26 赤髪の巨人
「連れ戻しますか?」
シルベストルの側近たちが、恐る恐るといった調子でシルベストルの顔色を窺う。
トゥーレは平気で彼を弄っているが、シルベストルは天秤公と渾名されるように偏った見方をせず、万事公正な判断を下すことができる人物だ。だがその分、己にも部下にも厳しいことで知られていた。
内政官であり戦場にほとんど立つことはないが、戦場で相手に恐れられるような騎士でさえ、平気で怒鳴る姿を彼らは間近で見ていた。その姿をすり込まれている部下達は、トゥーレのように気軽に弄ることなど、とてもではないができなかった。
「いや、こうなっては止められん。心配だが我々だけで先に向かおう」
既に人混みに紛れ、行方が分からなくなったトゥーレに追いつくのは困難だ。シルベストルは溜息を吐くと、側近を促して迎えの馬車へ向かう。彼の側近たちは、上司の雷が落ちなかったことに、内心ホッと息を吐いたのはいうまでもない。
「遠路ようこそおいでくださいました。カモフのシルベストル・バーレク卿でよろしいか?」
「出迎え痛み入ります。ザオラルの代理として、オリヤン様のお見舞いに参りました、シルベストルと申します。滞在中はよろしくお願い申し上げます」
「わたしはオリヤンの代理として、お迎えに上がりましたヴィクトルと申します」
シルベストルを出迎えた若者が名乗ったその名には、彼は覚えがあった。
身長が随分と伸びシルベストルが見上げる形になっているが、表情にはどことなく面影があった。
「ヴィクトル殿!? あのヴィクトル殿か!?」
「ご無沙汰しております、シルベストル様」
そう言ってヴィクトルと呼ばれた騎士は人懐っこい笑顔を見せた。
「やはり! 立派な騎士になられましたな」
「覚えておいででしたか」
「もちろん覚えておりますとも。トゥーレ様とよく遊んでおられましたでしょう?」
以前のフォレス訪問時には、トゥーレも密かに同行していた。
ヴィクトルはトゥーレより三歳上で歳も近かったため、自然と一緒にいる時間が多くなり仲良く遊んでいたのだ。
当時はまだまだ幼く、トゥーレと背格好がよく似ていて兄弟のようだったが、あれからすっかり成長し、ほっそりしているが背は父であるオリヤンを思わせるほどに成長していた。
「今回、シルベストル殿の訪問をお聞きして、リーディアと二人で密かにトゥーレ様が来られるのではと楽しみにしていたのですが」
「トゥーレ様は忙しく、今回は残念ながら私のみの訪問でございます。機会があれば近く旧交を温めることも叶いましょう」
何気ないヴィクトルの一言に、一瞬動揺したシルベストルだがさすがに表情に出すことはなく、何事もなかったかのようにヴィクトルと談笑を続ける。
「さ、父が首を長くして待っております。馬車に乗ってくださいませ」
ヴィクトルは一行を促して馬車に乗り込む。
ヴィクトルとシルベストル、彼らの護衛騎士一名ずつが同乗し、他の者は別の馬車に分乗して港を離れる。
馬車は馬上槍を装備した四騎の騎士を護衛に従え、ゆっくりと大通りを進む。
港から出ると大通りはすぐに左右に伸びた街道と交差する。街道には多くの荷車を引いた人夫や驢馬が行き交っているが、彼らが通る際には街道が一時通行止めにされていた。人々は不満を見せることなく馬車の列を見送る。
街道を渡るとゆっくりと上り坂となり道の左右には、様々な商店が軒を連なっていて、こちらも多くの人が行き交っていた。
馬車は港から城まで真っ直ぐな大通りを上っていく。四本ある大通りの内の一本であり、城の正門から伸びる目抜き通りだ。
正面にはベージュに青い屋根が輝くフォレス城がその威容を見せ、近付くに連れてゆっくりと大きくなって来ていた。
やがて凝った彫刻と装飾が施された巨大な正門を潜り、城壁をふたつ越えたところで馬車が止まる。
シルベストルが馬車から降りると、大きな体躯の老騎士がシルベストルの到着を待ち侘びたように破顔した笑顔を見せていた。
「オリヤン様!」
シルベストルはその老騎士の前に駆け寄ると、眩しそうな笑顔を見せた。
「シルベストル殿、よく来られた。みな息災か?」
「わざわざのお出迎え恐れ入ります。皆オリヤン様に会いたがっておりました」
オリヤンは深い皺が刻まれた顔をくしゃくしゃにしながら、シルベストルと肩を並べ自ら城内へと案内していく。
「本当に久しぶりだな。いつ以来になるかな?」
「およそ六年ぶりでございます」
「そうか。もうそんなになるか」
「お元気そうで何よりです。お身体はもうよろしいのですか?」
「心配掛けたようですまなかったな。ザオラル殿にもよろしく伝えてくれ」
「どうかご自愛くださいませ。お互い三十年前のように若くはありませんので」
オリヤンはシルベストルよりも五歳年長で、この年六十七歳を迎える老騎士だ。
かつて二メートルを超える体躯とその燃えるような赤毛から『赤髪の巨人』と呼ばれ、二十七年の長期にわたりミラーの騎士を務めた人物であった。
アルテミラ史上これほどの長期間ミラーの騎士を務めた者もいなければ、四代の王に仕えた者も彼の他にはいない。
故に人は彼を史上最強の騎士と呼んだ。
思った以上に元気そうなオリヤンの姿に安堵したシルベストルだったが、かつてザオラルとともに頼もしく見ていた大きな背中はひとまわりほど小さくなり、燃えるような赤髪もほとんど白く染まってしまっていることに若干の寂しさを覚えるのだった。
「昨年遂にトゥーレ殿も初陣を迎えたそうではないか? ザオラル殿もさぞ喜んでいることだろう?」
「そうですね。トゥーレ様は長い間生存を隠されて、一部では都市伝説などと呼ばれていましたからね。ようやく太陽の下へ出してやることができたと安堵しておりました」
「それはよかった。それではトゥーレ殿も大手を振って陽の下を闊歩できてよろこんでいることだろう」
オリヤンがそう言うと、シルベストルは表情を曇らせ、溜息と共にうんざりとした様子に変わる。
「はぁ、それはそうなのですが・・・・」
「どうしたのだ?」
なんとも微妙な表情を浮かべたシルベストルを怪訝に思い問い掛けると、シルベストルはますます渋い顔になる。
「今まで自由に街に出ることができなかったものが、大手を振って出歩くことができるようになったのは喜ばしいことに違いありません。ですが、それはちと行き過ぎではないかと思うほどでして・・・・」
「はっはっはっ、これは相当振り回されているようだの? 六年前から変わっておらぬのではないか?」
言葉を選びながら話すシルベストルに、愉快そうに笑いオリヤンは目を細めた。
オリヤンの言う六年前とは、もちろんトゥーレがフォレスを訪れたときのことだ。
申し訳ない。
今回ヒロインは名前だけの登場となりました。




