、死ぬまで強制労働って訳か。ここ那古野(なごや)県は富める県だった。食糧も薬も資源もなんでもある。飢餓と貧困が日常の隣県群とは、えらい違いだ。飢えて死ぬよりかは、規律を守れば衣食住に困らない監獄市の生活の方がマシだと、無謀な脱県をする者が相次いでいた。そいつらを教導したり、食糧を掻っ払ってくるのが、俺の仕事でもあった訳だが...まぁ、いつかはこんな日が来るのかもしれん。と、こんな仕事をしている以上、朧げには考えてはいたが...。ハハ、まさかこんなに早く終わりが来るとはな。


「身体を検めさせてもらいましたが、自決用の毒薬も手榴弾も持っていないヴァンガードの方を見たのは、あなたが初めてです。驚きました」


“生きて虜囚の恥辱を受けるくらいならば”。と、殆どのヴァンガードは自決用に毒薬と手榴弾を携行している。だが、”落とされる事など無い“と、己れの実力を自負した俺のようなベテランの一部はデッドウェイトになる等の理由で携行していなかった。教導した県民や若いヴァンガードに、”先生、先生“と、おだてられて自惚れてしまっていた所もある。己れの慢心と自嘲を込めて俺が口を開く


「お嬢ちゃん。俺みてぇな、絶対落とされ無いと思い込んでる、自信過剰な自称ベテランヴァンガードはな、大抵そんなモン持っちゃいねぇのさ」


お嬢ちゃん。と、言われたのに怒ったのか、少し顔を顰める人狩り。


「お嬢ちゃんって...私、そんなに幼く見えますか?」


改めてまじまじと人狩りの顔と身体を見る。ショートカットの綺麗な黒髪。アイドル顔負けの均整のとれた顔立ち。無駄な贅肉の無い、モデルが如く、引き締まったプロポーション。しかし、よく見ると、だいぶ苦労を重ねたような顔付きだった。だが、52歳の俺から見たら自分の娘くらいの歳の小娘にしか見えない。


「ガキにしか見えねぇよ」



俺が答えると、子供のように頬を膨らませて人狩りが言う


「私もう、18歳なんですけど?...ほら、見てくださいよ、おっぱいだってそれなりに膨らんでますよ?ほらほら、どうですか?これでもまだ子供だって言えます?」


服は着たままで、自身の胸を下から持ち上げるようにして強調させ、上下に揺さぶりながら俺に見せつけてくる。無邪気が過ぎて色気も何もあったもんじゃないが。まぁ、中々に大きく実ってはいるようだな...。「はしたない真似はやめろ」と嗜めた。


「18なんて、まだまだガキだ」


「...そのガキに討ち取られたくせに」


眼を逸らせながら、ボソリと小声で耳に痛い事を呟く。まぁ、それは事実だ。自信過剰な自称ベテランヴァンガードは、自身の歳の三分の一程度しか生きていない小娘に、完膚なきまでの敗北を喫したのだ。ハハ、これも次代交代ってやつなのかな。


「...そういや、溝口と可児...いや、他の二人のヴァンガードはどうした?」


年相応な少女のような不貞腐れた顔から、一瞬で先程までの表情の無い人狩りの顔に戻る。


「亡くなりました。正確には、私どもの社員が殺害しました」


「...そうか」


「お二人の御遺体は荼毘に付した後、他県民用のお寺で永代供養させていただきます。お二人の宗派などはご存知ですか?もし知っていらっしゃるなら、宗派毎に分けての永代供養も申請出来ますが?」


「...知らねぇよ。神なんざ、二人共信じちゃいなかったろうさ」


「そうですか。では、通常の他県民用の永代供養と言う形で」


“死ねば他県民だろうが仏”。今までに“渡り鳥のヴァンガード”として十以上の県を渡ってきたが、どこの県でもこの精神が根付いていた。死んだ溝口と可児の顔を思い浮かべる。二人共に歳は三十代前半の中堅のヴァンガード。知り合って数年。一緒に仕事をしたのは、どちらともに数回程だったが。二人共、気さくで朴訥な自県思いの好青年だった。


「...よければ、二人の死に様を教えて貰えるか?」


僚友を失ったことなど今までに何度もあったが、その死に様を正確に確認出来た事は稀だった。当たり前の事だが、僚友を討った人狩りから話を聞く術などなかったからだ。...他の社員から聞いた話ですが、と、目の前の人狩りが語る。


