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都市伝説と呼ばれて  作者: 松虫 大
第三章 カモフ攻防戦
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76 ネアン解放(3)

 小さく燃え始めた炎は徐々に勢いを増しながら、より大きくより激しく燃えさかっていく。


「何、離れから出火だと!?」


 離れを放置していたストール軍がその事を知った時、既に初期消火が手遅れとなっていた。

 何とか消火しようと兵は躍起になったが、最早火の手の勢いを抑える事はできず、ジアンへと報告してきた時には既に公館へと飛び火していた。


「馬鹿者! 何故すぐに報告しなかった!」


 ジアンが烈火の如く叱りつけるものの後の祭りだ。

 ドーグラスが討たれてから全体の歯車が狂ってしまったことが、改めて突きつけられているように感じた。

 つい先程までは兵力が充分だからと、このまま侵攻を続けるのか撤退するのかはっきりと決める事ができなかったが、この事態に直面すれば最早ひとつしか残されていなかった。


「閣下。既にこの戦いは我らに分はありません。ここは速やかにトノイへと撤退する事が肝要かと存じます」


 クスターに向き合ったジアンは、感情を抑えて淡々とした調子で語った。


「そうか」


 それを聞いたクスターもどこか達観した様子でひと言だけ発した。


「閣下にはすぐにでもネアンを脱出していただきたく・・・・」


「貴様はどうするのだ?」


「私は殿(しんがり)となって閣下の脱出の時間を稼ぎます」


「・・・・死ぬ気か?」


「・・・・」


 クスターの問いにジアンはすぐに答えることができなかった。


「父上が討たれ、イグナーツも逝った。ラドスラフは私を捨て、ヒュダもまた住民に撲殺された。デモルバも未だ帰らず、多くの将兵が父に殉じるように我が元を去っていった。そして今、貴様も父上の下へ()くというのか?」


 黙ったままのジアンに、クスターらしからぬ強い口調で叱責するように語る。彼の目付きもどこかドーグラスを彷彿とさせるような鋭いものに変わっていた。

 ジアンは思わず頭を下げていた。


「お許しいただきたく存・・・・」


「ならぬ!」


 思いがけない強い口調にジアンは思わず顔を上げた。

 彼の視線の先では口惜しそうなクスターがジアンを睨み付けていた。


数多(あまた)の将兵が父上と運命を共にした今、我には貴様以外誰も残っておらぬ。その貴様が我を捨て父の下へと逝けば、生き残ったとて我は最早何の力もないただの凡将だ。たった一人でトノイへ戻った所で猛獣の前に差し出された兎に等しいだろう。父上に(じゅん)じたいと願う貴様の気持ちは理解するが、どうか我の事を見捨てないでくれないか?」


「そんなことは・・・・」


「本当にないと言い切れるか?」


「・・・・」


 ドーグラスに似た鋭い視線に射すくめられ、ジアンは何も言えず(うつむ)いた。

 クスターは更に畳み掛けるように言葉を重ねる。


「ないのならば何故死のうとするのだ。我を逃がすための時間を稼ぐ?

 確かに撤退するための時間稼ぎは必要だろう。だが彼我(ひが)の戦力差はまだ十分にある筈だ。貴様ならば最小限の被害で切り抜ける事も可能だろう。そんな状況で殿をするという貴様の言葉は死ぬためのただの口実ではないのか?

 父上の供はイグナーツやヒュダがいれば充分ではないか。頼むジアン、せめて貴様だけは我の下に残ってくれまいか?

 我を一人にしないでくれ」


 最後にクスターは、ジアンに(すが)り付くようにしながら懇願していた。

 出陣の日、トノイ住民から盛大に送り出され、意気揚々とネアン入りしたばかりの数日前には、自らが指揮を執ってサザンを落とす事を夢想し、高揚する気持ちを抑える事に苦労していたくらいだ。

 それが前哨戦と呼べる小さな砦ひとつをまともに落とす事ができず、父からの侮蔑(ぶべつ)の篭もった目で見つめられた時は心胆が凍り付くような恐怖を感じた。

 そして今、父を始め多くの将兵が彼の目の前からいなくなり、それどころか頼りとしていたジアンまでもが去ろうとしてた。

 クスターの表情には、戦場にひとり取り残される不安と心細さが滲み出ていた。


「・・・・承知いたしました」


 長い沈黙の後、ジアンは静かに了承を示した。

 ジアンにとっても長くドーグラスに仕えてきた自負がある。また引き立てられてきた恩もあった。できればヴァルハラでもドーグラスに引き続き仕えたいという思いもあった。

 しかしそれ以上に幼い頃から知っているクスターをひとり残す事の罪悪感がそれを上回ったのだ。

 クスター自身が語ったように、今のままネアンを脱出しトノイへ帰還を果たしても、この戦いで主力がごっそりと消え弱体化した軍勢ではクスターの後ろ盾とはなれず、いち早く帰還したラドスラフを止められる者もいない。またクスターの傍には有力な側近がいるものの、老獪な幕僚たちとやり合うには力不足なのは明らかだった。

