閑話 歓喜の知らせ
だいたい三章の七〇話前後、トゥーレらがネアンを囲んだ頃のサザンの様子です。
「お義姉様、聞いてますか?」
「え? あっ、ごめんなさい。何の話だったかしら?」
「んもう!」
そう言ったエステルがぷんすかと怒り頬を膨らませた。
怒っているがそもそもリーディアの都合を聞かずに一方的に押しかけてきたのはエステルの方である。しかも興奮したエステルがリーディアや彼女の側勤めが呆然とするのも構わず、ほとんど一方的に喋り続けていたのだった。
彼女が何時にも増して興奮していたのには訳があった。
戦場からの報告が入り、カントでの戦いでユーリとルーベルトが指揮するトルスター軍が、ストール軍に勝利したとの一報が届いたからだ。
さらにその戦いでエステルの婚約者であるユーリが、敵将イグナーツと一騎打ちの戦いの末に見事に打ち負かしたという事が彼女の興奮に拍車をかけていたのだ。
この報告が届いた時間、戦場ではトゥーレは既にドーグラス本陣へと突入を果たし、見事ドーグラスを討ち取る事に成功していた頃だったが、この時点ではまだその情報はサザンへは届いてなかった。
「ごめんなさい。エステル様がわたくしを元気づけようとしてくれているのは分かっています。それでもどうしてもトゥーレ様の事が気になってしまって・・・・」
まだ戦いの帰趨を知らないリーディアが、トゥーレの身の上を案じてエステルとのお茶会に上の空だったとしても仕方ないだろう。
それどころか味方が死闘を演じている最中に、脳天気にお茶会をおこなうエステルの方こそ非常識なのである。
ユーリがイグナーツを破ったとはいえ、戦い全体から見ればただの局地戦での勝利でしかない。
リーディアとしても彼女が送り出した軍勢の活躍によって、ユーリが窮地を脱した事は喜ばしく思っていた。
作戦の詳細については彼女らにも伏せられていたが、最終目的はドーグラスを討つ事だとリーディアは認識しており、万が一トゥーレが敗れればカントでの勝利などあっと言う間に吹き飛んでしまう事は分かっていた。
リーディアは自身が動かす事のできる兵を戦場に送り出した時点で、やれるべき手はもう残っていなかった。トゥーレが敗れれば彼女は懐に忍ばせた短剣で自刃する覚悟だった。
「わたくしもお兄様の事は気にならないと言えば嘘になります」
エステルは申し訳なさそうな表情で呟く。
「でも、それ以上に気になっているのは、このところお義姉様が塞ぎ込んでいる事です。
聞けば食事も僅かしか召しあがらず、睡眠も殆ど取れていないと言うではないですか。差し出口かと存じますが、わたくしとのおしゃべりでほんの少しでも気分転換になればと考えたのですけれど、少しわたくしもはしゃぎすぎてしまったようです」
そのエステルの言葉にハッとさせられた。
自分だけが戦いの結果を心配している様な気でいたが、目の前にいるエステルだって自分と同じようにトゥーレやユーリを心配していただろう。
いや、彼女だけではない。
何かとリーディアを気にかけてくれているテオドーラも、サザン市長として辣腕を振るっているシルベストルだってそういう姿を見せないだけで、戦いの行方が気になっているに違いなかった。
リーディアは天井を見上げて大きく息を吐く。
中々視力が戻らない不安が視野を狭くし、自分でも気付かないうちに態度として出てしまっていたのかも知れない。軽く首を左右に振るとリーディアは視線をエステルに戻した。
「わたくしの方こそエステル様に気を遣わせて申し訳ありません。目を患っているせいにしたくはありませんが、わたくしも少し周りが見えていなかったようです」
「いえ、浮かれすぎていたわたくしも悪いのです。実際に戦いはまだ終わっていないのですもの。お義姉様の不安を汲み取れず一人ではしゃいでしまい本当にごめんなさい」
「婚約者であるユーリ様がご活躍になられたのです。わたくしがエステル様の立場でも同じ事をしたと思います。どうかお気になさらないでください」
――くすっ
お互いに謝罪を繰り返しているうちに可笑しくなった二人は、どちらともなく笑い出した。
それはトゥーレが覚悟を持って出陣して以来となる、リーディアにとって久しぶりとなる笑顔だった。
その様子を二人の側勤めたちが暫く呆気に取られたように見つめていたが、やがて周りを巻き込むように彼女らにも笑顔が広がっていく。
リーディアの側勤めであるセネイも、久しぶりに見た主人の笑顔に安心したように笑みを浮かべていた。
「お義姉様も同じでしょうけれど、わたくしこう見えましても、万が一お兄様が負けた場合の覚悟はできております。何も仰りませんけれど恐らくお母様も同じだと思います。こうして楽しくお喋りできるのもこれが最後になるかも知れません。