「大谷山から来られた方は、多数の社員に追い込まれ、エレルギニス(狙撃銃型圧縮粘弾射出装置)にて撃ち落とされています。これを撃ったのは、弊社の先島ですね」


大谷山の担当は可児だった。春日井三山の中央。場所柄、一番に人狩りが集中しやすい所で、死の危険が最も高い配置だ。脱県は夜に行うのが定石だが、今回は任務の都合上そうはいかなかった。初めは俺が大谷山を受け持つつもりだったが、”最もベテランの先生が確実に那古野に潜入できるように“と、可児が囮を買って出てくれたのだった。そうか、退路を絶たれてギニスで...それは、逃げようもないな。


「道樹山から来られた方は、初め一進一退の攻防でしたが、徐々にこちらの社員達に追い込まれてまして、その際、不運にも不意に吹いた突風に煽られ、”壁“に近づき過ぎてしまい...」


「”緋い花が咲いた“か...」


どの県でも通じる定番の慣用句だった。”頭の中の爆弾“が破裂する事を意味する。“壁”。正式名は県境壁というらしいが、誰もそんな名前では呼ばない。全ての県の、海岸を除いた県境に聳え立つ、おそらく金属製の壁。現存するあらゆる火器を用いても傷ひとつ付かず、厚みはおよそ三メートル。高さは、まばらで山間部など最も低い所が五十メートル程、市街地など最も高い所で七百メートル程の高さがある。壁の上は、数キロメートルから数十キロメートル間隔で段違いになっており、遠くから見ると、高さのまばらな棒グラフを横にギュッと縮めて、隙間を無くした様な形をしている。誰が?、何の目的で?、いつ作られたのか?。は、一切が不明だった。それは、壁に触れる事すら出来なかったからで。その理由は、壁から放たれる謎の固有周波によるものであり、壁に近づき過ぎる...具体的には“壁面の五メートル以内に人間が近づく”と、近づいた人間の”頭の中の爆弾“が破裂するからだった。


「はい...“県民手帳を手離した時”と同じ現象ですね」


この県、いや、どこの県でもそうだった。赤子が新しく生まれた場合、“一部の例外”を除き、誰しもが頭の中に小さな爆弾を埋め込む手術を施される。施術は、専用の極小開頭ドリルを備えた機械を用い、高度な外科設備のない産院でも簡単に執り行えた。しかし、その逆。頭の爆弾を取り出す手術は、不可能に近かった。爆弾を頭から引き抜こうとすると、何故か、一様に起爆してしまうらしい。どれほど高名で腕の良い外科医が執り行なっても、駄目らしいのだ。爆弾自体に、なんらかの特殊な不可逆加工が施されているらしいのだが、詳細は未だに判らなかった。つまり、人間の頭から手術等で爆弾を取り除くことは現時点で不可能であり、人間は生涯。”頭に爆弾を抱えて生きていく“ことになる。そして、先程の“壁”への接近以外にも、もう一つ、爆弾が起爆する条件があった。それが“県民手帳”だった。


「ふん。俺ぁ渡り鳥のヴァンガードで、故郷なんざとっくに忘れてる身だが。未だ、こんなクソみてぇなの手帳如きに、命を縛られていやがるっ」


「ハッ、忌々しいこった」と、俺が吐き捨てた、その直ぐ後だった。「なあ...」と、若い男の声が聞こえた。顔は見えないが、前方の運転席からだろう。人狩りの嬢ちゃんが俺を見張っている以上、車を運転する人間が同乗して居て当然だった。苛立った口調で男が続ける。


「コイツも一緒に殺しておいた方がよかったんじゃねーか?」


「駄目ですよ、喜多川(きたがわ)さん。脱県者は生捕りが基本なんですから。県からの報奨だって変わってくるんですよ?」


「わーってるよ、んなことくらい。けど、コイツさっき、“命より大切な県民手帳”の事を馬鹿にしただろうがよ。そりゃつまり“天子様”を侮辱したって事だぜ?許せる訳ねーだろ」


そう。この男の様な反応が普通だ。都道府県とやらのしがらみを捨て去った俺の様なアウトローの思考が異端で異常なのだった。“県民手帳”。頭の中の爆弾とセットで、生まれた時に県からプレゼントされるこの素晴らしい贈り物には、個人固有の生体ID入りの極小チップが埋め込まれていた。そして、このチップからは、先程の”壁“より放たれる固有周波を、県の研究者たちが解析して作った、“真逆”の固有周波が放たれている。つまりは、壁の真逆。”チップ入りの県民手帳から自身が五メートル以上離れると、その瞬間、頭の中の爆弾が破裂する“のだ。