 経験のないクスターでは、遅かれ早かれ表舞台から消え去ることになるだろう。

 クスターの行く末を案じたジアンは、覚悟を決めた表情で顔を上げた。


「共にトノイへ戻りましょう! 及ばずながらこれからは私が閣下の剣となり盾となります」


「ジアン! ・・・・父に比べると頼りないがよろしく頼む」


 クスターはジアンのその言葉に父の訃報を耳にして以来、初めて笑顔を見せるのだった。

 その後、炎が燃え広がっていく公館の中で、慌ただしく脱出の準備を整えたクスターは、公館を出て暴徒と化した住民から姿を隠すようにしながら北門へと向かった。

 兵の影に隠れるようにしながらチラリと覗き見たネアンの街は、炎が猛威を振るう炎熱地獄となっていた。

 今やネアンの街全体が炎に包まれ、その中を暴徒が商店を襲って略奪に走っていた。いや、暴徒だけではない。ストール軍の兵もいつの間にか略奪する方に回っていて市街は混沌と化していた。

 それらを阻止しようとしているのが突入してきたトルスター軍というクスターらにとって笑えない事態となっていたのだ。


「くっ、あれほどの偉容を誇った軍団が何という醜態(しゅうたい)を晒しているのか!」


 信じがたい光景を目の当たりにしたジアンは口惜しそうに天を仰いだ。


「この隙に脱出するしかあるまい」


 最早統制が取れておらず場合によってはクスターの首を手土産にトルスター軍に寝返ろうとする輩が現れるかも知れない。ジアンはすぐに兵を取り纏める事を諦め、街に残る三〇〇〇〇名近くいる将兵の大半を切り捨てる決断を下すのだった。


 クスターに従っていた兵はジアンの手勢を中心とした僅か一〇〇〇名余り。

 その人数で炎と人目を避けるようにしながら北門を目指していた。

 ジアンが懸念した通りクスターの姿を認めると襲いかかってくる兵が現れるが、それらは全て怒りの形相を浮かべたジアンの手によって(ことごと)く討ち取られていく。

 人目を避けて何とか辿り着いた北門には、暴徒や兵の姿もなくまだ火も広がっていなかった。

 報告では北門にはトルスター軍の姿はないという。トルスター軍の兵力の問題もあって街を包囲できないのもあるが、ストール軍を追い出すためにわざと兵を配置していない箇所を設けているのだろう。

 ジアンの説明をクスターはよく理解できなかったが、現在の自軍の状況を考えればそれは有り難かった。

 北門を抜けて暫く進めば山道となりエン砦まで険しい登りが続く。だがエンを越えることが出来ればその先はストール領だった。そこから領都のトノイまでは一ヵ月程かかるが、とりあえずエンに辿り着きさえすれば安心できるだろう。


「開門!」


 号令の下開いた門の先には報告通りにトルスター軍の姿はなく、無人の荒野が広がるだけだった。


「よし、トノイへ帰ろう!」


 その言葉と同時にこれまで張り詰めていた気が緩み、緊張感が全身から一気に抜けた。父を失った痛みは依然としてあるものの、漸く帰ることができるというホッとした気持ちの方が大きかった。

 

――しかしこのトノイへの旅は艱難辛苦(かんなんしんく)を極めた行軍となった。


 道中武装蜂起した住民の奇襲や襲撃に悩まされ続けることになり、肉体的にも精神的にも徐々に磨り減らされていく。

 余りの苦難に夜の内に逃げ出す兵も後を絶たず、朝を迎えた時には多くの兵が去っていた事もあった。

 そんな中でもジアンはクスターを支え続けていたが、襲撃を避け山中を彷徨(さまよ)う最中に賊に襲われて重傷を負ってしまう。


「私を捨てて行きなされ」


 力なくそう言ったジアンだったが、クスターは決して見捨てる事なく自ら背負って歩き続けた。

 日中は賊の襲撃に怯えながら眠り、暗くなってから山中の道なき道を進んだ。食料が尽きた後は木の皮までも口に入れて飢えを凌いだ。


 クスターがトノイへと帰還を果たしたのは、ネアン脱出からおよそ三ヶ月後のことだった。

 脱出時に一〇〇〇名を数えた兵力だったが、僅か十数名の兵と共にトノイの街へと辿り着いたクスターの姿はやせ衰え、装備もボロボロでまるで幽鬼と見紛(みまが)うばかりの姿だったという。

 出立時の(きら)びやかな姿を覚えていた住民は、その変わり果てた姿に驚愕するのだった。

次回、いよいよ三章最終回!

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