9 勅命下る(2)
アルテミラ国内では陪臣である領主同士の土地の争いや私闘は禁じられている。
王朝の権威が失墜してしまっている現在でもその命令は有効であり、例え命令が既に形骸化しドーグラスのように公然と他領に侵攻するケースがあったとしてもだ。
だが今回はウンダル亡命政府と共同とはいえ、他領であるカモフのトゥーレにウンダルのエリアス討伐の命が下った。
トゥーレは亡命政府軍への援軍という形でエリアス討伐を考えていたが、この命令によって大手を振ってウンダルに攻め入る事が可能となったのである。
「まさか私も王命が下るとは考えていなかったがな、最早エリアスは王国の臣下ではないという事らしい」
王国史上初めてと言って過言ではない命令に戸惑うトゥーレらだったが、レオポルドもそういう解釈を示しながらも苦笑を浮かべていた。
政府としては、エリアスを逆賊とする事で異例の命令を正当化したのであった。
「討伐の命令が下った事については、エリアスが王命に従わなかった事と失政が伝わってきた事によりウンダル領内に混乱が見られる事が大きな理由だ」
レオポルドが語ったところによると、ウンダルの内戦が終了しエリアスが勝者となった。その直後に王朝から勅使が派遣されたという。
勅使からエリアスに伝えられた命令は以下の通り。
王都へ参朝して今回の内乱の経緯の説明と謝罪および賠償を行うこと。またフォレスを一刻も早く再建し以前の状態に戻すこと。
フォレスはウンダルの領都として発展してきたが、古くからこの地方の貿易の中心地でありハブ港としても栄えていた。現にサザンから出荷された岩塩は、フォレスを中継してアルテや各地へと運ばれ、またフォレスを経由してサザンへと物資が輸送されていた。
そのような重要拠点だったが、エリアスは現在もフォレスを放棄したままだ。
彼は本拠だったレボルトを新しい領都と称してフォレスの商人を強制的にレボルトへ移住させようとした。
商人たちの多くは、長年王都との交易で財を成してきた者たちだ。当然ながら王都との交易に有利なフォレスを離れて主要街道沿いでもないレボルトへの移住に難色を示した。
だがエリアスはそれを許さなかった。
強硬に移住を拒んだ商人を、見せしめとして一族諸共惨殺して見せたのだ。
それを目の当たりにした他の商人たちは、改めて自分たちの新しい領主はあの『赤鬼』なのだと戦慄を覚えるのだった。
多くの商人がレボルトへと移った後、エリアスはフォレスを再建できないように徹底的に破壊する念の入れようだった。
それ以降フォレスはその噂を聞いた人たちが寄りつかなくなり、最後まで街に残っていた人も潮が引くように姿を消していったという。
廃墟になったフォレスに残っているのは、身寄りのない子供や老人が殆どだった。
彼らは廃材を拾い集めてかろうじて雨露を凌ぐ事ができる小屋を建て、同じように街に残った漁師から食べ物を分けて貰いながら何とか命を繋いでいた。
また城跡には何時からか夜盗が棲み着くようになり、治安も著しく悪化して現在では街全体が不法地帯と化しているという。
「そんな・・・・」
想像以上のフォレスの惨状を聞いたリーディアは、口元を押さえ呆然となった。
カモフでもフォレスが復興されずに放置されたままだという噂は聞こえてきていた。ネアンへと逃れてきたウンダルの難民からも直接話を聞いたりもしている。だがフォレスから直接逃れてきた者はなく、どれも噂話程度で真偽は定かではなかった。
そのため船上から直接見てきたというレオポルドの話は、聞いていた以上の衝撃を彼女に与えたのだった。
「全ての責任はウンダル領主を僭称するエリアスにある。
わざわざ王命でフォレス復興を命じたのも混乱を収束させる狙いがあった。だがエリアスはフォレスの復興は愚かアルテへの参朝の命をも無視し続けているのだ」
当初、王朝としてはエリアスが素直に王命に従ってフォレスの復興と速やかな王都への参朝をおこなうならば、そのままウンダル領主として認める方針だったという。
しかし一年待っても、二年待ってもエリアスがアルテに来る様子もなく、フォレスも荒廃したままの姿を晒し続けた事で、遂にエリアスを逆賊として討伐する事に至った。
「最もそれだけの理由で切り捨てる程、王朝の腰は軽くはないがな」
「どう言う事でしょう?」
「現在の王が傀儡としての価値しかないことは其方も知っているだろう?」
疑問を呈したトゥーレにニヤリと意地悪な笑みを浮かべてレオポルドが問うた。
王族の前では流石のトゥーレも答えに窮する質問に、満足そうな顔を浮かべたレオポルドはその理由を語り始める。
「現在の王朝は王など飾りに過ぎず、殆どギルドが実権を握っている。そのため反乱の当初エリアスがいくら継承権を持っているとはいえ、順位的には下位に過ぎない者に関心を示す者は皆無に近かった。しかし傀儡とはいえ王命を無視し、再三の参朝の命令にも従わず納税すら蔑ろにすれば話は別だ」