何故、県民に爆弾を埋め込み、手帳を持たせるのか?全ては”天子“、いや、”知事“の権力や支配力を盤石にせんが為である。世襲制で、県の独裁者である知事を、県民全てが畏れ敬い忠誠し崇拝させるように仕向ける悪魔の手帳。頭の爆弾を壁の固有周波にも反応する様に作ったのは、県という檻から県民を出さず閉じ込める為だろう。現に殆どの県民は、“壁の死”を恐れて近づこうともしなかった。”手離せば死ぬ“、そんな物を生まれた時から、後生大事に肌身離さず持たされれば、誰だって手帳に畏敬の念が湧く事は自明だ。毎日、起床時と就寝時の知事校舎へ向いての礼拝を欠かさず行わせ、知事への信仰心を育む。“命より大切“は比喩でもなんでもないのだ。そんな素晴らしい手帳の中身は?というと、知事の肖像画だとか、県民心得だとか、都道府県歌だとか、実にくだらない内容ばかりだった。そして、その内容を幼少の頃より暗唱することを学校等で強要されるのだ。


俺の様に県外に身を置いて、俯瞰して物を見られる極一部の人間からすれば、”狂気の支配構造“としか思えなくなるのだ。しかし、悲しいことに、ほぼ全ての県民たちは、一生を知事と県に忠誠を尽くす奴隷として生涯を終える。この二人だって例外では無かろう。


「俺たち落手(おとして)は、偉大なる天子様の御心を乱さぬ為にコイツら薄汚い他県民を狩っているんだ。そうだろ、マコト?」


「はい、その通りです。喜多川さん。偉大なる天子様の御威光に照らされ、日々安堵の暮らしを享受出来る私たち。その大褒賞に報いるための聖戦です」


「よし!じゃあ、県歌うたうか!マコト!」


「はい!」


「...銘々たれの行く宵闇 空高き葦の匂い


豊川や常滑の潮騒に響く 岡崎の地の歌声


燦然たる月影に照らされし 濃尾平野の雄大な


る 自然と文化の薫り高き土地よ


蒼穹に広がる雲の隙間に 輝かしき我らの誇り


と信念を掲げて 昔より脈々と続く歴史の果て


に 繁栄への道が見える 誇りを持って歩み続


けよう 偉大なる那古野よ」


それぞれが男女のパートを淀み無く朗々と歌い上げる二人。嬢ちゃんの顔を窺うと頬をほんの少し紅潮させている。


これが何処の都道府県にでもいる“普通”の県民の姿だった。これを異常と思う俺が異常なのだ。県民として当たり前の“普通”が薄れる程に、渡り鳥のヴァンガードとして、長い間、各県を放浪してきたのだな、とも思う。


「...すまん。別に侮辱する意図は無かった」


「あぁン!?」男は、県歌を歌い終わって気分が高揚している様だった。


「俺が侮辱されたと思ったら侮辱なんだよ!謝って済むか、この、神聖な県土を踏み荒らす害獣がよぉ。...あ、そうだ、おい、オッサン!」


「何だ?」


「テメェらは今回、何の目的で脱県してきたんだよ?偵察か?殺しか?掠奪か?新しい潜入ルートの開拓か?」


男のいうそれは、ヴァンガードの基本的な仕事だった。他は、脱県者へのドローン操縦や山岳戦闘のレクチャー、安全な市街地までへのルート説明や、IDスキャナーが配置してある場所を教えたりもする。


「...それを知ってどうする?」


「どうするって。テメエらが次に何企んでるか判るかもしれねぇじゃねーか。教えろよ」


「私も知りたいです。あの、次に何を企んでいるとかじゃ無くて、別の理由からなんですが」


「なんだぁ?マコト、別の理由って?」


「今回の脱県について、私、幾つか”違和感“があるんです」


ほぉ、勘の良い嬢ちゃんだとは思ってたが...。気付かれていたとはな。


「...嬢ちゃん。違和感って何の事だ?」


「まずは、脱県の場所です。春日井三山ルート。山と言うより丘くらいの高さのハイキングコースですが、言わずもがな定番の脱県ルートです」


「んん?定番ルートなのに何故違和感を覚えるんだ?何もおかしく無いじゃないか」


「ええ。これだけでは何の違和感もありません。次は、脱県の時間です。今は午後三時くらいですが、襲撃時は正午くらいでしたよね?どうして夜まで待たなかったんです?脱県は夜陰に紛れてが定石じゃなかったんですか?」


風で葉が揺れて陽光が差し、嬢ちゃんの顔が見えた時の事を思い出した。あれは昼間。そう、確かに定石破りだな。


「まぁ、確かに定番ルートで昼間に襲撃するのは違和感だな。だが、それだけ自分に自信があっただけかも知れんぜ?」


「最大の違和感はそこです。だったら何故、こんな危険なルートなのに”たったの三人“だけで脱県しようとしたんです?本当にベテラン故の自信だけで、こんな賭けみたいな真似を?」