わたくしは戦いが始まってからは後悔しないようにと考えながら過ごしてきました。ですので戦いに敗れた際には、絶対に笑いながら死んでやるって、意地でも泣いたりするものかって考えております」
「まぁ、とてもエステル様らしいお考えですね」
「そうでしょう?」
リーディアがそう言って笑うとエステルも軽く舌を出して戯けた仕草で応えた。
「わたくしもぜひご一緒させてくださいませ」
「その時はストール公の目の前で一緒に笑顔で逝きましょうね」
そう言って笑っていた時だった。
領主邸に急使の乗る早馬が駆け込んできた。
急使は軍装姿であり慌てている様子から、戦場での戦いの結果を伝えるためのものである事に違いないだろう。
俄に領主邸が騒然となった。
当然ながらその騒動は、離れのリーディアの自室にも伝わってくると同時に一同は緊張に包まれた。
「どどど、どうしましょう!」
覚悟は決まっていると豪語していたエステルだったが、一転して急にそわそわと落ち着きがなくなった。それに釣られるようにして彼女の側勤めたちにも動揺が広がり、小声で不安そうにコソコソと同僚と喋り始め、あたふたと窓の外を伺ったりおろおろとし始める。
対照的に落ち着いた姿勢を崩さない者もいた。
「エステル様、座ってくださいませ」
静かな落ち着いたリーディアの声が凜と響くと、エステルがハッとしたように動きを止めた。
リーディアはゆったりした動作でお茶を一口飲んで、その余韻を堪能するように目を閉じて深呼吸した。それから目を開けるとゆっくりとカップをソーサーへと戻す。
「ここでわたくしたちが慌てたところで結果は変わりません。そのうちにシルベストル様から知らせが届くでしょう。それまで待てないのであれば、誰か人を遣ってはいかがかしら?」
泰然とした彼女の態度に、取り乱していたエステルの側勤めたちが恥じ入るように押し黙る。
エステルもストンと椅子に腰を下ろし、赤面した顔をリーディアに向けた。
「覚悟は決まっていると言った傍から主従一同恥ずかしい姿を見せてしまい申し訳ございませんでした」
「気にしていません。それよりよいのですか? 早くしないとシルベストル様の発表に間に合いませんけれど?」
「そうでした。ではフォリン、貴方なら広間に入れるでしょう? 行ってきてください」
「畏まりました」
エステルは側近を見渡すと迷いなくフォリンを指名した。
側勤めでもあり護衛でもあるフォリンはこの中で唯一帯剣を許されていて、もちろん相手の了承次第だが、お茶会の席でも細剣を帯びる事を許されていた。
彼女は静かに頭を下げると足早に広間へと向かっていった。
「さて、戻ってくるまで少し時間があるでしょう。お茶のおかわりはいかがかしら?」
リーディアがそう促すと、セネイたち彼女の側勤めが素早い動きで食器を片付けていき、代わりの新しい茶器やお菓子が用意されていく。
放心したように押し黙っていたエステルの側勤めたちも、普段と変わらぬ様子を見て落ち着きを取り戻すと慌てて手伝い始めるのだった。
「皆様凄いです」
エステルは自分や側近が狼狽えるばかりで何もできなかった事と比べて、リーディアの側近たちが普段と変わらず動ける姿に感嘆の声を上げた。
「わたくしも初めは同じようなものでしたよ」
リーディアが照れたようにはにかむ。
タカマ高原で襲撃を受けた際には、彼女は守られるばかりで何もできなかった。フライルの森での狩りでは猪を仕留める事ができたが、トゥーレらが彼女をしっかりと守っていた。
フォレスでの戦いでは死と隣り合わせの中、彼女自身も命の遣り取りをおこなった。そして多くの犠牲を出しながらも必死で生き残ってきたのだ。
彼女の側勤めたちもそうだ。彼女たちはいち早くフォレスを脱出していたとはいえ、親兄弟や親しい人を失った者も多かったのだ。
その経験が彼女たちに確実に影響を与えたのだろう。
改めて戦場という生死の狭間をくぐり抜けてきたリーディアの強さをエステルは感じた。そんな強さにも憧れるが、自分はずっとこうやって一喜一憂して生きていくのだという確信もあった。
――わあぁぁぁぁ・・・・
暫くすると離れの屋敷にまで、爆発したかような歓喜の音が響いてきた。
「!?」
「これは!?」
リーディアとエステルが思わず視線を合わせ、殆ど同時に立ち上がった。その顔には自然と笑顔が浮かんでいた。
しばらくすると扉の向こうから、弾むような軽やかな足音が近付いてきた。
全員の視線が扉に集中する中、扉を勢いよく開けてフォリンが飛び込んで来た。彼女は部屋に入るなり、その勢いのまま笑顔で叫ぶ。
「トゥーレ様が、ストール公を討ち取ったそうです!」