レオポルドは苦々しい顔でそう吐き捨てた。
宣言こそしていないものの、ウンダル領が突然独立したようなものだ。
アルテミラ最大の穀倉地帯を有するウンダルは、ただの地方領などではない。文字通りアルテミラの食料庫と言われる土地は、王国にとってはカモフ以上に重要な領地だった。
小麦の税収が激減した王都では、当然ながら物価が高騰しパンの値段が数倍に跳ね上がる事となった。
今までウンダル産の小麦が入ってこなくなったカモフでも、小麦の価格が一時高騰していた。ニオール商会などが奔走し、すぐに別ルートから小麦の買い付けをおこなったため価格は落ち着きを見せたが、それでも価格は上がったままだった。
王都では食料庫を開いて備蓄を放出したが、すぐにそれも底をついた。
形だけは小麦を扱うギルドに価格の抑制を要請したが、そもそも政府の中枢に影響力を持っているギルドだ。その要請は殆ど効果をもたらさず、その余波をもろにかぶるのは力のない平民たちだった。
彼らはミルクや水でかさ増しして飢えを凌いでいるが、それも何時まで保つか分からない。放置しておけば不満が蓄積し、いつまたキビキの様な大乱が引き起こされないとも限らないのだ。
「何ら有効な手立てを立てられない政府は、それでも手を変え品を変えエリアスの懐柔を図っていた。その甲斐あってか漸く租税が届くようになったが、その量はかつての半分程に留まっている。
その分、ウンダル内が富んでいるかといえばどうやらそうでもないらしい。こちらにはまだ影響がないようだがシーブ側にはウンダルの難民が急増しているようだ」
シーブはグスタフ・ゼメクの治める領地で、かつてはオリヤンと領地を巡って小競り合いを繰り返していた相手だ。新しいウンダルの領都であるレボルトもシーブにほど近く、元はと言えばグスタフへエリアスが睨みを利かせるために整備した街だった。
しかし、かつてフォレスから逃亡したエリアスはシーブ内に潜伏していた。オリヤンの死後反乱の兵を興した際にはグスタフから兵を借りてシーブから逆侵攻をかけてきた。
そのため現在のエリアスにとってグスタフは恩人のようなものだ。
エリアスとの繋がりがない王政府も、交渉当初はグスタフを介して接触を図っていたくらいだ。
「どうやらそうでもないようだぞ」
レオポルドが小さく首を振った。
グスタフにしてもエリアスの後ろ盾となることで、ウンダルへの影響力の拡大や同盟を組む事も目論んでいた筈だ。しかし現在に至るまで同盟を結んだという事実は確認できず、それどころか逆に一定の距離を置いているという噂まであった。
「グスタフとしても思った以上にエリアスの扱いにくさを感じているのだろう。
当初は王都に親密さをアピールしていた様子だったが、現在の距離の置き方から今はそれほど信頼していないのだろう。頻繁に行き来していた使者や商人も今では殆ど行き来がなくなっているという事実からもそれが窺える。
また流通が停滞する事でフォレスから強制移住させられた商人たちにも相当不満を溜め込んでいる者がいるようだ」
エリアスの求心力は支配から僅か三年余りで急速に低下していた。
戦場では無類の強さを誇るエリアスだったが、彼には政治向きの能力に欠けていた。あるいは治世術に長けた側近がいればその者に任せてしまうのも手だ。だが疑り深いエリアスの性格上いたとしても心の底から信頼はできないに違いなかった。
今はまだエリアスを恐れて我慢を続けているが、このままでは遅かれ早かれ住民の不満が爆発しかねない。そうなれば再び多くの住民が犠牲となってしまうだろう。
「このまま放っておけば再びウンダルは戦火に包まれる事になる。貴殿には速やかに逆賊であるエリアス討伐を成し遂げウンダルの危機を救って欲しい」
軽い調子でレオポルドから命じられた内容に、トゥーレは目の前がクラクラする思いだった。
トゥーレとしても将来的にはエリアスとは雌雄を決しなければならないと考えていたが、今はネアン復興の最中でありそれはまだまだ先の事だった。
しかし王命としてトゥーレに対しエリアス討伐の命が下ってしまった。
大手を振ってウンダルに向かう大義名分を得た事は僥倖だったが、正直なところ時期尚早というのがトゥーレの考えだったのだ。
「・・・・それで」
トゥーレは迷いを吹っ切るように顔を上げた。
命令が下った以上余り時間をかける事はできないだろう。ぐずぐずしているとグスタフに同じ命令が下るかも知れない。
辺境の領主でしかない彼に期待し、チャンスを与えてくれたレオポルドに応えるためにも、多少の無理を通す時だとトゥーレは覚悟を決めた。
「我らにはどれだけの時間がいただけますか?」
その顔を見てレオポルドはニヤリと口角を上げるのだった。
トゥーレにエリアス討伐の命が下りましたが、当然ながら彼らの状況を無視した命令に内心焦りを覚えています。
ですが王命を断ることは難しいため結局は受けざるを得ません。




