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一菱銀行目黒支店

私は横目で支店長室の机を見た。

「大丈夫やで、今日は録音してない」。視線を戻した。

机の下の録音機を切ってあるということは、やっぱりそういうことなのだ。


「どうして分かるんですか」

沈黙。教えられないらしい。私は質問を変えた。


「私は何をすれば良いんですか」

「橋本調査役の言う通りや。現地に言って、絵が実在するか、金の出所はどこか確認する」

今度は私が黙る番だった。断ろうと口を開きかけた。


「今回うまくやれば、次の昇格試験に推薦できるかもしれない」


私は息を呑んだ。諦めかけていたものが、急に目の前に現れたのだ。

それは砂漠をさまよい、倒れかけていた時に現れたオアシスのようだった。


「そしたら、次の店で課長やで」

課長。それはチームのリーダーを意味した。

理不尽な暴力。同性への嫉妬。学歴コンプレックス。

自分が受けてきて、周りが受けていても見ないふりをしてきたもの。

今なら、彼らを守れるかもしれない。


「ほな、行ってきて。名古屋の意地、見せてやり」

「なるほど。そういう筋書きでいくんですね」


支店長は財布から五枚の一万円札を取り出した。

「これ使い」。渡してくれた枚数は、新幹線代にしてはやけに多い。

私は支店長を見つめた。支店長は私を見つめ返した。「どう使うかは、任せるわ」。


まほうのくに支店に置かれていたものは、異動時に持ち帰ってきてはいけない。

たとえ、ペン一本であろうとも。


支店長は立ち上がり、録音機を作動させた。

会話はこれで終了ということだ。

「そういえば」私は不自然にならないように話しかけた。

「支店長って出身どちらですか?」「神戸だよ」「神戸の?」「芦屋」。


芦屋。山際に並ぶ、高級住宅地。名古屋と一緒にされてはたまらないだろう。

そういう土地なのだ。


支店長室を出て、課長のデスクへ向かった。

名古屋へ出張をしに行く旨を伝えると、心底驚いた顔をされた。


「橋本調査役、名古屋を関西って呼びました。ばかにされて、頭に来たんです」

「せやねん。関西の意地、見せたろって話になってん」

「お店の予算は」「私の実家があるんで、そこ泊まります」

課長は安心した顔をした。もう締めの業務は終えているのだ。


私は小谷さんに近づいた。新幹線のチケットを買いに行くよう頼むためだ。

彼女は帰り支度をしながら、同僚とおしゃべりをしていた。

話しかけようと口を開くと、「あぁ。今日は予定あるんで」と、断られた。

見事な断り方だった。好意を抱かずにはいられない。

彼女が嫌な気分になりそうな言葉を披露しようかと思ったが、その瞬間は訪れなかった。

伊藤が「俺、買ってきますよ」申し出てくれたからだ。


私は自分の財布から金を出そうとした。そこには数千円しか入っていなかった。

新人に立て替えさせるのも気が引ける。

だから支店長から預かった金のうち、三枚を渡した。

余りをポケットに突っ込んだ。自分の金と、見分けがつかなくなってはいけない。


席につくと、松下課長は熱心に画面を見つめていた。

「名古屋 関西 他の呼び方」の検索結果が並んでいた。

「中部ですよ」。課長の頬が赤らんだ。私は笑みを貼り付けた。心からの笑みだった。

FPが外貨建生命保険を売るときのような。


戻ってきた伊藤が、息を切らせながらチケットを渡してきた。

指先が触れ合い、目が合った。その目は何か言いたそうにしていた。


私は後悔の念に襲われた。本当は彼を飲みに誘うべきなのだ。

目黒から恵比寿へ移動して、一杯やるべきなのだ。

行員の異動情報とか、取引先の噂話とか、店内の恋愛事情を酒の肴に。

とても楽しいひとときになるだろう。悪魔に魂を売ってでも、手に入れるべきだ。

私は異動が近いのだ。だが、異動の前に私には実績が必要だった。


「黒川代理。忘れ物ない?」支店長がデスクに座ったまま、何気なく声をかけてきた。

台本通りに事が運ばないもどかしさが、眼鏡の奥でゆれる目が訴えていた。


私は電卓をスーツのポケットに入れ、机を施錠し、退勤記録をつけた。

そして店から逃げ出した。


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