「...」


確かに賭けだった、分の悪い賭け。そして俺たちは賭けに負けた。


「逆に、こう考えた方が、違和感がないですよね」


「“三人だけ”ではなく”三人しか集まらなかった“から」


「”昼に襲撃した“のは”夜では間に合わなくなる”から」


「“春日井三山ルートを選んだ”のも、”制限時間までに目的の物を手に入れられる場所がそこだけだった“から」


「...皮肉ですよね。もうすぐ、あなたの目的地へ到着しますよ」


終始黙って運転していた男が、頓狂な声をあげた。


「目的地ィ!?まさか“医療刑務所”!?」


「ええ、彼ら三人、今回の脱県の目的は”血清“の入手でしょう」


ブラボー、嬢ちゃん。俺の負けだ。ハハ、今日で二回もこの嬢ちゃんに敗北するとはな。末恐ろしい才能だ。隠しておきたかったが、看破されたなら仕方ない。包み隠さず全部話してやるとしよう。


「...タイパンに噛まれたんだ。いきなり草むらから飛び出してきて、ガブリとな。噛まれたのはまだ五歳のツレの長男さ。猛毒だからな、血清が無けりゃあ、半日持たずに死ぬ」


「...ツレに泣いて懇願されたよ。俺の全財産でも全然足りないだろうが、すべてを投げ打つ。だから頼む息子を助けてくれって、な」


「...たまたま近くの家にいた溝口と、ツレの幼馴染の可児がその場に一緒にいた。可児は言ったよ”先生、コイツの依頼料で足りない分はオラが出すからよ。だからお願いだ助けてやってくれ”ってな」


「...可児のその言葉で俺たちの腹は決まった様なもんだった。溝口と眼を合わせるとヤツは深く首肯いた。ツレのヤツは号泣してたよ」


「...リミットは10時間。仲間は集まらなかったからじゃあなく、集められなかったから、が

正しいな。往復10時間以内で辿り着けて、血清のありそうな大きな病院は、春日井にある医療刑務所だけだった」


「...厳しいルート。昼間。少数。三人ともに死を覚悟したよ。賭けだな、と、誰かが言った」


「...出立前、ツレに声を掛けに行くと、布団に寝かせた、瀕死の息子の前に座って泣きながら必死に祈っていた...」


「...まぁ、その後のことは、言わずとも、この通り、ハハ、まんまと賭けに失敗した訳さ」


振動と重低音が消えた。車が停車したようだった。思いもよらない形で当初の目的地に辿り着いたようだ。車の後ろのドアが開き、男が近づいて来た。金髪を後ろに撫で付けた垂れ目の若い男だ。その表情はどこか寂しげだった。


「...俺は、他県民のガキなんぞが、何人死んだ所で、何とも思わねーがよ...」


「...っ、あー、言葉が出てこねー、チッ、行くぞ」


人狩りの嬢ちゃんの方に目を遣る。思わず背筋が凍った。あの、出会った時の無表情で、何も言わずにジッと俺の顔を見ていたのだ。


「嬢ちゃん、最後にひとついいか?」


「はい。なんですか?」と、いきなり電源のスイッチが入ったかのように表情が戻った。


「俺を落とした直前、数秒だけ熱探知マップから消えただろ?ありゃあ、どういう手品を使ったんだ?」


「あ、あれはですね...」


ストレッチャーに付いたキャスターのロックがひとつずつ外されていく。ガチャガチャという解除音が邪魔で、嬢ちゃんのセリフを聞きそびれそうになる。


「...私、実は“幽霊”なんです」


「ほら、もういいだろ、行くぞ」と男に強引に引かれて、車外に出た。たしか最後“幽霊”とか言ったか。


「おい、マコト。このオッサン届けてくるから車内で待ってろ」


移動するストレッチャーの振動と音の中で、息子の布団の前で祈るツレの事を考えていた。一体、おまえさんは、一生懸命、何に祈っているんだろうなぁ。神。神か。ふん、神なぞ、この世界に居やしねぇのによぉ。なぁ、溝口よぉ。可児よぉ。そうだよなぁ、神なんざ、何処にも居なかったよなぁ。うぅ、すまん、すまん、本当に、すまん。約束、を...守ってやれなかった...。瞳に、涙が溢れている事に気づいた。おそらく未だ、ツレは続けている事だろう、決して届くことのない、無垢なる祈りを。




《3話に続く》


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